シャロンの闇と嫡男の誕生
ベアトリスは、自分の懐妊をライアンがどう受け止めるか心配だったが、彼は喜んで受け入れていた。
「オレは家族がいない。
一人でも多くの子供がいて欲しい」
シャロンも調子がすぐれないと医者に診てもらうと懐妊がわかる。
「ようやくオレの人生も順風満帆になってきた。
いきなり当主にさせられてから戦争と内政に苦労し続けてきたが、これからは領地を発展させながら、家族や領民とのんびり生きて行くぞ」
ライアンはベアトリスと食事している時に、初産の彼女を労わりながら、幸せそうにビールを飲んでそんなことを話した。
ベアトリスは領地の人々や慣習に慣れて、願っていたようにライアンの代理として領内の政治も任されるようになってきた。
一方でベアトリスは初の妊娠で不安があった。
悪阻などの体調もそうであるが、王族ですぐに乳母に預けられて、父母兄弟とも離れて暮らすのが当たり前だったので、ポトフ家での子供との距離感がわからない。
王族は幼くとも人質などに出されることもあり、情に流されないよう家族で共に暮らすことはない。
従ってベアトリスもさほどに父や母への愛着はなく、むしろ乳母や乳姉妹のコニーに情がある。
しかし、中下級貴族は庶民に近く、家族で暮らし、愛情も深いと聞く。
ポトフ家もそのようであり、最初の子であるネラは乳母はいるものの基本はシャロンが育て、見かけによらず子煩悩なライアンも育児に参加しているようだ。
ベアトリスはお産や育児のことを聞くために、シャロンやネラを呼んでお茶会を開いたりして、彼女達との懇親を深める。
シャロンは側室として公式な場ではベアトリスを立てて、自分は慎まやかにライアンと子供の世話に専念していた。
(この娘が政治的野心がなくて良かったわ。
世継ぎについても私と対抗する気はなさそうね)
王族の血を引く我が子と没落貴族のシャロンが産んだ子とでは全く立場が違う。
それは誰もが認めることだが、ライアンは常識に囚われない。
王族の血を引くことをさほど重視していると思えない。
かといってシャロンの子を贔屓にすることもなく、おそらく軍才やこの領地をうまく統治できるかで決めるのではないか。
(まあ、私の子が無能なはずはないわよね)
自信家のベアトリスはまだ見ぬ我が子を信じる。
同時にシャロンと話すことが増えたベアトリスは、一見おとなしく儚げな美女である彼女がその実ライアンについては異常なほどの執着を示すことを強く感じる。
彼女は、旦那様が私の全てですとしばしば真剣な目つきで言う。
可愛がっているネラですら二の次、ライアンに捨てられたら我が子すら置いて死ぬのではないかと思わせる危うさがある。
さて、順調な家庭生活とともに、領地の改革も進んでいる手応えを感じていたベアトリスは市場の開設をライアンに提案する。
「ライアン、ポトフ領の人も増えてきたし、色々な生産も始まってきた。
これまでは行商人が来て売買するだけでしたが、月に一度でも市を開けば領民も喜び、生産の励みにもなりましょう」
彼女の言葉にライアンもすぐに反応する。
「それはオレも考えていたが、どうやって商人達が来てくれるかがわからなかった。
ベアトリスに伝手があれば是非お願いしたい」
これこそ自分の出番と、広い人脈を持つベアトリスは王都のギルドや各地の貴族やその夫人達に協力を頼んだ。
収穫後のある日を初の市の開催日とする。
その当日、天気にも恵まれ、領主館の近くの広場を使った市は領内はもちろん近隣からも人が集まり、大盛況となる。
商人の持ち込んだ物だけでなく、領民の一部も食べ物やビールや日用品や装飾品などの生産物を売る。
更にその日は収穫祭を兼ねており、旅芸人の演芸や物語り、演奏、また領地の内外の男たちの弓矢やレスリングの競技、女たちの料理や裁縫比べもある。
市は大賑わいで、酔っ払ったり喧嘩も出てきた。
自然と本部長となったベアトリスは、来訪した貴族や商人の接待とともにその対応にも追われる。
社交嫌いのライアンは最初に挨拶すると、後は任せたと言って、シャロンとネラを連れて祭りを楽しみに行っている。
(今日は仕方ないか。
そのうちに埋め合わせをしてもらわなきゃ)
多忙の中、そうベアトリスが思っているところに急報が来た。
「シャーリー様が重傷を負われました!
犯人はライアン様が捕らえられ、首を刎ねられています!」
何事かと現場に急行する。
騒然とする中、ライアンが血だらけになったシャロンを手当し、抱き上げていた。
隣には泣き出しているネラを強張った顔の乳母が強く抱いている。
その前には男の首と身体が血溜まりの中に置かれている。
周りには真っ青になった数名の商人達が縄で縛られ、更に項垂れた女性護衛兵が並んでいた。
ライアンの顔は険しく話しかけられる様子ではない。
「何があったの?」
近くで警戒している家臣に尋ねる。
彼が言うには、ライアンが勝ち抜きレスリングに飛び入り参加し、シャロン達が観戦している時のこと。
シャロンは、女護衛兵が屋台を見たそうにしていることに気がつき、暫し休憩を与え、この場所にはシャロンと乳母とネラだけになった。
その時に酔った商人達がシャロンに絡み、その被っているヴェールを上げて顔を見て、ニヤニヤして更にその頬に触ったところ、シャロンは男の手首を切り落とすとともに、返す刀で自らの胸を刺したとのことだった。
乳母とネラの悲鳴を聞き、ライアンが駆けつけ、直ちに男の首を刎ね、更に周りにいた男の仲間たちを束縛した。
(なんてことを!
いくら酔ったとはいえ娼婦でもない既婚女性、それも貴族の夫人に戯れかけるとは言語道断。
しかし、シャロンもいきなり自害を図るとは何を考えているの!)
その捕えられたメンバーはギルドの大店の手代たち。
質素な身振りのシャロンを、田舎の貧乏騎士の妻とでも思ったのだろうが、しかしその結果は大きすぎた。
「こいつらは木に縛り付けて獣に喰わせてやれ!
そして、護衛の仕事を果たせないお前達。全員処刑だ!」
静まり返る中、怒り狂うライアンの声が響き渡る。
「ライアン、落ち着いて。
まずはシャーリーの命でしょう。
医者を呼んだわ。手当してもらいましょう。
ネラ、こっちにおいで。
怖がらなくていいわ」
倒れている母親の側にいるのは良くないとネラを保護し、下がらせる。
ベアトリスの意を受けてコニーはすぐに医者を連れてきた。
幸い急所を外れていて、血は流れてもシャロンは軽傷であった。
「旦那様、申し訳ありません。
他の男に顔を見られ、触られてしまいました。約束を違えた責を取らせていただきます」
シャロンは気がつくとはっきりしない言葉でそう呟いた。
「馬鹿!
あんたはネラもいるし、お腹に子供もいる。そんなことで死んでどうするの!」
ベアトリスは怒鳴りつけた。
「その通りだ。
お前の命はオレに捧げたのだろう。
オレがいいと言うまで死んではならん」
シャロンの命に別条がないことに安心したライアンは、そう言って彼女を館に連れて行かせる。
残るは処罰である。
商人と女護衛兵を連行する。
ベアトリスは静まった会場を盛り上げるために、領主の奢りでビールや食べ物を振る舞う。
(ギルドから派遣された手代を処刑すれば次回からは来ない可能性がある。
護衛は職務怠慢だが、殺すほどではないでしょう)
ベアトリスはようやく落ち着いたライアンと交渉して、商人を鼻削ぎと巨額の罰金、女護衛兵を一年の鉱山労働とさせる。
「ライアン、シャロンはあなたへの執着が度を過ぎている。あれは病んでいるわ。
暫く少し距離を置き、頭を冷やさせればどう?」
ベアトリスはそう提言するが、ライアンは首を横に振る。
「引き離せばアイツは死ぬかもしれないし、オレもアイツから離れると不安になる。
あの寝取られ事件からお互いにおかしくなっているんだろうな。
死ぬまでオレとシャロンは離れられない運命だ」
「シャロンがあんたの運命の相手なの。
ならば私は何なのよ」
「ベアトリス、お前のことは領主貴族のオレにとってかけがえのない、得難いパートナーだと思っているぞ」
ライアンはそう言ってシャロンの様子を見てくると去る。
ベアトリスは少し頬が赤くなっていることに気がついた。
(ライアンがようやく認めてくれたのね)
ベアトリスは運命の相手と言われるよりも共に責務を果たしていくパートナーと言われた方が嬉しかった。
その方が王族として生まれ教育された自分には相応しい。
しかし、ライアンとシャロンの関係は病的と思いつつも少しだけ羨ましさを覚えた。
公私とも充実したベアトリスに兄王から王室付きの腕利きの産婆とともに手紙が送られてくる。
その内容は懐妊した妹への祝いとともに、内外の情勢が風雲急を告げるものとなってきたことを告げるものであった。
王国の騒乱を見た隣国の共和国が動き出し、その国境がきな臭くなっている一方、国内では国王の叔父である太公が蠢動しており、危うい情勢になってきたと書いている。
(あの叔父、兄の立太子の時も騒いでいたものね。外を収めるべしとして帝国と手を結ぼうとしたので皇帝に嫁がされたのよ。
今度は共和国か。
帝国よりも弱小だが、内外で騒がれれば油断はできない。
とは言え、すぐに戦争でもなさそうね。
芽のうちに摘んでおきたいということか)
ベアトリスは自分に期待される役割を考える。
一つは旧縁を辿って帝国との誼を強化すること。
幸い現皇帝には、後継者選びの時に当時皇妃だったベアトリスが推したという貸しがある。
これを使って敵対させないことだ。
もう一つは王とライアンの緊密な仲を示して、太公に付く貴族を減らすこと。
戦さとなれば国内最強のポトフ家は王家に付くとわかるように動くのだ。
そのためにはライアンに王都に行ってもらい、王への忠誠を周りに見せつける必要がある。
領地に引き籠る気満々のライアンをその気にさせられるのかは自信がないが、そもそもベアトリスがここに嫁いできたのはこのような時の為。
ベアトリスはやらなきゃと武者震いした。
帝国への手紙をまず書く。
皇帝とは定期的なやり取りがあるが、今回はその中に、王国との同盟の継続を強調しておく。
正式な使者は王宮から出すだろうから、ベアトリスはそれを補うのが役目である。
実際のところ、帝国の中も反皇帝派がいて、国外出兵なとは難しいだろうと読んでいるが、表向きに友好関係を示してもらうのが大事だ。
(次は、ライアンになんと言って王都に行かせるか)
悩んだが、当たって砕けろとライアンに話を切り出すと、意外にもすんなりとわかってくれた。
「ベアトリスには色々と世話になったから、それぐらいならば容易いことだ。
多数の貴族の前で王に会って仲が良いことをアピールすればいいのだろう」
ライアンはニヤリとして応諾した。
「ただし、お前とシャロンの出産が終わってからだ。
それを見届けてから出発する」
兄王は一刻も早く来て欲しいようだったが、やむを得ない。
また、夫が初産の自分を気遣ってくれることも嬉しかった。
その次の月にベアトリスは陣痛を迎える。
思ったよりも安産であり、緊張していたベアトリスはホッとする。
控えの間に家臣が息を呑んで集まっている中、産婆は大きな声で叫ぶ。
「男のものがついておる。男の子じゃあ!」
おー!
館が揺れるほどの歓声だった。
「跡継ぎじゃあ。
王家の血を引くポトフ家の嫡男が生まれたぞ!」
家老が泣かんばかりに叫ぶ。
「今晩は領主の奢りだ。
好きなだけ飲んで食べ、我が子の誕生を祝え!」
ライアンの声で更に歓声は高まった。
それを聞きながら、ベアトリスは思う。
(この人が子供の誕生を喜んでいるのはわかる。けれど一言も跡継ぎとは言っていない。やはり血より能力で決めるつもりか。
でも、この子が王族の血を引き、嫡男であるということはアドバンテージ。
あとは私がしっかりと教育しよう)
ベアトリスによる嫡男の誕生に王宮や各地の貴族からも多くの祝いの品が届けられる。
そのしばらく後にシャロンも男の子を産んだ。
それはライアンとネラ、シャロンの家族、そしてライアンのごく親しい家臣だけがこじんまりと祝うものであった。
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