怪しい男の出現と夫婦の立ち位置の違い
大公の挙兵の知らせの少し前のこと。
狩りを楽しむライアンのところに怪しい男が連れてこられた。
「この男不審であり捕らえましたが、ライアン様に話があるとのことです」
上から下まで縛り上げられた矮躯の男を見て、ライアンは
「狩りの休憩時間をやる。つまらん話ならすぐに殺すぞ」
と言って、話を促した。
「我は大公様の使者。これは大公様からの挨拶状である。
そこには挨拶しか書かれていないが、大公様におかれては現国王の悪政を見かねて挙兵をお考えである。
その際、辺境伯におかれてはこちらに味方せよ、
さすれば、侯爵と宰相の地位とともに、大公様のご令嬢を嫁がせようと言われている。
姫君は十七歳、勿論初婚で評判の美女であり、どこやらの再婚で三十路近い王女とは大違いだ。
ありがたく承諾し、我の縄を解き、謝罪するが良い」
貧相な身体で傲慢に胸を張る使者の話を無視して、ライアンは周囲に
「お前達、水を飲んだか?狩りを再開するぞ」
と確認して、馬に乗ろうとする。
「待て、何が不満なのだ。
これで足りなければ大公様の養子として王太子としても良いと言われている。
どうだ!」
使者が喚き立てるのに、ライアンはそっぽを向いて返答する。
「オレは既に王と手を結んでいる。
今さら大公に乗り換える理由もない。
それに小便臭い小娘の相手は結構だ。
うちの女狐ほどの能力もなかろう。
もうお前にやる時間は終わった。さっさと去れ」
「ハッハッハッ、やはりこんな話には乗らないか。
それでこそ近年稀に見る英雄、ポトフ辺境伯。
我の見込んだ男よ」
これまでの傲慢な姿勢をかなぐり捨て、使者は態度を豹変し、貴顕に仕える恭倹な礼をとる。
「辺境伯殿、我は貴公と話をするために、殺される危険を犯して来た。
我にわずかな時間をいただけないか」
突如態度を変えた使者に面白みを感じたライアンはそれを認め、縄をほどいてやる。
「我は大公の家臣、ジャレビ。と言っても地下からの成り上がりよ。
今回の命懸けのこの仕事を成功できれば重臣の端くれとなれる。
さて、辺境伯殿は王女を娶られ、王と姻戚関係となられたが、その意味をおわかりか。
富裕な財政、屈強な武力、それに加えて王家の血を引く嫡男を得られた。
これが揃えば、王家の簒奪がいつでも可能ということだ」
ジャレビという男、諄々とわかりやすい説明を始める。
「オレは王など面倒なものになる気はない。
その気ならば王都を包囲した時に王家を滅ぼしている」
ライアンは下らぬことを言うなとばかりに言い捨てる。
「貴公のことは調べさせてもらった。そのお考えは承知している。
しかし世の中はその意図ではなく、できるかどうかが問題なのだ。
いつでも自分にとって代われる存在を王がいつまでも許すと思うか。
今の王は内外とも危ないため、貴公を持ち上げ、飾り立てて利用しようとするだろう。
しかし、決してこれ以上の実権は渡すまい。
半年間の王都滞在で名誉職以上のものを与えられたか?
何か国事の相談を受けた覚えがあるか?」
確かに祭り上げられ、あちこちで使われるだけ、実費すら支払いを渋られたことをライアンは思い出す。
「その表情、我の言葉に思い当てる節があるだろう。
いわば王にとって、貴公は実力がありすぎて厄介な用心棒、いや猟犬か。
このままでは、王の義弟などと持て囃されて、内戦や外征に駆り出され、力を使い果たし、王家の力が回復したところで取り潰しになろう。
その未来が手に取るようにわかる」
滔々と話すジャレビにライアンは反論する。
「つまりお前の言いたいことは、だから王ではなく大公につけと。
しかし、それは大公が王になっても同じだろう」
「呵呵、その通り。
そして大公は貴族至上主義。
我の如き地下の出の者は勿論、辺境伯のような外様なども眼中にないお方だ。
辺境伯殿、どうだろう。我と手を組まないか。
今、王と大公の勝敗の鍵を握るのは貴公。
しかしどちらに大勝されては貴公も困る。
その貴公とのパイプ役を務めれば我は出世し、大公の動向にも関与できる。
お互いに利用し合い、この戦いをコントロールするのは如何か。
まずは大公を攻める近衛軍に加勢をしないという約束をもらいたい」
その言葉でライアンは考えた。
(この男の話は一理ある。
王と大公どちらが勝とうがポトフ領にとっては関係ない。
そもそも王や宰相はオレを飾りに使うだけで、大公との敵対の話も聞かされていない。
ならばオレが大公と約束してもよかろう。
この男、怪しいが、能力と度胸は買っても良い。
今は少しでも選択肢を増やしたい)
「よかろう。
大公と友好関係を保ち、互いに敵対しないように努めると約束しよう。
そんなところでどうだ」
そう言ってライアンはニヤリとする。
「それだけいただければ十分。
ただ、会談をした証に大公への挨拶状をいただきたい」
ライアンがサラサラと書いた手紙を胸に入れると、ジャレビは姿勢を正し、別れの挨拶をする。
「最後に一つ。
余計なことかもしれぬが、ご正室の言葉には注意しなされ。
ご正室は聡明な方と聞くが、その立場は婚家と実家の両立。
ポトフ家の繁栄だけが目的の辺境伯とは異なろう。
ご正室の言葉を鵜呑みにせず、ポトフ家の利害から考えるべきですぞ」
そう述べるとジャレビは矮躯の身を翻して、去った。
「ライアン様、ベアトリス様に相談せずにこんなことをしてよろしいのですか?」
家臣が不安そうに尋ねてきた。
「あの男の言う通り、ベアトリスは有能だが、ポトフ領に加えて実家の王宮の利益も図っている。オレ達とすべてが共有できるわけではない。
アイツは王宮とポトフ家を一蓮托生と思っているかもしれないが、オレはこの所領が守れれば王など誰でも構わん。
そもそも王はオレにたくさんの官職をくれたが、何か国務のことを相談されたりした覚えはない。
それならばこのくらいの口約束なんてことはないだろう」
ライアンはそう言い捨てる。
しばらく領政をベアトリスに任せておいたためか、彼女の意向を伺う意識が強まっている。
それはそれでライアンが居なくても回るということは喜ばしいが、主が誰かははっきりさせておく必要がある。
ベアトリスには、これまでもポトフ領のことをすべて明かしてきてはいないが、子が生まれてからは気を許し、その言葉を鵜呑みにする傾向があったかもしれない。
王家の強化に協力するベアトリスと、ライアンの目指すものが両立するのかを考えてみる必要がある。
このあとの狩りには身が入らず、獲物はなかった。
狩りが終わり、館に戻ったライアンのところにベアトリスが訪れ、強張った表情で切り出した。
「少し話があるのだけど」
「オレもあるが、お前から先に話してくれ」
ベアトリスの話というのは領内の財政のこと。
ライアン不在の間に領地の財政を洗い出してみると、鉱山からの収入は見当たらず、新規産業の投資や赤字補てんなどにライアン個人からの貸付が入れられている。
「鉱山の総支配人に収支報告を出せと言ったら、ここはライアン様の個人財産。たとえご正室でもお見せできませんと言われたわ。
この領内の財政を知る上で最も重要である鉱山の収支を知らせてもらえないかしら」
ベアトリスの話を聞き、ライアンは即答した。
「ダメだ。
あれは辺境伯家の公的なものではなく、オレ個人の財産だ。
必要な時にそこから出る金を辺境伯家に貸し付けている。
ベアトリスにも実家から持ってきた財産があるだろうが、いくらなのかオレは知らん。
それと同じことだ」
「鉱山がポトフ領の命綱なのは知っているわ。
それを知らせないのはつまり私を信用してないということなの?」
形のいい眉を寄せて不機嫌をあらわにするベアトリスの言葉をライアンは笑い飛ばす。
「おいおい、今さらお前に言うまでもないが、貴族の政略結婚なのだから、互いの立場は異なる。
それをすり合わせていくのが夫婦の仕事ではないか。
お前が実家の王家を支援することも、お前の連れてきた侍女達が当地の情報を王宮に流していることもオレは黙認しているぞ。
しかし、オレの仕事はポトフ領の安全と繁栄。
この地の重要案件をすべて明かすわけもあるまい。
正直王家がどうなっても知ったことではないが、お前の立場も考えてそれなりに対処してきたつもりだ。
それで納得できないか」
夫の理屈だった説明に、いつもは弁の立つベアトリスも言葉がない。
しかし、その後にライアンが話した、大公との使者との口約束には激怒した。
勿論ライアンは詳細は話さずに都合の良い話だけをしている。
「どうしてそんなことをするの?
王家と大公家の対立関係は知っているでしょう。
すぐに取り消して!」
「オレは半年王宮に居たが、大公と仲良くするなと言われたこともないし、戦のときの助力も乞われたこともない。
もったいつけた役職はたくさんもらったが、国事のことを教えてもらうことも相談されることもなかった。
それならば友好関係を持ちたいという大公の意向を断る理由もあるまい」
「それは詭弁よ!
近いうちに大公とは戦争になると私は見ている。
その時に王家のバックにポトフ家がいるかどうかは大問題になるわ」
ベアトリスが必死になって掻き口説くが、ライアンは冷然としていた。
「大公との対立は王が何とかすることだろう。
お前を正室に迎えた義理はあろうが、それは半年も王の言うがままに働いてやり、もう済んだはず。
これ以上汗や血を流せというなら、その対価を見てからだ。
言っておくが、王の妹が正室だからといって、オレは王家の為にただ働きをするつもりはこれっぽっちもないからな」
理屈はライアンの言う通り、貴族社会ではことによれば、妻の実家との戦争などすらもあることだ。
しかし、ここまではっきりと王家とベアトリスへの距離を示されたことはなかった。
「ライアンの言う通り、私の役割は王家とポトフ家との橋渡しよ。
だから、王家が窮地にあり、ポトフ家が余裕があれば助けてくれてもいいんじゃないかしら。
今のポトフ家が王家に付けば、各地の領主貴族も靡くし、確実に大公を圧倒できるわ」
ベアトリスは頼み込むように言うが、ライアンの態度は変わらなかった。
「そうする必要性もメリットも感じられないということだ。
ベアトリスとの結婚で王家と手を結んだことは示したし、義弟と呼ばれてあちこちで仲の良い義兄弟も演じてみた。
だが、ポトフ家の命運を王家に預けるわけには行かない。
正直なところ、オレは半年間の滞在で王宮の綱紀の緩みや人材の払拭を見て、今後の王家の行方を危うんでいる。
まして小領主すらさっさと制圧できない国王に賭けるのは危ない。
ならば大公ともパイプを持っておきたい。
オレとポトフ家を使いたいなら、その実力と見返りを示してくれ」
話は終わったとライアンは去っていくのを、ベアトリスは呆然と見る。
王都に行かせて、兄王と行動させれば王家寄りの心情になるかと思ったのが、逆効果のようだ。
ただでさえ王都にいい感情を持っていないライアンに対して表面だけの歓迎をし、彼をいいように使い、挙げ句にその実力の低下を見破られて愛想を尽かされたならばお笑い草である。
(私も行くべきだったか。
しかしそれではこの領地の統治者がいなくなる。
でもライアンがあそこまで王家を冷たく見限っているなんて。
最近は私の言うことによく耳を傾けていたのに、突然の強硬な態度。
その使者がよほど巧みに口説いたのか)
王都の荒廃により税収が低下して給与の遅配が当たり前となる一方、これまで領主貴族に課していた軍役も空文化して治安維持も近衛軍などの役割となり、仕事は増える。
更に長年政権を牛耳っていたシュラスコ派の一掃により人員も不足している。
ようやくシュラスコ公爵を倒した王は能力よりも忠誠心に重きを置いており、能力があっても親族にシュラスコ派がいれば登用されない。
宮廷貴族の一部は王宮に見切りをつけて、領主貴族へ仕官し始めていた。
ここポトフ家にも多くの有能な宮廷貴族がやって来て雇われている。
弱体化した実家の王家をポトフ家の力で支援し、強い王家とそれを支える辺境伯家がベアトリスの目指すところであったが、ライアンはそれを否定しているようだ。
ようやくポトフ領に馴染み、子どもも産まれたベアトリスは、夫からこの地をとるのか、実家を取るのかを迫られている気がした。
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太閤記を読んでいたので、秀吉みたいな男を出してみたくなりました。
その結果、内戦まで話が進まずです。
こんな寄り道をするので、話が長くなると反省。
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