第2話 常夏と常昼の神秘的な世界を襲った急異変

 十五人の少年少女が、これまでの人生で最大の災禍を共有する前日――


「――ほう、ここが常夏と常昼のリゾート小遊島しょうゆうとう、『南白なんはく』か」


 陽月系外浮遊島間空間転移テレポート転送センターの出入口から外に出た蓬莱院ほうらいいんキヨシは、眩しそうな表情で雲一つない空を見上げる。その地にふさわしく、服装も涼しげな半袖と半パンで、腰の高さで宙に浮いているキャリーカーも、旅行用サイズに反して軽量そうで動かしやすい。

 二週目時代の空気のある青い宇宙のリゾート地は、一週目時代の海辺のあるリゾート地と違ってかなり情景が異なる。

 重力のある浮遊大陸の湖辺なら大した差異さいはないが、重力のない空宙空間だと、天と地よりも差がある。

 小遊島しょうゆうとうは宇宙でいうなら小惑星に相当し、陽月系内にある浮遊大陸や浮遊等と違って、無重力の空宙しか存在しないので、今は雲一つなくても、観光客や店舗なら無数に散らばって浮かんでいる。

 この三次元空宙 区域エリア

 無論、空宙風に流されないよう、蜘蛛の巣のように張り巡らせたロープで店舗間が固定されている。衝突防止に、店舗や観光客には微力の斥力を発する念動力サイコキネシス発生器の類が備え付けられており、店舗への移動も、ベルトコンベアーのように念動力サイコキネシスが働くそのロープを使えば容易で安全である。

 キヨシが足に付けている南白なんはく小遊島しょうゆうとうの地表にも、引力のように作用する念動力サイコキネシス発生装置の類が設置されているが、キャリーカーだけは作用されないよう設定しているので、無重力のように浮いているのである。

 当然、遊泳区域も無重力であり、無塩の海水はシャボン玉のように無数のサイズで点在、浮遊し、各要所にはライフセイバーが、溺死者が出ないよう、宇宙遊泳のように楽しんでいる遊泳者たちに注意を向けている。

 遊泳にはリング状の念動力サイコキネシス発生器を首や手足の首に装着すれば快適に楽しめる。当然、精神エネルギーを消費する超心理工学メタ・サイコロジニクス機器な上に、出力も装着者に関係なく歩行速度なみに抑えられているので、『念動力サイコキネシス大騒乱事件』を起こした容疑者の機動力や速度スピードを出せるほどの精神エネルギーの持ち主でも、念動力サイコキネシスの出力は制限される仕様である。

 陽月のような空天体は見えないが、光度は陽月のある浮遊大陸や浮遊等なみなので、よほどの悪天候にならない限り、視界不良にはならない。空洋植物もほぼ同数で点在し、中には珊瑚のような煌めきを放つ種類のそれがある。


「――訪問客はざっと三千人ってところか。うむ。ここの訪問者がアスネにアップした見聞 記録ログ通りの光景と平均来訪者数だが、やはり肉眼で見るのとは大違いの美しさだ。兵科合同演習で学年首席トップの成績を取った副賞として、こんなバカンスを教諭たちが特別に進呈してくれるとは、なんという太っ腹で嬉しい誤算だ。みんなもそうは思わないか?」


 陸上防衛高等学校の兵科合同演習で、アメリカ隊の隊長リーダーを務めたキヨシは、その後ろに続いている他の隊員たち七人に振り向くが、


「……うう、なんでさせてくれないんだ。ここの調理や清掃といった家事を……」

「……あのメス、けしからん身体ムネをしているわ。あたしたちが究極の二者一択に苦しんでいるとも知らずに、とても楽しそうにあそんでいるわ、リン

「――そうね。このメスも抹殺リストに加えておきましょう、アイ

「ホンマにすまんっ! ワイの友達ダチらがえらい迷惑をかけてもうて。――え? もう許さない? そないなことわんといてぇっ!」

「……豊継トヨツグ、様は、どこ、なの? ここに、行くと、聞いて、来た、のに、どこにも、見当たら、ない……」

「どうして教えてくれなかったワンっ! ドッグフードよりも美味しいと聞いて食べた小野寺おのでらたんの料理が死ぬほど不味い事をっ! 有芽ユメたんの嘘つきワンっ!」

「そんなこと言ってニャいニャ! お願いだからあたいのキャットフードでやけ食いしニャいでっ!」


 キヨシの感想に同調するどころか、反応リアクションする余裕があるアメリカ隊の同級生クラスメートたちは、誰一人として存在していなかった。

 誰もがそれ以外の物事にそれぞれ専念しているので。

 

「……やれヤレ……。楽しむべき人気リゾート地順位ランキンク大差一位ダントツのリゾート地に来たというのに、楽しむ気がこれっぽちもないとは、揃いも揃って貧乏性な者共だ。空間転移テレポートが唯一の交通手段では、来訪気分が沸かないとはいえ……」


 肩をすくめて歎息するキヨシの態度は、どことなく他人事で冷淡だった。


「……ま、そのうち落ち着くだろう。身なりは例外なく私と大差ないし、楽しみ始めるのも時間の問題か」


 そう言い残して、キヨシは七人の仲間も残してその場から再び歩き始めるが、問題は時間が経つにつれて時間だけの問題ではなくなっていった。

 小野寺おのでら勇吾ユウゴは、相も変わらず、性懲りもなく、家事ができる場所を求めて、南白リゾート地の各所にある飲食店やお土産売り場を回ったが、アスネで知った地元の住人たちが、家事好きだが極度のオンチな勇吾ユウゴの悪評にそんなことさせるわけもなく、金を受け取ってまでやらせる店舗など一件もなかった。やむを得ず断念した勇吾ユウゴは、この美しいリゾート地をさらに美しくするため自主的に清掃を始めるが、環境汚染行為と誤解なく見做されたライフセイバーに止められてしまい、地元警察に連行されて行った。


「ボクがいったい何をしたっていうんだっ!?」


 龍堂寺りゅうどうじイサオは、兵科合同演習の後、野外実験場で起きた『事故』の対応に現在進行形で追われていた。そこで出された勇吾ユウゴの料理が原因である。その結果、そうとも知らぬままアメリカ隊の学年首位トップ獲得 宴会パーティに参加して食した釧都クントが、瀕死の重症で病院に担ぎ込まれた。ドックフードやキャットフードを食べても平気な体質なのにも関わらず。それだけなら、イサオもここまで追われたりしないのだが、勇吾ユウゴの料理から漂った悪臭が野外実験場 区域エリアを越えて、近隣住人にまで及んでしまったのが事態を深刻化させていた。しかも、その被害者の中に、『小野寺おのでら勇吾ユウゴの家事に対する被害者の会』の会員も含まれていたのは、不運というしかなかった。四苦八苦や東西奔走の末にようやく解散させたというのに、こんな事で再結成されては、元の木阿弥もくあみに帰してしまう。そうはさせぬために、再び四苦八苦しながら東西奔走しているのである。


「――後生やっ! 裁判は、裁判だけはかんにんしてェッ!」


鈴村すずむらアイ観静みしずリンは、兵科合同演習以来、自分達の男よりも無い胸に極度の劣等感コンプレックスを患ってしまい、極度の精神消耗と視野狭窄に陥っていた。女性なら例外なく願う、同性すら落とせるレベルの美顔と引き換えに、胸部バストの成長が見込めなくなる美気功の会得と使用に懊悩する日々を送っては、是非もなかった。ましてや、眼前でそんな懊悩など無縁な同性が、見せつけるような水着で楽しそうに泳いだり遊んでいたりしては、なおさらだった。その結果、二人の少女は、金剛石ダイヤモンドよりも固く心に誓った『巨乳な美女には死を』を旗印スローガンに、本日中にそれを実行するため、該当者の顔を脳内や見聞 記録ログに焼きつけていた。その中には知人である窪津院くぼついん亜紀アキも含まれていたが、二人ともその認識はなかった。そのあと、犬飼いぬかい釧都クントと喧嘩別れしたことで、同じ体形の二人と同じ懊悩が再発した猫田ねこた有芽ユメも、二人と同じ経緯でそれに加わり、『巨乳美女抹殺計画』の立案と準備に協力した。


「――標的ターゲットの合計は何人になった? リン

「――二百三十三人よ アイ

「――知ってる人もいるけど構うことニャいニャ。次の段階に移るニャ」


 浜崎寺はまざきでらユイは、元々南白 小遊島しょうゆうとうのリドート地に行く気など最初からなかった。兵科合同演習の前に再会した津島寺つしまじ豊継トヨツグの様々な接近アプローチの方法に余念がなく、とりあえずストーカーよろしく後をつけ回したい気分なのである。それでもアメリカ隊の隊員メンバーと共に来訪したのは、第二日本国では立法されてないとはいえ、ストーカーは相手にマイナスな印象しか受けない行為なので自重したほうがいいと、同行しない理由を訊いたイサオに促されたからである。最近、陸上防衛高等学校や男子寮にさえ意中の相手が見掛けなくなり、寂しい思いを強いられていたので、気分を紛らわせたい一心で同行したものの、ちっとも紛らわせられず、むしろ募る一方だった。不死人ゾンビに等しい外見のユイは、溺死体のように小遊島しょうゆうとう彷徨さまよい始めたが、遺体と間違えたライフセイバーに回収された挙句、遺体袋に入れられてしまい、勇吾ユウゴと同様、不自由の身になった。


「……どこに、いるの、豊継トヨツグ、様……」


 犬飼いぬかい釧都クントが、南白 小遊島しょうゆうとうに来訪する前から、バカップルと言っても過言ではないほどの仲が良かったはずの猫田ねこた有芽ユメと大喧嘩して、そのあげくその場で別れたのは、前述の通りである。喧嘩の原因も同様だが、責任は猫田ねこた有芽ユメ小野寺おのでら勇吾ユウゴにあった。兵科合同演習の後、料理が下手の横好きな勇吾ユウゴの腕前を教えずに、釧都クントたちを残してイサオと共に空間転移テレポートでとんずらしたとあっては、弁解の余地はなかった。そのあと、既知と無知に関係なく、野外実験場のテーブルについていたのは、犬飼いぬかい釧都クントただ一人であった。悪臭を放っている料理を目の前に次々と置かれた時には、さすがに一抹の不安を覚えたが、「猫田ねこたさんが美味しいって言ってくれた料理だよ」と言った勇吾ユウゴ虚言ウソを信じた結果、前述の目の遭った次第であった。幸い、三日で回復したが、辛い目に遭った事実に変わりはなく、勇吾ユウゴ虚言ウソを鵜呑みにしたまま有芽ユメを詰問したのが大喧嘩のきっかけとなった。ドックフードやキャットフードなどを偏食・悪食する将来生物化学的な意味で犬化の志望者も、勇吾ユウゴの手料理の前に、自身の消化器官は耐え切れなかったようである。


「――有芽ユメちゃんの嘘つきっ! ジャンクフードよりもはるかに不味かったじゃないかワンっ!」


 そして蓬莱院ほうらいいんキヨシは、


「――とはいえ、それまで一人で待たなければならないのでは、こちらも楽しめないではないか。なんのための仲間なんだ。一人では楽しめない場所なんだぞ。先着した二学年は既に全力で満喫しているというのに、これでは時間の無駄ではないか。まったく、時間は無限ではない事実をわきまえていない者ばかりで、嘆かわしい」


 不満たらたらで愚痴をこぼすが、その無駄な時間を一秒でも短縮すべく、仲間たちの意識をそちらに向かわせようと努力する気はまったく起こらない彼だった。

 ――結局、兵科合同演習で学年 首位トップを取ったアメリカ隊の隊員メンバーは、その褒美として受け取った神秘的で美しいリゾート地の遊覧を、到着早々、誰一人満喫できない状態で第一歩を踏んだのであった。




 空気のある無重力空間での液体は、サイズに関係なくシャボン玉のように球体の形状を成し、常時波打っている。表面に衝撃を加えれば飛び散り、飛沫が大小様々に分裂したり別途で結合したりする。普通の水と同じ成分の遊泳区域エリアに漂っている『空水くうすい』も例外ではなく、遊泳者も地上と同じ泳ぎ方だが、無重力下ならではの遊び方で、立体的かつ多角的に遊泳している。ライフセイバーを始め、遊泳者同士の衝突や溺水対策も、店舗区域エリアと同様、景観や外観を損なわない様々な種類やサイズの念動力サイコキネシス発生装置の設置や装着がされているので、安全に細心の注意を払っている。

 その光景を眺めながらくつろげる、重力下の海岸に相当する区域エリアも、多くの子供が夢想する、雲の上に人が乗っているような光景が広がっている。当然、雲の形や角度もその数だけあり、それはそこでくつろいている観光客の姿勢も同様であり、言うまでもなく、雲は折り畳み式パイプベットの比喩である。観光客のそばに浮遊する飲食物も、宇宙食をリゾート地用に装飾したパックで密閉されているが、味は重力下のそれと遜色はない。使用後のパックはテレタクの要領でゴミ集積所に転送して捨てるよう義務づけられている。陽月のような天体から発する日差しは、第二日本国の頭上に浮かぶ陽月より弱いため、サングラスやパラソルの使用者は少数である。

 当初の南白なんはく小遊島しょうゆうとうは華族専用のリゾート地として招致されたが、最高経営責任者の交代による方針変更で、士族や平民にも開かれ、身分に関係なく楽しめる観光地に変わっていた。

 それでも、ここに限らず、身分差による衝突や摩擦は絶えないが、


「――なにをちているのでち。早くトロビカルジュースを持ってくるでち。奴隷その一」


 ……制度上、第二日本国にはない身分階級で扱っている者がいた。


「~~~~~~~~はい、篠川しのかわ美紅利ミクリ、さま~~~~~~~~」


 津島寺つしまじ影満カゲミツは、目の前で横たわる同学年の少女――というより童女のような容姿と口調の小柄な女子の要求を満たすべく、うなだれた姿勢でその場から離れる。両の拳は声に劣らず振るわせ、表情は血の涙を流さんばかりの屈辱に塗れていた。


「――早く行くでち。二人の分も、忘れずにでち」


 宙を移動するその背に、急かすように付け加えて。念動力サイコキネシス発生装置を衣服下に装着しているとはいえ、これも念動力サイコキネシス発生器と同じ仕様なので、無理な注文だった。しかも、エスパーダをその女子に没収されているため、精神感応テレパシーで注文したり、空間移動テレポートで取り寄せたりすることもできない。


「――奴隷その二もちゃんとあおぐでち。日差しが弱いとはいえ、暑いことに代わりはないのでちから」


 弟の津島寺つしまじ豊継トヨツグにも、エラそうな口調で命令する。


(……………………ないごてオイまで奴隷に……………………)


 兵科合同演習では学年次席の成績だった豊継トヨツグも、自分が置かれている境遇に不条理や理不尽を強く感じている。実兄と血が繋がっているという理由で、豊継トヨツグは兵科合同演習で篠川しのかわ美紅利ミクリとの勝負に負けた実兄の巻き添えを喰ったのだ。敗者は勝者の奴隷になると、両者が二つ返事で合意した結果である。無論、実弟は同意などしていない。しかも、これも実兄の巻き添えで、自分まで実兄と同じ為人だと、ただ一人を除いて周囲の女子に誤解されてしまっているので、その思いはひとしおだった。


「――心地よいそよ風。気持ちい日光。開放的な三次元の青空。まるで天国だわ。こんな綺麗で居心地のいいリゾート地に来れるなんて、すべては美紅利ミクリちゃんのおかげね。ホント、感謝してるわ、美紅利ミクリちゃん」 

 小倉こくら理子リコが上機嫌な表情と声で、隣に仰向けで寝そべっている同学年の女子にその意を伝える。トロビカルジュースが入ったパックを掲げると、パックのストローを口に加えて吸い上げる。


「……ホントにいいのかなぁ?」


 さらに隣の二階堂にかいどうアキラは、小柄な友人ほど楽しむ気にはなれなかった。確かに兵科合同演習で学年 首位トップの成績を取れたのは、友人と同じ部隊チームを組んだ、友人以上に小柄な同学年の女子のおかげだが、ほとんどマグレな上に、何一つそれに貢献していないので、実感がまったく沸かないのである。そのため、落ち着きの無さが先立ち、トロビカルジュースを飲みながらパイプベットに横たわる気にはなれないのである。大柄な体格ゆえに上下がはみ出してしまう事情を差し引いても。


「……も、持って、来たっど……」


 影満カゲミツが不慣れな無重力移動で息を切らせながら、三人の女子の前に人数分のトロビカルジュースを差し出すが、


「――もういいでち。遅いからこっちでテレ通で取り寄せたでち。役に経たない奴隷でちね。負け犬の上に役立たずなんて、存在価値すらないでち」

「――ホントよね。ペットのエサにした方がいいんじゃない」

「――奴隷というより家畜ね、それ。アンタが持ってきたそれは要らないから店に返して置いて」


 無情な仕打ちで報いられる。性格も思考も異なる三人だが、この薩摩弁の小男を徹底的に嫌っている点においては共通している。

 ちなみに残り五人の篠川しのかわ美紅利ミクリ部隊チーム隊員メンバーは全員男だが、敵チームだったとはいえ、理子リコアキラのように、美紅利ミクリに便乗して津島寺つしまじ兄弟の奉仕を受ける気には到底なれなかったので、三人の女子とは別の場所で離れて遊んでいる。

 見るに堪えない光景に耐えきれず。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 影満カゲミツは屈辱と怒りに打ち震えるが、文句は言えなかった。弟の内心通り、自業自得の経緯で現在に至ったのだから、実兄から脅迫同然に巻き込まれた豊継トヨツグにとって迷惑でしかなかった。


「――ああ、立場上、止めさせたい、止めさせたい。けど、けどォ……」


 その経緯を知っている多田寺ただでら千鶴チヅは、男女五人のやり取りを遠巻きに眺めながらも、口出しできない自分の立場を悲観している。この女性教師もまた、自業自得の経緯でそんな立場に自ら追い込んだのである。

 篠川しのかわ美紅利ミクリは、平民としては極めて稀な特待生として推薦された空宙防衛高等学校の入学を蹴ってまで陸上防衛高等学校に入学した歩兵科の二年生だが、繰り上がり合格という僅差ゆえか、成績はいつ退学されてもおかしくないほどの低空飛行な上に、歩兵科としての適性も皆無という、小野寺おのでら勇吾ユウゴとはまったくの正反対の成績と情熱の持ち主だった。しかも、その辺りの自覚はまったく持ちせ合わせてないところまで同様で、自分の実力をわきまえず、一年生の一学期早々、無謀にも武術トーナメントに出場登録エントリーした。その一回戦の相手が優勝候補筆頭と謳われていた津島寺つしまじ影満カゲミツだった。

 

「――相手に不足はないでち。軽く捻りつぶちてやるでち」


 無論、軽く捻りつぶされたのは、相手以上に相手に不足だった篠川しのかわ美紅利ミクリの方であった。

 だが、問題だったのは捻りつぶした方の捻りつぶし方であった。

 獅子は兎を狩るのに全力を尽く戦い方であったなら、遺恨は残らなかったかもしれないが、幼女が遊んでいた公園の砂場を荒らすガキ大将みたいな戦い方は、戦いですらなく、一方的で幼稚なただのイジメであった。


「――はんっ、口ほどにもなかなじゃ」


 小石のように蹴り落されて場外負けした篠川しのかわ美紅利ミクリに、子供よりも大人げない態度で勝ち誇る津島寺つしまじ影満カゲミツの姿は、敗北した対戦相手や観客だけでなく、陸上防衛高等学校の女子生徒全員までの嫌悪ヘイトを高密度で集め、表彰式で受け取った優勝トロフィーを掲げても、返ってきたのは|||拍手喝采の嵐スタンディングオベーションでなく、罵詈雑言の嵐ブーイングストームだった。


「ひどい仕打ちっ!」

「堂々と勝ち誇るなっ!」

「恥ずかしくないのかっ!」

「幼女をイジメるようにあしらってっ!」

「それでも男かっ!」

「この人でなしっ!」


 これが、影満カゲミツに対する罵詈雑言の嵐ブーイングストームの内容であり、学校でも全学年の女子から全力で嫌われるようになったのもこの頃からであった。

 いずれにしても、平民の篠川しのかわ美紅利ミクリが一回戦で惨敗したのは確かだったので、一学期早々に最初の退学の危機に直面したが、それを水面下で回避に尽力したのが多田寺ただでら千鶴チヅ教諭であった。自分も篠川しのかわ美紅利ミクリと同じ目にあった過去があったので、つい同情してしまったのである。その後の二学期の兵科合同演習を始め、何かと成績不振が続く劣等生の篠川しのかわを、事あるごとに公私ともに応援し、その甲斐あってか、退学や留年をすることなく、無事二年に進級できた。


「――いいですか、篠川しのかわさん。武術トーナメントには絶対に出場登録エントリーしないでね。参加しても絶対に一回戦で惨敗するから。そうなったら進学は絶望的よ」


 その時期シーズンに入った多田寺ただでらはそのように忠告したが、美紅利ミクリは完全に無視して、また武術トーナメントに出場登録エントリーしたのだった。

 その結果、一回戦で惨敗した。

 それも、一年の時と同じ対戦相手に。

 その惨敗も、大事な宝物を取り上げられて必死に取り戻そうとあがく幼女をガキ大将が面白おかしくもてあそぶような戦い方の末であった。

 その勝者もまた今大会で二年連続優勝を果たしたが、誰も賞賛の拍手や言葉を送らなかったのは言うまでもない。

 二年連続女子人気ワースト一位の快挙を成し遂げたのも。

 優勝者に優勝トロフィーを進呈した軍上層部のお偉いさんも、表彰式に相応しくない雰囲気に、去年と同様、戸惑いを隠せなかった。

 

「――篠川しのかわさん。今度の兵科合同演習で学年 首位トップを取らないと退学ね」


 多田寺ただでらはそれが実施される半月前に宣告した。今年の武術トーナメントが終了して以来、劣等生の篠川しのかわ美紅利ミクリの応援から一転して退学推進の急先鋒へと転身した。教師の忠告や成績向上の指導を散々無視して自分で自分の首を絞める行為を続ける劣等生に、堪忍袋の緒がブチ切れてしまったのである。多田寺ただでらは心から後悔した。


「――情に流されてそんな事するからそういう事になるのよ。情けは人の為ならずとはまさにこの事ね」


 同僚兼親友の武野寺たけのじ勝枝カツエに、言わんこっちゃないと言わんばかりに冷淡な口調で言われるが、もはや篠川しのかわを退学させたい一念に憑りつかれた多田寺ただでらの耳には届かなかった。

 そして、因縁という程度の言葉では片づけられない関係にまで悪化した津島寺つしまじ影満カゲミツ篠川しのかわ美紅利ミクリは、先日の兵科合同演習で勝負を挑み、勝った方が負けた方を奴隷として何でもしてもらうという内容の賭けが成立した。履行の保証人として選ばれた多田寺ただでら教諭も、津島寺つしまじ影満カゲミツが勝つと信じて疑ってなかったし、篠川しのかわ学年 首位トップなど取れるわけないと、これも信じて疑ってなかったので、退学後の元陸上防衛高等学校の女子生徒がどうなろうと知ったことではなかった。

 しかし、篠川しのかわ美紅利ミクリが勝ってしまった。

 それも学年 首位トップの成績で。

 信じて疑ってなかった多田寺ただでら千鶴チヅの予想と期待は完全に裏切られた。

 しかも、今回の教師らしからぬ行為が発覚した結果、停職処分を受け、その間は履行の保証人として、津島寺つしまじ影満カゲミツの監視も、責任をもって行わなくてはならなくなった。おまけに、その期間に予定していた夫との結婚記念旅行も断念せざるを得なくなってしまった。小野寺おのでら勇次ユウジような性格でなければ、離婚届を突きつけられていたかもしれない。


「……こんなはずじゃなかったのに、どうして……」


 涙を流す多田寺ただでら千鶴チヅの脳裏に、不意に親友の武野寺たけのじ勝枝カツエの言葉と姿が浮かぶ。

 兵科合同演習が終わった後の。


「――許嫁の彦一ヒコイチを殺された景子ケイコがその仇の勇次ユウジと結ばれるなんてェッ!!」


 特にこの告白は、絶句する以外になかった。


「…………………………………………」


 それ以来、戦友であり、親友でもある勝枝カツエとは、視線や言葉を交わしてはいない。

 どんな眼で見ればいいのか、どんな言葉をかければいいのか、わからなくて。


「……ハァ……」


 千鶴チヅはため息をついた。


「――なにをちているでち。次は兄弟 漫才コントであたちたちを楽しませるでち」

「なになに、どんなネタなの? 見せて見せて」

「――それって普段のやり取りでも普通にやってるじゃない。息を吸うように」

「~~豊継トヨォ、ネタ考えろいィ~~」

「――ち、ちっと、アニィ、そげんこつ急にわってもすぐは思いつかんど」

「ちまらなかったら罰ゲームとちて兄弟同士で殴りあえでち」

「~~美紅利ミクゥ~~、大人しゅしとごうたらつけあがりっちょってェッ! いい加減にしぃっ!」

「――ちっ、ちまらない漫才コントの出だしでち。罰ゲーム執行でち」

アニィのチビ」


 バキャッ!


「おおっと、突然 津島寺つしまじ兄の禁句タブーを口走った津島寺つしまじ弟の顔面に、津島寺つしまじ兄の渾身の左ストレートが炸裂したぁっ!」


 理子リコが愉快に満ちた表情と口調で実況する。


「死ねェッ! 豊継トヨっ!」

「そしてすぐさま宙でマウントを取って両脚で固定ロックし、左右のフックを入れ続けるぅ!」

「……ち、違う、アニィ、おいじゃ、な――」

「……アンタ、弟にテレハックして豊継トヨツグ影満カゲミツ禁句タブーを口走らせたわね……」


 アキラの推察に、美紅利ミクリはまったく否定しなかった。


「――エスパーダちけてないから簡単だったでち。兵科合同演習の時よりも。あたちが言わせたともらずに、バカなヤツでち」

「ああっと、抵抗むなしく、津島寺つしまじ弟はノーガードで津島寺つしまじ兄の連打を受け続けるっ! その度に弟の顔面から血が宙に四散するっ! もはや死亡は時間の問題っ! 見物している周囲の観光客もドン引きだぁっ!」


 乗りに乗った理子リコの実況と眼前の光景を、美紅利ミクリは心地よく笑う。


「――いい気味でち。入学式の時にこのあたちをチビ呼ばわりした恨みはちんでも忘れないでち」

「……アンタも影満カゲミツをチビ呼ばわりしたけどね。ドングリの背比べなのに、見苦しい争いだったけど。思えばそれがアンタたち二人の因縁の始まりだったわね」


 言いながら二階堂にかいどうアキラは思う。親友の小倉こくら理子リコといい、味方 部隊チームだった篠川しのかわ美紅利ミクリといい、敵部隊チームだった津島寺つしまじ影満カゲミツといい、どうして同学年の二年生には低身長の同級生クラスメートが多いのだろう。特に、今挙げた三者は一五〇cmにも届かないのだ。影満カゲミツの弟である豊継トヨツグすら、ミリ単位とはいえ、それを越えているのだ。一方、一年生で一五〇cmを下回っているのは、浜崎寺はまざきでらユイ一人だけである。


(――どうして年上の二年生が年下の一年生よりも平均身長が低いの――?)


 アキラはそんな疑問が脳裏によぎる。この南白なんはく小遊島しょうゆうとうに滞在している陸上防衛高等学校の在学生で言えば、平均しなくてもほぼ確実にどの一年生よりも二年生側が低いに違いないと、アキラは断言する。

 無論、二年生の中で最高身長である自分を除いて。


「――なに愉快そうに見物してるのよっ! 武術トーナメントばりの実況を交えてっ! 早く止めなさいっ!」


 最後の台詞は『奴隷』の津島寺つしまじ兄弟を監視していた多田寺ただでら千鶴チヅである。親友に思いをはせるヒマもなく、手遅れながらも、慌てて制止に入ったのは、死なせたら『奴隷』の監督責任に問われるからではない。


(――どれだけ女子生徒に嫌われているのよ。この兄弟は――)


 感情的で苦労性な停職処分中の女性教師からも、ほとんどの女子生徒と同じく、兄と同じ為人だと誤解されている津島寺つしまじ影満カゲミツの弟は、不運で不幸な不遇の男子としか言いようがなかった。




「――ほう、これがこの小遊島しまを発見したという飛空宙艇ひくうちゅうてい『エアーストリーム』か」


 蓬莱院ほうらいいんキヨシは上から目線で感嘆の声を上げる。

 小遊島しょうゆうとう格納庫ドックに収容されている五〇メートル級飛空宙艇を眺めながら。


「――表向きは要月系圏外の空宙を探検・探索するために国防空宙軍が最初に建造した浮遊群島間陽月系外空宙航行用飛空宙艇ひくうちゅうていとなっているが――」

「――実態は未だ非公認の外敵からの侵攻を防衛するための試作飛空宙艇だと、国防空軍軍部から軍事機密として説明を受け、現在、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所と協力して『エアーストリーム』の改修と改良を実施中である――」


 そこへ、飛空宙艇の整備員らしき人物が、滑るような移動で接近しながら蓬莱院ほうらいいんキヨシの独語を付け加える。


「――に相違ないか、我が弟よ」


。それは蓬莱院ほうらいいんキヨシの兄、蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキであった。


「――相違ないぞ、兄者。それに協力している兄者が言うのなら」


 キヨシは予想通りと言わんばかりの表情を実兄に向けて応じる。


「――といっても、吾輩は国防陸軍の陸上防衛高等学校の一在校生に過ぎないから、仔細までは知らされてないが」

「――だろうな。ワタシに至っては遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の一研究員であり、部外者だ。お前以上に仔細を知らぬ」


 良樹ヨシキはつまならそうな声でつぶやくと、弟と並んで整備中の『エアーストリーム』を眺める。


「――そういえば、今日だったな。お前のバカンスは。なのに、それとは無縁の武骨で殺風景な軍事施設にわざわざ来なくてもよかろうに」

「――何を言う、兄者よ。まだ候補生とはいえ、職業軍人のはしくれ。軍事施設の視察は軍高官の基本だ。ましてや、軍服組No1の地位を目指している吾輩なら、尚の事よ」


 将来国防軍最高司令官を志望するキヨシは、勝ち誇った表情でうそぶく。比較的壮大な志望だが、勇吾ユウゴ釧都クントのそれよりははるかに実現性が高く、人のためになる志望である。兵科合同演習で見せたリーダーシップ性を鑑みれば。


「――それに、吾輩の同行者たちは、バカンスどころではない事情をそれぞれ抱えていて、現在それに没頭中だ。おかげでせっかくのリゾート地を共に楽しめない有様でな。暇つぶしに仕方なくここへ来たのが実際の所だ」

「――あら、それは残念ね。折角のご褒美なのに」


 蓬莱院ほうらいいん兄弟の近くで、落胆した女性の声が上がった。


「――リンアイたちと一緒に遊べると思ってリゾート区域エリアに行ったけど、全然見つからないわわ。現地で会う約束をしていたのに、どこにいるのかしら」


 それは蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキと同じ職場の同僚、窪津院くぼついん亜紀アキである。だが、長袖の薄い上着を羽織った赤色のビキニ姿は、作業服つなぎ姿の同僚と明らかに異なっていた。むろん、アロハ姿の実弟とも。


「――オイ、助手。一体何の当てつけで作業中に休暇を取ったんだ? 弟はともかく」


 不機嫌な表情と口調で問いただす良樹ヨシキに、亜紀アキは悪びれもなく肩を竦める。


「――仕方ないじゃない。休暇が受理された後に、国防軍からその依頼が来たんだから。その期間と場所が、リンアイたちのバカンスと重なったのは偶然だし」

「――だとしても、釈然とせんわっ!」

「――そうだろうと思って、こうして陣中見舞いに来たんじゃない。はい、差し入れ」

「――って、全部スイーツじゃねェかっ! お前の嗜好を押し付けられても、嬉しくも何ともないわっ! ましてや、お前が開発したスイーツなんぞ、もう飽き飽きだっ!」

「――なぁァによっ! 人の気遣いを袖にしてぇっ! それを言うなら、アンタの『アキバ系文化』の復興計画と布教活動だってうんざりなのよっ! 散々アタシに押し付けてっ!」

「――それは吾輩も同意見だ、兄者よ。残念だが、その文化は第二日本国には根付かぬと思うぞ。所詮、流行りは短期間で廃れるものなのだから」


 めずらしくキヨシが兄を諫め、説得すると、


「……遺失文化ロストカルチャーは、遺失料理ロストフードと比較すると、人々に浸透しにくいというわけか」


 兄の良樹ヨシキは苦々しく呟きやきながらもそれを認める。その証に、亜紀からの差し入れが入ったスイーツの紙袋を、重々しく


「――不得手な料理に執着する小野寺おのでらと違って固執せずに諦められるとは、さすが兄者だな」


 キヨシが兄を賞賛するが、


「――そもそも、アタシたちの仕事は遺失技術ロストテクノロジーの再現であって、遺失文化ロストカルチャーの復活じゃないでしょうに。研究対象を混同しないでよ」


 亜紀アキは苦言を呈する。


「――それを言うなら、お前だって遺失料理ロストフードの再現に没頭しているではないか。それもスイーツに偏って」


 自分の分であるイチゴのクレープを頬張っている亜紀アキに、良樹ヨシキはこれも苦々しく指摘するが、指摘された方は平然としていた。


「――ファファシはイイのフォアタシはいいのよ。|ファンタとチュガッテリウェキィふぉファゲテリュキャラ《アンタとちがって利益を上げてるから》」

「……くっ、助手の癖に生意気な。所長に経営手腕さえあれば、技術以外の分野の再現に許可など出さなかっただろうに」

「――|フェモそのフォカグェでファンタもチュキヌァビンニャにツゥエをダシェタジャヌァイ《でもそのおかげでアンタも好きな分野に手を出せたじゃない》」

「……相手が何を言っているのかわかるのか? 兄者」


 流石のキヨシも、いつもの尊大で不敵な態度を保てず、心底不思議がる。


「――ま、とりあえず、せいぜい頑張りなさい。今の作業を。これも遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の本来の職務とは違うけど――」


 ようやく嚥下した亜紀アキは、はっきりとそう言い残して、蓬莱院ほうらいいん兄弟に背を向けてその場を去って去った。


「――で、どうする? 兄者」


 キヨシが問いかけたのは、だいぶ時が経過してからであった。


「――もちろん、作業を続けるさ、弟よ。専門外でいささか苦心しているがな」


 良樹ヨシキが応じると、キヨシはその話題で話を進める。 


「――だが、軍が民間の遺失技術ロストテクノロジー再現研究所に協力を求めるとは、珍しい」

「――その遺失技術ロストテクノロジーをこの飛空宙艇ふねに組み込むにはどうしても我々の力が必要なんだそうだ。それに、協力は今回に限ったことではないから、こっちにとっては珍しくもないぞ」

「――最近の国防軍科学技術本部は兄者の遺失技術ロストテクノロジー再現研究所に依存気味だな。技術屋としての矜持プライドはないのだろうか?」

「――ワタシも同じ台詞を同じ相手にぶつけやったよ、弟よ。そしたら『矜持プライドで国が守れるなら依頼はしない』と返されたわ」

「――怠慢の言い訳にしか聞こえない開き直なだな。同国の軍人として情けない。嘆かわしい限りだ」


 兄の返答を聞いたキヨシかぶりを振るが、それで科学技術本部の怠慢が改善されるわけではないので、話題を変える。


「――それにしても、空宙そらはこんなにも青くて美しいのに、人間ひとはなんてこんなにも醜いんだろう」

「――どうした、弟よ。急に外の景色に両手を広げて当たり前な事をのたまうとは」

「――ただの再確認だ、兄者よ。たまにしておかないと、自分の才能を過信して自滅してしまう。そうでなくても、才能の欠片もないのに過信して暴走する知人が近くに存在するのでな」

「――あやつの事か。お前より先に知り合ったが、お前が一目を置くほどの軍事的才能の所有者なのまでは、お前に知らさせるまでは知らなかったぞ。やはり職業軍人を志しているだけあって、お前はワタシよりも見る目が――」


 そこまで言ったところで、良樹ヨシキはエスパーダに指先を当てる。


「――ちっ、あの助手からのテレ通だ。まだ嫌味が言い足りないのか。だったらこっちは文句を行ってやる」


 そして舌打すると、文句を垂れながら亜紀アキ精神感応テレパシー通話に出る。


「――今度は何だっ!? 言っておくがな、この俺が甘いものが嫌いになったのはな、この俺をお前の遺失料理ロストフードの実験台にするからだ。確かに小野寺おのでらの料理よりはマシだが……。え? 小野寺おのでらと一緒にするな? あーはいはい、わかったわかった、怒るな怒るな。で、何の用だ?」

「……………………」


 キヨシは口を閉ざしたままテレ通中の兄の様子を見つめる。感覚同調フィーリングリンクすれば両者のテレ通の内容を聴けるが、相手の許可がないと繋がらないし、わざわざ口に出して応じているので、大体の内容は理解できる。


「――なに? この小遊島しまの気象状況を調べて欲しい? なんだか空宙そらの様子がおかしいだとォ?」

「――空宙そらの様子? 天気のことか?」


 それを聞いたキヨシは、目の前に広がっている青空を見渡す。

 格納庫ドック外の空宙の空模様が、視界一杯に広がっている。

 ――一見、到着時と同じ空模様だが、


「――異変でも感じ取ったのだろうか?」


 キヨシが首を傾げている間に、


「――わかった、調べておくよ。『エアーストリーム』の機材を使って」


 良樹ヨシキは反問することなく亜紀アキの要請を了承した。




「――ふぅ」


 良樹ヨシキとのテレ通を終えた亜紀アキは、安堵の一息を水面下につく。

 空水に浸かっている首筋の水面下に。


「――素直に聞いてくれてよかったわ。アタシの趣味を兼ねた遺失料理ロストフードの再現をけなしさえしなければ、余計な気苦労を背負わずにしらせられたのに、まったく……」


 亜紀アキなりの不満を抱きながら。


「――亜紀アキさァーん」


 遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた亜紀アキは振り向く。

 赤一色だが簡潔シンプルなビキニを着けた黄金比率の身体ごと。

 立ち泳ぎで近づいてくる自分を呼んだ人物は、年下の友人、観静みしずリンであった。

 

「――やっと見つけたわ」

「会いたかったニャ」


 その後に続く鈴村すずむらアイ猫田ねこた有芽ユメも、先行するリンと同じ泳ぎ方で亜紀アキに接近する。無重力空間ゆえに、泳ぐ際に発生する波打ちは大きく、水飛沫もそのままそれぞれまっすぐ進むが、真空ではないので、空気抵抗によって次第に減速し、停止する。


「――あら、リンアイ。それに有芽ユメも。やっと会えたわ」


 亜紀アキは満面の笑みで三人の少女と向き合う。


「それはお互い様よ、亜紀アキさん」

「それよりも進捗状況を教えてニャ」

「美気功のギアプの開発と改良の」


 三人の少女は急かすように請う。三人とも、黄金比率から程遠い身体スタイルをごまかすような厚手で露出度の低いスクールタイプの水着 だが、不死人ゾンビのような体つきを覆い隠せる全身タイプの浜崎寺はまざきでらユイよりはマシである。

 それぞれの基本色は、リンは青、アイは赤、有芽ユメは緑、ユイは白黒二色の縞模様だが、いずれにしても、水着選びの買い物は、そこを重視したため、人並みには楽しめなかった。自慢など論外である。

 亜紀アキの前では。


「――え、美気功? なに、それ?」


 戸惑う亜紀アキに、三人は言い募る


「――もう、なに言ってるのよ。聡明な亜紀アキさんらしくもない」

「――どぼけなくてもわかっているんだから」

「――これのことニャ」


 有芽ユメが指さした先には、瀕死の豊継トヨツグを復気功で必死に治療しているユイ美気功 様式モードの姿がある。

 津島寺つしまじ兄弟の醜悪だが仕組まれた争いも亜紀アキの近くだったので、それが終わるまで、亜紀アキも見物人の一人として見物していたのである。

 その争いを間近で見物していた二階堂にかいどうアキラ小倉こくら理子リコ篠川しのかわ美紅利ミクリとの面識は、この時点ではまだなかった。

 争っていた津島寺つしまじ兄弟との面識も。


「――これって言われても、なんのことかわか――」


 そこまで言いかけて、亜紀アキは思い出す。

 良樹ヨシキに天候についてテレ通する前、龍堂寺りゅうどうじイサオからテレ通で言われた事を。


「――っているわ、言われなくても。進捗は順調よ。使い手のユイが協力してくれたおかげで、原理の解析は完了したわ。今は美気功の欠点を改良中よ」

「ホントッ?! それっ!?」

「もうそこまで進んでいたのね」

「それを聞いて安心したニャ」


 三人の少女は引っかかる心配のない胸を撫で下ろし、喜びを分かち合う。地に足がついていたら手を取り合って飛び跳ねていたであろう。


(――なんでこんなウソをつかなければならないのよ――)


 亜紀アキはそんな三人を眺めながら腕を組もうとするが、胸が引っかかってうまく組めない。いつものことであるが、もしその三人がその様子を目撃したら――


(――命がなくなるから言う通りにしたほうがいいとか、アタシと同じスタイルの女性ひとたちの命も掛かってるとか言ってたけど、どういうことかしら? まァ、言う通りにして正解だったみたいだけど、ウソをホントにしろと言われても困るのよねェ。どうしようかしら?)


 四苦八苦の末に、『小野寺おのでら勇吾ユウゴの家事に対する被害者の会』の元会員の説得にかろうじて成功したイサオは、その後、貧相な肉体に苦しみ悩む三人の少女たちの恐るべき計画を知ったのである。だが、それを阻止する前に、勇吾ユウゴが環境汚染の実行未遂の罪で地元警察に連行されたり、ユイが遺体と誤認されて遺体袋に入れられて運ばれたりと、立て続けに緊急を要する事態に遭遇し、その処理や解決に追われていたのだ。一難去ってまた一難どころか、同時に三難に見舞われては、勇吾ユウゴ以上の並列処理マルチタクス能力者でもない限り、パニックを起こして当然であった。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 地元警察に連行された勇吾ユウゴの解放が終えたのを最後に、イサオは完全に男性版 浜崎寺はまざきでらユイと化し、今度はイサオが遺体と誤認して遺体袋に入れられようとしていた。


「――ああ、これで念願の美貌と身体ボディが――」

「――アタシの顔と胸に――」

「――宿すんだニャ――」


 いずれにしても、ぬか喜びのウソだと知らずに、天に昇るような喜びに浸っていたアイリン有芽ユメであったが、


「――アイちぁ~んっ!」


 勇吾ユウゴが泣きつかんばかりの勢いと声を上げて泳いで来る姿を見て、


『――げっ!』


 即座に地面に叩き落された。その次に何を言ってくるのか、敏速に察した三人は、迅速な動作で勇吾ユウゴから逃げるが、最初から目標ターゲットにされていたアイが、背を向ける間も無く捕まった。


「――聞いてよぉォ~ッ!」

(――聞きたくなぁァ~い!)


 心の底から叫んだアイの耳に、予想に違わぬ幼馴染の訴えを聞かされた。


「――ここの警察もボクが将来専業主夫になる事を反対するよォ~ッ! イサオと同じくゥ~ッ! どうしてなのォ~ッ?」


 勇吾ユウゴアイの両肩に両手を乗せて泣きつく。


「~~~~~~~~ッ!」


 泣きつかれたアイは、こっちこそ泣きたかった。


(……いい加減認めてェッ! 下手な横好きな自分の腕前をぉっ! 人には向き不向きがあるのよォッ! ユウちゃんが将来専業の夢を諦めない限り、誰一人幸せになれないわぁっ!)


 そして実際に泣いた。だが、口に出しては言えなかった。そんなことすれば、最悪、幼馴染の仲が再び引き裂かれる気がするからだった。

 今度は勇吾ユウゴから。

 なので、幼馴染の仲が修復されてから何百回も繰り返されて来た不毛な訴えである。自身の家事適性の無さを、他責で弁解する悪癖が、完全に根付いていては、矯正はもはや不可能であった。素直で実直な小野寺おのでら勇吾ユウゴの、如何いかんともしがたい欠点である。

 うつむく勇吾ユウゴの糸目に、ドクロマークや様々な書体フォントのアルファベット単語が印字されたアイのスクール水着が映る。

 中二病感むき出しである。

 ちなみにリンのデザインは水泳競技型、有芽ユメは様々な種類の猫がプリンティングされている。


「――何か言ってよォ~ッ! 僕の料理は美味いとかァ~ッ! 掃除や洗濯は上手だとかぁ~っ!」


 勇吾ユウゴアイの肩を揺さぶるが、揺さぶられたアイは沈黙を守る以外、どうすればいいのかわからず、天をあおぐ。

 とはいっても、無重力の空宙では天など存在しないが。

 だがその時、


「――あっ! あれ、見て、ユウちゃん」


 その先に見えたものを、アイは空宙の一点を指し示す。距離は遠いが、訴えを逸らすには、勇吾ユウゴの気を逸らすしかなかった。


「――あれって鳥じゃない? しかも群れで飛んでいる」

「えっ?! ホントッ!?」


 勇吾ユウゴは訴えをそっちのけにして、幼馴染が指し示した方角に視線を動かす。

 勇吾ユウゴアイは一週目時代に存在していた鳥類に興味があり、幼い頃に二人が出会ったのも、それがきっかけで始まった縁だった。アイに鷹のバッジをプレゼントしたり、勇吾ユウゴに鳥の名を冠した剣技をつけたりするほどで、遺失技術ロストテクノロジー研究所の蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキ窪津院くぼついん亜紀アキに、鳥の再現をお願いしたほどであった。流石に生物の再現は不可能だったので、断念せざるをえなかったが。

 ゆえに、今まで来たことなかった場所でなら、見かける事もあるかもしれないと、二人の幼馴染は、淡い期待を、南白なんはく小遊島しょうゆうとうに到着するまで抱いていたが、


「――あれは鳥じゃないわ」


 同様の方向に視線をむけていた亜紀アキが、残念そうに否定する。


「――『ウイングフイッシュ』っていう、無重力の空宙に生息する魚類よ。 ヒレが鳥の羽みたいに長大だから、総称としてそう名付けられたわ。もちろん、多種多様だけど」

「――鳥に興味のある二人が見間違えるのも無理はないけどね」


 勇吾ユウゴの悪癖が収まったのを見計らって戻ってきたリンが、肩をすくめて亜紀アキに続く。


「ええェ、そうなのぉ……」

「残念だわァ……」


 肩を落とす勇吾ユウゴアイに、リンはさらに続ける。


「――何言ってるのよ。遠目とはいえ、肉眼で実物を見れるのは、南白小遊島ここでも珍しいのよ。大抵はアスネでしかお目に掛かれないんだから」

「――でも美味しそうニャウイングフイッシュニャ」


 同様に戻っていた有芽ユメがよだれを垂らす。無重力下なので、垂れるというより伸びるだが、いずれにしても汚い事に変わりはない。よだれに限らず、ここでの汚物の体外放出は、故意なら逮捕案件なので、排泄は念動力サイコキネシスの重力下にあるトイレか、空間転移テレポートによるそこへの転送が規則ルールとなっている。


「――止めときなさい。大きさ《サイズ》によっては逆に喰われるわよ」


 リンが眉をしかめて注意する。


「――一応、ウイングフイッシュを含めた空洋生物除けの精神周波数マインドチャンネルを発信しているから、南白小遊島ここに近寄ったり襲って来たりする心配はないけど」

「――部位によっては美味な種類もあるけど、デザートの食材には使えないウイングフイッシュばかりよ」


 亜紀アキ焦点ピントのズレた豆知識を披露する。


「……イヤ、誰もそないなこと訊いてへんって……」


 いつの間にか来ていたイサオが平手を振って訂正する。遺体袋から脱出する程度までには回復していたが、それでも重篤患者よりもやつれた様相である。


「――ウイングフイッシュの骨は美味いのかワン?」


 イサオの後ろに続いていた釧都クント亜紀アキに尋ねる。有芽ユメには視線を合わさないよう、露骨に無視している。


「……流石にそんなわけないでしょう。一昔前の犬のエサじゃないんだから……」


 亜紀アキが初対面の釧都クントに怪訝そうな表情で否定する。


「……もしかしたら、空宙の気象異変も、ウイングフイッシュの群れと勘違いしたかも……」


 腕を組もうとして上手く組めない亜紀アキの巨乳を、アイリン有芽ユメが目ざとく視認した瞬間、破棄したはずの『巨乳美女抹殺計画』が発動しかけるが、


「~~美気功の改良を終えるまで待つのよ、アイ

「~~そうね。始末するのはその後からでも遅くはないわ」

「~~利用価値がある間は生かしておくニャ」


 かろうじて思いとどまる。

 善良から程遠い翻意の会話だが。

 その後、


「――あれ? なんだろう、あの雲?」


 勇吾ユウゴが不意に声を上げて指さす。

 ウイングフイッシュの群れとは別の方角に。


「――あれ? いつの間に現れたんだろう?」


 同じ方角に視線を向けたアイも不思議そうにつぶやく。


「――また発生したわ。謎の気象現象が。さっきはすぐに消えたけど……」


 目撃した亜紀アキの声に不審と不安が帯びる。


「――何か黒っぽいわね。それも――」


 急速に拡大する雲の変化を、リンが口に出した頃には、他の一同や観光客も、波紋のように同方角に注目する。


 その時であった。


「キュイイイイイイイイイイイイインッ!! キュイイイイイイイイイイイイインッ!!」


 けたたましい警告音が南白なんはく小遊島しょうゆうとうに鳴り響いたのは。


「――みんなっ! ゲリラ空宙暴風雨よぉっ! 急いで空間転移テレポート転送センターに避な――」


 多田寺ただでら千鶴チヅが大声とテレ通を交えて教え子たちに伝える。

 最後まで伝えられなかったのは、かき消されたからである。

 ゲリラ空宙暴風雨の轟音に。


「――さっきのはその兆候だったんだっ!」


 亜紀アキの叫びも、異常気象発生の警告音も、誰一人自分の耳には届かず、エスパーダの精神観応テレパシー通信による警報のみとなるが、それも続いて途絶する。


「――急に暗くなって――」


 気がつけば視界も薄暗い霧で不良になり、お互いの姿を見失う。そして叩きつけるような雨と風が、観光客や地物住人たちと店舗に襲い掛かる。

 青天の霹靂というしか言いようのない、急転直下の天候の激変であった。




 天候の急激な悪化は、重力の有無に関係なく、空宙でも発生する。しかも、無重力空間では、重力下のような確固たる足場が存在しない分、風雨に流されやすく、危険度もそれよりも高い。ゆえに、避難対策は十分に練られている。

 だが、自然の脅威はいつだって人智を超える。想定を上回る速度スピードでゲリラ空宙暴風雨が襲来した南白なんはく小遊島しょうゆうとう緊急避難用 空間転移テレポート機能で、避難施設シェルターも兼ねた空間転移テレポート転送センターに収容できた観光客や地元の住人は、およそ八割だったのがのちの調査で判明した。


「――みんなっ! どこっ! 返事してっ!」


 何とか避難が間に合った多田寺ただでら千鶴チヅは、声とテレ通の両方で教え子たちに呼びかける。

 伝達手段問わずに、何度も、何度も。

 しかし、自分と同じく避難が間に合った周囲の人たちの中から、誰一人としてそれに応じない。

 勇吾ユウゴも、アイも、リンも、イサオも、有芽ユメも、ユイも、キヨシも、釧都クントも、豊継トヨツグも、影満カゲミツも、美紅利ミクリも、アキラも、理子リコも。

 良樹ヨシキ亜紀アキは教え子ではなく、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所にも籍を置く他校の生徒だが、教え子たちの知人であり、友人なので、同様に呼びかけていたが、両者共応答はなかった。美紅利ミクリたちと違って、千鶴チヅは遊泳や会話に参加してなかったおかげで、いち早く緊急避難 用空間転移テレポートに感応し、強制的に避難されたが、それを呼びかけた一三人の教え子たちや、二人の遺失技術ロストテクノロジー再現研究所の所員たちは、感応できずに強制避難されなかったようである。

 

(――いくら自在に宙を泳げる念動力サイコキネシス発生器でも、こんなにも激しい空宙暴風雨の中じゃ、ただ翻弄されるだけ。ライフセイバーですら、救助どころではないかも。もし避難が間に合ってなかったら、危険だわっ!)


 本当なら避難施設の緊急災害対策本部に教え子たちの安否を問い合わせたいところなのだが、すでに他の観光客たちが殺到しているので、徒労に終わるのは目に見えていた。

 それどころか、こちらにまで安否を問い質して来る有様であった。

 それだけ混乱しているのである。

 観光地としての開業以来、ここまで激しいゲリラ空宙暴風雨は起きた事がなかったので、地元の住人ですら例外ではなかった。

 暴風雨の轟音が避難施設を鳴動させる。

 収まる気配は一行にない。

 むしろ更に増している様子である。


「――とにかく、何とか助けないと――」


 そう言って千鶴チヅがその方法を考え始めた矢先――


「――皆さんっ! 速やかに本国直通の空間転移テレポート装置に移動してくださいっ! 本国に避難移動させますっ! 繰り返しますっ! 速やかに――」


 施設内に避難アナウンスが響き渡る。

 勧告ではない。

 強制である。


「――南白小遊島ここを放棄するのっ?! 取り残されている人たちがまだ施設外のゲリラ空宙暴風雨にさらされているというのにっ!」


 千鶴チヅは思わず叫ぶが、その直後、地震のような衝突音が施設の建物を揺るがし、風雨の一部が内部に侵入する。

 それを合図に、不安と恐怖に震えていた避難民たちの中から悲鳴が上がると、慌てて駆け出す。アナウンスの指示に従うだけの冷静さだけはかろうじて保ちながら。


「――ちょ、まっ――」


 その雪崩に飲み込まれた千鶴チヅは、抵抗もむなしく、そのまま流されていく。


(――仕方ないわ――)


 千鶴チヅは苦渋に満ちた表情で決断する。本国直通の空間転移テレポート装置まで被害が及べば、ゲリラ空宙暴風雨が止む気配のない南白なんはく小遊島しょうゆうとうに取り残されてしまう。その前に既に施設内に収容した避難民だけでも本国に転送する判断は、自分が現場の人間でもそのように判断するだろうと思う。だが、それでも、教師として、年長者として、これ以上なにもできない自分の不甲斐無さを呪わずにはいられない。この上は、呪うより祈るしかなかった。

 みんなの無事を。




 多田寺ただでら千鶴チヅの予想通り、ライフセイバーの救助活動は困難を極めた。救助対象の絶対数が多すぎて、対処は不可能に等しかった。ましてや、立体的に吹き荒れるゲリラ空宙暴風雨の中では、踏みとどまることさえ至難であった。短距離走レベルの出力が出せる念動力サイコキネシス発生装置を装着しているにも関わらず。救助対象者たる地元の住人や観光客に至っては、歩行程度の出力しか出せない念動力サイコキネシス発生器しか身に着けてないので、あらがう術がなかった。


「――――――――――――――――っ!」


 その一人であるアイの悲鳴は、渦中の暴風雨にかき消され、自分の耳にさえ届いていない。

 悲鳴自体、上げている自覚すらも。

 洗濯機の中で洗浄されているような感覚に、方向感覚は完全に失われ、全身もツーサイドアップの髪先までずぶ濡れで、洗濯物も同然の状態であった。

 無論、避難できなかった他の観光客や地元の住人たちも同様の状態である。お互い他方に気を回す余裕なとあるわけもなく、当然、全体の状況など把握できるはずもない。自身の身体だけでなく、意識も翻弄され、時間経過に比例して、意識喪失者の人数も増大する。人間同士やそれ以外の物体の衝突も同様だった。


「――――――――……………………」


 意識を失いかけているアイも、逆方向から暴風に乗って飛来したパイプベットに正面から激突する。

 ――寸前、別方向から切り裂くように飛翔して抱きとめてくれた人物によって、無事回避された。


「……う、ううん……」


 今の衝撃で、失いかけていた意識がかろうじて回復したアイの瞳に、見覚えのある横顔が映り、思わずつぶやく。


「……ヤマト、タケル……」


 と。

 無論、正体は小野寺おのでら勇吾ユウゴである。

 突然襲った幼馴染の危機に、翻弄されながらも、突如変貌したのだった。

 幼馴染の姿を認めた瞬間。

 普段の糸目が常人なみに開いているのが、その証であった。

 ただ、髪型は空宙暴風雨によって今でもかき回されているので、オールバックは完全に崩れ、そこだけ風雨に翻弄され、濡れているが。

 だが、それで暴風雨の中でも自在に飛べるようになったわけではない。

 無論、それは勇吾ユウゴが身に着けている念動力サイコキネシス発生器のおかげでだが、他の観光客と同様、歩行程度の出力しか出せない仕様に作られている。重力下の地上で使用しても、浮遊はおろか、一歩も動かない代物なのである。

 にも関わらす、暴風に翻弄されぬほどの力強さと、ライフセイバーすら凌ぐ速度スピードで、その中を飛翔できるのは、覚醒の際、過剰に込めた精神エネルギーの影響で、念動力サイコキネシス発生器の制限装置リミッターが壊れたからであった。

 『ローカルテロ事件』の経験を経たことで、ただでさえ膨大な精神エネルギーが、更に増大したため、エスパーダなどの超心理工学メタ・サイコロジニクス機器がそれに耐えきれず、最近では壊れることが多くなっていたのだった。

 そうした事由で、制限装置リミッターのない念動力サイコキネシス発生器と無重力下の空宙でなら、緑川みどりかわ健司ケンジに匹敵する速度スピードや機動力を出せるほどに上昇したのである。


「――大丈夫かっ、アイっ!」


 ヤマトタケルこと勇吾ユウゴが、揺さぶりながら力強い声で掛ける。普段の『糸目の勇吾ユウゴ』では決して出せない声である。

 アイは小さくうなずくが、安心したのか、身を預けるように気を失う。死んだわけではないので、勇吾ユウゴは安堵するが、それもつかの間、全方位に注意を向けると、状況は依然と変わらずである。違うのは自分と他者の状態で、激しい暴風雨の中、意識と行動力を保って行動している。飛来物を躱し、暴風雨に逆らい、自力で飛行を続ける。

 だが、他の観光客や地元の住人の全員をアイのように救助するのは、今の勇吾ユウゴでも流石に無理である。一人残らず安全な場所に避難させるには、勇吾ユウゴ一人だけでは人手不足であり、勇吾ユウゴよりも大きく精神エネルギーが劣るライフセイバーでは力不足であり、到底救助要員としてのカウントには入れられない。むしろ勇吾ユウゴ補助サポートが必要なくらいである。当然、今の勇吾ユウゴにそこまでの余裕はなく、幼馴染を抱えながら安全な場所の捜索を優先しなければならない。一人でも多くの人を助けるには、そうするしかなかった。


(――いずれにしても、犠牲者は避けられない――)、


 地上で発生する台風でも、規模によっては数人から数十人の死者は出る。ましてや、地に足がつかない空宙ではなおさらである。そもそも、南白なんはく小遊島しょうゆうとう周辺の気象調査の結果、空宙暴風雨の発生率が限りなくゼロに近いからこそ、観光地としての誘致が行政に認可されたのだ。開業以来、一滴の雨も風に乗って来なかったのに、なぜ何の兆候もなく突然襲来したのか。調査不足と研究不足と言われたらそれまでだが、それは超心理工学メタ・サイコロジニクス遺失技術ロストテクノロジー再現研究を始めとする分野全般に言えることである。完璧など望めないし、完璧を求めていたら何もできない。安全も同様である。少なくても、勇吾ユウゴの背中に後ろ指をさされる言われはないが、それでも、


(――今の自分にできることを全力でする――)

 

 ことに変わりはなかった。

 父親の勇次ユウジの教えを胸に、息子の勇吾ユウゴは全力で実践する。

 その時だった。


(――ヤマトタケルさん――)


 テレ通による呼びかけが、勇吾ユウゴの脳裏に突如響いたのは。


(――このままドックに向かって避難して下さい。あなたの仲間たちもそこにいます。他の要救助者たちは僕が助けます――)


 誰からのテレ通なのか、勇吾ユウゴにはわからない。ライフセイバーなら指示よりも安否を先に確認するはずである。それに、喉による物理発声と、精神感応テレパシー通話で使う思考発声は、必ずしも一致しない場合があるので、遊泳中に呼びかけられたとしても、誰のライフセイバーなのか見当がつかない。ただ、相手は自分を知っているようである。それも、勇吾のもうひとつの顔、『ヤマトタケル』を。だが、あえて誰何はせず、


(――だが、どうやって他の要救助者を――)


 救助する方法と手段を問いかける。自分ではピストン輸送で一人ずつ安全な場所へ連れて行くことしか思い浮かばないというのに。


(――大丈夫です。空宙ここでなら、僕の能力ちからは地上以上に発揮します。だから急いで下さい。僕が必ず全員救助しますから――)


 そう言い残して相手はテレ通を切ったが、それでも勇吾ユウゴは、後ろ髪を引かれる思いで周囲を見回す。成す術もなく、木の葉のように舞い飛ばされている要救助者たちの姿が、糸目ではない視界に横切っては、とても成し遂げられるとは思えなかったからである。


(――やはり駄目だ。ほっとけない。アイをドックに避難させたら、オレも――)


 そのように勇吾ユウゴが判断した直後、頭上から強力な精神エネルギーを感知する。

 今の勇吾ユウゴを上回るほどの。


(――この力は――)


 勇吾ユウゴは知っている。

 その能力ちからを。


(――まさか――)


 しかも以前、ヤマトタケルとして、その持ち主と戦ったことがあった。

 その事を、勇吾ユウゴは思い出した。


(――確かに、空宙ここでなら、地上以上に発揮する。今の俺の比ではない能力ちからが――)


 それに限って言えば、大人と赤子の差がある。

 その証拠に、暴風で舞っている頭上の要救助者たちが、勇吾ユウゴの飛翔のように、目に見えない力で力強く牽引されている。

 暴風をものともせず、一定の方角へ向かって行く。

 勇吾ユウゴにはとても真似できない遠隔操作能力である。

 どれほどの精神エネルギーを有していても、勇吾ユウゴにはない能力ちからである。


(――素直に指示に従った方がいいな。下手な助力は足手まといになる――)


 考え直したヤマトタケルこと勇吾ユウゴは、迷いのない力強さで嵐の中を飛行する。


(――頼むぜ。そして死ぬなよ――)


 祈るように思いを込めながら。

 

(――勇吾ユウゴっ、聞こえるかっ!)


 そこへ、またテレ通が入る。

 要救助者の救助を託した人物ではない。

 物理発声でも思考発声でも聞き覚えのある人物からだった。


(――キヨシさんっ!) 


 兵科合同演習でアメリカ隊の隊長リーダーを務めた蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキの弟である。


(――その様子では無事だな。あとは鈴村すずむらだけだが――)

(――一緒にいるっ! 今は気を失っているけど――)

(――そうか。じゃ、これで全員だな――)

(――全員って?)

(――南白小遊島ここに来訪した陸上防衛高等学校の生徒たちと、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所に務める吾輩の兄とその助手の十五人だ。今ドックに集まっている――)

(――多田寺ただでら先生は――?)

(――無事本国に転送された|そうだ。空間転移テレポート転送センターに避難できた避難者たちと一緒に――)

(――それはよかった――)


 勇吾ユウゴは安堵する。


(――でも、なんであなたたちだけドックに――)

(――たぶん、ゲリラ空宙暴風雨による影響だろう。お前たち二人の除いた全員がドックに誤転送されたようだ。観静みしずの話じゃ、あの時一カ所に集まっていたそうだからな。お前たちみたいに転送さえされなかった者もいるが――)


 キヨシは推測するが、深くは考えなかった。


(――それよりも勇吾ユウゴ、二人ともこっちまでたどり着けるか?)

(――なんとか――)

(――急げっ! 今吾輩たちは急いで出航準備をしている。ゲリラ空宙暴風雨に巻き込まれた南白小遊島ここを脱出するために。早く来ないと置いていくハメになるぞ――)

(――出航準備って、何で脱出するんですかっ!?)

(――飛空宙艇ひくうちゅうてい『エアーストリーム』でだっ!)

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