第3話:謎の日記

高校2年生の4月下旬、翌朝。俺は重たい頭で目を覚ました。昨夜読んだ千紗の日記の内容が、まだ頭の中でぐるぐると回っている。


「浩介、起きた?」


母の声に応えて、俺はゆっくりと起き上がった。鏡を見ると、目の下のクマがさらに濃くなっているのが分かる。この9ヶ月で、俺の顔つきは随分と変わってしまった。


「……ちー」


思わず呟いた名前に、胸が痛んだ。


朝食を済ませ、いつもより早めに家を出ようとすると、玄関のチャイムが鳴った。


「おはよう、浩介」


ドアを開けると、そこには佳奈が立っていた。彼女は千紗がいなくなってから、毎朝俺を迎えに来てくれている。


「ああ、おはよう」


佳奈は俺の顔を見て、少し心配そうな表情を浮かべた。


「昨日はよく眠れた?」


「ああ、まあな」


嘘をつく俺に、佳奈は何も言わず、ただ優しく微笑んだ。


学校に着くと、教室はまだ閑散としていた。俺は自分の席に座り、ぼんやりと窓の外を眺める。初夏の陽気が、少しずつ教室に広がっていく。


「浩介、これ」


気がつくと、佳奈が俺の机の上にノートを置いていた。


「昨日の授業のノート。写しておいたから」


「ああ、ありがとう」


俺が上の空で授業を聞いていたことを、佳奈は気づいていたんだ。


「おはよう、浩介」


声をかけてきたのは将人だった。


「ああ、おはよう」


「……浩介、大丈夫? 顔色悪いよ」


将人の目が心配そうに俺を見つめている。


「別に……大丈夫だよ」


「嘘つかないでよ。ここ最近ずっと元気ないじゃん」


俺は言葉に詰まった。将人の言う通りだ。千紗がいなくなってから、俺の中の何かが欠けてしまったような気がする。


「ごめん……ちょっと眠れなくて」


「千紗のこと?」


将人の言葉に、俺は無言で頷いた。


「わかるよ。俺だって、千紗がいなくなって寂しいもん。でも……」


将人は言葉を途切れさせた。その目に、何かを言いたげな表情が浮かんでいる。


「でも?」


「いや、なんでもない。ごめんな」


将人は慌てて話題を変えようとした。


「あのさ、浩介。明日の放課後、よかったら一緒に……」


その時、チャイムが鳴った。


「あ、もう授業だ。また後でな」


将人は急いで自分の席に戻っていった。


授業が始まり、先生の話を聞こうとするが、頭に入ってこない。いるはずもないのに教室の中で千紗の姿を探してしまう。


「はい、じゃあこの問題を解いてもらいます。えーと……浩介くん」


「はい」


俺は立ち上がり、黒板に向かった。チョークを手に取り、問題を解こうとするが、頭が真っ白になる。


「あの、浩介くん? 大丈夫?」


先生の声が遠くに聞こえる。


「すみません……ちょっと」


俺は黒板の前で立ち尽くしたまま、動けなくなってしまった。クラスメイトの視線が、痛いほど背中に突き刺さる。


その時、ふと隣に千紗が立っているような気がした。


「こーちゃん、大丈夫だよ。ゆっくりでいいから」


幻聴だとわかっていても、その声に俺は少し落ち着きを取り戻した。深呼吸をして、ゆっくりと問題を解き始める。


なんとか問題を解き終え、席に戻る。


「よくがんばったね」


また千紗の声が聞こえた気がした。俺は思わず隣の席を見たが、そこには誰もいない。


放課後、教室を出ようとすると、将人が声をかけてきた。


「おい、浩介。今日バスケやるけど、お前も来ないか?」


「ごめん、今日は……」


「そっか。わかった。また今度な」


将人は少し残念そうな顔をしたが、無理強いはしなかった。


「浩介」


今度は佳奈だった。


「さっきの続きなんだけど……明日、よかったら一緒に映画でも見に行かない?」


佳奈の顔が少し赤くなっている。俺は一瞬戸惑ったが、


「ああ、いいよ」


と答えていた。なぜだか、千紗がそう言えと言っているような気がしたから。


「ほんと!? じゃあ、明日放課後ね」


佳奈は嬉しそうに笑った。その笑顔が、少し千紗に似ていた。


「浩介、今日も一緒に帰ろう?」


佳奈の言葉に、俺は少し驚いた。そういえば、千紗がいなくなってから、佳奈はほとんど毎日俺と一緒に帰ってくれていた。


「ああ、そうだな」


家に帰る道すがら、俺は考え込んでいた。千紗の日記のこと、佳奈との約束のこと、そして……あの事故のこと。


全てが混沌としている。でも、一つだけはっきりしていることがある。


俺は、まだ千紗のことを忘れられないということだ。

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