第10話 ラスボス級の新宿駅
――東京都。
それは、江戸時代に徳川家康公が、土地を埋め立てて都を築き、江戸幕府を築き ――その後、たぶん――なんやかんやあって今のとんでもない大都会に至る。
それまで日本の都は京都だったのに、後に首都が東京都と言われるようになるその街の礎を築いた天下人である家康公はやはり凄い。
よく、「織田がつき羽柴がこねし天下餅座りしままに食うは徳川」などという諺が語られる。
これは、織田信長が理想とした天下統一を、羽柴秀吉が引き継いで苦労の後にやっと大成させたのに、徳川家康は易々とそれを横取りして自分の成果として成し遂げた、的な感じの意味だったはず。
だが、これではまるで徳川家康が悪者扱いだ。
実際の時代でその流れを見ていないからわからないが、後に東京と呼ばれる経済の中心地を作る土台を築き上げちゃった
まあ、何が言いたいのかといえば。
単刀直入に今の俺の状況を説明しよう。日本という狭い土地にこんな人口密集区域を作ってくれたお陰で、俺は今、人混みに押し潰されそうになっていた。
時刻は午後五時。
帰宅ラッシュには少々早い時間のはずなのに、新宿駅は大混雑を極めている。
何を隠そう新宿駅は、一日の利用者数が日本で最も多い駅だ。
統計的には大体一日270万人が利用している。東京都の人口が大体1400万人だから、東京に住んでいる人の実に5人に1人が一日一回は利用している計算だ。(まあ、実際には観光客とか他の県に住んでいる人も利用するから、この計算は間違っているのだが)
なぜ、俺みたいな友達のいない人間が、新宿とかお隣のパリピ空間である渋谷に近い場所にいるかと言えば、そんなのは決まっている。
新宿駅が、通っている大学の最寄り駅だからだ。
もう少し陰キャに優しい場所にキャンパスを作って欲しい、などという無茶な願望を抱きつつ、俺は人混みをなんとか避けながら奥へ向かって歩く。
――と、俺は駅の改札の辺りでおろおろする外国人らしき人を見つけた。
遠くからでも目を惹いたのは、やはり月の光を染み込ませたような美しい銀髪を持っているからだろうか。
なんか凄い美人さんがいるな。
なんか困っているような雰囲気だけど、話しかけるような勇気は俺にはないし――これだけ通行人も多いから、きっと誰かがそのうち助けてくれるだろ。
少し薄情なことを思いつつ、俺は彼女の横を通り過ぎて改札を潜ろうとする。
と――女性の英語の独り言が聞こえてきた。
『ちゅ、中央線っていうので良かったはずだけど……でも8番線っていったいどこ!? ていうか、なんで16番線まであるのよ~! 構内はまるで蟻の巣だし、どこに何があるのかまったくわからない~!』
……ちょっと待て。
完璧美人の外面で、このちょっと情けない感じの声色は、まさか。
『えと、ルナ……さん?』
『っ!』
恐る恐る声をかけると、女性はビクリと肩を振るわせて振り返る。
俺は一瞬、ドキリとしてしまった。
ルナさんはすっかり涙ぐみ、まるで遊園地で母親とはぐれてしまった子どものような顔をしていたからだ。
『あ、アランさん! ……ああ、よかった!』
『よかったって、何――がっ!?」
次の瞬間、不意にルナさんが俺の手を握ってきて、変な声を出してしまった。
『うぇっ!? ちょ、ちょっとルナさん!? 何して――!?』
『す、すいません! 嫌でしたよね!』
慌てて俺の手を離すルナさん。
いえ、むしろご褒美というかぶっちゃけるともっと握っていて欲しいです。
『実は、帰り方というか、来るとき乗ってきた電車と同じホームの場所がわからなくて、困っていたんです。でも……あなたに会えて本当によかった。もう、どうしようかと思ってました』
いや、本当にどうするつもりだったんだろうな、マジで。
とはいえ、新宿駅のラスボス感に飲まれてしまうのはわかる。すごくわかる。
『よかったら、駅のホームまで案内しますよ。中央線ですよね?』
『ありがとうごっざいます。でも、お時間を取らせてしまうのも申し訳ないので、8番線の場所を教えてくれたら大丈夫ですよ。あとは1人でなんとかできます』
『わかりました。8番線に案内すればいいんですね?』
『はい。来るとき、8番線で降りたのを覚えているので、間違いありません!』
そう言って、ふんすっと胸を張ってみせる。
十月も半ば。肌寒くなってきた季節。ニットのセーターを下から押し上げる豊かな二つの膨らみが自己主張する。
気を抜いたら立派なそれに視線が引きよせられそうなので、俺は慌てて目を逸らす――って、うん?
今この人、なんて言った?
『あの、来るとき降りたのは8番線なんですよね?』
『はい。しっかり表示を見ていたので、間違いありません! 数字は世界共通ですから、間違えようがありませんしね!』
『自信満々のところ、申し訳ないんだけど……8番線に乗ったら、家からもっと離れてしまうのでは』
『……あ』
『……』
――しばらく、気まずい空気が流れる。
周りの雑踏がやけに大きなボリュームで聞こえる中、ルナさんがぽつりと呟いた。
『……っていました』
『え?』
『し、知っていましたよ!? そうですよ、そ、そんなの当然です! 来るときのと同じ電車に乗ったら、そりゃあ離れて行っちゃいますよね!』
目をグルグル回しながら、必死に訴えかけてくるルナさん。
なんとなく不憫になってしまって、俺は目を逸らしたまま『そうですね』と頷くしかなかった。
『とりあえず、7番線に案内しますよ』
『うぅ……すいません』
『気にしなくていいです。どのみち俺も同じ7番線で帰るので』
『そうなんですか?』
『はい』
目を丸くするルナさんに頷いて返す。
『ルナさんと一緒の電車で帰れて、よかったです』
『うなっ!?」
ビクンと、急にルナさんの肩が跳ねる。
どうしたんだろうか? 彼女の方を振り返ると、なぜか耳まで真っ赤になって口をパクパクさせていた。
『どうしました?』
『いや、そ、その……私と帰れてよかったって、その……ど、どういう意味、な、なんですか?』
メチャメチャ噛みながら聞いてくるルナさん。そんな動揺するようなこと言ったか、俺。
『いや、だって。一緒の電車で帰れるなら、ルナさんが迷って途方に暮れることもないかなって思っただけですけど』
『……そ、そういう意味ですか』
ルナさんは、少し安堵したように、それでいて少し残念そうに肩を落とす。
が、次の瞬間唇を尖らせてぷいっとそっぽを向いた。
『ば、バカにしないでください。日本に始めて来て、テンパってただけなんですからね。来るときと同じ方向の電車に乗っても帰れないことくらい、当たり前です!』
そう言って、足早に行ってしまうルナさん。
『あ、ちょっと待ってください』
『待ちません!』
『いやまあ、俺より先に行くのは構いませんが――今の通路、左ですよ?』
『…………』
無言のまま踵を返して俺の方へ戻ってきたルナさんは、またもや目元に涙を浮かべたまま、俺の服の裾をぎゅっと握ってきた。
『あ、案内。よ、よろしくお願いします』
『はい』
俺は苦笑いしつつ、ルナさんを連れて左へ曲がる。
――ちなみに、たぶんルナさんは知らないが、どの同じ方向の電車に乗っても元いた場所に帰ってくる電車が東京にはある。
山手線だ。
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