ふみふみ

 古来より、優れた人物の下には、優れた補佐がいるものであり……。

 それは、ロマノーフ大公家においても例外ではない。

 では、鉄の男――に加え、最近は影でアホとかバカとかタコとか呼ばれている――の異名で知られるウォルガフ・ロマーノフの腹心を務める人物とは、一体誰か?

 他でもない……老執事セバスティアンであった。


 そもそも、家中において彼より長く仕えてきた人物は存在しない。

 先代の代……ウォルガフが生まれて間もない頃から執事見習いとして仕えており、ウォルガフの子供時代には、よき遊び相手となり、また、兄代わりとして接してきたのである。


 ゆえに、ウォルガフとしても彼には頭の上がらないところがあり、また、難しい舵取りが迫られる場面で、助言を求めることもしばしばであった。

 まさに、ロマーノフ家の隆盛を陰から支える存在……。

 それこそが、セバスティアンという名の執事なのだ。


 そんな彼に対し、主であるウォルガフが与えた最大の権限にして、使命……。

 それこそが、愛娘であるカミュの教育と養育である。

 何しろ、銀河帝国最大の版図を誇る貴族家当主であり、ウォルガフは多忙を極めていた。


 ただ忙しいだけでなく、ロマーノフ大公領首都星であるタラントを離れなければならない案件も数多いため、当然ながら、子供の面倒を見ている余裕などない。

 そのため、彼と今は亡き彼の細君に代わってカミュを見守り、育てるのが、セバスティアンの生涯最後にして最大の仕事となっているのだ。


 もっとも、セバスティアン本人に重圧はない。

 むしろ、孫が一人増えたようなものであると捉え、極めて前向きに取り組んでいた。

 自身の孫であり、カミュから見れば一歳年上の少女であるエリナを、専属メイドとしてあてがったのもその一環である。

 それでも、氷のような少女は心を閉ざし、心中は察せないでいたが……。

 最近は急激に明るく行動的となったので、少しは効果があったのだと思いたいところであった。


 まあ、副産物として、ご令嬢には到底似合わぬ巨大兵器――PLに猛烈な執心を抱くようになってしまったが、大公家の懐具合を考えれば、大したことのない問題である。

 今はPLのパイロットを目指すと言っているが、おそらく、成長する頃にはその熱も冷めることだろう。

 となれば、後に残るのは、溶けた氷の中から少女らしい快活さが飛び出したご令嬢……。


 ――どうやら、私は自分の職務をまっとうできたようだ。


 そのようなことを考えながら、セバスティアンが紳士の休息――ティータイムを楽しんでいた時のことだ。


 ――コン、コン。


 ……と、家人が使う休憩室のドアを、叩かれたのであった。


 ――誰か、他の人間も休憩を頂きに来たか。


「どうぞ」


 ごく当たり前の考えから、ノックの主へ入室を促す。

 しかし、ドアの向こうから姿を現したのは、間違ってもロマーノフ大公家へ仕える人間ではなかったのだ。


 いや、むしろ逆だ。

 彼女こそ、自分たちが仕えるべき存在であり、当主であるウォルガフが不在の間は、屋敷の中で最上位に位置づけられる人物なのである。


「か、カミュお嬢様!?」


 驚き、立ち上がってしまう。

 老練のセバスティアンをしてここまで動揺させたのは、何も、カミュがこんな場所までやって来たからだけではない。

 彼女の、格好が問題であった。


「えへへ、似合うでしょうか?」


 言いながら、くるりと一回転。

 スカートを押さえたカミュが、パッチリとウィンクしてみせる。

 だが、彼女が着ているのは、いつものような衣服ではない。

 ある意味で、セバスティアンたちにとって馴染み深い装束……。

 しかして、カミュが袖を通すはずのない装束……。

 すなわち――メイド服だったのだ。


「い、一体どうしてそのような格好を?」


 動揺に震えるティーカップをソーサーへ戻しながら聞くが、カミュが質問に答えることはなかった。


「ねえ、セバスティアン……。

 いいえ、爺や。

 実は一つ、お願いがあるの」


 ばかりか、どこでそんな所作を覚えたのか、しなを作りながらこちらへにじりよって来たのである。


「お、お願い……?

 また何か、PLに関することですかな?」


「ううん、そうじゃないの。

 実はね……。

 チューキョーへ、行ってみたいなって」


「――チューキョーですと!?」


 ご令嬢の口から飛び出した単語……。

 それに、くわと目を見開く。


「なりません!

 あのような所に、ロマーノフ大公家の息女が向かうだのと!

 そもそも、どのような名目で訪問するのです?

 いや、それ以前に、あそこがどんな所か分かっているのですか?

 通常の貴族領首都星とは全く異なるのですぞ」


「名目はいりません。こっそりと……お忍びで訪問します。

 ガイド役は、アレル様に快諾を頂きました。

 あの方は領主であるケンジ・タナカ様と懇意であり、かの地についてもよく知っているので、問題ないでしょう

 そして、どのような場所かも、よく分かっていますとも」


 セバスティアンの言葉に……。

 カミュは、落ち着き払った様子で答えた。


「……スペースコロニー『チューキョー』。

 居住というよりは資源確保と工業生産を重視したコロニーで、資源衛星に半ばめり込むような形をしているとか。

 そして、その街並みはひどく個性的で、面白いそうですね」


「面白くなどは、ありません。

 あそこは、ひどく荒んでいて……汚らしい。

 旅行がしたいというのならば、風光明媚な惑星はいくらでも――」


 セバスティアンの言葉を遮るように……。

 カミュが、一枚の紙切れを差し出してくる。

 なんということはない、ありきたりな印刷用紙を切り取ったのだろうそれは、ごく稀な場面で用いられるペーパートークン型の金とよく似た形、大きさをしていた。


「これは……?」


「ふふ……。

 近づけて、よく見てご覧なさい」


 言われるがまま……。

 自分自身、いぶかしげなそれであると自覚できる表情で、懐からモノクルを取り出す。

 すると、古来より扱われているその視力矯正器具は、すっかり老眼と化したセバスティアンの眼へ、ハッキリと紙切れに描かれたモノを映し出した。

 これは……これは……。


「肩叩き券……ですと?」


 ――ニヤァリ。


 ……と、カミュが粘着質な笑みを浮かべる。

 そう、そこに描かれていたのは、妙にデフォルメ化された眼前のお嬢様が、「ひゃく!」と叫んでいる手描きイラスト……。

 そして、『肩叩き券』というデカデカとした文字であったのだ。


「願いには、対価が付き物……。

 これが、わたしからの対価です」


 仕えるべきお嬢様が、天使のようなほほ笑みで告げる。

 しかし、セバスティアンは分かっているだろうか?

 悪魔とは、皆――優しいのだ。


「ば、バカな……こんなご褒美……。

 ――いや!」


 鉄の男ことバカアホタコ大公のことをとやかく言えない速度で陥落しそうになった老執事であるが、あちらよりはわずかに勝る知性がそれを押し留めた。


「こんなもので、納得できるわけ――」


「――爺や。

 端っこのところを、よくご覧なさい」


「は、端っこ……?」


 言われるがまま……。

 肩叩き券の端っこを注視する。

 そこには、小さな文字でこう書き足されていたのだ。


 ――今なら、背中ふみふみマッサージ百ふみ分も付いてきます。


 ――視える!


 ――私にも視えるぞ!


 ――メイドビキニ姿のお嬢様が、ふみふみマッサージしてくれるお姿が! (※そんなオプションはありません)


「オッケーイ!」


 肩叩き券兼背中ふみふみ券を握り締めた老執事が、そう言って拳を突き上げた。



--



 近況ノートで本エピソードのイラスト公開してるので、リンク張っておきます。

https://kakuyomu.jp/users/normalfreeter01/news/16818093085205079342

https://kakuyomu.jp/users/normalfreeter01/news/16818093085205110193


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