公爵邸襲撃
王都でも1,2を争う豪奢な館であるシュラスコ公爵邸に、その日はこれまでに例がないほどの訪問客が殺到した。
誰もが宮廷貴族の家紋をつけた馬車で乗り付けるが、その顔は焦りを通り越して蒼白の男も多い。
「公爵様、何故姦通法が復活したのですか!
お陰で私の娘は姦通の現場を押さえられ、殺されました!」
「私の娘は着のみ着のままで追い出され、裸足で実家に戻されました。
しかもこれまでの援助金を返金しろと言われ、婿の兵に囲まれています!」
「公爵様、助けてください!」
「「公爵様!」」
これまでにシュラスコ公爵が口を利いた縁組は数多い。
その殆どが離縁届を出されたらしい。
このままではシュラスコが作り上げた集金システム(領主貴族→妻の実家→シュラスコ)が崩壊する。
(あの若僧め、ロコモコの宮内大臣の解任に続いて、姦通法の適用とは、儂の権力を奪うつもりか。
王になる前は大人しい顔をしていたのに、王になった途端、掌を返して儂を辞めさせ、更に勢力を削減しようとするとは。
このままおとなしくしていては、儂の派閥のメンバーは皆更迭され、王の息のかかった奴に代えられる。
人事権が無ければ儂の派は崩壊だ)
次々とくる悪い知らせにシュラスコ公爵は苛立っていた。
次々と先手を打つ王に対抗するためには、派閥のメンバーを糾合し、他の有力者と同盟を組み、王に圧力をかける必要がある。
場合によれば私兵も動かし、御所巻きも考えねばならない。
今こそこれまで培ってきた宮廷政治家としての実力を発揮する時。
(若僧め、儂の人脈と経験を舐めるな。
政争と言うものがどういうものか思い知らせてやる)
王との政争に入る前に、シュラスコ公爵には一つの問題があった。
目に入れても痛くないほど溺愛している次男のジョージが寝取ろうとして失敗したらしい。その夫であるポトフという男が身の程知らずにも公爵家に挑んで来ているのだ。
この男、可愛いジョージの尻に深手を追わせたことから、殺すか重傷を負わせろと執事に命じたが、放った刺客は悉く返り討ちに合い、その首を屋敷に投げ込まれている。
しかも、郊外にある奴の王都屋敷には数十騎が臨戦態勢でいるとの報告もあり、明らかに公爵に喧嘩を売っている。
聞けば、辺境で戦ばかりをしてきた蛮族同様の領主というので、話し合いも通じない。女どもは恐れ始め、こちらも私兵を数十名屋敷に詰めさせている。
その状況を見たのか、王は王都での大規模な私戦禁止令を発出している。
ポトフとの私戦だけならば私兵や影響下の貴族の兵を集めて夜闇密かに抹殺するだけだが、それを行えば、この禁止令を理由に王から難癖をつけられて処罰される可能性が高い。
(くそっ。
ポトフの背後に王がいるのならば迂闊に動けんな。兵を使うよりも謀で片付けるべきか。
どうせ戦しか知らない田舎っぺ大将だ。多額の慰謝料や美しい貴族の娘を餌に和解の場を設け、その場で殺してしまうか)
そう思案していると夕食の時間となる。
食卓には王宮にも引けを取らない豪華な食事が並ぶ。
「ジョージ、傷は癒えたのか。
酷い目にあったな」
「本当にあの田舎者、私の可愛い息子になんてことをしてくれるの!
あなた、早くアイツを殺して、ジョージの復讐をしてあげて」
療養していた次男のジョージが久しぶりに顔を見せ、公爵夫妻は口々に彼に声をかける。
母を異とする長男のブレンダンは冷ややかに彼に視線をやる。
今はブレンダンが世子に立てられているが、彼は後妻とジョージが世子の交代を言い立てていることをよく知っている。
ブレンダンは、ポトフ伯爵の矢でこの弟が死ななかったことが残念だった。
「いやー、父上、母上。酷い目にあいましたよ。
久々に極上の女を見つけて、時間と手間をかけてようやく喰べようとしたところに、あのクソ男が入ってきやがって。
おまけに尻に矢を射られて、肉が抉り取られました。
父上、あの男は僕の十倍くらい痛めつけてから殺しましょう。
そして奴を殺したら、僕の目の付けていた女は僕に回してくださいよ。
田舎貴族には惜しいので、僕がしばらく遊び道具にしてやります。
父上が先に味見しちゃあ嫌ですからね」
「よしよし。お前の言うとおりにしてやろう。
しかし、そんないい女ならば儂もご相伴に預かるか」
親子で卑しげな笑い声をたてたあと、ジョージは黙って座っていた異母兄に目を止める。
「おっ、珍しく兄上がいますね。
その陰気な顔では女たちにもモテないでしょう。
さっさと修道院にでも行けばどうですか。
その方がお似合いですよ」
弟の声に義母がホッホッホと馬鹿にしたような笑い声をあげ、父はそれを嗜めない。
ブレンダンはいつもは別邸にいて、食事に同席などしないのだが、今日は宮廷貴族の騒動にどう対処するのかを父に尋ねに来て、そのまま食事に誘われたのだ。
ブレンダンが気分が悪くなったのでと退席すると後ろで嘲笑する弟の声が聞こえる。
(このままでは僕は廃される。何か手を打たねば。場合によっては王と結び、父に隠居させるのも手か)と思いながら別邸に戻る。
公爵邸では長男が去り、親子三人で賑やかな食事を取っていたが、公爵次男に優しく注意をした。
「ジョージ、女遊びもいいが、危険なことは避けるように気をつけなさい。
領主貴族とは、牙を持った獣。なんとか飼い慣らし従順に躾けてきたが、逆上すると噛みついてくる。
まあ、お前に負わせた傷の報いは受けさせてやるがな」
「では父上、あの女のことは覚えておいて。
僕は粉をかけてある女のところに遊びに行ってくるから」
早速遊びに出かける息子を目を細めて見送ると、シュラスコ公爵はポトフの件をさっさと片付けるための策を練る。
その夜、シュラスコ邸の警備兵は退屈していた。
「ポトフとかいう奴らはさっぱり襲って来ないなあ。こちらは毎日の日当が貰えれば文句はないが退屈だ」
シュラスコ邸を守る私兵は交代制であり、当番以外はポトフ邸から出撃があれば集まってくる手筈。
今日はポトフ邸も暗くなり、寝たようだと報告が来て、警備兵は気が緩んでいた。
「あそこをやって来るのはいつもの巡礼者か。夜なのにご苦労な事だ。
女がいれば揶揄ってやるか」
巡礼服を纏い、祈りを口にしながら歩んでくる巡礼者が数十名やってくるのを警備兵は見て、軽口を叩く。
王都の中心部にある公爵邸の付近には大神殿があり、日常的に巡礼者が多数訪れる。
公爵邸の巨大な門の前で、巡礼者は突然止まり、先頭に立っていた大男が大声で屋敷に向かって怒鳴る。
「ここからたくさんの女の泣き声が聞こえるぞ。無理やり犯され、殺された女が復讐してくれと泣き喚いている。
恐ろしいことだ。
懺悔し、その犯人の命を捧げねば祟られるぞ!」
その屋敷では公爵やジョージによって家臣の妻や娘、侍女達が犯され、自殺したり、口塞ぎで殺されたりしてきた。
何度も大声で女の呪いだと叫ぶ大男に周りの巡礼者も唱和する。
「「この屋敷は呪われているぞ!
殺された女の呪いだ!」」
警備兵は黙らせようと掴みかかるが、たちどころに殴られて気絶する。
屋敷には呪われているという不気味な声が外から響いてくる。
公爵は、不機嫌そうに「何をやっている。不審な奴らを痛めつけ黙らせろ」と命じた。
しかし、巡礼達を排除しようとした護衛は返り討ちにあい、這々の体で屋敷に逃げ込んだ。
ますます高まる呪詛の声に公爵夫妻は苛立ち、館にいる当番兵をすべて向かわせるが、戻ってきたのは彼らの首だけだった。
もはや守ってくれる者はいない。
王都の最有力貴族である公爵邸を夜間とはいえ、こうも堂々と何者が囲んでいるのか。
公爵邸にいる人々は見えない敵に怪物のような恐怖を感じる。
屋敷から出ることも叶わなくなり、ますます大きくなる声にシェラスコ公爵家の人々が奥で震えている中、巡礼たちはドアや窓を破って屋敷に雪崩込む。その様は濁流が流れ込んできたかのようだ。
同時に貧民達も入ってきたようだ。
「収奪してきた贖罪に好きなものを持っていけ。神が許すぞ」という声と、大歓声が聞こえる。
その声を聞き、執事はいつか聞いた田舎者の伯爵の声に似ていると思ったが、まずはいつまで襲撃が続くかが問題であった。
襲撃が続いている間、物が運び出されている音とともに、「あの男を探せ!生かして連れて来い!」という怒鳴り声が聞こえる。
公爵夫妻は秘密の地下室で震え上がって、彼らが立ち去るのを待つしかなかった。
襲撃者が引き上げた後、朝になって被害の全貌が判明する。
豪壮な公爵邸は一部の使用人の部屋を残して全壊し、家財道具、什器、金目のものから食料まですべて消えていた。
厳重に隠された地下室から出てきた公爵夫妻は一夜にして消えた屋敷の前で呆然とした。
「公爵様、昨晩の襲撃の首謀者はポトフ伯爵ではないかと思われます。襲撃者の中にそれに似た声を聞きました」
公爵は、執事の言葉を聞き激怒した。
近隣の縁戚の館に身を寄せた公爵は自らの私兵や王都のゴロツキを動員し、300の兵を集める。
近衛軍を除き、貴族が王都の中で100を超える兵を動かすことは稀であり、明らかに王の出した私戦禁止令に反する。
騒ぎを聞き慌てて別邸からやって来た長男のブレンダンはそれを指摘し、自重を求めたが、公爵は聞く耳を持たなかった。
なお、ジョージは女のところで遊び疲れたのか、まだやって来ない。
「館を堂々と襲われ、丸裸にされたのだ!
王や宰相は大笑いしているだろう。
このままでは貴族社会で生きていけぬ。
この恥辱を晴らすにはそれ以上の打撃を与えねばならない。
お前たち、ポトフの館を襲い、必ず奴の首を取ってこい!」
300の兵は夜になるのを待ち、ポトフ邸に向けて出発する。
少し時間を遡る。
公爵邸の襲撃を終えて、ライアンは部下を連れて馬を飛ばし、屋敷に戻る。
「シュラスコめ、思い知ったか。
それにしてもあの間男がいないのが返す返すも残念だ。捕まえればじっくりと拷問にかけて殺すまで楽しんだものを」
「ライアン様、公爵やその家臣だけでも皆殺しにしてやればよかったのではないですか」
家臣の疑問にライアンは不気味な笑みで答える。
「そんな簡単に殺しては楽しめないだろう。
あの息子を増長させたのは親だ。じわじわと締め付け、最後に嬲り殺しにしてやる。
何も知らないシャロンを騙しやがったシェラスコ公爵親子とタンドリー侯爵夫人はとことんまで追い詰めてやるからな」
家臣や領民には温厚なライアンの変貌に、シャロンへの愛情と裏切られた怒りの深さを知る。
ライアンは帰還すると、直ちに馬車を何台も仕立てて、公爵邸から奪った荷物を運び出し、侍女達非戦闘員を領地に帰らせる。
空になった屋敷のあちこちには油を撒いておく。
「これだけメンツを潰してやったのだ。
これで復讐に来なければ政治的に死者となることは明らか。
今晩にでもやってくるぞ。
それまでに腹を満たし、休んでおけ。
ただし、酒はやめろ。後の動きが鈍くなる。
奴らをぶち殺した後、いやというほど飲ませてやる」
そう言うと、ライアン自身が真っ先に侍女達が用意しておいた飯にかぶりつき、水を飲むと、家財道具を持ち出し空になった屋敷の中でさっさと横になった。
家臣もそれに倣う。
夕方、日の暮れる前にライアン達は起き出し、館の中に人形を立てて、中に明かりを灯し人がいるふうに装う。
その後、館を出て、外の遮蔽物に身を隠す。
日が暮れてわずかに月の光が照らすだけの夜半、馬を走らせる音がした。
「屋敷の中の物は早い者勝ちだ!貴族の屋敷だ金目のものがたんまりあるだろう。
女もいるらしい。上玉を頂くぞ」
彼らは欲望に目が眩み、焦ったように中に入っていく。
「来たぞ、手筈通りに動け!」
ライアンは身体を伏せたまま、小さな声で小隊長に指示をし、彼らは持ち場に散っていく。
300の兵はそのほとんどが広い屋敷に入り、中を探索している。
「なんだ、ここにいるのは人形だぞ!
おまけに中は空、どういうことだ!」
ライアンは鐘を叩いた。
それを契機に一斉に火矢が放たれる。
そして兵は屋敷を取り囲み、外に出てきたシュラスコの兵を斬り、刺し殺す。
油が撒かれた屋敷は一瞬で火の手が回る。
「熱い、火を放たれたぞ!
逃げろ!」
「外に敵がいる!
謀られた!」
300の兵はそのまま焼死するか斬殺され、一人も生きた者はいない。
「なんと手応えがない。これが王都の兵か。
こんなことは初歩の策だろう」
呆れ果てたように騎士団長が言い、周囲の兵も頷く。
「火の手が見えた以上、近衛軍がくるだろう。さっさと領地に引き揚げるぞ。
宴会はそれからだ」
ライアンは外に繋いであった馬を引き出しながら、背後の燃え盛る屋敷を見る。
勢いよく燃える炎は喜び踊る亡霊のように見え、崩れ落ちる音は彼らの笑い声のようだ。
「クックック
見ろ、あの屋敷に留まっていた亡霊どもも供犠が来て喜んでいるわ。
俺とシャロンの為にまだまだ犠牲は増えるぞ」
そう言うライアンの、炎に照らされた横顔は地獄の悪鬼のような見えた。
騎士団長は慌てて首を振って、その姿を打ち消し、駆けていくライアンを慌てて追いかけた。
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