第2話:幼なじみの記憶

高校2年生の4月下旬。放課後、俺は重い足取りで家路につく。いつもなら千紗と一緒に帰る道だったが、今は一人きりだ。あれから9ヶ月以上が経った今でも、この道を一人で歩いている。


家に着くと、玄関先で見慣れた人影が目に入った。


「あら、浩介くん。お帰りなさい」


千紗の母親、美佐江さんだった。


「こんにちは、美佐江さん」


俺は軽く会釈をする。美佐江さんの目は少し赤く、泣いた後のようだった。千紗が亡くなってから、美佐江さんの目はいつも赤かった。


「ごめんなさいね、突然来てしまって。ちょっと、あなたに渡したいものがあって」


美佐江さんは小さな袋を差し出した。


「これは……」


「ちーちゃんの日記帳よ。あの子の部屋を片付けていたら出てきたの」


俺は息を呑んだ。千紗の日記帳。彼女の心の内が詰まったものだ。


「私も読もうと思ったんだけど……どうしても読む勇気が出なくて」


美佐江さんの声が震えている。


「でも、浩介くんならきっと……ちーちゃんも、あなたに読んでほしいと思うはず」


俺は黙って袋を受け取った。その重みが、千紗の存在のように感じられた。


「ありがとうございます」


「いいえ。それじゃあ、私はこれで」


美佐江さんは軽く頭を下げ、踵を返した。その背中が、とても寂しそうに見えた。


俺は家に入り、自分の部屋へと向かう。ベッドに腰掛け、おもむろに袋から日記帳を取り出した。


表紙には千紗らしい、カラフルなステッカーが貼られている。開こうとする手が震える。


深呼吸をして、ゆっくりと表紙をめくった。


最初のページには、千紗の小さな字で日付が記されていた。


『4月8日』


『明日は新学期の始まり。こーちゃんと同じ高校に入学できて、すごく嬉しい!幼稚園の頃から一緒だったけど、これからも同じ道を歩んでいけるんだね。』


『あの日のこと、今でも忘れられないな。幼稚園に入園した日、私は泣いてばかりいて。そんな時、こーちゃんが声をかけてくれたんだ。「大丈夫?一緒に遊ぼう!」って。』


『こーちゃん、覚えてないかもしれないけど、私にとってはかけがえのない思い出なんだ。』


俺は思わず微笑んだ。あの日のことを、俺も覚えている。あれから12年以上経った今でも、鮮明に思い出せる。


『4月9日』


『今日から新学期!こーちゃんと同じクラスになれて本当に良かった。でも、私、まだこの日記帳を半分も埋めてないんだよね……。それに、こーちゃんとの大事な思い出も。だから私決めた!この日記帳に、こーちゃんとの思い出をたくさん書いていくって!』


『7月20日』


『今日は夏休み前最後の授業。こーちゃんと将人くん、佳奈ちゃんと一緒に帰り道で話をした。夏休みの計画とか、みんなで海に行く約束とか……』


「千沙……」


俺は息を呑んだ。確かに、昨年の夏休み前の最後の日、俺たちは海に行く約束をしていた。でも、その約束は果たされることはなかった。千紗が事故に遭ったのは、約束した翌日のことだった。あれから9ヶ月以上経った今でも、その日の記憶は鮮明に残っている。


次のページには、翌8月の出来事が記されていた。


『8月15日』


『今日は花火大会!こーちゃんはちゃんと浴衣で来てた。私も浴衣着たかったな……。でも、こーちゃんの隣で花火を見てるところを想像すると、それだけで幸せな気持ちになるよ。』


『こーちゃん、私のことを覚えていてくれるよね?私はいつもこーちゃんのそばにいる気がしているよ。』


俺の手が震えた。これは一体……。


千紗は確かに亡くなっている。あの事故で、俺の目の前で……。なのに、この日記はまるで千紗が生きているかのように、いや、むしろ幽霊のように書かれている。


パラパラとページをめくってみると、今年の1月の日付の日記がある。どういうことだ?


『1月24日』


『今日は私の誕生日!こーちゃんが一番にプレゼントをくれた。すごく嬉しかった……けど、これが最後なんだって思うと、ちょっと切なかったな。でも、こーちゃん、ありがとう。』


俺は涙がこぼれそうになった。千紗の誕生日に、確かに俺はプレゼントを用意した。でも、それは…。


混乱しながらも、さらに読み進めたが、どうしても頭が整理できない。


俺は深く息を吐き、日記帳を閉じた。頭の中が混乱で一杯だった。


「ちー……お前、一体どうしたんだ……」


俺はベッドに横たわり、天井を見つめた。千紗の笑顔が目に浮かぶ。そして同時に、あの事故の光景も……。


「くそっ!」


俺は枕に顔を埋めた。涙が溢れ出す。


この日記の真実、そして千紗の本当の想い。それを知るには、もっと読み進めるしかない。


でも今は、その勇気が出なかった。


俺は目を閉じ、千紗との思い出に浸りながら、少しずつ眠りに落ちていった。


明日、また日記を読もう。そう心に決めて……。


外では、初夏の風が木々を揺らしていた。季節は確実に進んでいるのに、俺の中では時間が止まったままだった。

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