第七話


「蝶子、こっちは片付いたぞ」

「ありがとう。こっちも終わったわ」

 住宅街に落神が出ると蝶子から連絡をもらい、光留は勤務が終わったその足で現場へ向かった。

 思ったよりあっさり片付き、これなら花南に心配させずに済むと安堵していると、ふと蝶子の様子がいつもと違うことに気付いた。

「なんかあった?」

「あら、あなたがわたしを気遣うなんて珍しい」

「悪かったな、普段気付かなくて」

 嫌味っぽく返してみたが、やはりいつもの覇気がない。

 光留は小さく息を吐くと、ひとつ気になったことを蝶子に訊ねる。

「今日は白狐いないんだな」

「ええ。父様には別のところの落神を対応してもらってるの。そんなことより、さっさとその呪詛祓っちゃいましょう」

「あ、ああ」

 光留の中に溜まった邪気と呪詛を祓い、そのまま別れようかと思ったが、白狐という保護者がいない今、女の子をひとり放っておくのも気が引ける。特に蝶子は見た目はたいそう美しく、駆け出しの女優ということもありストーカーに遭いやすい。今までは白狐がその手の輩を始末していたが、いないのであれば少し心配だ。

「白狐が迎えに来るまでで良ければ相談に乗るけど、恋愛絡みは勘弁して」

「あなたにその手の話は期待してないわ。でも、そうね、ちょっと聞いてもらおうかしら……」

 蝶子は先日白狐と会話した内容を掻い摘んで説明する。

「なるほどな。白狐はお前と一緒にいたい、けど、お前はそれが本当にいいのかわからない……か」

 光留は頭の後ろをがりがりと掻いて、頭を悩ませる。

「そもそも、白狐は何で蝶子と一緒にいたいんだ? 疑似的とはいえ娘だからか?」

「そう、だと思う」

「でも、それだったら子離れしろ、で済む話だろ。心中したいって思うほど……」

 光留は顎に手を添えて考えてみると、その感情に行きつくことになる。

「まぁ、無くは無いか……」

「何よ。なんかあるの?」

 光留は蝶子を見てから視線を逸らす。

「これは、俺の想像だし、当てても外れたも白狐には言わないでほしいんだけど」

「いいわ。約束しましょう」

「……たぶん、蝶子の事、好きなんじゃないか?」

「娘として、って意味であればもちろんよ」

「いや、お前が威張ることじゃないと思うけど、そうじゃなくて、恋愛的な意味で」

「はい?」

 そんな馬鹿な、と蝶子は思う。

 しかし、同性である光留から見れば思うところはあるらしい。

「もしも、だけどさ。月夜が魂の分離に失敗してたら、俺はたぶん今ここにいないで死んでたと思う。実際月夜に言われたしな。失敗したらお前も道連れだって。でもさ、あの頃の俺はそれもいいか、って思ってたんだよ。鳳凰がいなくなった世界でどうやって自分が生きてくかも想像できなくて。それならいっそ一緒に殺してくれていいのにって。鳳凰はそう言うの望まないだろうから、結果として俺は残ったけど、まぁ、心中してもいい感情は親子よりも他人、恋愛感情に近いと思う」

 光留の話を聞いて、すとんと胸に落ちるものがあると同時に、とても息が苦しかった。

「な、によそれ。娘じゃなくて、女としてってこと?」

「あくまで可能性の話だ。本当のところは白狐に聞いたほうがいい。あとは、蝶子の気持ち次第でどうしてやるのかいいか、考えてやるのが巫女姫であり、白狐の主人のお前の役目だろ」

 光留の厳しい言葉が胸に刺さる。

 わかっている。光留に言われるまでもない。

 だけど、もし男女の情であれば蝶子に応えることは出来ない。

 蝶子は、恋心が分からない。

「っ……」

『蝶子、終ワッタゾ』

 蝶子が何かを言いかけた時、白狐が転移で戻ってくる。

 様子のおかしい蝶子を見て、白狐はぎろりと光留を睨む。

『? 貴様、蝶子ヲ泣カセタノカ?』

「いや、泣かせたんじゃなくて、そいつが勝手に……!」

「父様、こいつに虐められたの、虐め返しておいて」

「はぁ!? 濡れ衣だろ! ふっざけんな! あ、馬鹿っ、やめろ白狐! 目がマジすぎる!!」

『何ガアッタカハ知ラヌガ、蝶子ガ言ウノデアレバ我ハ従ウノミ』

「ぎゃああああああーー!」

「行きましょ、父様」

 幻覚で悪夢を見せられた光留が情けない悲鳴をあげるのを放って、蝶子たちはスタスタと去っていく。





「ほんと、あいつたまにデリカシーなさすぎるんだから。早く花南に愛想尽かされればいいのよ」

 帰り道、白狐に愚痴をいいながら蝶子が歩いていると、ふいに落神の気配を感じた。

「っ、何?」

『気ヲツケロ、蝶子』

「ええ。……これだけ気配が強いということは、近いのと、よほど神格が高かった神様ということね」

 蝶子が緊張の面持ちで辺りを見渡す。

 ここはまだ、住宅街の路地の一角だ。ここからだと蝶子の母校である英華女学院が近い。夜十時を回っているから、人の出は少ないが、まったくいないわけでもない。

 できるだけ一般人を巻き込まないよう、蝶子は英華女学院へ向かう。

「こちらを追ってきているみたいね。この時間なら人はいないはずだし校庭で迎え撃ちましょう」

『ワカッタ』

 白狐に指示を出し、英華女学院の校庭へ転移する。

 蝶子と白狐が校庭で待ち構えていると、正体不明の落神も追いついてきて、黒い靄のような姿から徐々に人に似た姿を形成する。

『久シブリネ、雪珠セツジュ

 随分と古い名前で呼ばれ、白狐は訝しむ。

『私ノコト、忘レチャッタ?』

 妖艶な美女の声だった。この声には聞き覚えがあるような気がしたが、思い出せない。

「知り合い?」

 蝶子が尋ねる。

『ワカラナヌ』

『酷イワ、昔ハヨク一緒ニイタジャナイ、ネエ雪珠』

 黒い靄が晴れると、そこには美しい女性が立っていた。

 だが、それが人間ではないことは一目瞭然だ。

 足元まである長い銀色の髪、金色の瞳と、ふわふわな五本の尻尾。

『貴様、雲霞ウンガカ』

『ヤット思イ出シテクレタ。改メテ、久シブリネ雪珠』

 雲霞はニコリ、と美しく微笑んだ。


 

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