第十三話


 父としてではなく、女としての揚羽を――蝶子を愛している。

 そう気づいたとき、何故彼女は自分の巫女姫ではないのかと、何度も鳳凰神を呪った。

 だけど自分よりも神格の高い神を呪うなんて物理的に出来るはずもなく、ただ彼女が母のためにと懸命に生きているのを見守ることしかできなくて、何度も歯がゆい思いをした。

 自分なら、この娘にこんな重い枷はつけなかった。

 揚羽は、重い役割だと承知しながらも強く懸命に生きて、何度も転生して、ようやくその重い楔から解放された。

 なら、あとは人としてまっとうに、落神なんかと関わるべきではない。

 巫女姫の最期の敵として、自分は相応しい。潔く消えて、彼女をもっと自由にしてやりたかった。

『蝶子、愛シテイル』

 そう伝えた時の蝶子の表情が見れただけで、もう十分だった。

「ありが、とう。わたしも、愛してる。だから、わたしをあなたの巫女姫にして」

 蝶子は白狐の手を取って頬に押し付ける。

「わたしは、あなたと共にいたい。あなたの世界で幸せになりたいの」

『蝶子、ソレハ……』

 出来ないはずだ。

 落神に落ちれば信仰を失ったも同然。雪珠だった頃のご神体も当の昔に朽ちている。

 神に戻ることは不可能だ。

「いいえ、不可能じゃないわ。わたしが、必ずあなたを神に戻して見せる。だってわたしは、歴代最強と言われた、月夜と凰花の娘、揚羽の生まれ変わりよ。絶対やって見せる」

 蝶子は涙を拭いて、強気に微笑む。

 光留はそれを見て、火の玉を収めると、蝶子から預かっていたタッセルを渡す。

「もう大丈夫そうだな。一応俺の霊力には最初の神だった頃の力も多少混ざっているから、神格の核には出来ると思う」

「ありがとう」

 光留が蝶子から預かっていたのは、白狐の狐姿の時に抜けた毛で作ったタッセルだった。

 それをご神体にするとは言ったものの、白狐にはもう神格の核になるような力はない。

 だけど、光留の魂が発生する最初の生。月夜よりも前の前世は神だった。

 光留自身にその頃の記憶は無いが、魂は記録している。魂に紐づく霊力は、まだ神代を覚えている。蝶子は光留に頼んで、タッセルに光留の霊力を込めてもらっていた。

「俺の霊力っていうか、元々の神格は白狐よりも低い、自然霊近い。だから、元の神格に押し上げること出来ない。それでも、神に返り咲くことは出来るはずだ。必要であれば凰鳴神社うちで祀ってもいい」

 神格の核があれば、白狐は神に返り咲ける。蝶子の庇護下にいる白狐なら、蝶子の守り人である光留の霊力にも抵抗は少ないはず。それが蝶子の考えだ。

『甘イナ』

「まぁ、あれだけ見せつけられたらな。月夜は怒り狂うかもしれないけど、俺は月夜の生まれ変わりであって、月夜じゃないし。蝶子の頼みを聞くのが俺の仕事だし」

 光留が肩を竦める。

 あとは蝶子に任せたと、2人を見守る。

「これをあなたのご神体にします。あなたの毛で作ったものだから、拒絶反応も最小限のはず……」

 白狐が狐姿で蝶子に寄り添う時、蝶子はよく、白狐のブラッシングをしてくれていた。


 ――ふふ、落神でも毛って抜けるものなのね。

 ――コノ姿ノ時ハ獣ニ近イカラダロウ。

 ――そうなの? でも、抜け毛でもとっても綺麗……。何かに使えないかしら?

 ――ヤメテオケ。落神ノ毛ナンテ邪気ニシカナラン。穢レルゾ。

 ――うーん、そうかしら? 抜け毛からは何も感じないし、やっぱりもったいないわ。


 いつだったか、蝶子とそんな会話をした記憶がある。

 白狐は止めたが、蝶子は話を聞かずに集めていたのだろう。

 それが、今意味を持つようになる。

「もう一度だけ、聞きます。白狐――いえ、雪珠。あなたは、もう一度神に返り咲く覚悟はありますか?」

 蝶子が巫女姫として、神である”雪珠”に問う。

 もう二度と神に戻るつもりはなかった。けれど、蝶子は白狐が――雪珠が神になることを望んでいる。どうするつもりかはわからないけれど、蝶子を信じると決めた。

 彼女についていくと決めたあの日からずっと。

『アア。我ヲ、神ニ戻シテクレ。我ガ愛シノ巫女姫ヨ』

「承りました。巫女姫、鳥飼蝶子の名に於いて、我は神、雪珠を主神と崇めます。わが身は供物であり、この生涯あなた様のものであることを誓います」

 蝶子が膝をついて、神様に対する最大限の礼をもって頭を下げる。

 たった一人ではあるが、信仰を取り戻した白狐――雪珠の身体から邪気が祓われ、真っ白な雪のような光に包まれる。

 光が収まれば、神格を持った神としての姿を取り戻していた。

「綺麗……」

 蝶子はうっとりとその姿を眺める。

 白狐の頃からそうだったが、視える人間からすれば白狐の容姿は麗しいと言える。

 白銀の長い髪と金色の瞳、狐耳と三本の尻尾。

 尻尾の数が減ったのは、仕方ないとはいえ元の神格よりも下がってしまったからだろう。

 それでも、美しい姿に落神の頃のような危うさは感じない。

『蝶子、ありがとう』

 雪珠に声を掛けられ、蝶子はハッとする。

 このままいつまでも見ていたいが、神様は人間の世界に長くは留まれないのだ。

「雪珠様、神のお姿とてもお美しゅうございます。そして、神としてのご帰還、心よりお待ちしておりました。これは、わたしからの供物です」

 蝶子は咳ばらいをすると、改めて雪珠に向き直ると、一振りの刀を捧げる。

 雪珠はそれを受け取る。

「わたしは、まだ鳳凰神の巫女姫です。ですが、心はあなた様と共に」

 蝶子が生きている間は、どうしたって鳳凰神との繋がりは絶てない。雪珠にも、自分の神格より高い神から蝶子を切り離すことが出来ない。

 蝶子が生きることを望んでくれている雪珠に、殺してくれとは言えない。

 だから、これは今の蝶子が出せる答えだった。

「いつか、わたしが人の生を全うしたとき。あなた様が迎えに来てくださるとき、どうかその刀でわたしを斬って、あなたのおそばにおいてください」

 鳳凰神が授けた、揚羽の父、月夜の前世の神だった頃の権能が込められた刀。

 ”縁切り”の刀は、神である雪珠が使えば、鳳凰神との繋がりを絶てるだろう。

『蝶子』

「はい」

 雪珠の声は震えていた。それほどまでに想ってくれていた蝶子にどう返せばいいのかわからないくらい。

 こんな気持ちになったのは、生まれて千数百年もの間の中でも初めてだ。

 雪珠は片膝をつくと、蝶子の手を取り額に押し付ける。

『鳥飼蝶子、我が愛しの巫女姫よ。その願い、必ずや叶えよう』

 蝶子が寿命を迎えるのは、数十年も先の事だが、雪珠とってそれは瞬きにも等しい時間だ。それくらいであればいくらでも待てる。

『これまでの我への献身に応え、御身を必ず守り慈しむ。その生に、幸が多くあることを我が名にかけて約束しよう』

 雪珠の神力が蝶子に流れてくる。

 白狐の頃に何度もその尻尾を枕にして眠ったときの温かさに似ている。

(すごい、ずっと抱き締められてるみたい……)

 ふわふわして、気持ち良くて、安心する。

 雪珠は立ち上がると蝶子を抱き締める。

「雪珠様……?」

『別れがこんなに惜しいと感じたのは、初めてだ』

 その言葉を聞いて、蝶子も雪珠を抱き締め返す。

「わたしもよ……。ありがとう、ずっとそばにいてくれて、わたしの父様になってくれて」

 白狐といた時間が揚羽――蝶子にとっての救いだった。

「好き、好きよ……。愛してる。絶対、わたしを迎えに来てね」

『ああ、必ず迎えに来る。それまでは我はお前を見守ろう』

 2人は顔を見合わせるともう一度口づけをして、雪珠は神の世界へと還っていった。

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