第一子の誕生、ベアトリスの焦り
ライアンの結婚式の頃、シャロンは難産に苦しんでいた。
「ライアン様に似て、赤子が大きいようです。シャーリー様は小柄のため、難産になっています」
産婆はそう診断し、周囲を囲む人々に告げる。
周りには、シャロンの家族の他に、家老や侍女長などライアンの家族代わりと言える人たちがいる。
シャロンのことは嫌っていても、ポトフ家の血を継ぐ子供の誕生となれば重大事だ。
「旦那様・・」
朦朧とした意識の中、シャロンはライアンを呼び続ける。
彼女は、ライアンが王女との結婚に出掛けてから精神的に不安定となっていた。
愛する男が他の女と結婚する、それも相手は自分では太刀打ちできない王女である。
ライアンが王女と親しげに話したり、ましてや同衾することを想像するとシャロンは耐えられなかった。
(旦那様が自分以外の女性と愛し合うのがこんなに辛いなんて。
今更だけども私の浮気で旦那様がどんなに傷ついたか改めてわかりました。
申し訳ありません)
不安定な精神と難産が重なり、シャロンは急速に衰弱する。
それでもライアンとの子供を産まなければ、その一心でシャロンは自分を奮い立たせた。
激しい長時間の陣痛の末に子供が産まれた。
オギャー
その声を聞き、別室にいた一同は安堵する。
「女の子よ!」
産婆の声が響く。
「男が良かったの」
家老の言葉に侍女長は反論する。
「王女様が子を産むかもしれない。後継争いを避けるために女の子で良かったわ」
シャロンは我が子を見た後、ホッとして気を失った。
翌々日、初夜の事を終えたライアンはすぐに馬を飛ばして帰ってきた。
「はぁはぁ、シャロン、よくやった!
元気な赤子だ!」
シャロンは産後も体調が優れずに寝たままである。
「旦那様、戻っていただいて嬉しいですが、男の子でなく申し訳ありません。
でもこの子を抱いてやってください」
「男でも女でも元気であれば問題ない。
おお、ポトフ家の特徴である手相が見える。これは間違いなく我が子だ!」
ライアンは周りの者に聞こえるように大声で叫ぶ。
シャロンはそれを聞いて安心したかのように涙を流した。
「この子の名前はネラ。
ポトフ家の3代前の女傑の当主の名前を頂こう。
シャロン、早く身体を治せ」
ライアンはそれから毎日シャロンとネルに会いに来た。
それから半月後、ベアトリスの一行がやって来た。
田舎のポトフ領を出たことのない家臣や領民を驚かせようと、百数十名の煌びやかな行列で入る予定である。
出発を知らせる手紙を受け取ったライアンは家臣を集めて、王女一行を丁寧にもてなし、その言うことはすべて応じるように指示したが、その顔には意地が悪そうな笑みが少し見てとれた。
「ライアンのあの顔は悪戯を企んでいる時の顔です。悪童の頃、手を焼かされたわ。
今度も何か企んでいるのでは」
侍女長が不安そうに家老に相談する。
「悪童時代は大変だったな。
しかし、ライアン様ももういい大人、おまけに相手は王女様だ。
変なことはするまい」
家老も一抹の不安を覚えつつ、静観することとする。
大量の荷物を積んだ馬車の進行が遅れる中、護衛兵や侍女はベアトリスの露払いを勤めるために先行した。
王女来訪を待ち受けるポトフ家の家臣や領民の前に十数名の着飾った男女が馬に乗ってやってきた。
「ベアトリス様の先駆けでやってきた。
まずは王女殿下の館を見せろ。
我らが検分してやる。
それにしても田舎臭い場所に人だ。
殿下が来られる前に小綺麗にしておけ」
先頭の騎士はそう居丈高に怒鳴りつけた。
案内役の家臣が館に連れて行くと、彼らはそれを見て散々に貶し始めた。
「これが王女殿下の住まいだと!
せいぜい貧乏騎士の家だろう。
一流の建築家を連れてきている。すぐに作り直しだ!」
「この見窄らしい内装は何ですか?
このテーブルや椅子、敷物、カーテン、酷すぎます。
食器や花瓶もどこの大衆食堂かと思いました。
自分達で作ろうなんて、これだから田舎者は困ります。
すべて王都の一流店から購入しますので、あなた達は余計なことをしないで」
案内した家臣は勿体無いと思ったが、主君にすべて言うことを聞くように言われたことを思い出し承諾した。
王女に褒めてもらおうと一生懸命作った物を見せる価値もないと貶されて、集まっていた地元の職人達は落胆し、沈み込む。
王女付きの護衛騎士や侍女に調度品をすべて捨てるように命じられ、職人達がノロノロと運ぶところにライアンとヴェールを被ったシャロンが現れた。
「こんなことだろうと思った。
オレの領民が作ったものを捨てろだと、王都が全てだと思っている高慢な奴らだ。
気を落とすな。
お前達の作ってくれたもの、オレは王都で売られているものよりも遥かに気に入っているぞ。
お前達が一生懸命に頑張っている気持ちが籠っている。
これらはオレとシャーリーの館に運べ。
オレたちがしっかりと使ってやるからな」
「「ライアン様!」」
職人たちは喜色を浮かべた。
ライアンが側室を持った話は聴いている。
そちらの館で使われるのであれば満足だ。
「これは丁寧に作られていますね。
作った方の懸命な気持ちが伝わってきます。
これを使えば私の料理も美味しくなりそうです」
シャロンが運ばれている食器を手に取り、撫でながら話すと、陶器職人は感激して泣き出した。
二人に畏まる職人達にライアンは告げる。
「よく聞け。
お前たち、あれほど馬鹿にされて悔しくなかったか?
幸い王女は王都の一流の職人を連れてきている。悔しいと思った奴らはその手伝いをして、奴らから技術を盗め。
そしてこの地の技を王都にも劣らぬものとしろ。
オレとシャーリーはその成果を期待しているぞ」
職人達はそれを誓って頭を下げる。
あれほどの屈辱を与えられたのだ。
これで発奮しなければ男ではない。
館を出た王女の供は、王女の行列が通る道筋をチェックする。
王女の行列を見ようと集まる民衆に、王女護衛騎士は怒鳴った。
「貴様たち、道に馬糞や落ち葉が散らばっているぞ。
王女殿下が来られる前に道を掃き清め、花でも飾れ。
立って見物など王女殿下に頭が高い。
殿下がこられたら跪いて頭を下げろ」
これまでポトフ家は領主の凱旋でも領民の行動を強制したことがない。
皆、何を言われているのかわからずにキョロキョロする中、苛立った護衛騎士は道で遊ぶ子供達を突き飛ばして追い払う。
泣き出した子供に対して
「薄汚い餓鬼ども、目が汚れる、ここで遊ぶな!
殿下の行列の邪魔をするなら斬るぞ!」
と剣を抜いて脅かした。
そこに巨大な影が現れた。
「貴様、この土地の一木一草とてオレのもの。それを可愛い領民を傷つけるだと。
その身体で謝ってもらおう」
その声が聞こえるとともに、護衛兵は熊のような腕で上から押しつぶされる。
「何をする!俺が誰か知って・・」
言い終わらないうちにその顔面は地面にめり込み、頭を踏みつけられて息ができなくなる。
次に足が踏みつけられ、バキッと骨の折れる音がする。
「本当ならばその首を折っているところだが、めでたい日ゆえに許してやる。すぐに我が領内から出ていけ」
冷たく宣告するライアン。
その側では泣いている子供達の傷を洗ってやり、慰めるシャロンがいた。
「ライアン様とシャーリー様、あの人怖かったよ〜」
「御領主様と奥方様、助けてくれてありがとう」
その頭を撫でてライアンは凍りつく王女の供に言う。
「見ての通り、ここではオレが全てを決める。勝手なことをすれば命はない。嫌な者は引き返すが良い」
ベアトリスの馬車はまだ後方にあり、事態を収める者はいない中、王女随身は負傷者を担いで引き上げた。
王女は何も知らぬまま、領内に入る。
領民が出迎えるが、予想していた歓声はなかった。
行列は子供達に向けて道沿いに菓子を撒くが誰も寄ってこない。
思ったよりもはるかに冷たい出迎えであった。
(あれ、領民は大歓迎の雰囲気だと聞いていたけれど・・)
ベアトリスは不審に思いながら館に案内される。
まだ木の香りが匂い立つ新しい館だが、内装は何もなく、案内者はびくびくしている。
「田舎なのでお気に召さないと思いますが、お連れの建築家の建設ができるまでここで我慢いただければ幸いです。
領内で作らせた内装や調度品、家具類は王女様には似つかわしくないとお聞きしましたので、王都から取り寄せいたします。
しばらくお待ちください」
(どういうこと、王都の物にしろなんて言ってないわ)
それを聞いたベアトリスは驚いた。
「いえ、ここで十分よ。
調度品もここで作って貰ったものでいいわ」
「申し訳ありません。
そんな失礼なことはできません」
平謝りの案内人を見て、ベアトリスは何かあったことに気がついた。
「何があったのか教えてくれませんか」
側にいたコニーが尋ねた。
バーン!
ドアが開いて、巨大な男と小柄な女が入ってきた。
「遠いところをよく来られた。
こんな見窄らしい、貧乏騎士の館のようなところで申し訳ない。
ポトフ家を代表して謝罪する」
ライアンがいきなり頭を下げたことにベアトリスは驚く。
「先ほど、随身の方から田舎者は余計なことをするなとご指摘を受けたので、今後は王都のやり方でお暮らしください」
ライアンの慇懃無礼な様子に自分の連れてきた家臣がやらかしたことと嫌味を言われていることに気がつく。
「彼らが王女様のためにと作ったものはオレとシャーリーで使わせてもらうので、遠慮なく好きな王都の一流品を使ってください」
(最悪!
この性格の悪い男、私を嵌めたわね!)
頭の回転が早いベアトリスはその言葉でほぼ事態を察した。
王都の基準では何もかもが不満に思えるだろうが、ここで根を張るならばまずは受け入れねばならなかった。
供の者が王女のためにと命じたことはわかるが、いきなり領民の感情を損ねるなど悪手すぎる。
しかもライアンという性格の悪い男はそうなることを知っていて、ベアトリスを悪役に仕立て、自分とシャロンを領民に寄り添う善玉のように見せている。
(確かにそこまで言わなかった私も悪いけれど、この男ならば事態を察してうまく収められたはず。
さてはシャロンの立場を良くするために悪玉に仕立てたわね)
激怒したベアトリスが引っ叩いてやろうと一歩出た時に、ライアンの後ろから赤子を抱いたシャロンが出てきて、丁寧なお辞儀をする。
「側室のシャーリーと申します。
これからベアトリス様にはお世話になります。
この子はネラ。
この子ともどもよろしくお願い申し上げます」
その顔には疲れは見られたが、邪気はない。
(この儚そうな女性がライアンの溺愛するシャロンか。
とても浮気するタイプには見えないわね)
ベアトリスは一瞬でそう思うと、にこやかに挨拶を返す。
「今度嫁いできたベアトリスよ。
これから私が家政や奥を差配するけれど、この地は初めてなので色々と教えて欲しいわ。
私とともにライアンとポトフ領を支えていきましょう。
ちょっとその子を抱かせてくれない。
ライアンの子供であれば正室の私の子でもあるのよ」
自分が正室で奥の支配をすること、ネルが自分の子でもあることを強調して、差し出された赤子を抱き上げる。
(なんと愛らしいこと)
赤子と縁のなかったベアトリスは初めて抱く柔らかな生き物に頬を緩める。
「そんな危ない手つきで抱くんじゃない。
早く返せ」
ライアンが焦ったように言う。
「ふふっ。
旦那様の抱きかたの方がよほど怖かったですわ。
ベアトリス様はお上手です。
また、機会あれば可愛がってください」
赤子を受け取ったシャロンと、後ろから気遣うライアンは寄り添うように歩いて行く。
「こう見ると鴛鴦夫婦ね。
私は邪魔者かも知らないけれど、もうここで頑張るしか後はないの。
シャロン、ごめんね」
ベアトリスは独り言を言うと、コニーに命じて連れてきた供を集合させた。
彼女は、この地を見下すような言動を強く禁じ、その後の歓迎パーティで領民達に詫びる。
しかし、面倒な王都からのお客様という認識は広がっており、領民に染み渡っていた。
ベアトリスは領民との親和に悪戦苦闘することとなる。
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