王国の内情と国王の思惑
昨年即位したばかりの若い国王が執務していると、難しい顔をした宰相が息せき切って入ってきた。
「宰相、慌ててどうかしたか。何かあったか」
「陛下、灰色熊が山から降りてきて、王都に来ているようです」
灰色熊(グリズリー)というのはライアン・ポトフ伯爵のあだ名である。
それは、彼の短髪に目の細く浅黒い容貌と強健な身体、精強な武力、山がちの所領から来ている。
大貴族や諸侯の話をする時は余人の耳に入ることを警戒し、あだ名を使うことがよくある。執務室には側近もいるので隠語を使ったが、王は意に介さなかった。
ちなみにシュラスコ公爵は政敵を陥れる巧みさから毒蛇と名付けられている。
「ポトフめ、2ヶ月前にソーダ侯爵領に侵攻したばかりだろう。
軍部大臣は戦いが上手くいっても数年はかかり、かの反抗的なポトフ家を消耗させるチャンスというから侵攻を許可をしたのだぞ。
それをこの短期間にもう平定したのか」
「現地の諜者からの情報です。
ポトフ軍は予想以上に精強。かつ、その財力に任せて有力傭兵も多く雇用し、万全の態勢で侵攻したとのことです。
内紛で疲弊していたソーダ軍はたちまちのうちに崩壊してソーダ侯爵は行方不明。地方騎士や民衆も金をばらまかれて恭順したとの報告です」
それを聞いた王は髪をかき乱し、呟く。
「あのグリズリー、想定以上に優秀ではないか。
奴がこのままソーダ領を併合すれば寄親のタンドリー侯爵を凌駕して国内有数の諸侯になるぞ。
かと言って、奴が実力で平定した土地を取り上げるのは名分に欠け、奴も従うまい。
王宮を毛嫌いし、手綱を取る者がいないあの猛獣をどうするのだ!
クソ親父め、ポトフが困窮していた時に助けて恩を売っておけばよかったのだ。
そうでなければ家を取り潰して芽をつんでおくのかどちらかを選択するところを、中途半端にして恨みを買うから最悪のことになる」
「陛下、加えて言うなら、災害にあったポトフ領に有望な鉱山があるとの噂を流して、ソーダ侯爵に攻め込ませたのも先代王と当時の宰相のシェラスコ公爵。
有力諸侯を潰し合わせる考えは途中まではうまく行ったのですが、まさかその後に困窮しきったポトフ伯爵が噂を頼りに一か八か掘ってみたら鉱山から銀が出てきたとは想定外でした」
宰相が苦笑いしながら言うのを聞きながら、王は席から立ち上がる。
「執務も一段落したところだ。
少し休憩して、頭の整理をしよう。
宰相、お前も付き合え」
王は執務室の隣の密談用の小部屋に移動する。大きめの窓から日差しが入っていた。
王は小ぶりの机と椅子だけが置かれた殺風景な部屋の椅子に腰掛け、宰相にも座るよう勧める。
そして二人の間のテーブルに自らでお茶と茶菓子を置き、くつろぎながら話を始める。
「それでポトフは何をしに王都にやって来た。あいつは蛇蝎のように王宮や王都を嫌って、年始の挨拶すら仮病を使って来ない。
余はあいつの顔を即位式でしか見たことがない。
あの時はグリズリーに似合わない可愛らしい妻を連れているものだと思ったがな」
高価な茶菓子を弄びながら王は尋ねる。
一見落ち着いているようだが、予期せぬポトフの動きにイラついていることを王との付き合いが長い宰相は見てとった。
「どうやらその妻を間男に寝取られ、激怒して戦場から急ぎやってきたようです」
「清楚な感じの美少女だったが、不貞をしたとは驚きだ。それはポトフも怒るだろう。
待てよ、相手を当ててやろう
シュラスコ公爵家の次男ジョージ。当たりだろう。
あいつ、あちこちの貴族の妻に手を出した挙句に、グリズリーの連れ合いまで喰ったのか。
怖いもの知らずというのは恐ろしいな。
それでどうなっている?」
王が何かを思いついたかのように面白げに聞く。
「不貞の現場に踏み込まれ、ジョージは命からがら逃走。その際に伯爵に矢を射られました。彼の強弓により尻の深くに矢尻が喰い込み、多大な出血と痛みで寝込んだとのこと。
ジョージを溺愛する公爵夫妻は激怒し、翌日、掛け合いに来たポトフを雇っていたゴロツキに襲わせるも、返り討ちで首を投げ込まれ、今、両家は一触即発の状態と聞いています。
それともう一つ、貴族学校でポトフのことを公然と罵っていた宮廷貴族の子弟がポトフに捕まりました。
ポトフからその実家に私戦(フェーデ)の申し込みがあり、震え上がって王宮に泣きつきに来ています。
しかもそれにシュラスコ公爵の添え状が付いています」
宰相の報告に王はますます面白げに口角を上げる。
「なるほど、面白くなっているではないか。
それにしても領主貴族の悪口を学校で公然と話すだと?学校は何を教えているのか、いや、領主貴族を貶めることを教えているのか。
そもそも祖父が領主貴族の力を弱め中央集権を進めるために、王宮とそれに連なる宮廷貴族の権威を喧伝し、貴族学校で嫡子達を洗脳する方針をとった。
更に領主貴族の妻は宮廷貴族からということを王宮から勧め、王宮文化を広め、彼らの金を王都に落とさせてきた。
そこまではいい。
強大な領主貴族により、国政は落ち着かなかったから、彼らを抑圧するのは方向として正しかった。
しかし、その後を継いだ親父とその時の宰相のシュラスコ公爵の時にそれが行き過ぎて、領主貴族を蔑視する風潮が強まりすぎた。
宮廷貴族の娘は王都以外を田舎と見下し、領主貴族の妻になっても王都に留まり、おまけに愛人を作り浮気をし放題などという爛れたことになった。
タンドリー夫人などその典型だろう。領地を見たこともなく、領地の金を浪費するだけと悪評高い。
あれが養母ではポトフの妻も悪い遊びを教えられたか。
貴族学校についても、領主貴族の子弟を差別し、虐めるのが当たり前と聞くぞ。
彼らの我慢は限界に来ているだろう。
誰か火をつければ大反乱になりかねない」
前々から思っていたのであったのか、茶に手もつけず、滔々と語る王に宰相も応答する。
「前王の時代にどこぞの領主貴族では夫人が間男との子供を托卵し、世継ぎとする為に当主を毒殺。それが発覚し、怒った家臣に夫人と愛人、その子供が惨殺され、事故として届けられたことがありました。
あの事件以降、領主貴族は形の上では王の勧めで宮廷貴族の妻を貰っても王都に置き、世継ぎは側室とした領地の娘からということをよく聞きます。
宮廷貴族の娘は尻軽で誰の子供を孕むかわかったものではないと言われているそうで。
そんな女を妻とさせられ、領民の税は浪費し、領主貴族のはらわたは煮えくり返っているでしょうな」
「領主の血筋は最も重要だ。さもありなん。
つまり親父のやらかしの挙句、今の我が国は王を支えるべき宮廷貴族は増長腐敗して使い物にならず、外敵への盾となるべき領主貴族は不満を貯めて爆発せんばかり。
その腐った宮廷貴族のボスがシュラスコ公爵、かの毒蛇だ。親父の代に着々と勢力を伸ばし、王宮の影の王と言われるほどだ。
できれば奴を収賄で処刑し、宮廷貴族の雰囲気を変えるとともに、領主貴族の鬱憤を幾らかでも晴したかったが、あちこちに息のかかった者を配置するなどその隠然とした力はそれを許さなかった。
ここまではお前も良く知っている事だ」
頷く宰相を見ながら、王は話し疲れたか、ここで茶を飲み喉を潤す。
「シュラスコを倒さねば、王宮は正さず、王の権力も確立できない。
しかし、あの毒蛇なかなか隙を見せなかったが、このポトフとの争い、使えるのではないか。
老獪な毒蛇に、怒り狂う灰色熊をぶつければ両者とも傷つくだろう。
余としてはどちらの勢力も削りつつ、宮廷貴族をまともにし、領主貴族からの信頼を回復し、王の権威と権力を確立する考えだ」
王は考えつつ方針を述べる。
王太子時代から腐敗する国の現状に危機感を持ち、憂える貴族を有志としてクーデターにより父王を押し込め、シュラスコ公爵を宰相から引退させた。
しかし、前政権の残党は多く、王の命令は行き届かない。
その状況を変えるチャンスと王は高揚していた。
しかし、宰相は、うーんと考える。
(この王陛下は優秀でやる気もあるが、焦りが感じられる。内憂外患の中、慎重に行きたい。わしがストップ役にならねば)
老練政治家の宰相の気持ちをよそに、王はすっきりしたように結論づけた。
「グリズリーと毒蛇を喰い合わせて漁夫の利を得る。その方向で進めてくれ」
宰相は、イキイキした声を出す王に問いかけた。
「では、当面の動きを相談いたします。
まずは宮廷貴族が泣きついてきているフェーデの裁きをどうしますか。シュラスコ公爵からは自分の子飼いであり、よしなに頼むと圧力がきています。
法理的には騎士以上には自衛や侮辱への報復の為にフェーデの権利があります。
しかし、シュラスコ公爵の横車でこれまでは侮辱を受けフェーデを行った領主貴族を処罰してきました。
それで宮廷貴族が増長したのでしょう。
さて、今回はどうされますか」
「毒蛇のメンツを潰すためにも、奴らの泣き言にとりあわず、フェーデを認めてやれ。
今後を考えれば、ポトフの好意を少しでも得ておきたい。
奴への待遇はできるだけ良くしておくことだ。
ポトフとシュラスコとの私戦は避けられないだろう。王宮は中立だと印象づけておけ」
そう言う王を横目に宰相は言いにくそうに話す。
「実はポトフ伯爵から王都屋敷の斡旋願いが来たのですが、宮内大臣が要求した多額の賄賂を拒否したため、あの亡霊屋敷を割り当てたと。
おそらく伯爵はそれが王宮の意志だと受け取っているでしょう」
「はあ、宮内大臣といえばシュラスコの一の子分、ロコモコか!
アイツを駒としてシュラスコは貴族への褒美と処罰を行い、賄賂を取ってきた人
これはいい機会だ。奴をクビとし、シュラスコの息のかかった腐敗役人は取り変えろ。
シュラスコの権威を失墜させ、王宮をまともにさせる一石二鳥。
シュラスコが怒ってもポトフとの争いで忙しく、王宮に介入する余裕がなくなるはず。
大臣を変えればポトフには改めていい屋敷を与えてやろう」
そして、王は窓に近づき景色を見る。
外では衛兵が訓練していた。
「近衛軍も祖父の時代には各地を転戦し、領主貴族に睨みを聞かせていたのだが、領主軍を疲弊させるために戦わせていた結果、実戦から離れて数十年。
今やきらびやかな制服を着て、ナンパするのが仕事と思っている。
ポトフが兵を連れて王都で暴れた時に止められるか?私戦もあまり大規模になると王の権威に関わる。
取り敢えず王都での戦闘は禁止だと徹底しておけ。
そうすればポトフも多少は遠慮するだろうし、破れば後ほど処罰する理由にもなる」
「陛下、この際提言があります。
貴族の姦通罪がシュラスコ公爵により空文化していました。
つまり浮気しても離婚も処罰もさせなかったのです。
公爵は領主貴族へ適当な嫁の縁組を世話して、領主から嫁の実家に貢がせ、そこから吸い上げて巨額の資金源としていました。
姦通罪では、妻が浮気すれば離縁はもちろん、現場を押さえれば殺しても許されます。
これを実効させれば、公爵の資金源を断ち、領主貴族からは感謝されます。
更に姦婦どもも追い出せて社交界の空気も一新でき、王の権威にも役立ちましょう」
おおーと王は手を打つ。
「それは名案、直ちに実施せよ。
となれば、ポトフも離縁するだろう。その後釜にこちらから紐付きの嫁を用意してやろう。
無論、才色兼備で身持ちは良く、性格も頭もいい、うまくグリズリーを手懐けられる女だ」
「はて、そんな方がおりますかな?
まあ探してみましょう」
「そして、ポトフとの争いが激しくなり、王宮になんとかして欲しいという声が来たところで仲裁し、収賄などを理由にシュラスコは当主から引きずりおろす。
確か、シュラスコの長男は先妻の子で阻害されていたな。奴と連絡をとっておけ。
喧嘩両成敗でポトフからは領地の削減か鉱山の没収かの処分で勢力を削る。
怒るグリズリーには、あの人妻寝取りが趣味の次男を引き渡し、機嫌を取る材料とするか」
宰相がうなづくと、そろそろ執務に戻らねばと王は部屋から出ようとするが、その前に振り向いて悪戯っぽく尋ねる。
「ポトフとシュラスコの争いどう予想する?
ポトフは精鋭だが、シュラスコはその権力と財力で多数の兵を雇える上に、権力闘争に巧みだ。
剛のグリズリー、柔の毒蛇。
せいぜい争い、傷ついてくれ」
そう言って王は去っていく。
そううまく行けばいいが、ポトフという未知数の男が宰相には不安であった。
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