第5話:悲しみの連鎖
翌日。放課後、映画館での佳奈との約束を控え、俺は緊張していた。
「浩介、行こう!」
教室の出口で佳奈が俺を待っていた。その笑顔に、少し罪悪感を覚える。
「ああ」
俺たちは学校を出て、映画館へと向かった。道すがら、佳奈が楽しそうにおしゃべりをする。
「今日の映画、すっごく楽しみなんだ。主演の俳優さん、私の大好きな人なんだよね」
「へえ、そうなんだ」
俺は適当に相づちを打つ。実は、映画の内容すらよく覚えていなかった。
映画館に着き、チケットを買う。ポップコーンを買おうとする佳奈を見て、ふと千紗のことを思い出した。千紗もいつも、映画を見る時はポップコーンが必須だと言っていたっけ。去年の夏、最後に一緒に映画を見た時のことが鮮明によみがえってきた。
「浩介も食べる?」
「ああ、いいよ」
席に着き、映画が始まる。しかし、俺の頭の中は千紗のことでいっぱいだった。日記の内容、あの事故の光景、そして千紗の笑顔。
「あ、この場面素敵!」
佳奈が小声で感想を述べる。俺はただ頷くだけだった。
映画の途中、ふと隣を見ると、佳奈ではなく千紗が座っているような気がした。俺は思わず目をこすった。
「どうしたの?」
佳奈の声に我に返る。
「ああ、なんでもない」
映画が終わり、二人で喫茶店に入った。佳奈は映画の感想を熱心に話す。
「どうだった? 浩介も楽しめた?」
「ああ、まあな」
「……嘘でしょ」
佳奈の声が急に冷たくなった。
「え?」
「浩介、全然楽しんでなかったじゃない。ずっと上の空だったし」
「いや、そんなことは……」
「千紗のこと、考えてたんでしょ?」
佳奈の言葉に、俺は言葉を失った。
「わかるよ。私だって、千紗のことは忘れられない。でも……」
佳奈の目に涙が浮かんでいた。
「私じゃダメなの? 私は千紗の代わりにはなれないの?」
「佳奈……」
「私も、ずっと浩介のことが……」
佳奈の言葉が途切れた。俺は何も言えなかった。
「ごめん、帰る」
佳奈は立ち上がり、店を出ていった。俺はその後ろ姿を見送ることしかできなかった。
家に帰る道すがら、俺の頭の中は混乱していた。佳奈の気持ち、千紗への想い、そして自分の心。全てがぐちゃぐちゃだ。
家に着くと、すぐに部屋に向かった。机の上には、千紗の日記が置いてある。
「ちー、俺はどうすればいいんだ……」
俺は呟いた。返事はない。でも、風が窓を軽く揺らし、まるで千紗が答えているかのようだった。
俺は再び日記を手に取った。この中に、何か答えがあるはずだ。そう信じて、次のページを開く――。
俺は震える手で日記を開いた。次のページには8月27日の日付が記されていた。
『8月27日』
『2学期が始まって2日目。こーちゃんと同じ教室にいられないことが、本当に信じられない……。でも、どうしてもこーちゃんのそばにいる気がして、今日も教室でこーちゃんのことをずっと見てた気がするんだ。』
俺は息を呑んだ。千紗がそばにいると感じる一方で、いなくなった現実を受け入れ始めているような内容だった。日記は、まるで千紗が自分がここにいないことを知っているかのように書かれている。
『教室で、こーちゃんが私の席を見つめていた。すごく悲しそうな顔をしてて、胸が痛くなった。ごめんね、こーちゃん……。私、こーちゃんを悲しませてばかりかもしれない……。』
確かに、2学期が始まった時、俺は千紗の空席を見つめていた。だが、なぜ千紗がそのことを知っているんだろう。
『佳奈ちゃん、ありがとう。こーちゃんをいつも気にかけてくれて……。これからは、きっとあなたがこーちゃんを支えてくれるはず。でも、私は少しだけ寂しい気持ちになっちゃう……。』
俺は目を閉じた。佳奈のことを思い出す。さっきの彼女の表情が、まぶたの裏に浮かんでくる。
ページをめくると、10月10日の日付が目に入った。
『10月10日』
『今日はこーちゃんの誕生日!おめでとう、こーちゃん!』
『私、プレゼントを用意してたけど、渡せなかった。でも、心の中ではずっとお祝いしてるよ。こっそりこーちゃんの机に入れたプレゼント、見つけてくれたかな?』
俺は思わず机の中を確認したくなった。でも、そんなはずはない。千紗はもういないんだ。
『こーちゃん、今日は将人くんたちと祝ってもらえたみたいだね。良かった。でも、私も一緒にお祝いしたかったな……。ケーキを作って、みんなでわいわいするのが楽しかったのに。』
俺は涙を堪えきれなくなった。確かに、誕生日は将人たちと祝った。でも、千紗がいない誕生日は、どこか寂しかった。
『こーちゃん、私の気持ち、伝わってる?私はいつも、こーちゃんのそばにいるよ。ずっとずっと、見守っているからね。だから、少しだけ笑顔でいてくれると嬉しいな……。』
俺は日記を閉じ、深く息を吐いた。頭の中が混乱している。この日記は一体何なんだ?千紗の幻影?それとも本当に彼女がそばにいるのか?
ふと、部屋の隅に千紗が立っているような気がした。振り返ると、そこには誰もいない。しかし、微かに千紗の香りがした気がする。
「ちー……お前、本当にここにいるのか?」
問いかけに対する返事はない。ただ、風が窓を軽く揺らした。
俺はベッドに横たわり、天井を見つめた。千紗の笑顔、佳奈の泣き顔、そして自分の混乱した気持ち。全てが渦を巻いている。
この日記の真実、そして千紗の本当の想い。それを知るには、もっと読み進めるしかない。
でも今は、その勇気が出なかった。
俺は目を閉じ、千紗との思い出に浸りながら、少しずつ眠りに落ちていった。
明日、また日記を読もう。そして、佳奈にも謝らなければ。
そう心に決めて……。
外では、初夏の風が木々を揺らしていた。季節は着実に進んでいるのに、俺の心はまだ去年の夏に留まったままだった。それでも、少しずつ変化の兆しが見え始めていた。千紗の日記と佳奈との出来事が、俺の凍りついた時間を少しずつ動かし始めているようだった。
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