ベアトリスとライアンの交渉

ビリヤニの言う王家の申し出にポトフ家の家臣は歓迎とともに半信半疑の気持ちであった。


「王女様が我がポトフ家に来てくれるのか?

光栄なことだ」


「何か裏があるのではないか。

先般戦った所だぞ。王宮は信用できない」


みな決めかねてライアンの顔を伺う中、侍女長が進み出る。


「この国でこれ以上の方はおられません。

初婚でなく、年も少々取られてますが、こちらも再婚。

今や国内随一の大諸侯となられたライアン様に相応しいご縁です。

もちろん応じられますね」


その顔は微笑んでいたが、強い圧を感じさせる。


ライアンは突然のことに頭が回らない。


「いや、少し考えさせてくれ」


「考える必要はありません。

それとも他に正室の当てがあるのですか」


侍女長はここが決めるところと譲らない。


押し問答の中、ビリヤニに付いてきた供の中から侍女らしき女が立ち上がる。


「ベアトリスさまの侍女のコニーと申します。姫様から口上を預かって参りました。

人払いの上、お話しさせてください」


ライアンは小部屋にコニーを通した。


(姫さまからはポトフ領の様子、辺境伯やその家臣の人柄を余すところなく見てくるように言われたけれど、王都とは全然違うわ)


コニーはポトフ家の丸太剥き出しの館に呆れ果て、同時に家臣が生き生きと働く姿に目を見開いた。


少ない人数だが、王宮のように飾るための人間というのはおらず、誰もが主君のためにと一生懸命仕事を行っている。

出された食事は質素であったが食べ応えがあり、泊まった部屋も簡素であるが清潔であった。


(まさに新興の領国ね。

そして彼がその親玉か)


目の前にいるのは王都でも見たことがないほどの巨軀であり、その身体にははち切れんほどの筋肉が見える。


その上には短髪の四角い顔に、細く鋭い目と大きな鼻や口が乗っている。

王都の雅な優男ぶりを誇る宮廷貴族とは同じ貴族とは思えない。


コニーは彼を見て猟師、鉱夫を連想したが、この野生的な辺境伯はなよなよした貴族子息よりも遥かに好感が持てた。


「遠慮なく人の顔を見て、面白いか?


当主就任の挨拶で、前王には野趣溢るる男だなと言われたが、褒め言葉と思ったら王宮では野蛮人という意味らしい。


王宮で珍獣のように見られるのは慣れているが愉快ではない」


思わずジロジロと見ていたらしい。

不機嫌そうな声に、申し訳ありませんとコニーは謝る。


「王陛下とベアトリス様は、国内が割れている情勢を憂え、ベアトリス様と辺境伯閣下の婚姻により王国をともに支えることを示したいとの思し召しです」


「オレも王国を簒奪する気はない。

その気があればもうやっていたし、王など面倒なだけだ。


つまり政略結婚か、そんなものは田舎領主に縁がないと思っていたが、ジョージのクソ野郎以来、余計なことばかりが降りかかる。


厄介ごとが減るのであれば王女様との婚姻してもいい。


婚姻後は王女様には王都で屋敷を建てて、そこに住んで貰えばいいのだな。

課税だと思って必要な金を出そう。


こちらの要求は、王宮や貴族とのやり取りや儀礼の指導を任せたい。

つまりは辺境伯らしい外見を取り繕って、オレと家臣を煩わさないでくれ。


オレが王室と婚姻すれば、担ごうとする奴らも静かにするだろう。


そして側室は認めてもらう」


ライアンは淡々と言った。

多額の金はかかるだろうが、王女が面倒ごとを処理し、うるさい領主貴族どもが沈静化すれば、静かに領内でシャロンと暮らせる、それならば必要経費だ。


「ああそうだ、王女様に言っておいてくれ。

言うまでもないが、こんな田舎に来ることも、むさ苦しい鉱夫のような男に抱かれることもない。

愛人も認める。尤も子供はポトフ家には入れられない。

贅沢も通常の王族の範囲であれば構わない。

そんなところでどうだ」


ライアンは話に聞く宮廷貴族の令嬢との結婚条件を述べた。


「辺境伯!

姫様を、堕落した宮廷貴族のバカ娘と一緒にするな!

姫様は愛人など持たれない。

辺境伯の夫人となればこの家臣や領民の母も同然。

ここに来て統治の手助けをされるつもりだ!

そして、王女が降嫁されれば側室などは整理するのが慣習だ。

よろしいな、ライアン・ポトフ殿!」


怒りのあまり、怒鳴りつけるコニー。

それを見たライアンは驚き、面白い女だと思う反面、厄介なことをと思う。


「こちらに来られるかどうかは本人に聞いてみてくれ。

ここは賑やかな帝都や王都とは全くちがう。田舎ぶりや館の見窄らしさを伝えれば王女様は来られないのではないかな。


それはさておき側室は絶対に認めてもらう。

そうでなければこの話は無かったことにしてくれ。


まあ、婚姻するとしても、こちらに来られず、仮面夫婦とするのがお互いのためだろう。

うまく伝えてくれ」


ライアンはそう言い放ち、コニーにずっしりと重い小袋を渡して部屋を出た。

中には銀貨が詰まっていた。


これだけで王都の家が買えそうだ。

なるほどこうやってポトフ家は買収して情報操作をしていたのかとコニーは思う。


彼女はその袋をそこに置き、急いで王都に戻ると、待ち兼ねているベアトリスに報告した。


「なるほど、そう出てきたかあ。

彼は私は王宮とのパイプ役だけのお飾り妻にしたいのね。


そして自分の宝物である、大事な所領と妻は自分で囲い込み、他人に手を出させないと。

いかにも思春期を拗らせた彼が考えそうなこと、でもそうはいかないわ。


ところでこちらについてくれそうな家臣はいた?」


ベアトリスは興味ありげに聞く。


「密かに色々と声をかけましたが、忠誠心が高く、こちらのスパイにならそうな者は見つかりません。

ただ、侍女長は王女様によろしくお伝えをと慇懃な言葉をかけてきており、こちらの味方になってくれそうです」


「ああ、ポトフ卿の姉代りの人ね。

それは心強いわね。


まあ彼は現実主義者だから、私が役に立つことを理解させられれば、愛とか恋とかとは関係なく形だけの正室にはしてくれると思うのだけど、それだけでは意味がない。


私は王族として政治に携わり、国や領地の役に立ちたい。

そうでなければ単なる政略の駒。

私は何の為に生まれてきたの?


普通の女の得られる愛や子供はその後のこと、彼を惹きつけられるかは私の女としての魅力の問題ね。


でも儚げな美少女シャロンさんと比べると見劣りがするかもね」


そんなことはありません、姫様ほど魅力的な貴婦人はありませんとコニーは言うが、頭が良すぎる女は好かれない。


帝国の皇帝は遥かに年上だったので娘を見るように可愛がってくれたが、同年代の男は知るほどに彼女を怖れ、敬遠する。


そのベアトリスも情緒面では自信がない。

ライアンのことを揶揄するが彼女も表面的な社交や貴族の暗闘は経験豊富だが、恋愛というものはしたことがない。


王女教育で、自らの役割を果たすことがすべてと刷り込まれ、社交界でも心動かされる男もおらず、皇帝である初老の夫は年若い妻を大切にしてくれたが、愛はなかった。


(お金と愛人があれば満足だろうって、ふざけないで!


恋愛に縁がないのは仕方がないけれど、私はこれまで王族として経綸の才を磨いてきた。

帝国では外国人としてお飾りだったけれど、後日を期して見聞を広げてきた。


今度こそ領地の統治や政治外交に私の知見を活かしてみせる。

そして元気なポトフ領はそのために絶好のところ。

ポトフ卿と直談判して、私を認めさせてやる!)


ビリヤニ男爵を通じてポトフ家からの返事が王宮に伝えられている。


それはコニーが言われたのと同じ条件、即ち『婚姻後も王女は王都に滞在し、ポトフ家と王宮の間を繋ぐ役割を果たす、その費用はポトフ家が出す』である。


密約として、ライアンが側室を持つこと、ベアトリスに愛人を持つ権利があるが、その子はポトフ家と関係ないものとするということも示される。


王は妹を人身御供のように辺境のポトフに嫁がせることを負い目に感じていたので、その条件に喜び、応じる意向と聞いている。


ベアトリスは決断した。

「内密に辺境伯と会談する。

準備を整えなさい」


これは女の戦争だ。

相手は戦にかけては百戦錬磨だが、ベアトリスには自らの人生を賭けてこの戦に勝たねばならない。


そのためには、相手の虚を突く奇襲しかない。

ベアトリスはコニーの供の格好をしてポトフ領に向かった。


侍女長には事前に話を通しており、いきなりライアンの執務室に通される。


「コニーと言ったか。

やはりオレの言った通り、王女様は田舎もオレもお嫌いのようだな。

王宮からはオレの条件を丸呑みしてきたぞ。


今日は婚礼の話か、金の話か?

ならば王都で上げよう、王女様のお好みで好きにやってくれ。館も好きに建ててよいし、装飾品も買ってくれ。


夫婦とは名ばかり、滅多に会うこともあるまい。

お互い好きに生きよう」


ライアンは思い通りの展開にご機嫌のようである。


コニーの後ろからベアトリスが進み出て、ヴェールをとる。


「ベアトリスでございます。

先日の王都でのパーティ以来ですね。

兄は私の意を汲んでくれないので直談判に参りました。


端的に申します。

婚姻後、私はこの地に参り、辺境伯夫人として公私とも務めさせていただきます。

気にされている側室の件も認めます。


あなたの煩わしく思われている王宮との交渉や礼儀作法の指導はもちろん、これまでの人脈を生かしてこの地の産業や文化を振興し、お役に立ちましょう。


もちろんあなたの子供も産ませていただきます。

では、以後よろしくお願い申し上げます」


ベアトリスの奇襲にライアンは狼狽した。


「その顔は確かに王女。

何故ここに?


いや、見ての通り、この館は山小屋みたいなもので、とても王女様を迎えるところではない。

オレは見ての通りの無骨な武人。家臣も同様であり、不快な思いをされるに決まっている。

好きなだけ金を出すから、王都で快適に暮らせばいかがですか」


狼狽えるライアンを面白そうに見たベアトリスは悠然と答える。


「王族を舐めないでください。

家臣や領民と苦労を共にするのがあなたの主義だと聞いています。

その妻であれば夫と同じ境遇で暮らすのは当然。

お金の為に結婚するのではありません」


そこで一旦言葉を切り、ライアンに近づき、その目を真っ直ぐに見ながら魅惑的な声で話しかける。


ここが勝負どころだ。

このために王都で女優に習って練習してきたのだ。


「王都の女誑しだけしか能のない男達にはうんざり。ライアン、あなたを夫にしたい。

私を妻にすれば後悔させないわ」


目を白黒するライアンの耳に口を近づけ、囁く。


「シャロンさんのことも私が正室となれば保護してあげる。

あなたの大事なポトフ領も恋人も守ってあげるわ」


それを聞いたライアンは驚いたようにベアトリスを見て沈黙する。

ベアトリスが不安になる程の静かさの後、ライアンは戦時の顔になってニヤッとすると口を開いた。


「腹を割って話そうか。

アンタほど肝の据わった女がいるとは。

いい話ができるかもしれないな」

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