第12話 喪失の封筒

健斗は面接を終えた後、確かな手応えを感じていた。確かに自分の考えや意見をしっかりと伝えられたが、それがどれほど評価されるかはわからなかった。ただ、面接の中で、自分が勉学や趣味といったこれまでの経験で培ってきたものが、彼自身の本来の力として発揮されたことを、なんとなく実感していた。


面接が終わってから数日間、彼はそのときのことを何度も振り返った。今までの面接とは違って、自分のことを最も深く理解してもらえたという感覚があった。風間や他の面接官たちが自分に対して真摯に向き合ってくれたことで、健斗はこれまで感じたことのない満足感を得ていた。


だからこそ、たとえ不採用通知が来ても、それはそれで良いと思っていた。何よりも、あの面接での経験そのものが素晴らしいものだったと感じたからだ。


その経験を通じて、健斗の中にはある思いが生じた。あの企業で働きたいという強い意志だった。彼らがどれほど自分を理解し、尊重してくれたかを感じたからこそ、その企業に就職したいという気持ちが大きくなったのだ。だから、仮に今回の面接で不採用となったとしても、もう一年頑張って必ずあの企業に挑戦しようという決意を固めていた。


しかし、面接が終わり日が経つにつれ、健斗はどうにも落ち着かない気持ちで日々を過ごしていた。面接自体はうまくいったと感じていたが、それが本当に評価されているのかどうかはわからない。心の中にはその漠然とした不安が勢いを増し、渦巻いていた。


そんな中、友人の中村亮介と久しぶりに会った。彼はまるで別人のように明るく、意気揚々としていた。カフェで向かい合って座ると、亮介は嬉しそうに話し始めた。


「俺さ、この前の面接で新しい趣味について話したんだよ。登山なんだけど、それがきっかけで面接官とめちゃくちゃ意気投合してさ。その後、その面接官と一緒に登山に行くことになったんだよ。それで、面接もバッチリ通って、無事にその会社に受かったよ!」


亮介の顔には、純粋な喜びが溢れていた。健斗はそれを聞いて心から喜ぶべきなのに、心の中で少しの嫉妬が芽生えているのを感じた。


「すごいな、それ。趣味でそんなに話が盛り上がるなんて、羨ましいよ。」健斗は少し力のない笑みを浮かべながら答えた。その言葉にはどこか空虚な響きがあった。


「いやいや、健斗もさ、自分の好きなことをもっと話せばいいんだよ。仕事だけじゃなくて、趣味とかプライベートでの熱意が伝わると、面接官も一緒に働きたいって思うんじゃないかな。」亮介は気軽に言ったが、その言葉は健斗の心に重くのしかかった。


その夜、健斗は家に帰り、ソファに座って自分のこれまでの面接を振り返った。自分の趣味について話す時、どれだけ情熱を持っていたのだろうか。自分の中で好きだと思っていることも、ただの暇つぶしに過ぎないのではないかという疑念が頭をよぎった。


さらに、その数日後、恋人の山本美咲からも衝撃的な話を聞かされる。


あの面接が終わった後も、就職面接を受ける日々は続いていた。面接が一つ終わるたび、どっと疲れが押し寄せる。

あの面接の合否の結果はまだわからない。手応えがあったように感じているが、心の中で不安がじわじわと広がっていく。そんな感覚を無理に押し込めるように過ごしていた。


そんな日々の中、美咲は海外旅行に出かけていた。美咲が海外に行くのはこれまでもよくあることで、特別驚くことでもない。しかし、今回の旅行から戻ってきた美咲には、どこかこれまでとは違う雰囲気があった。以前よりも笑顔が増え、楽しげな様子が見て取れる。そんな笑顔を健斗はどこか遠いものに感じていた。


そんな違和感を抱えたまま日々が過ぎていった。そしてある朝、ついにその違和感が確信に変わる瞬間が訪れた。


その日の朝、彼の手元に、あの面接の合否通知が届いた。健斗は封筒を手に取り、無言でそれを開封した。

文字が目に入った瞬間、心の奥に押し込めていた不安が一気に現実となって押し寄せた。


不採用通知を手にした直後、美咲が彼の元にやってきた。その日は、久しぶりのデートの約束をしていた。就活が忙しく、なかなか二人の時間を作れなかった中で、ようやく取れた時間だった。

美咲は玄関に立ちながら、少し戸惑いながらも、決意を込めた表情で健斗を見つめていた。

そして、彼女は静かに、しかしはっきりと、別れを切り出した。


「健斗、私…もう一緒にいられない。」


健斗は一瞬で全てを悟った。美咲は、彼が今まで感じていた違和感の正体を言葉にしたのだ。彼女が海外旅行から戻ってきた時から、少しずつ彼女との距離が広がっていたことを、彼は心のどこかで感じていた。そして今、それが確実に実感として迫ってきたのだった。


彼女は小さい頃から家族の影響で海外暮らしが多かったこともあり、海外旅行を趣味としていたが、健斗はその趣味に興味を持たず、一緒に行くこともなかった。今まではそれでよかったのかもしれない。彼女も自分自身の趣味を押し付けることはなかった。しかし、ある日、美咲の大学の男友達が一緒に旅行に行きたいと申し出てきた時、彼女は迷わず受け入れた。


「実は…もう1人女の子の友達とも一緒に海外旅行に行く予定だったんだけど、その子が風邪で行けなくなっちゃって…結局、彼と二人で行くことになったの。」


美咲は少し申し訳なさそうに告げたが、彼の事を話すその目には僅かな喜色が浮かんでいるのを健斗は感じ取った。


「そうなんだ…」

健斗は、どう答えていいのかわからず、ただうなずくだけだった。心の中で何かが崩れる音がした。


「健斗、ごめんね…。彼との旅行で気づいたの。趣味を共有できる相手って、やっぱり大事だって。私たち、ずっとすれ違ってたのかもしれない。」

美咲の言葉は冷静で、しかしその中に深い決意が感じられた。

健斗は何も言えず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。彼女が去った後の玄関に残されたのは、冷たく静かな空気と、自分の無力感だけだった。


その夜、健斗は眠れず、ただ不採用の通知を何度も見つめ続けた。

そしてついに彼は、どうしてもその理由が知りたくなり、直接面接を受けた企業に向かう決意をした。


数日後、企業に足を運んだ健斗は、風間銀次郎と再会した。風間は、彼の訪問に驚くこともなく、静かに話を聞いていた。


「なぜ、僕は不採用だったんですか…?僕の提案は評価されていたと思っていたのに…」健斗は抑えきれない感情を込めて問いかけた。


風間はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「秋山さん、君の提案やプレゼンは確かに素晴らしかった。経済学の知識やビジネスの視点も的確で、十分に評価されるべき内容だった。」


健斗はその言葉を聞いて、少しだけ安堵した。しかし、風間の次の言葉が彼を現実に引き戻した。


「でも、そのくらいのことができる人は他にもたくさんいる。あるいは、それをまだできていなくても、今後の教育で成長していける人もいる。だから私たちが求めているのは、そうした技術や知識だけではなく、その人の人間性だ。」


風間の声は冷静でありながら、どこか重みを感じさせた。

「その人間性が表れるのが、ビジネスや学業だけでなく、プライベートで何が好きか、何に熱意を持っているかなんだ。君の面接を聞いて、君が熱中しているものが感じられなかったんだよ。正直に言うと、君と仕事をしても面白くなさそうだと思った。」


その言葉は、健斗の胸に深く突き刺さった。風間の静かな視線にさらされながら、健斗は自分がどれだけ本気で何かに取り組んできたのかを問い直さざるを得なかった。そうしているうちに、周囲の景色がぼやけていき、薄暗い天井が目に入る。次の瞬間には目が覚めた。


夢だったのか…。


目を覚ました健斗は、自分がベッドの中にいることを確認した。ベッドから起き上がり、ぼんやりとした頭で夢の中のことを思い出そうとする。風間の冷たい言葉がまだ耳に残っているようだった。「君と仕事をしても面白くなさそうだ。」その言葉が頭の中で何度も反響する。


彼はベッドの横に置かれたスマートフォンを手に取り、通知を確認した。そこには、会社からの通知が来ていると表示されていた。ふと、玄関のポストに視線を移す。そこには、まだ開けていない合否の封筒が入っているのだろう。どうしても確認する気になれず、しばらく起き上がった姿勢のまま止まっていた。


健斗は不意に笑みを浮かべた。しかし、それは嬉しさからくるものではなく、自嘲の笑みだった。自分がどれだけ本気で何かに取り組んでいたのか、誰かに熱意を見せられるようなものがあったのかと考えると、何もなく、それが今空虚な気持ちとなって胸を締め付けてくる事実に笑っていた。


ポストに目を戻す。そこには、未来が詰まっているかのように見える封筒があった。


封筒をポストから取り出してからも、彼はその封筒を開けることを躊躇していた。自分が知りたくない答えがそこに待っているのかもしれないという恐怖が、彼の手を止めていた。


健斗は封筒を手に取り、しばらくの間、何もせずただそれを見つめていた。自分の中に浮かぶ疑念と不安が、どんどん膨れ上がっていくのを感じる。風間の言葉、友人の成功、美咲との別れ…すべてが彼の心をえぐり、彼を苦しめていた。


『あれは、本当にただの夢だったのだろうか?

どこまでが夢で、どこまでが本当だったんだ?』


夢と現実が曖昧になり、思考が混乱する前に、ただ事実が知りたくなり、何かを壊すかのように封筒の封を切った。


中身を確認しようとした瞬間、手が止まった。その手が震えていることに気づいた。何かが、健斗の心の奥底で叫んでいる。これ以上、何を知っても、何も変わらないのではないかと。 


絶望が、静かに彼を包み込んでいた。健斗は封筒を握りしめ、目を閉じた。その時、彼の中には、何も変わらないという冷たく重い現実だけが残っていた。


合否の通知が何を示していようと、もはや意味を成さない。企業が自分をどう評価しているかよりも、自らが自らを認められなくなったことが、彼にとって何よりも深い傷となっていた。


もう、自分を信じる力を失ってしまったからこそ、その封筒の中身が何であれ、彼にとっては何の価値も持たないのだ。採用されていようが、不採用であろうが、健斗の心にはもう何の変化も生まれない。


なぜなら、彼はすでに、自分自身を見失ってしまったのだから。


結局、封筒の中身を確認することなく、彼はそれをゴミ箱に投げ捨てた。そして、自分のベッドに再び横たわり、薄暗い天井を見つめたまま、静かに息を吐いた。


「どうせ、何を選んだって同じなんだろう…」


その言葉が、静かな部屋に虚しく響いた。健斗の心には、何も答えが見つからないまま、ただ重苦しい沈黙が残された。どれだけ才能を持ち合わせていようとも、熱意がない彼の未来は、曖昧なまま空中を漂い、薄暗い部屋に溶けて消えていった。

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