ベアトリス・ポトフ(フリー百科事典)
ベアトリス・ポトフ
生没年 生年1104年〜1176年
(概要)
パスタ王家の第一王女として誕生。
帝国皇帝に嫁ぐが、死別して帰国。
シャロン戦争後、和睦の条件としてライアン・ポトフ辺境伯に再嫁。
嫡男アシュリー(後のアシュリー一世)及びジュリア皇妃の母。
ポトフ王朝の創設期に夫ライアンを助け、多大な功があった。
ライアンの死後、実質的な女王として政権を握り、王朝の功臣を次々と粛清。
諸制度を整備し、王朝の基礎を固める。
政権末期には、側室シャーリーの子であるネラ辺境伯とテッド大公が大領を有していることを憂慮。
その排除に動いたところを彼らと手を結んだ王アシュリーのクーデターで失脚。幽閉先を脱出し、帝国皇妃となった娘ジュリアを頼り再起を図るが、ジュリアに捕えられて王国に送還。
その後は修道院で厳重に監視されてその生涯を終える。
享年72歳。
(生涯)
パスタ王家の第一王女に生まれる。上には兄がいて、後に国王に即位する。
幼い頃から才知に恵まれ、父王はこの子が男であれば世継ぎにしたのにと嘆いたと言われる。
令嬢が好む社交や恋愛、装飾よりも政治に関心を持ち、長じると当時の王宮を牛耳るシュラスコ公爵に異論を唱える。
その権力基盤を崩すことはできなかったが、臆せずに正論を述べるベアトリスを疎ましく思ったシュラスコは、正室を亡くした帝国皇帝の後妻とするべく働きかける。
帝国からは後継問題を生じさせないために子を成さないという屈辱的な条件を課されるが、シュラスコは王たちにはそれを隠してこれを受諾させる。
ベアトリスは王国で初めての帝国皇妃となるが、その内実は子も産めないお飾りであった。
なお、この屈辱をベアトリスは生涯忘れず、シュラスコ公爵の族滅や娘ジュリアの対等な条件での帝国輿入れを図ったのはそのせいかと言われる。
帝国皇妃となったベアトリスはその頭の回転の速さや巧みな話術で高齢の皇帝の気に入りとなり、若い飾り物の妃から次第に政治的な立場を強める。
皇帝崩御の際は、その立場を生かして崩御の情報をいち早く皇太子に伝えるなど皇妃として新皇帝の擁立に力を貸し、恩を売った。
反面、帝国内では政治的な立場を強めたベアトリスを皇太后として国内に置くことへの反対論が出て、多大な贈り物とともに王国に帰国を余儀なくされた。
◯辺境伯妃として
帰国後、兄の王の元で休養し、その勧めもあり手頃な宮廷貴族への再嫁を模索するが、シャロン戦争の勃発により王国は混乱状態となる。
ポトフ軍に王都が包囲され、和平を進める中、正室シャロンを失ったライアンへの再嫁の話が浮上する。
兄王は帝国で苦労した妹を敵対したライアンに嫁がせることに乗り気ではなかったが、ベアトリスは受け入れ、ライアンへの降嫁が決まる。
この時のベアトリスの思いについては、王家のために仕方なくというよりも、ポトフ家という新興勢力に、自らの能力を生かしたいという考えがあったと推測される。
王家とライアンの和平を示す盛大な結婚式の後、ベアトリスはポトフ領に乗り込む。
詳細は不明であるが、ベアトリスの多数の随行は王家直属を鼻にかけ、現地の家臣・領民と激しい摩擦を起こしたと言われる。
ベアトリスは随行を叱責、自ら汗をかいて現地に馴染む姿を示し、また産業振興や生活改善を積極的に行ったことからご正室様と貴ばれた。
なお、ポトフ領民からは、二人の妃について、慈善活動に熱心なシャーリーは敬愛,親しまれていたが、政治の一端を担い、時に冷酷な判断も厭わないベアトリスは尊崇とともに畏怖されていたようである。
ライアンの信頼も得て、所領の振興に力を尽くすとともに、王宮とのパイプ役としてライアンと国王を繋ぐ役割を積極的に果たし、王国に安定をもたらす。
その頃、長男アシュリーが生まれる。帝国で子を許されなかったベアトリスはもちろん、王家の血を引く嫡子の誕生にライアンも家臣領民も喜んだ。
このまま有能な辺境伯妃として順調な生涯を送るかと思われたベアトリスに転機が訪れた。
◯実家の滅亡とポトフ王朝の成立
シャロン戦争後の王権の弱体化に悩んだ王は王宮の強化のため、富裕な小領主の領地取り上げを画策するも、抵抗されて難航。
その隙に以前から王座を狙っていた伯父の大公が王の打倒を号して挙兵した。
当初早急に片付くかと思われていた大公の乱は長引き、王はポトフ軍の増援を求めたが、自領の利害に関係ないとライアンは拒否した様子である。
おそらくその間に入ったベアトリスは苦労したと思われるが、その後の共和国の侵攻への迎撃にはライアンを引き出すことに成功する。
ライアンは共和国軍を粉砕し、沿岸地域を占領、ポトフ領に編入した。
初めて海に面する土地を得て、ライアンはこの統治をベアトリスに任せる。彼女はこの地域の塩業や漁業、また港の建設について王都から人材を誘致し成功させた。
それを見たライアンは、この後の動乱期に内政をベアトリスに委ね、外征に専念する。
その頃、王の突然の戦死の報がもたらされた。この時のベアトリスの心境については、王座を自らの子のものにするチャンスと躍り上がって喜んだとの説と、兄の死を悼み、甥の王子の為に尽くそうとしたとの説がある。
いずれにしても、敵対する大公について兄の仇、反逆者として大々的に世に広め、ライアンの戦いを側面から支援した。
ライアンが大公を討ち取った後は、夫に続いて王宮に入り、兄の遺児である王子の摂政となった夫を補佐。むしろ国政や王宮に慣れないライアンに代わるかのように宰相と協調して国政を動かしたようである。
この後に起こった王子とネラとの婚姻の噂、またライアンなどポトフ家への毒殺未遂から嫡子アシュリーの王への即位は王家簒奪を目論んだライアンとベアトリスの合作との説が有力である。
しかし、廷臣や王都民の反発が強いとしてライアンに国王の座を諦めさせ、旧王朝の血を引く我が子アシュリーを擁立したのはベアトリスの根回しであり、国母として権力を握るつもりだったとの説も強い。
策士としては、王宮や帝国で政争を潜り抜けたベアトリスは地方領主育ちのライアンの一枚も二枚も上だったというのが歴史家の評価である。
ただし、アシュリーを傀儡に権力を掌握しようというベアトリスの思惑とは外れる。
次第にライアンは摂政として自立。ベアトリスと結ぶ宰相を解任し、仇敵シュラスコ家からブライアンを宰相に、また大公家から寝返ったジャレビを軍務大臣に起用、更にベアトリスの影響力のある前王からの宮廷貴族を排除し、領主貴族を重用するなど大胆な人材登用を行った。
ライアンとの暗闘に敗北し、ベアトリスは摂政妃として王宮などに権力を限定され、後退を余儀なくされる。
ライアンは軍事を除き、方向だけを示し部下に政策を委ねたため、ライアン時代は登用された重臣により百花繚乱の如く積極的な施策が行われ、領土拡大も相まって好景気のイケイケの風潮であった。
ベアトリスは内政を諦め、帝国との外交に目を転じる。帝国とのパイプを生かして外交を主導し、帝国に対抗する連合王国の脅威をバックに、半従属国から対等な同盟へと切り替える。
カイツ大戦争の勝利後は、最大の戦果を得たライアンの活躍を最大限に活用して、娘ジュリアを皇太子妃とし、アシュリーの妻に皇女を迎える二重婚姻を強く推進する。
国際的な威信の確立にも熱心であり、ライアンがカイツ大会議で帝国皇帝を抑えて議長を選出された時は、その工作を担い、憮然とする夫を尻目に上機嫌だったと伝えられる。
また、夫婦間のこの頃の逸話としては、故郷ポトフ領からの膨大な陳情を認めようとするライアンに強く反対し、それを止めさせたことも伝えられる。
草創期には役割分担により国を作ってきた夫婦であったが、この頃には、戦功のあった功臣への大盤振る舞い、故郷への優遇など情の厚いライアンと、国の統一、強い王権を第一とし、功臣への報奨も惜しみ、すべてに平等に、時に冷酷非情な処置も辞すべきでないというベアトリスとの間に隙間が大きくなっていく。
◯王母兼摂政として
ジュリアの帝国への輿入れ、アシュリーと皇女との結婚式の後、ライアンは謎の死を遂げる。(→ライアン・ポトフを参照)
この死にベアトリスがなんらかの形で関わっていたというのが通説である。
その動機は、内外とも兵乱が収まった今、ライアンの存在は不要てあり、自ら権力を掌握するためと言われている。
その際に合わせて慈母として人気の高いシャーリーも邪魔者として始末したと推測される。
彼女が準備を進めていた証拠に、ライアン死去後すぐに大きな勢力を誇っていた宰相ブランアンと軍務大臣ジャレビを呼んで、拘束し、一族とも死罪としたことが挙げられる。
この時、ブライアンは「ライアン様に処せられるのであればシュラスコ家としてはやむを得ないが、あなたにこのような仕打ちをされる謂れはない」と捨て台詞を吐き、
ジャレビは、「ライアン様死去の報を聞いてすぐに挙兵し、この女狐を殺すのであった」と嘆いた。
その後も、ライアン股肱の重臣や有力領主貴族などを粛清。有力武官は半減したと言われる。
代わりに冷遇されていた宮廷貴族を起用し、自らの手足として、王国の諸制度を作り上げる。
ただし、ライアンと異なり、彼女は登用した家臣であっても大禄を与えず、一時金は与えても所領は小さいままであった。
この後のポトフ王朝の特徴である権力と封録を切り離す施策は彼女が講じ、それにより王権は安定したと言われる。
ベアトリスは華やかなライアン時代に区切りをつけ、世の中の風儀を正し、整理整頓を行ったと評価される。
寛容なライアンのもとで、力を頼みに野放図に振る舞っていた領主や騎士達も取り締まられ、剣一本から貴族に成り上がることもなくなり、能吏が着々と昇進していく時代となる。
世の中は剣よりもペンの時代となったことが彼女の治世の特徴である。
(最期)
アシュリーを傀儡の王として、10年の統治を経て、ベアトリスは最後の目標としてシャーリーの子であるネラとテッドに目をつける。
ネラはポトフ領と辺境伯を、テッドは大公位と旧共和国の要地を与えられていた。
彼らが手を結び、更にライアン愛顧の領主が加われば王都も危ない。
アシュリーに相談すると、彼は兄弟一族は藩屏であり、そんな心配は不要と熱心に説くが、老いてきたベアトリスは猜疑心が強くなっていた。
この時のベアトリスには、ライアンとシャーリーを殺害したことへの復讐を恐れる考えがあったという説もある。
ネラとテッドに、ライアンとシャーリーの10年忌を行うと呼び寄せ、拘束するのが計画であった。(殺害まで企んでいたかは不明)
しかし、その直前にアシュリーの命により近衛兵が動員され、ベアトリスとその側近、また彼女の重用する重臣を捕えた。
万事に慎重で、それまで母に従順だったアシュリーのクーデターの背後には、義母と折り合いの悪かった妻と、兄弟に強い影響力を持った長姉ネラの存在が挙げられる。
ベアトリスは捕えられた後、面会したアシュリーに、「全てはお前のためだったのに、それもわからないとは不肖の息子め!」と罵ったと伝えられる。
アシュリーは王宮に残るベアトリスの勢力に配慮して、緩やかな軟禁にとどめていたが、その隙に乳姉妹コニーの手引きでベアトリスは逃亡する。
行き先は、娘の嫁ぎ先である帝国。
そこで外交交渉か兵を借りて王国の権力を取り戻すつもりであった。
追手を逃れて、帝国の宮廷に辿り着き、賓客として扱われたベアトリスは我が策成れりと思ったが、そこで出迎えた娘の皇妃ジュリアはその提案を冷たく拒否した。
「4人の兄弟姉妹は団結するようにというのがお父様の遺言。母上のことは兄上から連絡が来ている。今、帝国と王国は友好関係にある上に、これまで帝国を圧迫してきたあなたを支援する人もいない」
母を冷たく突き放す、帝国史に残るジュリアの言葉である。
失意のベアトリスは王国に護送されて、王宮近くの修道院に入れられる。
外部には出られないが、その中では自由に行動ができた。アシュリーは母のために贅を尽くした調度品や高級食材を用意させ、何不自由なく暮らせるように配慮している。
なお、ベアトリスは王族の誇り高く、それに見合った高価なものを求め、ライアンに贅沢と言われても気にしなかった。高貴な者は良い物を使う権利と義務があると言うのが彼女の言い分である。質素なシャーリーと対照的であり、それも悪評の一因となる。
修道院で物質的には豊かに晩年の10年を暮らし、ベアトリスは死去した。
生活には不自由しなかったが、権力は失われ、訪ねてくる人も少ない静かな暮らしであった。
この間、アシュリーの失政と自らの復権を虎視眈々と狙っていたという説があるが、アシュリーは堅実に父と母の遺産を受け継ぎ、隙を見せない安定した統治を行った。
乳姉妹コニーがしばしば子や孫を連れて面会に来ると、「ポトフ辺境伯妃のままであれば、孫に囲まれて余生を過ごしかしら」と呟いたと記録に残る。
(人物・後世の評価)
ポトフ王朝のベアトリス派の公式見解は事実のみの極めて短いものである。始祖ライアンの正室、後の王室の先祖であるとともライアンの殺害嫌疑があり、評価に困惑した様を映している。
ベアトリスの評価は政治的な問題ともなり、史家には高評価、悪評とも処罰された者も出ている。
民間の伝承や創作では、その後の男性優位の価値観により、兄と甥、夫と寵妃を殺し、子供すら殺そうとした、権力欲に塗れた悪女という評価が定着していた。
近代になり、言論の自由が認められると、稀代の悪女の評価の他に、王朝の基礎を固めた冷徹な政治家として高く評価されるようになる。
更に現代では、偉大な女王として女性政治家から理想化され、フェミニストは女権向上をスローガンとして、ベアトリス党を創立している。
歴史研究の進展からは、ポトフ王朝は初代ライアン、二代王はベアトリスというのが定着しつつあり、ベアトリスに王としての諡を贈るべきではないかと議論されている。
俗には、ライアンが捏ねた粉をベアトリスがパンに焼き、アシュリーが座って食べたと言われる。
ライアンが荒々しく作った国を、卓越した手腕で整理し、長続きする体制に整えたのが彼女の最大の功績であろう。
また、近年の史料の精読からは、甥の王子の死罪やライアンの死去への関与の根拠にも欠けることが指摘され、稀代の悪女という説も揺らぎつつある。
(民間伝承など)
王朝時から、ライアンとベアトリス、シャーリーの関係は関心が高く、創作物の定番であった。
昼の妻にはしっかり者のベアトリス、夜の妻には尽くしてくれるシャーリーが良いというのが良く口にされる言葉である。
これは、世の男の理想の妻は、昼は自分の代わりに働いてくれて、夜は自分に尽くしてくれる女であり、ライアンは2人を妻に持つことで、それを実現したと意味であるが、冗談の類である。
また、ある哲学者は若者達にこう言った。
「結婚したまえ。
良妻を得れば幸福になれるし、悪妻を得られれば哲学者となれる。そして両方を得られれば覇王になれる」
庶民の小話もこの3人は定番の登場人物である。
最近ではイクメンの風潮の中、昼はベアトリスに追い使われ、夜はシャーリーに育児の手伝いを迫られ、夫2人分働かされているとぼやくライアンがマンガとなっていた。
二人の妃では、民衆の人気は昔から一貫して圧倒的にシャーリーが上であり、彫像や絵画でライアンと対になっているのはほとんどがシャーリーである。
ベアトリス贔屓は天邪鬼か捻くれ者というのが相場であったが、昨年の大河ドラマは初めてベアトリスが主人公となり、世の中を驚かせた。
そこでは、王族として国に尽くすべく自己研鑽を積み、故国の為に歳の離れた皇帝に心通わない結婚を強いられる。死別して帰国後は見知らぬ田舎の荒武者へと再婚するも、夫はすでに寵妃がいて愛は得られない。
心の拠り所の実家は崩壊、産んだ子供もライバルの寵妃に奪われ、得られぬ愛を諦め、生き甲斐を政治に求め、次第に権力に溺れていくという悲劇の女性として描き、話題となった。
ベアトリスは多面的な顔を持っており、時代によって大きく描かれる姿が変わるという意味では、ライアンやシャーリー以上に興味深い。
今後も新たなベアトリス像の出現が期待される。
********************
やはりベアトリスは苦心しました。彼女は見る人によって全然評価は変わると思います。
最近の大河ドラマ向けと思ったのですが、いかがでしょうか?
結構描き尽くした感じで、一旦完結にします。リクエストのあった子供たちは需要ありますかね?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます