サリーの叫び、ベアトリスの思い
ベアトリスの申し出を、王は少し考えさせてくれと預かった。
ベアトリスの降嫁は重大な政治案件であり、様々な要素を考える必要がある。
ベアトリスも頷き、それ以上は言わなかった。
私室に戻ったベアトリスはコニーを呼んだ。
「ポトフ卿に嫁がなければならないかもしれなくなったわ。
宴でポトフ卿と話していた夫人を調べて、来てもらって。
彼のことを聞きださなければならないの」
「姫様お得意の、敵を知れば百戦危うからずですね。
畏まりました」
コニーはあの夫人がコフタ伯爵夫人のサリーであることを突き止める。
彼女を招こうとするが、警戒したのか渋るところをその実家に圧力をかけて来させることに成功した。
「コフタ伯爵夫人、夫君の叙爵おめでとう。
今回の働きは素晴らしかったと聞いているわ。
ところでポトフ辺境伯は今や国の重要人物。彼と夫君は友人と聞きましたが、辺境伯のことを教えてください」
来訪したサリーが椅子に座り、お茶が出されたのをきっかけにベアトリスが切り出した。
「夫とポトフ辺境伯、サモサ伯爵は次男同士で軍学校で同級生だった時からの友人だそうです。
皆、嫡男が亡くなり跡を継いだのですが、しばしば相談したり愚痴をこぼす親しい付き合いで、私も結婚時に紹介されました。
私が知るのはその程度です」
コフタ家はポトフ派の中核。
サリーは警戒しているのか、あまり口を開かない。
(今や王宮とポトフ辺境伯は対立していると言われているから仕方ないですが、そう警戒されると困るわね)
「率直に言うわ。
王宮とポトフ辺境伯が対立していることは他国に隙を見せているということ。
外敵から攻められれば私達も領主貴族も困るのは同じ。
私は両者の架け橋になろうと思うの。あなたも実家は宮廷貴族でしょう。
協力してほしい。
まずは辺境伯のことを知ってるだけ教えて」
それを聞き、サリーは少し考え込んでから話し出した。
「私も国内の対立は避けたほうがいいと思いますが、我が家はポトフ派。
ライアンさんの弱みを握って脅すわけではないですね。
では、お話しましょう」
サリーは夫から聞いていたライアンのこれまでの来歴を語る。
「16歳で隣のソーダ侯爵が突如侵攻し、家族が殺された。
そのため軍学校を中退して領地に帰り、当主として戦闘を指揮。
苦闘しつつも粘り強く抵抗し、相手を退却させ、戦争が終われば領地の再建に奔走。
その時に王宮に借金を頼みに来たのですね。
誰もお金を貸してくれない中、コフタ子爵とサモサ伯爵は貸したのね」
ベアトリスはサリーの長い話が終わると要約する。
「必要な額に比べ微々たるものでしたが、夫はサモサ伯爵とともに家にある金に加えて親類などから借金してお金を渡したそうです。
周囲から返ってくるはずはないと言われた夫は、あれは苦労している友人への贈り物だと言ってました。
それは後に10倍になって返ってきましたが」
サリーは友情に厚かった夫を誇るように言う。
「そこから辺境伯が鉱山を掘り当てた話になるわけね」
ベアトリスが口を挟むと、サリーは頷きながら補足する。
「そうは言っても簡単ではなく、何度も諦めようという声が出る中、辺境伯は自らが先頭に立ってツルハシを振るい続けて、ようやく掘り当てたそうです。
その資金を生み出すために家の中のものをすべて売り払い、食事を一日一食とし、君臣揃って窮乏を極めたとか。
そしてようやく富裕になったと思ったら鉱山を狙ってソーダ侯爵がまた侵攻してきた為に戦争に突入。
それは終始優勢に進めたようですが」
サリーの話が一段落して、ベアトリスはお茶を勧めながら、はぁーと息を吐いた。
「家族を亡くし、一人で戦争と困窮に立ち向かってきた凄絶な半生。
そしてようやく見つけた最愛の妻に浮気されて、その報復を行ったのね。
彼の尋常ではない怒りがわかったわ」
ベアトリスの言葉にサリーは恐る恐る付け加えた。
「辺境伯の怒りはそれだけでなく、ソーダ侯爵を唆して侵攻させたのが王宮だと考えているようです。
ソーダ侯爵邸を落とした時に、シュラスコ公爵からの、鉱山を盗ればどうだという手紙をライアンさんが入手したそうです」
(領主貴族相互の争いを煽るのは王宮の常套手段。
ありそうなことだが、荒廃した領地の再建資金を貸さずに笑い者にし、挙げ句にその妻を陥れては、ポトフ辺境伯が王宮を見限るのも無理はない)
ベアトリスは頭を抱えたい気持ちになったが、まだ聞かねばならない事がある。
「前の夫人シャロンさんについても教えていただけるかしら」
サリーはあまり深くは知らないと言いつつ、彼女について語る。
借金を背負った家の長女で、貴族学校も初等のみ。
貴族令嬢としての社交もできずに家で弟妹の面倒や家事をし、楽しみは物語だけだったとのこと。
尤も、王都の宮廷貴族も貧富の差が激しく、没落貴族はしばしば見られるところであり、ケバブ家のようなところは珍しくない。
そういう没落した家の娘は、成り上がりの貴族や商人の妻などになる事が多い。
酷い場合は老人の後妻の時もある。
その中ではシャロンがライアンに嫁ぎ、愛されたのは幸いであったとサリーは語った。
「なるほど、あとは知っているわ。
王都に遊びに来て社交界で浮かれて、浮気までしてしまったところを見つけられたと」
頷きながらそう話すベアトリスにサリーは聞きづらそうに尋ねる。
「私からお聞きするのも失礼ですが、ベアトリス様がポトフ辺境伯に降嫁されるとの噂が広まっています。
今日のご質問もそれに関連するかと思うので率直に答えさせていただきました。
そしてこれはベアトリス様限りにしていただきたいのですが、森の中に行方不明と言われているシャロンさんは生きていて、辺境伯の小姓として仕えているようです」
それにはベアトリスも驚いた。
「それは本当なの。
では辺境伯は浮気されても彼女を見限らなかったのね」
「シャロンさんが浮気したのは私にも責任の一端があります。
子を作る前に、他の宮廷貴族から嫁いだ娘と同様に彼女を試してみるべきとライアンさんに言い出したのは夫とサモサ伯爵ですが、知恵をつけたのは私です。
私達宮廷貴族の娘が夫の信頼を得るのに大変な苦労を重ねる中、何の努力もなく愛される彼女に社交界で少し苦労をさせたかったのです。
まさかあの最低の遊び人にあれほどのめり込むとは思わず、途中で止めようとしたのですが、ライアンさんも意地になり、あんな破局に至ってしまいました」
涙を見せつつ懺悔するように話すサリーは一端言葉を切った。
「なんと愚かなことを!
そんなつまらない嫉妬で王国を危機に陥れるなんて」
ベアトリスの嘆きにサリーは思わず叫ぶ。
「王族の方はご存知ないでしょう。
我々中小の宮廷貴族の娘は王宮の差配で領主貴族と婚約しますが、結納金や結婚許可に膨大な金が必要であり、それは領主貴族の家から出されます。
更に嫁いだのちには実家から支援を求められ、社交にも金が必要です。
それだけ支出させながら、私達は一部の素行の悪い妻の為に愛人や托卵を企んでいると噂され、新郎からは初夜にお前を抱かないと宣言される始末。
幸い私は実家が宮内省の有力者で婚家に貢献する事ができ、数年間の辛抱で夫と婚家の信頼を得ることができました。
しかし多くの宮廷貴族の娘は妻とは名ばかり、仕方なく金だけ渡されて王都で放置され、夫は領地で実質的な妻を持っています。
愛人を作ればそれ見たことかと言われ、やけになってハメを外せばしばしば密殺されます。
確かに空気に流されて、学校や社交界では、領主貴族を蔑み、田舎者に嫁ぎたくない、愛人を持ちたいなどと放言していました。
しかしここまでの仕打ちは酷すぎます。
王家による領主貴族の圧迫政策の駒にさせられた私達は犠牲者です!」
宮廷貴族の娘の立場を言うサリーの泣きながらの抗議にベアトリスは考える。
(王国創立の当初は傘下に入った領主貴族を手懐け、王都の産業や文化を伝える為にも宮廷貴族の優れた娘が嫁いで行き歓迎されたと聞いている。
それがいつのまにか領主貴族に妻を押し付けて王宮や王都に金を落とさせる手段となってしまい、おまけに領主貴族を見下す風潮と相まって不信感を得てしまった。
この娘たちも哀れだが、領主貴族の怒りもわかる。
王宮の都合だけのこの政策は限界にきているわ)
ベアトリスはため息をつき礼を言ってサリーを見送った。
サリーが去っていくのを見て、隠し扉からコニーが出てきた。
「姫様、いかがでしたか」
「うーん、辺境伯は16歳から恋愛対象となる貴族令嬢との付き合いは全然ないのね。そこに絶世の美少女を見て運命の相手と思った。
ボーイミーツガールで収まってくれれば良かったけれど、相手のシャロンさんも恋愛しながら現実を見ていく大切な期間であるハイティーンに家に籠もりきり。
夢見る少女のままで、せっかく愛してくれる夫を手に入れながらその価値がわからずに、悪意に満ちた社交界で躓き、悪い男に騙された。
好きな女の子を取られて怒り狂うスクールボーイと一時の感情に流されて後悔する少女。
よくある光景がこの大騒ぎ。
どちらかが大人になっていればこんな騒ぎにならなかったのにね」
「それで姫様はポトフ卿に嫁いで、大人になりきれない大諸侯の面倒を見られるのですか?
先ほど聞いていると、サリーさんは宮廷貴族の令嬢の愚痴を言われていましたが、姫様も貴族学校でも社交界でも若年で模範となることを求められ、婚姻も親ほども歳の離れた皇帝に嫁がれ、それ以上に苦労されています。
貴族の娘たるもの、困難な状況で上手くやるのが仕事でしょうに」
コニーはそう言った後に、
「ただ座して幸運を手に入れ、それを自覚していないシャロンさんへの嫉妬もわからないではないですが」と付け加える。
二人が話しているところへ顔色の悪い王がやってきて、コニーに席を外させる。
二人きりになってもなかなか口を開かず、とても話しづらそうに見える。
「お兄様、どうされましたか?
ご加減が悪そうですが」
ベアトリスの兄を気遣う言葉にも反応せずにようやく王は用件を述べる。
「すまないが、やはりポトフに嫁いでもらわざるを得ないようだ。
領主貴族は所領の返還訴訟が進まないことに業を煮やし、ポトフの了解を得たと号して宮廷貴族の荘園を侵略し始めた。
宮廷貴族の訴えで、それを止めようとする近衛軍と領主達の軍が睨み合いや小競り合いを起こしている。
奴ら、先日の戦でポトフ軍が官軍に勝ったことから、近衛軍を侮っている。
更に領主貴族の婚姻も王宮を無視してポトフに許可を求める動きが出てきている。
もはや一部の貴族はポトフを担いで王国からの独立すら考えているようだ。
奴らの動きを止めるにはポトフを抑えねばならない。
奴のところにお前に嫁いでもらい、王宮と手を結んでいることを示し、王国の動揺を収めて欲しいのだ」
これまで宰相たちと協議していたのか、王の表情は疲れ切っている。
おそらく戦争になれば勝てる自信がないのだろう。
「私が嫁ぐことも拒絶されるのではないですか?」
「いや、サモサ達穏健派は王国に止まるべきとの意見であり、こちらと接触を図っている。
ただし、これまでの恨みつらみを持っている強硬派を抑えるために眼に見える王宮の譲歩が欲しい、具体的にはお前の降嫁だ」
つまりベアトリスをの降嫁は王宮が屈服したという印、生け贄だ。
「私は人質含みで嫁ぐということですね。
ポトフ卿も私の降嫁を求めているのですか」
「ポトフの考えはわからない。
噂では帰ってから奴は家中で忙しく領地に籠りきりと聞く。
周囲が煽り立て対立が深まり、帝国や隣国の介入を受ける前に解決したいのだ。
すまないが、頼む」
頭を下げる兄にベアトリスは微笑む。
「青い顔をした兄に頭を下げられれば断れませんね。
二度の政略結婚も王族に生まれた定めと諦めましょう。
ポトフ卿が喜ぶような土産の準備を頼みます」
(帝国とのパイプ役を期待されて、年老いた皇帝の妻の仕事が終われば、次は敵対的諸侯が嫁ぎ先ですか。
おまけにまだ愛されている前妻付きとは頭が痛い。
将を射んとすれば馬を射よというし、ポトフ卿の周囲から固めますか。
それにしても先ほどのサリーの話ではありませんが、このままではお飾り妻として子供も産めなくなりそうです。
せめて女としては子供を産み育てたいものです。
どうすればポトフ卿の心を掴めるかしら)
ベアトリスは憂いのある表情で思案をこらした。
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