ベアトリスの失敗と反省
ベアトリスが嫁いできてから、二人で決めたルールに基づき、ライアンは週に2日は彼女のところに泊まる。
ある晩にベアトリスはライアンに約束を迫った。
「シャロンのことは認めるけれど、それ以上の女は許さないわよ。
いい女が二人もいれば十分でしょう」
貴族の中には娘をライアンの側室を押し込もうという動きがある。
それをベアトリスは王都からの報告で知り、それに乗らないように釘を刺そうと思ったのだ。
「勿論だ。
浮気された辛さはよく知っている。
オレはこれ以上の女はいらないよ。
そうだ、お前が愛人が欲しくなった時は相談してくれ。
托卵はさすがに困るからな」
ライアンはあっさりと答えた。
女色を好む夫でなかったことは幸いだが、最後の言葉は聞き逃さない。
「王族はそういうことは厳しく教育されているの。
そんな心配はいらないわ」
「はぁッ!
どうだか、女は嘘が上手いからな」
(女性不信極まれりね。
シャロンの浮気がよほど応えたのだろうけれど。
言葉で信じなければ行動で見せるしかない。
ああ、だからシャロンはあんなにベッタリしているのか)
全然信じていないようなライアンの言葉にベアトリスは内心でため息をつく。
その話は打ち切り、話題を転換した。
ベアトリスは、新築したばかりの自分の館を、王女の好みに合わせて建て直すということについて、このままで問題ないと話した。
しかしライアンは、建築物の技術を地元の職人が取得するために、王都の建築家の指揮で作り直すと言って聞かない。
一理あるため譲歩したが、新たに作り直す建物を見れば、王女の我が儘と見られることは避けられない。
(うまく追い込んでいくわね。
地元に居づらくさせて王都に帰らせる魂胆ね)
ベアトリスの連れてきた技術者や職人はライアンの手配で活動を始めていた。
それはベアトリスも望むところであったが、その手柄をライアンに取られているのが面白くない。
「私が連れてきたのよ。
私のおかげだとみんなに言いなさいよ」
「わかっている。
領民はみんな王女様に感謝しているよ」
しかし、王都でうまく行っていてもポトフ領には合わないものも多い。
この地に合うかどうか、それを見極めるのはライアンと家臣団だ。
ベアトリスは先日の失敗を思い出した。
その夜は、ライアンが泊まる日でベアトリスが連れてきた料理人が料理を出した。
王都でも美味しいと評判のコックだ。
ベアトリスはこれでライアンの胃袋を掴むつもりであった。
ベアトリス達が美味しいと舌鼓を打つ中、ライアンは一口食べて少し妙な顔をした後は、特に感想なく食べ終え、席を外した。
(この大食漢がお代わりもしないとは。
美味しかったと思うけれど)
周囲の侍女達もとても美味しかったと言っている。
「こんなに美味しいのに、あの大食漢がお代わりもせずに去っていくのは珍しいわね」
「体調がすぐれなかったのでしょうか」
コニーと話している間に中庭が騒がしくなる。
見ると立ち去ったライアンは部下とバーベキューをして肉を食い、ビールを飲んでいた。
後で寝室に来たライアンにベアトリスは尋ねた。
「あの料理、美味しくなかったかしら。
王都のものだから気に入らないの?」
ライアンは鼻で笑って返す。
「王都のものでもいいものは取り入れることは知っているだろう。
あの料理長に伝えておいてくれ。
もう一度チャンスをやるから、よく考えて作れと。
そこで改善しなければこの地には不要だ」
ベアトリスはわからないまま、その言葉を伝えさせた。
料理長は承知しましたと答えて、熟慮した。
三日後、再びライアンが来て料理長の料理が振舞われた。
その日の料理は好評であり、ライアンは美味いと何度もお代わりをし、その料理長は今後ライアンの食事を作るように命じられる。
ベアトリスには違いがわからない。
その後で料理長に聞いてみたところ、彼は少し小馬鹿にしたような表情でこう答えた。
「最初にお出ししたのは王都風の素材の味を活かした上品な薄味の料理です。
次にライアン様にお出ししたのものは、当地の料理を研究して塩や調味料をがっつり使って味付けを濃くしました。
それで気に入られたのでしょう」
ベアトリスの料理はそのままだったのでわからなかったようだ。
つまり料理長は暗にライアンのことを王都の料理のわからない田舎者と言っている。
なるほどとベアトリスは思ったが、ライアンが怒るだろうと黙っていた。
しかしそれが何処からかライアンに聞こえたらしい。
「田舎者に王都の味はわからないか、王都人はそう思うのだろうな。
ここではみんな汗をかいて働いている。濃い味付けを好む理由がある。
王都であの薄味は散々食べたが、オレや家臣には合わない。また、この地でこの味を食わせるのかと思った。
この地で生きるなら、ここのやり方に合わさなければ不要だ。
あの料理長は変われたが、他はどうかな」
田舎者と言われたことを怒らずにライアンはそう語った。
(バカにしてようが、役に立つなら受け入れる。そうやってここにきた者たちを観察しているのね。
そしてそれは私も試されているということか)
王都から来たとか、王族や貴族だからとありがたがらずに、自分たちの役に立つかで判別する。
ベアトリスは、自分や配下がライアン達の目にどう見えているのか、戦慄する。
それからポトフ領では様々なことが試される。
特にライアンが重視したのは治水や灌漑、農業であり、農業技術者は優遇された。
「金銀があっても食えなければ仕方ない」
ライアンは山間部のポトフ領は地味に乏しいことから、ベアトリスの持ってきた麦ではなく、芋や蕎麦を植え付けさせる。
ベアトリスの勧める王都風の薄手の服は、王都よりも気温の低いこの地では合わなかった。
更に帝国で売れている毛織物や陶磁器の製作や輸出を提案するが、ライアンは領地の実力を見ろと諭した。
「人口も少ない、技術の蓄積もない。
ここでできることは限られている。
お前は自分の派手な策を成功させたいのだろうが、オレは領民の暮らしを少しでも向上できれば十分。
食べ物がいつもある、服や日常品が良くなった。
その程度のことをやりたいだけだ」
ライアンはあちこちの現場を走り回る中、ベアトリスも現地に赴くが、迷惑がられていることはすぐにわかった。
ベアトリスが出かける時には、お供が十人程度は付き、馬車で出かけ、万全の受け入れを求める。
現場では作業の邪魔であり、ライアンのようにアドバイスをくれるわけでもなく、かつしばしば礼儀がなっていないと側近に叱責される。
それは王都での王族の外出のやり方であり、ベアトリスもそんなものかと思っていた。
ベアトリスが工事現場を見て帰る馬車の中で、背後から「あの王女様のせいで半日分の仕事が台無しだ、さあこれから馬力をかけろ!」
と監督の怒鳴り声が聞こえてきた。
叱りにいこうとするコニーをベアトリスは止める。
(王女と持ち上げられても私は何にも役に立たないなあ)
これまで王都でも帝国でも巧みな社交術や弁論で持て囃されてきたベアトリスの初めての挫折である。
ベアトリスの連れてきた随行もこの地に馴染めない者は帰り始めた。
自分が重用されない、田舎すぎる、風習が馴染めない、理由は様々だが、半分はいなくなった。
ベアトリスにとって、更に深刻なのは一年近く経っても妊娠の兆しが見られないことである。
もう二十代後半であり、はやく身ごもりたいという焦る気持ちをわかり、ライアンも協力してくれるが、成果が現れない。
「やはり、私は石女なのかしら」
「何をおっしゃいますか。
まだ何年にもなりません。十年経って生まれたという夫婦もいます。
姫様は必ずお子を生まれます」
コニーは励ましてくれるが、ベアトリスは公私とも思い通りにならない現実に憂鬱になる。
それに対比するように、シャロンとネラは領内の評判が上がっているようだ。
「もう王都に帰ろうかしら」
王都に帰ると言えば、ライアンは喜んで王都に贅沢な屋敷を建ててくれるだろう。
「姫様、ここでおめおめと引き上げれば辺境伯に思ったとおりと笑われるだけ。
私の知っている姫様はそんな負け犬ではありません!」
コニーに激励され、もう一度頑張ってみようと思い返す。
自分に何ができるのか、そこでまずはシャロンが何をやっているかを調べてみる。
彼女はライアンとともに現地に行った際には、炊き出しをしたり、お菓子を作って差し入れを持って行ったり、喜ばれるようなことをしていた。
ライアンの命で顔が見えないようにヴェールをつけているが、彼女が来ると士気が上がるという。
ベアトリスは供を最小限に減らし、自分に知見がある衣服の作業するところの見学から始める。
自分でも試しにやらせてもらう。
服や身体が汚れても構わない。
コニーは止めるが、ベアトリスは言い聞かせた。
「ここは王都ではなく、私は王女でなく辺境伯夫人よ。夫が現場で泥に塗れているのに、私が埃一つつかないなんてありえないでしょう。
王女や姫と呼ぶのもやめなさい。
いつまでもお客さんのようだわ」
衣服を作る女性達と話をすると、王都での流行への関心は高く、ベアトリスの話を食い入るように聞き入る。
(最初から壁を作らずに領民に溶け込めばよかった。
王女といって行列を作り、知りもしない礼儀を守れと言われれば誰もが敬遠するわよね)
ライアンはベアトリスの変わりようを気にしていないようだったが、ある晩にぼそっと「頑張っているようだな」と漏らす。
ベアトリスには何よりの言葉であった。
ようやくベアトリスの時計の針が回り始める頃、シャロンが真っ青になって飛び込んできた。
「ベアトリス様、ネルが高熱を出しています。
何卒王都から良いお医者を呼んで貰えないでしょうか」
ポトフ領には年寄りの薬師がいるばかり。
ベアトリスは直ちに兄の王に手紙を書き、それを持たせてライアンは王都に急使を出した。
ネラの看病にシャロンが付いているが、ベアトリスには王族の心得として多少の医療ができた。
「シャーリー、私に少し診させて」
看病に付いていたシャロンの妹が、姉の敵と見てネラに触れさせまいとするが、ライアンは認める。
「ベアトリスはネラを可愛がっている。
診てもらえ」
ベアトリスが手元に持っていた解熱剤を与えると熱が下がり、安眠した。
「ベアトリス様、ありがとうございます」
シャロンが跪いて感謝する中、王都から医者が到着する。
医者はネラを診断して、流行病だとして薬を出し、安静にしていれば大丈夫、命に別状はないと言う。
安堵するライアンとシャロンを他所に、ベアトリスは体調が優れないのを見てもらった。
「御懐妊されています」
最近あちこちに出かけて、妊娠しなければという思いを忘れていたのが良かったのか、思いもかけない言葉であった。
ベアトリスは知らず知らずに嬉し涙を流していた。
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