愛していた妻と義弟妹への報い
侍女長が啜り泣くシャロンに服を着させると、ライアンは馬車に乗るように命じる。歩くこともままならないシャロンを侍女長が手を引いて馬車に乗せ、隣にライアンが乗り込む。
御者には騎士団長、その横には侍女長が座る。
闇の中を走る馬車の中、啜り泣きの声だけが聞こえる。
黙り込んでいたライアンが突然口を開く。
「ポトフ家は突然の大地震の後、どさくさに紛れて長年因縁のあった隣領ソーダ侯爵に攻め込まれた。
当主の父、世子の兄は戦死。逃げ遅れた母は自裁した。
一人生き残った俺は貴族学校から連れ戻されて当主となり、部下に教えてもらいながらひたすら戦い続けた。
幸いソーダ家当主が急死して奴らは撤兵したが、その後は荒れ果てた領土が残った。
本当に酷い有様だった。
頭を下げて援助を願ったが、王宮や宮廷貴族は嘲笑うだけ。
同じ境遇の領主貴族が貧しい財布から支援してくれたが、全く足りなかった。
俺は歯を食い縛り、家臣領民と節約と勤勉に励み、ここまで領地を豊かにした。
不自由も知らずに育った貴族令嬢ではそんな俺の価値観と合わないだろう、そう思って結婚も先延ばししていた。
しかし、貧しい中、自ら家事や弟妹の面倒をみてきたというお前の話を聞き、それならともにやっていけるかと思ったのだが。
こんなに早く貴族の悪癖に染まるとは、俺の目が節穴だったようだ」
そして自分の来ている素人が縫ったと一目でわかるシャツを示す。
それは見覚えがあった。シャロンが縫って初めて夫に贈ったものだ。
「俺の着ているものは、お前や侍女達が縫ってくれたもの。丈夫に作っているので野外の活動でも破れない。
俺は王都の高価な洒落たシャツよりもこれが気に入っている。
お前は領内で拵えた衣服を捨てたそうだな。
あれは侍女長が、遠方まで嫁に来てくれたお前のためにと懸命に縫ってくれたものだ。お前も喜んで着ていたのを覚えている。
そして、お前が今着ている、その煌びやかなドレスやアクセサリー。
これだけで領民の一年以上の生活費だろう。湯水のように金を使ったな。
わずか2ヶ月だが、この2枚のシャツは嫁いできた時と今のお前を示しているようだ」
低く、暗いライアンの声は泣くているかのように聞こえる。
「ライアン様、女々しいことを言うものではありません!
過ぎたことに愚痴を言って何になります。失敗は仕方ないが、今後に活かすようにと申し上げたはず!」
前方に座る侍女長の鞭のような声が響く。
彼女は少年で当主となったライアンの姉代わりとして、彼の身の回りや家政のことの面倒を見てきた。
家老が文、騎士団長が武の指南役で、父や兄の代わりであり、この三人からライアンは教えを受け、支えられてきた。
「メーガン、済まない。
心許せるお前達だけなので、気が緩んだようだ。
許してくれ」
ライアンが苦笑いする中、俯いて話を聞いていたシャロンは心中で思う。
(それは誤解です!
この王都の暮らし、最初は楽しかったけれど、次第に私には合わないと苦しくなってきた。
見たこともない、輝くようなドレスに装飾品、化粧品。
食べたこともない豪華な食事。
身が埋まるほど柔らかいベッドのホテル。
そして目の玉が飛び出るほどの支払い額。
ここの暮らしで昔の私達ならどれほど暮らせたかと思った。
侍女長に縫ってもらった服だって捨てたくなかった。
タンドリー侯爵夫人や妹に、こんな見窄らしいを持っていると笑い物になると言われて、捨てざるを得なかった。
一見華やかな社交パーティも少し慣れてくると、言葉の裏にある嫌味や当てつけ、他の貴婦人へのいじめがわかってきた。
社交界の経験もなく、ぽっと出の若い私は後見人のタンドリー夫人の後ろで愛想笑いを浮かべるだけ。
寄ってくる男たちはポトフ家の金を引き出そうとするか、私の身体を舐めるように見て気持ちが悪くなった。
早く領地に帰り、侍女たちと裁縫をして、料理を作ってあなたと向かい合って食べる日を望んでいたのに。
でも、最後にどうしても一つだけやりたかったことがあった。
名ばかりの貴族令嬢で友達は物語だけ、そんな貧しい少女時代の私の願いを遂げたかった。
一度だけでいいから絵本にでてくるような貴公子に愛されて、物語の主人公になってみたかった。それができれば王都にも社交界にも思いは残らない。
心の中で大人の私は馬鹿げたことと止めていたのに、幼い頃の私の思いは止まれなかった。
一度だけ、ばれなければ大丈夫、後は貞淑な妻になればいい。
そんな事を考えていた私はさぞ醜かったでしょう。
旦那様、愚かな妻でごめんなさい)
全ては手遅れ。何を言っても言い訳にしか聞こえない。
シャロンは何も言えず、あとは疾走する馬車の中は沈黙だけが続いた。
程なくポトフ家の王都屋敷に着く。
有力貴族は王都に屋敷を持つのが通例だが、ポトフ家は金がないのを理由に屋敷を持っていなかった。
今回、ライアンは王都に屋敷を設けることとし、貴族を管轄する宮内省に王都での屋敷の割当を頼んだ。
与えられたのは、昔王家に攻め滅ぼされた貴族の屋敷。
ここで一族郎党が自決し、あちこちに血の跡がある。
以来呪われた屋敷と言われているが、ライアンは気にせずに嘯く。
「袖の下を掴ませなかったら法衣貴族などこんなものだ。
田舎諸侯とバカにしているのがよくわかる。
王都など長くいるつもりもないし、なまじ立派な館を貰わずによかった。
亡霊が出てきたら、友よ、ともに王宮に攻め込もうと言ってやれ」
そして古く広い邸宅を軍靴で踏み躙り、戦場帰りの兵たちに存分に使わせている。
「ここはどこですか?」
馬車を降ろされたシャロンは不気味な屋敷を見て、身震いしながら尋ねた。
「新たに王都に設けた屋敷だ。
お前たちの後始末でしばらく王都に居なければならないからな。
汗水垂らして働く領民の税を高いホテル代に使えない。
高級ホテルに比べれば落ちるかもしれないが、お前も今日からはここにいろ」
屋敷の中に入ると、いつから人が入っていないのか、酷く傷み、蜘蛛の巣や埃まみれである。
あちこちの穴を男衆が直しており、数人の侍女が掃除をしていた。
「どうせしばらくいるだけだ。
雨風さえ凌げればいいぞ。
侍女長、あとはこいつの世話を頼む」
そう言うと、家臣から何事かを聞き、慌ただしくライアンは出て行った。
侍女長はシャロンが嫁いで来た時から姉のように何かと気を遣ってくれ、「ライアン様は寂しい方です。あなたが温めてあげてください」と頭を下げてお願いしていた。
その侍女長はシャロンに目も向けずに、屋敷の掃除や修理の指揮を取る。
そして「私も掃除のお手伝いを・・」
と言いかけたシャロンに、被せるように言う。
「いいえ、貴族のお嬢様に掃除など畏れ多い。
高級ホテルに劣りますが、どうぞお部屋でお休みください」
これまで奥様と呼んでいた言葉を変え、突き放したように言うと、最低限の掃除をしたその一室にシャロンを閉じ込めた。
シャロンはひたすらに後悔しながら、ベッドで眠れない時間を過ごすしかなかった。
その頃、王都の繁華街の洒落たカフェで食事をしながら、ケバブ家の弟妹は話していた。
「姉さんはジョージ様とうまくやっているかな。
僕たちのために身売りみたいに、好きでもない男に嫁いだんだ。
せめて一晩の夢を見させてあげたいね」
そういう弟に妹も頷くが、その目には疑問の色がある。
「でも、ポトフ伯爵のことをあちこちであんなに悪様に言い回って大丈夫かしら。
先日食堂で、いつもの悪口を話していたら、通り掛かった領主貴族の同級生から「領主貴族の悪口を公衆の前で言うとは驚きます。領主貴族は何よりメンツを重んじるもの。殺されてもいいという覚悟はお有りね」と言われて、みんなで青くなったわ。
おまけに私達の卒業後の行き先もあの人の息がかかっている。
もうやめた方がいいわ」
「僕だってバカじゃない。
田舎者をバカにする学校の雰囲気にあわせただけだ。
卒業したらちゃんと尊敬する義兄ですというふりをするさ。
さあ、明日は姉さんのホテルに行こうか。
真面目だから芋伯爵に悪いと後悔しているかもしれない。
離縁してもらう訳にもいかないし、王都のことをいい思い出にしてあげないと。
そしてついでに帰る前に小遣いを多めにもらおう。
あの芋伯爵は姉さんにベタ惚れたからな」
笑いながら店を出た二人はすぐに拘束された。
「誰だ!僕は貴族だぞ。
こんなことをしてタダで済むと思うな」
「死にたくなければ大声を出すな」
彼らを捕えたがっちりした男はそれだけ言うと、手を縛り人気のない公園に連れていく。
「ようやく来たか」
真っ暗の林の中、彼らを出迎えたのは、それまで罵っていた義兄である。
「ポトフ伯爵様、何故ここに!
戦場に行かれたのではないのですか?」
弟のジョセフが叫ぶ。
「親愛なる義弟妹よ。
もっと砕けていいのだよ。いつも話している芋伯爵とかな。
または田舎成金、鉱夫あがりか。
使い方を知らない田舎者の金を使ってやるそうだな」
ライアンの揶揄するような言葉に、周囲にいる男達が笑う。
自分たちの言った悪口が全て筒抜けだとわかり、二人は蒼白となる。
「学校で話しているようにもっと威勢よく言えないのか。
口を開けないなら、まず俺から言うか。
姉に不貞を勧めるような奴とは縁切り、いや、それ以前に縁戚でもなくなるか。
良かったな、芋との縁が切れて」
「いやー!
ごめんなさい!」
姉の不貞もバレていた。
そして縁を切ると言われた。
そのことはまた以前の貧しい暮らしに戻るという事だ。
すぐにそれを理解した妹のカレンは絶叫した。
「いや、待て。
縁は切れないな。
これまでの支援は返してもらわねばならない。
また、公然と俺や領地の悪口を触れ回っていた事、貴族のメンツを潰すことは黙ってられない。ここで決闘するか」
剣を見せて、殺気を放つライアンに、ジョゼフは土下座して謝罪する。
それを見たカリンも続いた。
「「申し訳ありません。お赦しください」」
「バカが。
領主の貴族のメンツは領地のメンツ。それを潰してただで済むわけないだろう。
安心しろ、お仲間がいるぞ」
木々の間に幽鬼のような顔で立っているのは、一緒にポトフ伯爵の悪口を話していた友人たち。
「領主貴族の悪口を大声で言っていたんだ。
それなりの覚悟があるのだろう。
ここで殺してもいいが、それぞれの実家に連れて行って、私戦をするのか、賠償金を払うのか決めさせる」
そう言ったあと、ライアンは周囲をみてゾッとするような笑みを浮かべる。
「私戦を選んで欲しいものだ。
今、俺は最高に機嫌が悪い。
誰でもいいからぶち殺してやりたい」
「ライアンさま、誰が相手でもいいですぜ。
ライアン様を侮辱した奴らには俺達も本当に腹が立ちます。
全員殺してやりましょう!」
ジョセフとカリンの友人は法衣貴族の子弟ばかり。
王都生まれを誇り、領主貴族を田舎者と見下し、彼らの領地への思いやその誇りを知らない。
戰など見たこともない彼らは私戦と聞き、驚愕する。
実家に行かれればどれほど叱責されることか。
「「お赦しを!ほんの気の迷いです。」」
震えながら赦しを乞う姿はいきり立っていた学校での姿と大違いであった。
「吐いた唾は飲み込めんなあ」
ライアンの隣にいる騎士団長が吐き捨てるように言う。
ライアンの家臣は敬愛する主君の悪口にブチ切れている。この若造どもの家屋敷に放火して、皆殺しにしてやりたいと思っている。
「コイツらと話していても仕方ない。
屋敷に連れて行き、俺やポトフ領をどう笑い物にしたのか、詳細に聞き出せ。
傷が残らねば、手荒な事も許す」
ライアンの言葉で生徒達は荷物のように詰め込まれる。
最後に残ったジョセフとカリンは、ライアンの部下に手荒く掴まれたついでに腹を2,3発殴られて、悲鳴を上げながら腹を押さえて吐きそうになっていた。
それを見たライアンは薄笑いして言う。
「おい、せっかく食べた高い食事をここで吐くなよ。
芋伯爵の出す飯は芋しかないからな。
まあ、多額の借金を抱えるお前達はこれから今晩のような飯を食えることはないだろう。
よく味わっておけ」
二人は口を押さえ、その意味を考えながら馬車に入れられた。
ライアンは翌日シャロンを連れてシュラスコ公爵邸を訪問する。
門のところで御用はと尋ねる執事に、「お宅の次男に俺の妻が騙されて犯されそうになった。謝罪と損害賠償を求める」とライアンは語気強く言う。
執事はため息をつき、「今度のジョージ坊っちゃんの遊び相手はあなたの奥様でしたか」というと、手慣れた風に100万ゼニーの札束を出して示談金ですという。
これで収めろと暗に言う執事に対して、ライアンはそれを受け取らずに、本人を出せと言い、執事をジッと睨む。
執事は、札束をなおも差し出し、ライアンに対して、クレーマーに対処するベテラン店員のように淡々と話す。
「そもそも誘ったのはそちらの御婦人と聞いています。ジョージ様はお忙しく、このような些事には関わりません。
これを受け取って、ことを荒立てないのが身のためです」
その静かな対応には、公爵家に逆らうのかという脅しが含まれている。
ライアンは後ろを振り返り、立ち尽くす妻に向かって言う。
「お前の相手はもうお前のことは忘れて、今度は別の相手との恋愛ごっこに忙しいようだ。いつもあるのか執事も慣れたものだ。お前も立派な男に入れ込んだものだ」と冷笑した。
シャロンは浮気相手の実家の公爵家に連れて行かれ、夫に恥ずかしく思うとともに、ひょっとしてジョージが出てきて、彼女を渡せと言ってくれるのではないかという一抹の期待が心底にあった。
「君を連れて二人でどこかに行きたい」
「こんなに人を好きになったことはない。君のためならなんでもするよ」
そんな言葉は全て嘘であり、自身にとって一世一代の恋のはずが、ジョージにとっては日常茶飯事の遊びだったことを知り、涙すら出ずに呆然とする。
そんなシャロンを冷たく見下ろし、ここに用はなくなった、帰るぞと言うライアンに対して、執事が呼び止める。
「どこかの伯爵様、少々お待ちを。
昨日、ジョージ坊っちゃんがケガを負わされたことに旦那様と奥さまがたいそうお怒りです。
せっかく来られたので、その代償を頂きましょうか。
心配ご無用。命まではとりません。手足の二、三本も折らせてもらいましょう。
田舎者でも貴族を殺すと宮内省がうるさいですからな。
ではお前たち、あとはよろしく」
執事はそう言って屋敷に戻り、代わりにその背後から3名のゴロツキらしき男が木剣や棒を持って出てきた。
「ちょうどいい鬱憤ばらしだな」
ライアンは微かに笑って呟く。
相手は何かを言いかけたが、ライアンはいきなり正面の男の顔面を、その大きく堅い岩のような拳で殴りつけた。
男は鼻を陥没させ失神する。
動く間も与えずにその隣の男の顔に裏拳を、ようやく後ろから襲ってきた男にはその腹に蹴りを喰らわす。
悶絶した3人を見下ろし、これだけかと物足りなさそうなライアンをシャロンは呆気にとられた。
夫が暴力を振るう姿は初めて見る。
後方に待機していた護衛が突然のことに慌てて走りくる。
「こいつらの首を刎ねて、屋敷に投げ入れろ」
街なかで襲ってくる相手にいつもなら手足を折る程度だが、今日のライアンは冷酷に命じた。
「首ですか?」
戦場ならばともかく、平和な王都での殺戮に戸惑う部下を見て、ライアンは苛立ったように倒れている一人の首を踏みつけた。
ゴキッ
骨が折れる音がして息の根が絶える。
「聞こえなかったか。
お前がやらないなら自分でやる」
主君の怒りを見て、部下は慌てて3人の首を刎ね、屋敷に投げ込んだ。
「帰るぞ。
次回はこれくらいでは済ませんからな」
屋敷を睨みつけて唾を吐き、ライアンは踵を返す。
ジョージの裏切り、夫の怒りと殺戮、立て続けの出来事にシャロンは頭が真っ白になり、何も考えられずにその後ろを歩いた。
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