第十二話


 蝶子が白狐の居場所を特定できたのは、光留から助言をもらってから数日後の事だった。

 蝶子は光留に状態を伝えるべく、光留の家へと来ていた。

「それで、勝算はあるのか?」

 光留が蝶子に聞けば、蝶子は「一応」と返ってくる。

「父さ……白狐が今どういう状況かにもよるわ。式は居場所がわかっても状態までは教えてくれないから」

「じゃあ。結局は行かないとってところか。どれだけ呪詛をため込んでるかもわからないし」

「ごめんなさいね、邪魔をして」

 蝶子にしては珍しくしおらしい態度に、光留も苦笑いする。

「まぁ、花南にはちゃんと言っておくから。それに、こういう時の為の守り人だろ」

 蝶子と光留は利害関係で巫女姫と守り人の契約をしているが、それでも長いことやっていればそれなりの情はある。もちろん、恋愛ではないが。

「あれから日も経っているし、元の神格の高い白狐の暴走が続けば街や花南にも影響出る。月夜のおかげで花南の引き寄せ体質を改善できたとはいえ、魂の傷はどうにもならない。そこに花南に対してどんな影響が出るかわからない以上、俺は花南を守る為にたとえ白狐でも滅する」

 蝶子が望まないことだとしても、光留にとって最優先は最愛の妻である花南だ。

「ええ、わかっているわ。最悪の場合はそうするしかない。でも、それは本当に最悪の場合よ」

「ああ。まぁ、本当に白狐を滅することになれば俺の方が持たない可能性も高いけど」

「わかってるじゃない」

 白狐を滅するのであれば手の施しようがないと蝶子が判断した時だ。

 その場合、白狐の理性は無く、落神の本能のまま活動しているということになる。つまり、その身の内に膨大な瘴気を抱えている状態の白狐を滅すれば、その瘴気は全て守り人である光留に向かう。それを抑え込めるかどうかは光留次第だが、最悪光留も死ぬことになるだろう。

「そりゃ、昔みたいな無茶はもうしたくないからな。花南の為にも。それで、もう今夜には出るのか?」

「ええ、そのつもりよ」

「わかった」

 光留は立ち上がると、自室で幼稚園で使う壁飾りを作っている花南に声をかけ、蝶子から聞いた内容と今夜の事をそのまま伝える。

 花南も白狐の存在は知っているが、落神であることから、あまり近づかないようにしていたとはいえ、蝶子が彼を大切にしていたことは知っている。

「そう、ですか……」

「うん。できるだけ早く戻るから」

「無茶、しないでくださいね。光留君が死んだら、わたし……」

 泣きそうな花南の表情を見て、光留は花南をぎゅっと抱き締める。

「ごめん、もう二度と花南にあんな思いはさせない。俺にとっては花南が一番だから」

 花南にとっても、光留は唯一の人だ。

 まだ結婚したばかりで未亡人になるなんて考えたくない。

「はい。わたしは、光留君を信じてますから」

 二人は顔を見合わせると、そっと口付ける。



(やっぱり、光留を連れて行くのやめた方が良かったかしら……)

 蝶子の守り人とはいえ、光留は家庭を持っている。今はまだその兆しはないとはいえ、いずれ子供も生まれるだろう。幸せの只中にいる二人を引き離したいわけではない。

 それでも、守り人である光留にいてもらいたいのは、白狐の瘴気を受け止めるのではなく、最悪蝶子を殺してもらうためだ。

(わたしは、白狐がいないと生きる意味がないのよ……)

 もしも彼がいなくなれば本当にどうしていいかわからなくなる。

(だから、本当に最悪の時は、光留に託すしかない)

 守り人の契約は蝶子が死ねば解消される。今の光留であれば、守り人としてではなく、術者として対処できるはずだ。

 その場合、光留が社会的に殺人者にならないように根回しはある程度してある。

 光留は嫌な顔をするだろうが、最期くらい我が儘を言ってもいいだろう。

「お待たせ、蝶子」

「あら、思ったよりも早かったわね」

「動くなら早い方がいいだろ。花南にはちゃんと言ってきたし、白狐と違って俺たちは転移なんて出来ないからな」

 そう。蝶子が遠方へ行く場合、白狐の転移の術を有効活用していたのだが、その白狐がいない以上、蝶子たちの移動手段は限られている。しかも転移するより時間がかかるのだ。

 移動している間に別の場所に転移されても迷惑だ。

 「それもそうね、それじゃ早速行きましょう」




「やっと見つけた!」

 白狐を探して初めて数時間。時刻は夜九時を回った頃、蝶子たちは揚羽の母である凰花――鳳凰唯の住んでいた家のあった裏山の中腹当たりにいた。

 明かりがないので見つけるのに苦労したが、式の報告からあった範囲から移動していないのが幸いだろう。

「うっ……すごい瘴気だな。てか、これ本当に白狐か?」

 光留が引くのも無理はない。

 膨れ上がった瘴気と、形が溶け出して黒い靄をまとわりつかせている姿は、美丈夫だった白狐とは似ても似つかない。最悪、本当に滅さないといけない。本当にギリギリのところだ。

「間違いないわ。彼は、白狐よ」

 蝶子も悲しそうな目でその塊を見る。

『ニンゲン……』

 ぼそり、と白狐だったモノが呟く。

「父様……わたしよ。蝶子――揚羽よ」

 蝶子は優しく語りかけるが、白狐はウゾウゾと動くだけで、反応を示さない。

『アゲハ……シラヌ』

 もう理性も殆どないのか、白狐の身体から黒い触手が伸び、蝶子を絡め取ろうとする。

『オマエ、ウマソウ……。ニンゲンノムスメ……』

「父様っ!!」

 蝶子が絶望的な顔をする。

「蝶子っ!」

 とっさに動けない蝶子の代わりに、光留が炎で触手を燃やす。

『グッ、浄化ノ、炎……』

 光留の扱う炎は蝶子の守り人になった恩恵で得たものだ。だから蝶子の気配を纏っていても不思議ではない。

 蝶子の気配を纏う炎に、白狐は一瞬だけ理性が戻る。

『蝶、子……』

「っ、良かった! 白狐、まだ間にあ……」

『我ヲ滅ボセ。デナケレバ、我ハオ前ヲ……』

 苦しそうな白狐を見れば、蝶子は胸が痛くなる。

「私を食べたいの? いいわよ。元々そういう約束だもの」

「おい、蝶子」

 蝶子は当たり前だとばかりに自分の身を差し出すが、光留が蝶子の肩を掴んで引き留める。

「邪魔しないで」

「馬鹿、そうじゃない! よく見ろ。白狐が本当にそれを望んでるのか?」

 光留も蝶子と白狐が出会い、共にしている経緯は聞いている。

 そして、恋を知っているから、白狐の気持ちもわかるのだ。

「お前はそれで良くても、白狐に、鳳凰――凰花と同じ思いをさせる気か?」

 蝶子を食べた罪悪感を抱えながら、長い時を生きて、白狐は本当にそれを幸せだと感じるのだろうか。否、それはあり得ないことを、蝶子は母を見て知っている。囚われ続けるくらいなら、いっそ滅してしまった方が、白狐の為だということも。

「っ、わかってる! でも、でも白狐はこんなに苦しんで……」

「それを救うのが巫女姫だろうが。蝶子が無理なら俺がやる。じゃないと本当に時間がないぞ」

 光留のいう通り、あまり時間はない。

 光留はいつでも攻撃できるように、周りに炎の玉を浮かび上がらせる。

 白狐の理性があるなら希望はある。でも、その理性が完全に消滅すれば白狐はもう手の施しようがない。滅するしかない。

 蝶子は唇を噛み締める。

『守リ人、構ワナイ。ヤレ』

 白狐も蝶子には無理だと判断した。光留に向って滅するように言えば、光留はちらりと蝶子を見た後、頷いた。

「悪いな。俺は白狐に優しくしてやれない」

 光留自身は白狐に思うところはない。ただ、前世では一応揚羽の父だった。娘に会うことなく死んでいるが、それでも父としての情は月夜にもあったからだろうか。

 娘を泣かせる男には、あまり寛容になれない。

 いつもの蝶子なら「父親面しないで」と怒鳴るところだろう。光留が手を上げて炎の玉を白狐に投げようとした時だった。

 蝶子は白狐に駆け寄り、その身体を抱き締めた。

「ダメッ! やるならわたしごとにして!」

「無理。この炎はお前の炎だ。お前自身を焼くことは出来ないのは、お前も知っているだろう」

『蝶子……』

「っ、わかってる! でも、わたしにとって一番は白狐なの! あなたにとっての一番が花南であるように、わたしにとっては彼がそうなの」

 ずっと、ずっと一緒にいた。幼い揚羽を守り、慈しんでくれた唯一の神様。

 蝶子だけの、たった一人の最愛の神様だ。

「白狐、やっと気づいた。遅くなってごめんなさい。わたしは、あなたが好きよ。愛してる」

 そう言って、蝶子は白狐に口付ける。

 巫女姫の癒しの力を含んだ口づけは、白狐の霞んでいた理性を思い出させ、落神の本能を抑え込む。

(アア、温カイ……。懐カシイ……)

 揚羽と初めて出会ったとき、白狐は傷を治してもらった。あの時と同じように温かくて優しい力だ。

(愛オシイ……)

 無邪気で明るく、誰にでも優しくて、でもそれは寂しさを紛らわすためだけの強がりだということを、白狐だけが知っている。その孤独にずっと寄り添ってきた。

 できるなら、この娘を自分だけのものにしたいとずっと思っていた。

 白狐の瞳から、涙が零れ落ちる。

『蝶子……』

 白狐の姿が徐々に人の姿のものへと変わる。纏っていた瘴気もいくらか光留に流れていったが、蝶子の癒しの力で大半が浄化されたようだ。

『馬鹿ナ娘ダ』

「っ、そうよ、知らなかった?」

 元の落神の姿を取り戻した白狐。けれど、一度形が崩れてしまったからだろうか。

 それとも最初に光留が浄化の炎で焼いたからか、白狐の身体は徐々に薄くなっていった。

 落神が自然消滅する前兆だ。

『我ノ役目ハ終ワッタ。我ハ還ル。我ガ愛シノ巫女姫ヨ。ドウカソノ手デ送ッテクレ』

「嫌よ。絶対嫌! やっと、やっと気づけたのに……、父様としてじゃなくて、わたしはっ……!」

 蝶子の唇が塞がれる。白狐の唇が触れたと気付いて、蝶子は目を潤ませる。

『蝶子、愛シテイル。ダカラコソ、愛スルオ前ノ手デ送ッテホシイノダ』

 白狐の甘い言葉が、蝶子の胸を切なく締め付ける。


 ――やっと、やっと想いが重なった。

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