第7話 遂に果たした帰還と、未だ果たされぬ志望

 ――こうして、本国に帰還すべく、空宙嵐に見舞われた南白なんはく小遊島しょうゆうとうの脱出から始まった『エアーストリーム』の空宙航空旅路は、無事終了した。

 『エアーストリーム』の乗組員たちは、第二日本国の国防空軍空港で下船したあと、軍の高官たちと慌ただしい情報の交換と共有がされた。

 本国でも、南白なんはく小遊島しょうゆうとうの異変に対応すべく、国防空軍内に対策本部を設置して、避難民の収容、南白なんはく小遊島しょうゆうとうの状況確認、取り残された被災者の救助方法の模索などに追われていた。

 だが、本国と南白なんはく小遊島しょうゆうとうを結ぶ直通の精神感応テレパシー通信が途絶しては、空間転移テレポートによる救助は不可能であり、かといって、軍船の派遣は二次遭難の危険が高く、決断できずにいた。五年前の『エアーストリーム』の探検で得た航路情報は、不完全な上に、文字通りの意味で紆余曲折の航路なので、短期間で目的地への到着は到底望めなかった。加えて、五年も経過していては、航路上の地形が変化している可能性すらあった。陽月系外の空宙は、五年前の探検でも、全貌の解明には程遠く、なおさら決断を躊躇わせていた。

 しかし、空宙嵐の中を南白なんはく小遊島しょうゆうとうから脱出した『エアーストリーム』が、自力で本国までたどり着いたおかげで、これらの問題は即座に解決した。脱出から到着まで二週間も掛からなかった上に、重力に逆らって本国へ帰還|した経路ルートなら、その逆の航行期間は短縮される上に、最新の航空情報なので、空間転移テレポート装置を積載して南白なんはく小遊島しょうゆうとうへ向かえる。そして、現地で本国と直通の精神感応テレパシー通信を引き、空間転移テレポート装置を設置すれば、取り残された被災者の救助が可能になる。そのように判断した国防空軍の対策本部は、救助の派遣を決断し、出航準備を完了させていた飛空宙艇艦隊を目的地へ進発させたのだった。

 四日後、被災地に到着した南白なんはく小遊島しょうゆうとうは、空宙嵐くうちゅうあらしこそ収まっていたが、施設や設備は半壊の状態であった。被災者の負傷者は決して少なくなかったが、死者は奇蹟的にも一人もいなかった。一人の念動力能力者サイコキネシストの尽力のおかげだと言われているが、詳細は秘匿されているため、不明である。

 いずれにしても、改良中だった『エアーストリーム』を操船し、本国まで困難な帰還を果たした搭乗員たちの功績は大きく、その十五人は時の人となった。

 リンとっては『連続記憶操作事件』に続いて二度目であり、その件についても触り程度に紹介された。

 その事件では勇吾ユウゴアイも関与していたが、氏名は匿名で公表されていたので、メディアの露出は他の搭乗員と同じくこれが初めてであった。

 ただ、メディアの露出は、勇吾ユウゴを始め、遠慮したい者もいたが、軍上層部からの命令では、拒絶できなかった。

 だが、それも無理はなかった。

 南白なんはく小遊島しょうゆうとうから本国までの困難な復路の航空を、これまで軍部が一度も成功したことがない陽月系内突入も果たしたとあっては、軍部の実力を誇示アピールするには絶好の宣伝材料であった。ましてや、それに携わった乗組員が、操船のギアプをエスパーダに入力しただけの陸上防衛高等学校の生徒と民間の技師なら、なおさらであった。

 ただし、帰還中に接触した謎の敵影については軍事機密扱いにされたので、口外は厳禁となった。

 当然、非軍人である遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の所員二人にも、同様の措置がなされた。

 無論、メディア露出に消極的な者もいれば、積極的な者もいて、その代表格が『エアーストリーム』の船長キャプテンを務めた篠川しのかわ美紅利ミクリであった。

 美紅利ミクリは本国へ帰還する道中で起きた出来事はもちろん、自身の経歴や将来の夢、そして憎き津島寺つしまじ影満カゲミツ為人ひととなりまで暴露したため、感覚同調フィーリングリンクで全国に生中継の人間カメラの前で、暴露された本人と激しく揉めてしまい、人類初の快挙を成し遂げた表彰式なのに、その功績を称えるどころではなくなってしまった。

 もっとも、勇吾ユウゴを始めとするメディア露出に消極的な者たちにとっては、そちらに注目が集まって、好都合であったが。


「――無事で本当によかったです。多田寺ただでら先生」


 記者マスコミの集まっている表彰式が終えたあと、勇吾ユウゴは陸上防衛高等学校の会場に出席していた女性教員に、心から安堵の言葉を述べる。


「――それはこちらの台詞よっ! 教師なのに生徒のあなたたちを置いて先に避難するなんて、教師失格よ、私は……」


 多田寺ただでら千鶴チヅは今にも泣きそうな表情でうなだれる。


「――先生の気持ち、わかります。僕も先生を置いて先に避難したら、同じ思いをしましたから」

「――仕方ないですわよ、先生。自然現象が相手じゃ、どうしようもないですわ」


 アイも幼馴染の慰めに加勢する。


「――幸い、空宙嵐の犠牲者は出なかったですし、そこだけはは素直に喜びましょう」

(――あの人のおかげですね。会えないのは残念ですけど――)


 あの空宙嵐の中で出会った念動力能力者サイコキネシストを、勇吾ユウゴは思い出す。その間、表彰された勇吾ユウゴアイ以外の十三人も、会場のマスメディア達からそれぞれ個別のインタビューを受けたり、避けたりしている。


「――アイちゃんの言う通りです。みんな無事に再会できて、僕は嬉しいです」

「――第一、先生が感じる必要はありません。災害発生の責任なんて」


 リンも二人の幼馴染と同じ論調で慰める。


「――せやせや。別に先生が空宙嵐を起こしたんやあらへんのやし、辛気臭い話はこれで仕舞いにしようで」


 イサオも。


「……ありがとう、みんな……」


 千鶴チヅは根負けしたように微笑する。これ以上の自責はいたずらに生徒を気遣わせるだけであり、本当の意味で教師失格になる。虚勢でも堂々と胸を張るのが、苦難の旅路の末に生還を果たした生徒たちに対する最大の労いだと、千鶴チヅは思い直す。


「――それじゃ、生還祝いに、僕が腕によりをかけた料理を、生還したみんなに振舞うよ。帰還中は乗組員としての仕事と食糧事情で全然発揮できなかったから、楽しみにしてて」


 勇吾ユウゴが発した台詞セリフに、多田寺ただでら千鶴チヅを除いた三人は凍りつく。


「……え、ええと、ゆうちゃん……」


 アイが大量の汗をにじませて言い淀んでいる。


「……そ、それは、学校側が用意してくれるから、その必要は……」


 リンアイと同じ状態で制止する。


「あらへん、あらへん、あらへん、あらへん」


 イサオは手と首を激しく振る。


「ええェ~ッ、また遠慮するのォ~ッ!?」


 三人の反応リアクションに、勇吾ユウゴは心底残念がる。


「――なんで誰も食べてくれないのォ? 犬飼いぬかい君は食べてくれたのに」

(――そのあと病院送りにされたけど。勇吾ユウちゃんの料理の腕前を知らなかったばかりに――)


 三人は心の中でつぶやく。

 気の毒にと言わんばかりに。


「――小野寺君。あなたの才能は軍事で最大限に活かすべきよ。そのためにあなたはこの学校に入学したのでしょ。それに相応しい成績を収めている上に、今回の活躍。不得手な料理なんかに費やすよりはるかに有意義だわ。あなたのお父さんもそれを望んでいるし」


 多田寺ただでら先生がここぞとばかりに教師として生徒の勇吾ユウゴ忠告アドバイスする。無論、純粋に本人のためを思っての行為である。

 だが、


『あちゃぁ~っ』


 これは裏目の典型的見本だと、アイリンイサオは思った。勇吾ユウゴ禁忌タブーに触れてしまっては、是非もなしであった。一行に慣れない勇吾ユウゴの手作り料理の申し出に気が動転してしまい、多田寺ただでら先生の禁忌タブー発言を事前に阻止し損なったのも、是非もなかった。


「いやだっ!!」


 勇吾ユウゴは叫んだ。我儘な子供さながらに。今の叫びで、会場の喧噪が静まり返る。


「――僕は軍人になりたいんじゃないっ! 専業主婦になりたいんだっ! なのに母さんは猛反対するし、父さんも僕の味方になってくれなかった。結局、この学校に入学して学年首位トップの成績で卒業すれば、僕の志望通り、料理や掃除といった家事全般の専門学校に進学してもいいってことになったんだ。僕はそのために頑張っているんだっ!」

「えエェ~ッ?! なにそれェ~ッ!?」


 千鶴チヅは思わず声に出す。


(――ちょっと勇次ユウジ景子ケイコの間に生まれた息子なら、家事オンチの景子ケイコの遺伝子を受け継いでいる可能性くらい予期できていたでしょうにっ! 同性なら達人のアンタの方が色濃く受け継ぐだろうとたかくくっていたっていうのっ!?)


 ――という内容の怒声は、辛うじて内心で抑えられたので、全国の精神感応テレパシー通信に乗らずに済んだ。


(……あの時、抽象的だけど意味深な理由で息子を陸上防衛高等学校に入学させたと言っておきながら、実態はそんなしょーもない経緯いきさつだったなんて……)

「……やっぱそういう反応リアクションするやろな」


 多田寺ただでら先生の様子を見て、イサオはこめかみに指を抑えて嘆息する。イサオの予想とだいぶズレているが。


「――多田寺ただでら先生。ユウちゃんに何か有益な忠告アドバイスをしてくれない? このままじゃ、犬飼いぬかい君に続く犠牲者が……」


 早い話、専業主夫の夢を断念させてと、アイは言外に歎願する。だが、千鶴チヅに取っては迷惑な歎願としか思えなかった。ただでさえ、自業自得とはいえ、美紅利ミクリの件でしんどい思いをして懲りたのに、わざわざ自分から無駄な苦労を買って出る気にはなれなかった。ましてや、美紅利ミクリと違って成績の向上ではなく、志望の進路である。成績以上に繊細デリケートな案件なら、なおさらだった。

 

「――なに? アイちゃん。もしかして、アイちゃんも僕の料理の技量うでを疑っているの?」


 アイの歎願を聞いていた勇吾ユウゴが、糸目の形をした不審な目つきで幼馴染を見やる。


「……ああ、ええ、そ、それは……」


 見やられた愛は言い淀み、目が泳ぐが、


「――そりゃ疑うでしょう。犬飼いぬかい君を病院送りにしておいて。そんな料理誰が食べたがるっていうのよ」


 リンがきっぱりと冷たく突き放す。ごまかす余地がないので、開き直るしかなかった。


「――それは味覚と体質が犬同然になった結果だよ。毎日ドックフードを食べるからそうなったんだ。僕じゃなく、犬飼いぬかい君が悪いの」


 だが勇吾ユウゴは悪びれもなく喫食者のせいにする。


「――僕の料理が凄すぎて、凡人の味覚や体質では刺激が強すぎるんだ。僕や両親は美味しく食べられるというのに」

「……いや、身内だけ美味しく食べられても、意味が……」

「――とにかく、僕は専業主夫になるっ! 軍人じゃなくてっ! 誰がなんて言おうが、僕は僕のなりたいものになるんだっ!」


 勇吾ユウゴの固い決意に、取り付く島もなく、一人の教師と三人の生徒は途方に暮れる。


「――流石は小野寺おのでら。立派な決意と硬い意志でち。あの困難な旅路を乗り越えただけのことはあるでち」


 逆に賞賛したのは篠川しのかわ美紅利ミクリであった。この場では誰よりも小柄なのに、蓬莱院ほうらいいん兄弟よりも態度が大きく見えるのは、表彰式でメディアに祭り上げられて有頂天になっているからだろうか。元々影満カゲミツに対しては傲慢で冷淡だったが、今の勇吾ユウゴに対する美紅利ミクリの態度は、蓬莱院ほうらいいんキヨシに酷似していた。


「――でもまさかあたちと同じ苦悩を抱えていたとは思わなかったでち」

『――同じ苦悩?』


 アイリンは声をそろえて反芻する。


「――どういう意味でっか? 篠川しのかわ先輩」


 首を傾げながら尋ねるイサオに、美紅利ミクリはしばしの沈黙を挟んでからおもむろに口を開く。


「――あたちはね、陸上防衛高等学校に入学する前から、国防空軍の将来を担う希望ホープとして、たった今、更に祭り上げられたけど、それはあたちの本意ぢゃないの。あたちの両親りょうちんの望みなの」

「ええェッ?! そうなのっ!?」


 素っ頓狂な声を上げるアイをよそに、リンは以前から抱いていた疑念を本人に対して披露する。


「――そういえば、篠川しのかわ先輩の両親は元軍人の空宙探検家で、五年前、篠川しのかわ先輩も『エアーストリーム』の操船と南白小遊島の発見に貢献したと、本国に帰還する時に自己紹介してくれましたけど」

「――密航者として、やけど。ちゅうことは、正規の乗組員として参加したわけやないんですね」

「そりゃそうでしょ、イサオ。五年前と言えば、当時十一、二歳だったのよ。ましてや未知で危険な陽月系外の空宙探検。観光旅行じゃあるまいし、両親が参加させるわけないでしょう」

「――そらそうやな、確かに」


 イサオは虚を突かれたような表情で得心する。


「――じゃ、なんで密航してまで参加したのですか?」


 今度はアイが尋ねる。


「――あたちの両親りょうちんが条件を出ちたんでち。空宙探索に参加ちて実績を上げたら、あたちの望み通りの学校に進学していいって」

『……………………』


 美紅利ミクリの発言に、一同はその意味を消化するのに多少の時間を要した。


「……冗談やろ?」


 イサオが呆然とした表情で問う。


「――両親りょうちんもそう言ったでち。密航がバレたあとも、実績を上げたあとも。どっちもとても驚いていたでち」

「……そらそうやろ」

「――でも両親りょうちんは他の乗組員から散々叱ちかられたでち。あたちの密航に。もう引き返せない所でバレたから」

「……それもそうやろ」


 イサオが機械的に突っ込んでいる間にも、美紅利ミクリは話を続ける。


「――で、条件を満たちたあたちは、晴れてあたちの望み通り、陸上防衛高等学校に入学できたのでち」

『……………………』

「――でも、こんな形でまちゅり上げられても、嬉しくないでち。あたちの志望にまったく沿わないでちから」

「……つまり、篠川しのかわ先輩は自分の志望と周囲の期待が不一致なんですね。勇吾ユウゴと同じく……」


 イサオは恐る恐る要約する。


「……まさか篠川しのかわ以外にもいたなんて……」


 それを聞いた多田寺ただでら千鶴チヅは、今にもめまいで倒れそうな、かすれた声で言う。


「――ど、どういうことですか? 多田寺ただでら先生」


 アイが困惑しながらも問いただす。


「……篠川しのかわ美紅利ミクリの志望はね、国防空軍の軍人ではなく、国防陸軍の軍人になることなのよ。それも、桜華組を超える空宙最強のつわものさむらいに……」

『…………………………………………』


 多田寺ただでら教諭の返答に、勇吾ユウゴ美紅利ミクリ以外の一同は、その意味を消化するのに多大の時間を要した。


「……本気やな、言うまでもなく……」


 イサオは否定しなかった。その先輩と同じ境遇の親友を見やりながら。


『……………………………………………………………………………………』


 幼馴染のアイや友人のリンに至っては、言わずもがなである。


(……なれるわけないでしょ。空宙最強の兵士なんて。武術トーナメントで無様極まる惨敗を二度も喫しておいて。兵科合同演習の成績だって、ほとんどマグレで取れた内容の学年首位トップだし……)


 多田寺ただでら千鶴チヅのめまいは更に悪化する一方、


「……いたんだ……」


 逆に感動に打ち震えている生徒がいた。


「……僕と同じ苦悩を抱えている人が、僕と同じ学校に……」


 その先輩と同じ境遇の勇吾ユウゴである。


「――先輩っ! 僕は全力で先輩を応援しますっ! 周囲の反対を押し切り、自分の意志と志望を貫く姿は、とても立派ですっ! だから頑張ってくださいっ! 僕は、先輩と困難な空宙の旅路を共にできて、誇りに思っていますっ!」


 速足で美紅利ミクリに迫った勇吾ユウゴは、感激としかいいようのない大声で励ます。その糸目は狂信者のような熱を帯び、それは口調や表情にも回っていた。陸戦の軍事的才能に富んだ将来専業主夫志望の心は、将来最強の兵士を志望する操船指揮能力が豊かな女子先輩に対して、強烈な共感シンパシーを受け、完全に我を忘れたまま、本能のまま熱弁を振るったのだった。


 一方、励まされた方の美紅利ミクリは、勇吾ユウゴに劣らず、感激に全身を揺さぶられていた。


「――はぢめてでちぃっ!! あたちの志望を聞いて応援ちてくれるのはっ!」

(……それはそうでしょうね。私も今までそんな人会ったことないもの……)


 冷めた目で眺める多田寺ただでら先生を他所に、美紅利ミクリの狂喜は激しさを増す。


「――とても嬉ちいでちっ! 第二日本国最強と謳われている女性剣豪、桜華組おうかぐみ副長片倉かたくら俊子トシコを凌ぐつわものさむらいに、あたちはなるオンナなのに、それを聞いたあの影満チビは腹を抱えて笑うち、他の生徒はおろか、教師ですら声を揃えて無理だと言うち、人の可能性の芽を摘むヤツは人間じゃないでちっ! 最低の教師でちっ!」


「……摘むもなにも、最初からない芽は摘めないでしょうに……」


 多田寺ただでら先生は先程と同じ温度の視線を送りながら独白するが、そのあと、勇吾ユウゴにも同じ視線を送る。


「――本当ですよね。何事も続けて見ないと何もわからないのに、一度や二度で知った風なことを言う人の耳を貸す必要なんてありませんからね。『継続は力なり』ということわざの意味を知らない人ばかりで、イヤになります」


 完全に先輩の美紅利ミクリと意気投合しているので。

 軍事面において息が合うキヨシの比ではない同調率であった。


(……『石の上にも三年』以上続けても、一度目と同じ結果が、二度目以降ずっと続いているじゃない……)

(……おまいこそ人の耳を貸せや……)

(……こっちこそイヤになるわ。『継続は力なり』を『無駄な努力』と誤解して……)


 アイイサオリンの順で、三人は連続でリレーツッコミする。


「――お互い、頑張るでち。自分の夢の為に」

「――はいっ! 頑張りましょうっ! 篠川しのかわ先輩っ!」


 勇吾ユウゴ美紅利ミクリは熱い視線を交わしたまま硬い握手をする。


『~~あああああああああああああっ~~!!』


 絶望の唸り声を上げて深くうなだれたのは、勇吾ユウゴの親友たち三人だけでなく、美紅利ミクリの教師である多田寺ただでら千鶴チヅもであった。どちらも、まさか才能と志望が不一致な友人や教え子が、他にも存在していたとは、夢にも思ってなかったのだ。その両者が邂逅かいこうすれば、こうなることはわかっていたはずなのに。ただでさえ硬い両者の意志が、更に硬くなってしまった。それは、状況の更なる悪化を意味していた。


「――折角の機会でち。記者マスコミの前であたちたちの願望を伝えるでち」


 その第一歩を、美紅利ミクリは地面にめり込む力と勢いで踏んだ。


「――はいっ! 僕も実家の両親に僕の本心を人間カメラの前で伝えたいですっ!」


 勇吾ユウゴも力強い歩調でそのあとに続く。


「――ちょ、ちょっと待って、ユウちゃんっ!」


 アイが幼馴染に制止の声をかける。勇吾ユウゴは足を止めるが、幼馴染のアイに振り向く様子はない。いつもと様子が違う勇吾ユウゴの背中に、アイは不安を増大させながらも歩み寄り、再び声をかける。


「……そ、それは、やめた方がいいと思うわ。下手をしたら、炎上の危険が……」

「――アイちゃん」


 幼馴染の忠告を遮って、勇吾ユウゴは幼馴染の名を振り向かずに呼ぶ。

 そしてそのあと、衝撃的な言葉が、勇吾ユウゴの口から発せられた。


「――絶交だ」

『…………………………………………………………………………………………………………』

「…………………………………………………………………………………………………………」

『…………………………………………………………………………………………………………』

「…………………………………………………………………………………………………………」

『えええええええええええええええええエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェッ!!」


 アイは絶叫した。

 それを聞いたリンイサオも。


「……なっ、なにを、突然っ、急に、そんなことをっ?!」


 驚愕したアイは、天地が逆転したような酩酊と混乱に襲われながらも、懸命に幼馴染を問いただす。


「――だって、今まで応援したことないじゃない。篠川しのかわ先輩みたいに、誰も」

「――ゑ《エ》ッ?」


 勇吾ユウゴの返答に、アイは声を喉に詰まらせる。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 声ではなく、もちの間違いではないかと思わせるほどに、アイの顔色がユイのそれよりもみるみる悪くなる。


「――幼馴染なら、応援して当然じゃないの? 料理を食べてくれたっていいじゃない」

「…………………………………………………………………………………………………………」


 追い打ちをかける勇吾ユウゴの問いかけに、アイはむろん答えられない。ひたすら顔色は悪くするだけだった。


「……応援なんてできるわけないでしょ、ましてや、喫食者を病院送りにした料理なんかを……」


 リンが冷めた眼差しでもっともな理由をつぶやく。


「……ワイがどんだけおまいのせいで事後処理しりぬぐいをせなぁアカンハメになったかも知らずに、好き勝手ほざくなやない……」


 イサオも引きつった表情でぼやく。

 だが、アイリンイサオのように冷たく突き放すわけには行かず、友人に相談する。


「……どうしよう、リンちゃんっ! ユウちゃんの口から絶交なんて言葉が出て来ちゃったわっ! アタシがユウちゃんをイジメていた時ですらそんな言葉は決して言わなかったのに……」

「――それだけ根に持っていたってことね。幼馴染の志望をちっとも応援してくれなかった事を」

「……そ、そんな……」

「……諦めなさい、アイちゃん。あなたと勇吾ユウゴの関係は、たった今終わったのよ……」


 リンの無情な宣告に、アイはブラックホールに吸い込まれるような錯覚に襲われ、絶望に打ちのめさる。視界もアメーバーさながらにグニャグニャと変形し、最終的には暗転する。


(……終わってしまうの? アタシたち。こんな……こんなくだらないことで……)


 暗黒の空間に独り取り残されたアイは、それでも、脳ミソを全力フル回転させる。

 幼馴染の心を繋ぎ止める方法を。

 この時ほど亜紀アキの作る糖分の多いスイーツを欲したことはなかった。


(――どうすればいい、ドウスレバイイ、どうすればイイ、どうすれバイイ、どうスレバイイ、どうスレばイイ、どうスレばいい、ドウすれバいい、ドウスレバいい、ドウすればいい、ドウスレばいい、ドウスレバイイ、どうすればイイ、どうすれバイイ、どうスレバイイ、どうスレばイイ、どうスレバいい、ドウすれバいい、ドウスレバいい、ドウすればいい、ドウスレばいい――)


 だが、どんなに脳ミソを全力フル回転させても、妙案は思い浮かばない。

 浮かぶわけがない。

 そんな奇蹟的な方法を。

 そして全力なので、すぐに脳ミソは焼き切れる。


「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっ!!」


 ついに思考が停止したアイは、万策尽きたと言わんばかりに頭を抱えて絶叫する。

 その時だった。

 アイの脳天に天啓の閃きアイデアが落雷のごとく直撃したのは。


「……あった。ひとつだけ。でも、それをしたら、アタシは、もう……」


 それでも、かなり躊躇うが、


「……でも、これしかないっ!」


 アイは意を決した表情で勇吾ユウゴに語りかける。

 訝しげな視線で眺めるリンイサオ多田寺ただでら千鶴チヅを背に。


「――ユウちゃん。アタシ、ユウちゃんの手料理、食べてみたいなァ。今すぐに」

『?!』

「――だから、絶交しない欲しいなァ」

「もちろんだよ、アイちゃんっ!」


 条件反射の迅速さで振り返った勇吾ユウゴは、幼馴染の手を取ると、


「――じゃ、さっそく作るね。さァ、行こう。野外実験場に。材料ならそこに揃っているから」


 とびっきりの笑顔でアイを引っ張って行く。


「――わァ、楽しみだなァ。ユウちゃんの手料理。どんな味がするんだろう?」


 アイは逆らうことなく心から喜び、期待する。


『…………………………………………………………………………………………………………』


 リンイサオは完全に茫然自失していた。

 鈴村すずむらアイの言動に。

 予想外の極致だった。

 そして、勇吾ユウゴに連れていかれるアイと視線が合うと、笑顔としか言いようのない笑顔を作って見せる。

 この先に待ち受けている運命を、既に受け入れているかのような。

 それは、一人残らず死去した桜華組の正規隊士の面々を想起させた。

 その瞬間、


「――うううううううううううっ!」


 リンは口元を抑えて号泣する。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」


 イサオの方も歯を食いしばって号泣する。


「……アイちゃん、あなたって人は……」


 うなだれて膝をつくリンの涙は、頬を伝ってとめどなく流れ続ける。


「……鈴村。おまいはオトコや。女やのに……」


 顔をそむけて立ち尽くすイサオの涙に至っては、洪水さながらであった。


「――小野寺。君の志望は必ず叶うでち。こんなにも喜び、涙する人たちがいるのでちから」


 この四者の光景を傍観していた美紅利ミクリは、満足げな表情で独白する。


「……なに、この茶番コント……」


 美紅利ミクリも含めた五者の光景に、多田寺ただでらは冷めきった眼差しでつぶやくが、当然であろう。これで感動する人間など、いるとすれば、小野寺おのでら篠川しのかわの同じ人種以外にあり得ないと、多田寺ただでら千鶴チヅは決めつけた。


「――おっ、もそいどんて《もしかして》、生還宴会パーティに行くんか? あん二人」


 勇吾ユウゴアイの会話を聞いていた影満カゲミツが、それを元に予想する。


「――行くど、豊継トヨツグ。帰還中は甘いもんしか食べられんごったからな。それ以外のメシに無料タダであいつくう好機ど」

「――わかった、アニィ。オイも小野寺の手料理ばもってみたかったから、いけな風味の料理なのか知いたかったんだ」


 津島寺つしまじ兄弟が、足並みを揃えて、勇吾ユウゴアイの後を追う。

 腕前の知らない勇吾ユウゴの料理目当てに。

 リンイサオは引き止めなかった。

 人柱は一人でも多い方が、アイにとっては気休めになるから。

 それがほんのわずかであっても。


「――だったらあなたたちも気休めになりなさいよ」


 精神感応テレパシー能力無しで二人の内心を看破した多田寺ただでら千鶴チヅは突っ込むが、二人は聞こえないフリをして、哀しみにふけるフリを続ける。


「――いけませんわっ! 豊継トヨツグさまっ! 小野寺おのでら君の料理を食したらお命に関わります。どうか思い止まってっ!」


 そこへ、美気功様式モードユイが、制止の声を掛けるが、


「――誰ぞ、おはんは? ないごて見も知らんヤツに思い止まなにゃならん」


 その誰何と文句に衝撃ショックを受け、その場にうずくまる。


「……ううっ、どうして、どうしてあたしだとわかってくれないの? あなたの前では綺麗に見せたくて、美気功で別人のように美しい顔立ちにメイクしているのに」

「――本人やと気づかへんからやろ。別人のようなメイクがアダとなって」


 イサオが冷淡に指摘するが、これこそ多田寺ただでら千鶴チヅのツッコミ通り、哀しみにふけっているフリの証拠であった。


「――あの影満チビも向こうへ行ったでちか。まあいいでち。二階堂にかいどう小倉こくらはあたちについて来るでち」


 勇吾ユウゴの後を追う津島寺つしまじ兄弟を見送った美紅利ミクリは、二人に指図すると、記者マスコミのインタビューを受けるべく、その集団の中へ再び入って行った。


「――なんだか篠川しのかわの取り巻きみたいな立ち位置に、アタシたちはなったみたいだけど、理子リコはどう思う?」


 美紅利ミクリの指示に従ったアキラが、並行する親友に問う。


「――別にいいじゃない、アキラ。彼女についていけば、きっといいことがアタシたちの身に起きるわ。兵科合同演習のように」

「――生死の掛かった空宙の旅路でも? アンタが一番テンパっていたんだけど」

「――やァねェ。気のせいよ。一番テンパっていたなんて。それは幼馴染カップルの女子の方でしょ」


 理子リコは口を抑えて笑うが、それでアキラの疑念は晴れなかった。


「……重責を背負わされなければいいんだけど……」


 将来の不安も晴れなかった。

 三人の二年生女子が向かっているそこでは、一年生の有芽ユメ釧都クント記者マスコミからインタビューを受けているが、内容は南白なんはく小遊島しょうゆうとうで繰り広げていた口喧嘩の再燃と披露であった。最初は記者マスコミが訊きたがっている内容とのろけを延々と述べるつもりだったのだが、その話題に触れた途端、九十度の角度で横道にそれてしまったのである。


「――我々十五人が生きて本国に帰還できたのは、ひとえに、一致団結したからに他ならない。誰一人欠けても、生きて帰ることは叶わなかった。これだけはしかと明記せよ」


 そのため、録音の矛先はキヨシに集中していた。記者マスコミが知りたい内容を過不足なく端的に説明してくれるので、記者マスコミにとってはとてもありがたかった。ましてや、一番訊きたい相手が、再度インタビューを受けに戻ってくるのであれば、なおさらであった。


「――ま、こんなものだろう。誰がどう受け答えしようが、見出しは既に決まっているようなものだし、内容もそれに沿って取捨選択されるだろう」


 美紅利ミクリとインタビューを交代したキヨシは、抜け出した記者マスコミの輪を背に一度振り向き、肩をすくめてつぶやくと、視線を前に戻して再び歩き出す。


「――ふんっ! これだから記憶操作よりも簡単に情報操作できるマスゴミは嫌いなのだ。お前と違って。どうせあの痴話喧嘩カップルのインタビューなど、全面カットされるに決まっている。お前のもそうなるとわかり切っているはずなのに、よくそいつらの前で受け答えできるものだ」


 キヨシの兄、良樹ヨシキが、目の前で止まった自分の弟に、感心混じりに吐き捨てる。


「……そりゃカットされるわよ。見出しに関係ない内容なんて……」


 良樹ヨシキの隣に立っている亜紀アキが、呆れた口調で突っ込む。二人は陸上防衛高等学校の生徒ではないので、それぞれが在校している高等学校の制服で表彰式に出席している。


「――ほう。兄者は好きではないのか。物事の真偽に関係なく、当事者の言われるがままに踊ってくれる様を媒体メディアを通して観察するのは。特に、下村しもむら明美アケミとか名乗った女性記者は、一字一句全部そのまま媒体メディアに記載しそうな踊りを見せてくれそうだ。アスネの閲覧が楽しみだ」


「……悪趣味。嗜好は正反対でも、流石良樹ヨシキの弟……」


 亜紀アキは皮肉にしか聴こえない感想を述べるが、蓬莱院ほうらいいん兄弟は意に介さなかった。


「――ところで助手よ。例のBL《ボーイズラブ》の記憶書籍を持ってきたが、どうする?」


 否、意に介していたのか、蓬莱院ほうらいいん兄は露骨に実弟の前で十八禁ワードを使って尋ねる。


「――兄者よ。BL《ボーイズラブ》とは何だ? 女性向けのエロ本か?」


 それは意に介していたは蓬莱院ほうらいいん弟も同様であった。


 その兄弟の会話を聞いた瞬間、亜紀アキは早斬りを超える速度スピードで、蓬莱院ほうらいいん兄を会場の隅まで連れ込み、


「……アスネを介して入手したんじゃないでしょうね?」


 押し殺した声で尋ね返す。


「――もちろんだ助手よ。そんなことをすれば、アス管の検閲に引っかかって記憶操作で消去されてしまう」

「でかしたわ、教授。通信ケーブルはこっちで用意してあるから、アンタとアタシのエスパーダに繋げてバイパスするわ。さァ、差して」


 その声質で大喜びした亜紀アキは手際よく有線精神感応テレパシー通信ケーブルのバイパス作業をする。


(――この事は他言無用よ。絶対に――)


 蓬莱院ほうらいいん兄弟にテレ通で念を押しながら。


「――他言無用、か――」


 兄と共に念を押されたキヨシは何気なくつぶやく。


「――軍上層部にも念を押されたな。空宙の旅路を共にした我々十五人全員に」


 その時の事を思い出して。


「――接敵と交戦の件は軍事機密として他言厳禁と」

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