ライアンの苦悩

ライアンは帰領すると、すぐにシュートことシャロンを館近辺の狩猟小屋の管理人に任じ、そこに居住させた。


そしてその近くに自らの別荘を建てることとする。


これまで自分のことに金を使わなかったライアンの珍しい命令だった。

しかし家臣は訝しがることなく「ライアン様も今や大諸侯、少しは贅沢をしてもらいたい」と歓迎した。


領内ではライアンとその配下の帰還を喜び、戦勝祝いが盛大に開かれる。

王都まで侵攻した部下に、ライアンは褒美を大盤振る舞いしていた。


講和を結ぶに当たり、軍費の問題が発生した。

私戦であり、関わらないと言う王宮に対して、王の言う通りシュラスコ軍が錦の御旗を盗んだ賊軍であれば、それを討ったポトフ軍は官軍、即ちその軍費は王宮が支払うべきだとライアンは言い張る。

軍の圧力もかけて、ついに金を支払わせたので、ライアンの懐は豊かである。


ライアン配下は下賜された金で大量の土産を買ったので、王都での評判は上がり、兵士の家族は珍しい王都土産に大喜びした。


領内は大歓迎ですんだが、今度の凱旋はこれまでと異なり家臣や領民だけでなく、各地から貴族たちが押し寄せてきた。


その中にはポトフと共に戦ったものもいれば、傍観していて慌てて祝いを持ってきた者もいる。

いずれにしてもこれまでにない多数の貴族の来訪は宴を仕切る家老を慌てさせた。


これまで引き篭もり、交際相手は数人の親しい友人のみのポトフ領に多数の顕官が押し寄せると、どう捌いていいのかわからない。


「ライアン様、泊まってもらう場所もありませんし、料理も酒も地元のものしかありません」


家老や侍女長が困り果てた顔でやってくる。


「こちらが来てくれと頼んだ訳ではない。

民家を借りたり、テントに泊まらせろ。

それでも足りなければ焚き火をたいて、その近くに毛布で寝させろ。

料理や酒はあるものを出せ。


ただし、土産に銀貨を十分に持たせてやれ。

それで喜ぶはずだ」


ライアンの指示は簡潔であった。

ポトフ領は僻地で館も見窄らしく、料理も腹が満たされれば良いというレベル。


「どうせ媚びを売りにきた奴らだ、汗をかいてもてなす必要はない。

しかし、悪口を言われないように、それぞれに応じた以上の金を渡せば良いだろう」


そう言うライアンの言葉を聞き、宴にやって来たサモサとコフタは考え込む。

夜になり、客は当てがった宿に行かせて、三人で飲んでいた。


「しかし、お前ももう大諸侯。

これからは国内はおろか、外国からも客が来るかもしれないぞ。

舐められないためにも館の外観や内装もそろそろ整えればどうだ?」


剥き出しの木造の館、それもいかにも手作りの急拵えという部屋を見渡しながらサモサはそう忠告する。


「前の館はソーダ軍に焼かれた。

これは鉱山からようやく銀が出た後に領民とともに手作りで建てたものだ。

一つ一つの柱に思い出がある。

これは森の中で一番太い檜をオレが切り倒し、皆で担いで持ってきたのだ」


ライアンは感慨深げに無垢の檜の柱を撫でる。


「思い出もいいが、外から見れば、でかい山小屋にしか見えないぞ。

慣れている俺たちは知っているが、今度の客は、なぜ物置に通されたのか、本館は何処ですかと訝しげに尋ねていたぞ」


コフタは面白げに笑いながらも突っ込む。

今や、泣く子も黙る猛将ライアンにこんなことを言えるのは古くからの友だけである。


「それに、辺境伯になれば王宮での作法や書簡の様式なども全て変わってくるはずだが、礼法はわかっているのか?」


妻の実家が宮内省のコフタは礼法に通じており、友人が恥をかかないようにと心配だった。


「そんなことは誰も知らん。

作法のやり方の書類など戦火で無くなった。

とにかく前例通りにしているだけだが、ダメなのか」


平然と言うライアンにいい含めるようにコフタは話す。


「貴族はその身分で手紙の書き方から、出仕の服装、出会った時の礼まで定まっている。

これまでは遠方や戦争中ということで大目に見られていたのだろう。

これからは国内一の大諸侯だ。

礼法もできねば笑われるぞ。

王宮から教師を招けばどうだ?」


(面倒くさいな。

ならば王都には行かずに、ここに引き篭もればいいだろう)


ライアンの思いが顔に出たのか、コフタはため息をついて言う。


「面倒だと思っているだろう。

しかし、これからはあちこちからライアンを頼ってやってくる。

王宮もお前に相談しなければ物事は進まないとわかっている。

もう引き篭もりはできないぞ」


それ以上は言わずに三人は酒を飲んで昔話に興じた。



祝賀会は終わり、ライアンの思惑通りに、最初はそのもてなしに不満たらたらだった貴族は土産を貰うと、恵比寿顔でポトフ家を讃えて帰っていく。


ライアンは、それよりもシャロンを側室に置くためにどうすれば良いかを悩んでいた。


客は帰り、館は日常を取り戻す。


シャロンのことは行方不明で死んだとして取り扱われていたが、その家族は鉱山で放置されていた。


「あいつらは鉱山から呼び戻してやれ」

ライアンは彼らを呼び、狩猟小屋に連れて行く。


「シャロン!(姉さん!)」

死んだと聞いていた娘を見て、両親や弟妹は泣いて抱きついた。


「シャロンは死んだ。

これは村娘のシャーリー。オレの愛妾だ。

お前たちにはその世話役を任じる。

シャーリーを決して男と会わせるな。

今度過ちがあれば全員拷問の上に串刺しだ」


ライアンの言葉に全員が震えながら跪いて頷いた。


そして、ライアンは彼らに手を出させてそれを見る。


「少しはいい手になったな。

未熟だが鉱夫やその妻女の手だ。

これを見れば働く者を馬鹿にできまい。

お前たちは平民ケバブ家としてシャーリーに仕えて実直に生きていけ」


ライアンの言葉にシャロンの家族は、わかりましたと深く頷いた。



妻を亡くしたこととなっているライアンには各地から縁談が舞い込む。


姉代わりの侍女長は当初自分のお眼鏡に叶った領内の娘を勧めていた。


しかし、今のポトフ家が王国内随一の実力者となり、王宮や貴族との外交が不可欠となったことを理解すると、政治や社交をうまくこなせる貴族の妻が必要なことを痛感した。


(家政のことなら私でも充分ですが、対王宮や貴族同士の付き合いなど全くわかりません。

おそらく前の奥方のシャロンも無理でしょう。

家格に相応しい大貴族の優秀な令嬢に奥方になって仕切ってもらう必要がありますが、前提としてライアン様や家臣・領民を愛してくれる人でなければ。

噂で聞く、領地を金蔓としてしか見ない令嬢は願い下げです)


侍女長はライアンに妻帯を迫るが、今は忙しいと躱される。


実際、新たな領地と家臣が加わり、内政が大忙しのところに、あちこちの領主貴族が紛争の後ろ盾を頼んできて、ライアンは激務であった。

その中でも、息抜きにと度々狩猟に出かけ、別荘に泊まってくる。


ライアンが激務でも機嫌がいいので、狩猟が息抜きになっているのかと家老も侍女長も見逃していた。



「ただいま」

「お帰りなさい、旦那さま」


ライアンが別荘に到着すると、家事をしていたシャロンが出迎える。


シャロンの家族は別棟で暮らしており、二人は水入らずで翌朝まで生活する。


シャロンが食事を作っている間、ライアンは獲物を捌いたり、武具の手入れをしたりしながらその日の出来事を話し合う。


シャロンが作るものは普通の家庭料理であったが、ライアンにとっては王宮の贅を尽くした食事よりも遥かに美味しく感じられる。


夜は二人で誰を憚ることなく睦言を言い、愛し合う。

それはその辺りの猟師夫婦の暮らしそのものであったが、ライアンにもシャロンにもこれまでで一番幸せな時間であった。


ただ、夜にライアンが時々漏らす「シャロン、行かないでくれ!何故オレを裏切るんだ!」という悲痛な寝言や涙を見ると、シャロンは胸が引き裂かれるほどの痛みを感じる。


「ごめんなさい、旦那様。

私が死ねばその苦しみが無くなるのならいつでも死にます」


そんな時、シャロンは後悔の涙で泣き疲れるまで寝られなかった。


ある日のこと、ライアンが別荘のドアを開けると、シャロンが待ち構えていて、顔を赤らめて小声で話しかけてきた。


「旦那様、ややこができたようです」


「でかした!

これでお前を正式に側室にしてやれる。

くれぐれも身体を大事にしろ」


ライアンは大喜びした。

家族を突然無くした彼にとって待望の子供である。

その晩はシャロンを抱かずに、ずっと傍にいて腹を撫で、赤子に話しかけていた。


翌日、館に戻ると早速重臣を集め、ライアンは話し始めたが、家臣を刺激しないようシャロンの名前は伏せていた。


ライアンが拾ってきた小姓が実はシャーリーという村娘であり、それが孕んだと聞いて家臣、特に侍女長は仰天した。


「それでシャーリーを側室とする。文句はないな」


ライアンがそう言うと、侍女長は噛みついた。

「確かに早く正室を娶れとは言いましたが、愛妾を作ったなら別荘になど隠さずにここに連れてくればいいでしょう。

側室ならば村娘でも構いません。

子も出来たのならば早く連れてきてください。ポトフ家の大事な跡取り、大切に面倒を見ます」


ライアンは少し考えて、やはり隠し通すのは無理だと判断した。


「実はシャーリーは行方不明と言われているシャロンだ。

アイツとはよく話し合った。

もう二度と過ちは犯さないので、もう一度妻としてやり直させてくれないか」


ライアンの言葉に家臣が猛反対する。


「お言葉でもそればかりはご勘弁ください。

あのような姦婦が産む子供は誰の子供か知れたものではありません。


ポトフ家の跡継ぎにライアン様以外の子供の可能性があるなど許せません!」


「アイツも深く反省している。

そんなことは絶対にない。

もう子供もできたし、なんとしても側室としたい」


領主の妻は家臣の支えなくては務まらない。

ライアンは彼らの了解を得るために頭を下げた。


ここまで言われれば仕方ないかという雰囲気の中、侍女長が発言する。


「私個人は許せませんが、そこまで固執されるのなら百歩譲って側室として多めに見ましょう。

ただし、正室はきちんとした貴族令嬢を娶っていただけますね」


「いや、正室は置かない。

側室だが、シャロンだけが妻だ」

ライアンは言い張った。


「それではポトフ家は回りません。

ライアン様の心情はともかく、この大きくなった家では家政の取り仕切りや貴族との交渉などに、しっかりした奥方が必要です。


私が暫定的に代役を務めてますが、貴族の付き合いなど何もわからないためにポトフ家に恥をかかせているのではないかと心中冷や冷やしています。


あの浮気女は貧乏貴族の娘で、社交も碌に知らないでしょう。

まして家中での信望は地に落ち、家内の取り締まりもできません。


ライアン様、この地の統治者としての責任を自覚してください!」


侍女長の正論にライアンは返す言葉がない。

確かに侍女長にいつまでも代役をやらせる訳にはいかない。


本来、母も姉妹もいないライアンには正室にやってもらうことは多い。

しかしライアンはシャロン以外の女はいらなかった。


「少し考えさせてくれ」

ライアンは意気消沈して会議を解散した。


(くそっ!

オレはポトフ領とシャロンと子供がいれば十分なのに、何故こんな面倒なことになった。


今のオレに嫁いでくるのであれば社交界でオレを嘲笑っていた大貴族の娘か。

そんな奴らと夫婦になるなど真っ平ごめんだし、飾り物の妻を置く苦しさはサモサに散々聞かされた。

何か良い手はないか)


一人になったライアンは別荘に馬を飛ばして、シャロン相手に酒を飲み、愚痴を呟く。


「お前を側室にするのは認めさせたが、正室を置けと言われている。

オレにはお前と子供がいれば何もいらないのだが・・」


「ライアン様、ご正室を貰ってください。

私と子供はここに置いていただき、時々ライアン様の顔を見せていただければ十分です」


シャロンは泣くように頼む。

過ちを犯した彼女のせいでライアンが苦労するのを見るのは身を切られるほど辛い。


その晩ライアンは初めて酒を飲みすぎて潰れてしまった。

シャロンはその巨体をベッドまで担ぎ、寝かせると、「シャロン、行かないでくれ」というか細い声が聞こえた。


シャロンはライアンの負担になるのであれば、子供ができれば家族ともども領外に出ていくことも考えていたが、その言葉を聞いて断念する。


(これからどうなるか分かりませんが、あなたが求める限り死ぬまで近くにいさせてください)


翌朝、二日酔いの頭を抱えて館に戻ったライアンを、王都駐在のはずのビリヤニが待ち構えていて緊張した声で報告した。


「ライアン様、王家から王妹ベアトリス様の降嫁の申し出がありました!

妻を亡くしたライアン様に是非にとのことです!」












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