王妹ベアトリスと和平交渉

シュラスコ軍が大敗したニュースは王の放った偵察兵によって翌日には王宮にもたらされた。


「シュラスコ軍は兵力で圧倒的な大差、しかも錦の御旗まで掲げても大敗したのか!」


王の驚くが、一方でその戦況を聞き納得する。


「なるほど、ジョージに妻や娘を弄ばれていた者たちが裏切ったと。

さもあらん。

やつの手記は反吐が出るほど酷いものだったからな」


「陛下、しかしながら感心している場合ではありません。

ポトフ伯爵達は錦の御旗を見て、王宮はシュラスコ方に与したと思っていることは確実。

このままでは勝ちに乗じて王都まで攻め寄せてきますぞ」


宰相は青い顔で問いかける。


近衛隊長も頷き、口を開く。


「偵察兵の話ではシュラスコ軍は王都に向かって敗走しており、明日にはこちらに到着する見込みです。

それを追って数日中にポトフ軍もやって来ましょう。

どうするか早急に対応を立てねばなりません」


腹心の言葉に王は考え込んだ。


「まずはポトフの怒りを収めねばならん。

王宮がシュラスコに与したということはなくシュラスコは処罰すると弁明の使者を立てよ。

同時に敗走してきた兵を尋問し、近衛軍や王宮の中で余の指示なく錦の御旗を持ち出し、軍を動かした者を捕えよ。


更にシュラスコ親子とその一派は必ず拘束し、牢へ入れろ。

奴らはポトフに差し出し、和平の材料としなければならない」


王の言葉に頷きつつも、宰相たちは不安げである。


「それでポトフ伯爵は引いてくれるでしょうか」


「それはわからぬが、交渉してみなければどうしょうもない。

所詮は山に篭っていたグリズリー、欲している獲物を与えれば、宥めて山に帰らせられよう。

そして毒蛇がいなくなったメリットだけをいただこう」


不安気な宰相達と対照的に王は楽天的であった。

それはポトフに王国への政治的野心がなく、個人の復讐心で動いていると考えた上での自信である。


今後の協議を終えて私室に戻った王はそこにいる人物を見て、顔を綻ばせる。


「ベアトリス、戻ったのか。ご苦労だった。

この国内が揉めている状況でも国境が安定しているのはお前のおかげだ」


「お兄様、出戻りで帰って参りました。

少し話を聞きましたが、女一人の取り合いでこんな国を二分する戦争をするとは、このシャロンという女性、まるでトロイのヘレンのようですね。

傾国の美女というものが実際にいるとは思いませんでした。

どんな女性かお兄様はご存知ですか」


そう言ってクスクスと笑うのは王の妹のベアトリス。

美女の誉れ高い王妃の血を継いで美人であったが、容貌よりも明るい性格と聡明さで王と王妃や廷臣から愛された。


貴族学校に行けば王族らしい権威もさることながら、巧みな社交術や会話で貴族の子弟のカーストトップに君臨し、卒業後は社交界の中心に立ち続け、政治的にも無視できない力を持った。


社交界の女性の倫理が崩壊したのはベアトリスが去り、ストッパーがいなくなったことも理由の一つである。


誰に嫁ぐのか注目を集めたが、外交上重要な大国の帝国に望まれ、年の離れたその国の王に嫁いだが、この度、王の死去に伴い帰国した。

ちなみに子は成さずに、王位は前妻の子が継いだが、国同士の友好関係はしっかりと築いてきたのは彼女の功績である。


王はこの妹と仲が良く、その政治的識見にも一目置いている。


「ポトフの妻は見たところ、美しいが儚い可憐な美女という感じだ。花で言えば例えば勿忘草のような。ああいう女は男ならば守ってやりたくなる。

美女であることは共通するが、明るい向日葵のようなお前とは対照的だな」


「私は守られなくても大丈夫そうとは心外です。

でもそんな女性ならジョージ・シュラスコにすぐに狙われそうですね。そしてポトフ伯爵は社交界嫌いで側についてもいなかった。

彼女は社交界に慣れずに上手くだまされたのでしょう。

私がいれば助けてあげたのですが」


女を次々と喰い物にするジョージのことをベアトリスは強く嫌悪し、排除しようとしていたが、公爵に邪魔をされてできなかった。


「しかし、ポトフ伯爵は偏った男ですね、

軍事や治世にはずば抜けた才能を持つ反面、女性には全くの初心(うぶ)な少年のよう。

今度の騒ぎも、まるで貴族学校で付き合っていた女をプレイボーイに奪われて怒る少年です」


そう言ってベアトリスは困ったように眉間に皺を寄せる。

その言葉に王も苦虫を噛み潰したような顔で返す。


「貴族学校ならば女を巡って殴り合いでもして終わりだが、領主や大貴族が絡めば国を揺るがす大騒ぎだ。

ポトフも浮気妻も間男もその地位に相応しい行動をとって欲しいものだ」


「しかもその怒り狂っている当事者が無敵の武将では兄上も頭が痛いでしょう。ご心痛を推察いたします。

ところで、ポトフ伯爵とはどうされるつもりですか?」


ベアトリスは同情するように兄の顔を見ながら尋ねた。


「ポトフは自分の領地しか興味がなく妻を汚された復讐を求めている。

それを満たしてやれば丸く収まると思うのだが、何か意見はあるか?」


そう尋ねる兄王にベアトリスは少し笑って言う。

「兄上の手腕を信頼しているので私ごときが何か言うことはありません。

ただ、ポトフ軍は膨れながっており、ポトフ伯爵がすべて決められるのかと思うだけです」


「ポトフに寄ってきた有象無象のことまで考慮に入れる必要があるか?

まあ良い。

お前はすでに国に尽くしてくれた身。

政治などに関与せず、次に嫁ぐのであれば好きな男のところに行くが良い。

王都の雅な宮廷貴族でも見繕おうか」


兄の言葉にベアトリスは微笑し、

「ご厚意は嬉しいですが、しばらくはゆっくりとさせてください。

再婚はそのうちに考えましょう」と言って去って行った。



ベアトリスは王の部屋を出て、与えられた自室に戻ると側近で乳姉妹のコニーが寄ってきて話しかける。


「姫様の推察通り、貴族社会や社交界は様変わりしています。


これまで大きな顔をしていたシュラスコ一派は王陛下が徐々に削ってきましたが、今度の敗戦で一気に没落。

王党派の勢力の拡大が進みました。


社交界の貴婦人たちも姦通罪の再施行によりずいぶんと身持ちが良くなっています。

姦通していた夫人達は実家がよほどの見返りを示さなければ離縁、酷ければ殺されていますので、流石に身を慎むかと。


貴族学校でも婚約について揉め始めています。これまで馬鹿にされていたら領主貴族の子息が腹に据えかね、政治状況の変化を見て婚約破棄に動いているようです」


「やはりそうですか。

私が努力してもできなかった社交界の浄化がポトフ伯爵の一撃で実現しましたね。


しかし、宮廷貴族の力が無くなればこれまで王家が進めてきた中央集権政策も頓挫し、戦乱となるかもしれません。

そもそも領主貴族は独立諸侯が傘下に入ったもの、その牙を抜こうと務めてきたのがやりすぎました。


この辺りのバランスを兄上がうまく取ってくれればいいのですが。

引き続き情報収集を頼みます」


ベアトリスはそう言ってコニーを下がらせる。

彼女は17歳で嫁ぎ、以来8年間を王妃として帝国の国政に携わり、最後数年は王の病気に伴い王の代理も行ってきた。


外国から嫁いだ若い女性の身で、権謀術数の巣である帝国の国政を巧みに裁いた経験を考えれば、兄王よりも練達の政治家である。


(どの国も王と貴族の対立や、中央集権派と領地重視派の争いなどは変わらないですね。

我が国はそれに加えてシュラスコ公爵の長年の専権のツケが吹き出しましたか。

できれば陰湿な政治に関わらず、小さな領地とおとなしい婿でも貰い、のんびり統治と子育てをしたいものです)


ベアトリスはそう一人呟くが、王都や王族の行方も危ない中、様々な思考を行わざるを得なかった。



ポトフ軍は王都にゆっくり進撃していた。

これは各地からこれまでの王宮に不満を持つ者が次々と参加してきた為、その対応に追われたのである。


常勝将軍ポトフ伯爵の名と彼の持つ莫大な財に引き寄せられ、軍は雪だるまのように膨れ上がる。


ライアンはこれまで領地に引き篭もり、王国の政治も貴族も知らない。

それらに通じた友人のサモサ伯爵とコフタ子爵を参謀としても、苦手な対人折衝に汗をかかされる。


「見知らぬ貴族どもが愛想笑いと揉み手をしながらやってくるのをいつまで相手をしなければならないのだ!

こんな事ならば今の軍勢だけで王都を落としてシュラスコの首を挙げ、そして領地に帰るぞ!」


その日の仕事を終え、小姓シュートに酌をさせながら酒を飲んでぼやくライアンを友は宥める。


「そうは言うが、王を相手に大規模な戦争とならばますます領地に帰れなくなるぞ。


後は政治の世界。

戦もそうだが、政治も数こそが力。

ここで多数派を作って王に圧力をかけるのが大事だ。

幸い、ジョージの手記のお陰で被害者はこちらに付き、関係ない者もあれを見れば公爵を嫌悪する。

しばらく我慢してくれ」


サモサ伯爵はそう言うのを聞き、コフタ子爵はジョージという言葉にライアンが傷つかないか気になってみるが、思いの外ライアンは平然としていた。


「わかった。

シュラスコの息の根を止められるならもうしばらく我慢しよう。

しかしこんなことをしているとストレスが溜まる。

いっそ王が近衛軍を率いて戦を挑んでくれないかと思うよ」


そう言いながら、ライアンは小姓シュートを連れて自分の天幕に引き上げる。


その後ろ姿を見ながら、サモサとコフタは話す。


「コフタよ、以前に比べてライアンは元気になったと思わんか?

奥方の浮気が発覚してから陰がありながら、目がギラつき血に飢えた獰猛な野獣という感じだったのが、今や通常ベースだ」


「全くだ。

謹慎させていた奥方が森の奥で行方知らずになったと聞いたが、平然としていたな。

今側に置いている美貌の小姓のことを気にいっているようだ。

まさかと思うが、女に絶望して男色に走ったか」


「まあこの戦の間は落ち着いてくれるならばいいさ。

戦が終わればいい娘を紹介するように、奥方のサリー殿に探してもらってくれ」


二人はそう言って仕事に戻る。

ライアンは軍事の指揮を行っているが、それ以外のことは任されており、二人は情報収集や麾下の貴族との調整に奔走する。


その二人のところに王の使者がやって来た。

そろそろ来る頃かと予想していた二人は使者をサモサの天幕に通す。


「控えろ、恐れ多くも王の勅使であるぞ!

どちらがポトフだ。王のお言葉を伝える」


王宮の高官を名乗る使者は居丈高に言い募る。

このままライアンと会わせればぶつかり合うのは明らか。

ポトフは不在だとして話を聞く。


「貴族が私的に兵を集めるのは違法行為。ただちに兵を解散して領地に戻るべし。

そうすれば王陛下の許可なく官軍を名乗ったシュラスコ一派は処罰し、そちらに付いた者には悪いようにはしないという寛大なお言葉だ。

わかったな」


高圧的ではあったが、王に戦争を継続するつもりはないということがわかり、二人は安堵する。


しかし、こんなあやふやな言葉で兵を引けるわけはない。

これまで王宮は領主貴族を抑圧し、事あるごとに領地の没収などを行いその勢力を削減してきた。

宮廷貴族と近衛軍が負けたとの情報で、その憤懣が爆発しており、盟主ポトフの簒奪を望む者すら出てきている。


穏健派の二人でも領主貴族を重んじる政治への転換は必要と考えている。


二人は即時解散は無理であり、改めて和平の条件を提示すると述べて、王命に逆らうのかと怒る使者を帰らせる。


「王が戦争する気がない事は幸いだったが、錦の御旗まで授けながら、自らが敗軍に味方した責任を認めるつもりはないようだ。

王族お得意の責任のなすりつけか?


王命を今頃振りかざしても錦の御旗に逆らった我らに効力が無いとわからんか」


サモサ伯爵は先ほどの使者の態度に驚き、王宮事情に詳しいコフタに尋ねる。


「おそらくだが、王はこれを機にまだ王宮に残るシュラスコ派を一掃する気だ。

しかし、我ら領主貴族への圧迫は引き続き進めたいので、強気に出ているのだろう。

王はこの戦いには無関係を装い、漁夫の利を得るつもりだろう」


「勝てば勝利者、負ければ知らんふりか。虫がいいにも程がある。

中立を装うにしても、せめてライアンに勝利を寿ぎ、シュラスコ親子の身柄を渡すくらい言えないのか。

いずれにしても継戦は避けたかったので、向こうも和平の意向で良かった。

和平条件を突きつけ、さっさと講和しよう」


まずは和平条件をライアンに尋ねる。

シュラスコの身柄の引き渡しとこれまで得たソーダ侯爵領の併合の認可、そしてシュラスコに与した王からの詫び状とのことである。


国政への野心などライアンにはなく、早くシャロンを連れて領地に戻りたかった。


しかし傘下に入った他の貴族からは、これまでに取り上げられた領地や利権についての返還、今後の公正な人事や政治を強く主張された。


真っ先に寝返り、功績一位とされたビリヤニ男爵は妻の仇であるジョージの処刑の他に、功に応じた褒賞と裏切った主家からの保護を願い出る。


彼らの主張をまとめると、つまり国政に大きく関与しなければならないという事だ。

それを王に認めさせるのは難しいだろう、二人は交渉の難航を予想した。


ポトフ伯爵の名で示された講和条件を見て、王と宰相は驚愕した。


そこには、シュラスコ公爵ら首謀者の処罰とともに、王の詫び状の提出、これまでの不公平な裁判のやり直し、没収した領地の返還、王宮の人事や政治に領主貴族の意見を入れることが列挙されていた。


「シュラスコの処罰はいい。錦の御旗が渡された以上、余の謝罪も公の場でなければ行っても良い。

しかし、国政への介入は絶対に認められない。なぜポトフはこんなことを言うのだ!」


予想外の強硬な条件に王は激昂して叫んだ。


「おそらくはあちらに味方した領主貴族の主張でしょう。

この戦争を機に国政に口出しし、彼らの権益を拡大する考えです」


宰相はもたらされた書簡を読みながらそう答える。


「首謀者の引き渡しと詫び状を受け入れ、後段は拒否して回答しろ。

国政を王宮が決めることはこれまでの王が獲得してきたものだ。譲歩はできない」


王の言葉を受けた書簡を持って使者が走っていく。


それを見てもポトフ軍は同じ条件を突きつけて、行軍を続ける。


膠着状態のまま、ついに王都前にポトフ軍は到着した。

これまでに見たことのないほどの大軍に囲まれて王都の人々は怯える。


「同じ国の貴族が何故包囲するのだ?」


「王様がポトフ伯爵の妻を召し上げる為に討伐しようとして負けたらしい。

伯爵はカンカンで王都の王族や貴族は皆殺しと言ってるらしいぞ」


流言が広がり、特にこれまで王宮を牛耳っていた宮廷貴族は動揺する。


「許して!婚約破棄はやめて。

これからはあなたに尽くす婚約者になるから、領地に連れて行って!」


王都を包囲されて、貴族学校に通っていた領主貴族の子弟は巻き込まれまいと続々と帰り始める。


宮廷貴族の婚約者は、このままではポトフ軍に殺されると連れて行って欲しいと懇願するが、帰ってきたのは冷たい一瞥だけだった。


「その言葉を数ヶ月前に聞いていればね。

これまで散々馬鹿にして、結婚後も王都にいて愛人と遊ぶと言ってたじゃない。

大好きな王都で死ねば本望でしょう」


そう言って縋り付く手を払いのけて婚約者は去る。


あちこちで同じような騒動が起きていた。


同時に進捗しない交渉に業を煮やしたのか、王都の城壁の外から兵の喚声と矢を放つ音が聞こえる。


「火矢を放ってきたぞ!

消火しろ!」


王都の民の叫び声が聞こえる。


「早く講和の使者を出せ!

シュラスコの処罰に加えて、ポトフ軍に加増や叙爵を与えても良い。

国政への関与は認めなければ譲歩を許す」


王は焦ったように宰相に指示した。


「わかりました。

ポトフ軍は本気で攻めてきてはいませんが、こちらの食料が無くなれば無条件で降伏です。

急がねばなりません」


王宮が慌ただしくなる中、ベアトリスは自室で情報を分析していた。





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