第9話 今後の関係

 ――その後、昼食を食べ終えた俺達は、解散する運びとなった。

 食堂を一緒に出たところで、前を歩くルナさんが振り返って、お事後をしてきた。


『今日は本当にありがとうございました。私、初めてのことばかりで何もわからなくて……でも、アランさんのお陰で日本での生活が楽しめそうです』


 豊かな胸元に手を当てながら、ルナさんは言う。


 俺としても、楽しめたのならば何よりだ。

 日本に留学して初日で辛いことしかなかった、なんて流石にそんなのを経験させるわけにはいかない。


 彼女自身がどうかは知らないが、日本に憧れていればいるほど、来た時の状況というのに印象は左右されるはずだ。

 第一印象というのは大事だ。


 人は顔ではない、中身だ。と大半の人は言うが、その実絶対に顔の善し悪し、身だしなみなど目に見てわかる部分は確実にチェックしている。

 

 何が言いたいかと言うと、ルナさんが日本に来たときの印象は、初日の状況に大きく左右されてしまうということだ。

 だから、俺は自然と口元がほころんでいた。


『それは良かったです。いろいろありましたが……できれば、日本を嫌いにならないで欲しいかな』

『嫌いになんてならないですよ。(あなたみたいな人も、いるってことがわかりましたし)』

『? 何か言いました?』

『いえ、なんでもないです』


 ルナさんは、パッと明るい笑顔を浮かべる。

 その笑顔は、太陽のように明るく、それでいて月の光のような柔らかさを含んでいた。

 

 俺達の間を秋の風が吹き抜け、ルナさんの美しい銀髪を揺らす。


『それでは、私はこのあと、西館で経済学の授業があるみたいなので、行きますね。今日は本当にありがとうございました』

『……あ、ああ。こちらこそ』


 思わず見とれていた俺は、慌てて顔を逸らしつつ答える。

 去って行くルナさんの足音を聞きながら、俺はルナさんとの今後に想いを馳せていた。

 

 幸いにして、今日はあと12時間近く残っている。

 残りの半日で、楽しめるといいのだが……やっぱり俺が付き添った方がいいかな?

 だって、大学に来るのは初めてだろうし、誰か案内役が――


 って、何を考えているんだ俺は。

 俺は、くだらない妄想をしていたことに辟易へきえきして、頭を横に振る。


 彼女のことだ。美人だし、愛嬌もあるし、きっとすぐに他の誰かと仲良くなるのだろう。

 普通の女子大生みたいにサークル仲間と講義帰りにハンバーガーチェーン店でダベって、カラオケにも行って、俺以上に顔も性格も良い奴と付き合って――きっと、俺みたいななんの取り柄もないパッとしない人間のことなんか、忘れ去るに決まっている。


 だからきっと、彼女との関係はこれっきりだ。

 彼女が俺と話してくれたのは、今日だけの初心者特典みたいなものである。

 この出会いは、俺の青春の一ページに刻んでおこう。そして、数年後にたびたび「あの子、元気かな」と思い出すのだ。


 俺は、自嘲気味に笑って顔を上げる。

 俺の視界に、済んだ秋の空が飛び込んでくる。

 それと一緒に、奥の南校舎へ向かうルナさんの後ろ姿が映って――ん? 南校舎?


「ちょ、ちょーっと待ったルナさん!!」


 焦って日本語で叫んでしまった。

 が、“ルナさん”と呼んだからだろう、俺の声に彼女は振り返って可愛らしく小首を傾げる。

 俺は、彼女の方へ小走りで駆け寄って行くと、胸に抱いた疑問をそのまま口にした。


『あの、三限の経済学の授業って、西校舎って言ってましたよね』

『はい……シラバスにはそう書いてありましたが。それがどうかしましたか?』

『えと……大変言いにくいんですが、その……今ルナさんが行こうとしてたの、南校舎です』

『……』

『……』


 沈黙の時間が流れる。

 いろいろと気まずくてずっとそっぽを向きながら伝えていた俺は、ふとルナさんの方を見て、思わず驚愕に目を見開いていた。


『~~っ!』


 ルナさんは、耳まで真っ赤になぉつて震えていた。


『ち、違くて……これはその、日本の大学に来たのが初めてで、校舎の位置関係がわかんなかっただけで! 決して、方角を間違えたわけじゃないですからぁっ!』

『あ、はい……それはわかってます、よ?』


 俺は少しばかり困惑しつつ答える。

 ルナさんは顔を真っ赤にしたまま、『絶対、絶対ですからね!』と念押ししてくる。

 

 いや、俺自身そうだろうと思って声をかけただけだ。

 だから、流石に方角がわかんないとかそんなバカみたいな話はないと思うが……この慌てよう、まさか本当に方向音痴だとでも言うつもりか? この子。


『え、えと……勘違いを訂正していただきありがとうございました!』

 

 やけに“慣れていないだけ”という言葉を強調して、早口でそう言い捨てたルナさんは顔を覆いながら、今度こそ西校舎へ向かって足早に去って行く。「I’m ashamed……(恥ずかしい……)」という独り言が聞こえてくるが、聞こえないふりをする。


 俺は大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。

 ――今後、彼女とやり取りをすることはない……よな?

 なんか、この調子だと料理下手属性とか天然属性とかポンコツ属性とかが、次々露わになって、頼られたり逆に見ていられなくて口を出してしまうような気がする。

 あの完璧美女な外見にだまされていたが、ひょっとしてルナさん、残念キャラなのだろうか?


 なんとなく、彼女との関係が今後とも続いていくような……そんな気がする俺の視界の端で、顔を覆いながら歩いていたルナさんが、石畳みの段差に思いっきり躓いていた。



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