第八話


『久シブリネ、雪珠』

 足元までくる長い銀髪に、金色の瞳、そして五本の尻尾。

 蝶子が父と慕う落神の白狐とよく似ている。

『雲霞、何故コンナトコロニ?』

『何故ッテ、幼馴染ニゴ挨拶ネ。タマタマ貴方ヲ見ツケタカラ追イカケテキタノニ』

『ソレハゴ苦労ダッタナ。デハ、用ハモウ済ンダ。行クゾ、蝶子』

「え、ええ。でも……」

『祓イタイ気持チガアルノダロウガ、守リ人ガソバニイナイ今ハヤメテオケ』

 蝶子とてわかっている。

 揚羽の時ならいざ知らず、転生も七回目となると魂そのものが弱っている。

 雲霞は白狐と同等の力を持つ落神だ。今の蝶子が戦って、勝てないわけではないだろうが、光留という守り人がそばにいない状態で戦うにはいささか分が悪すぎる。

『逃ゲルノ? トイウカ、貴方ガ連レテイルソノ女、巫女姫デショウ。ズイブン魂ガ弱ッテイルミタイダケド』

『貴様ニハ関係ナイ。ソモソモコノ女ハ我ノ獲物ダ。貴様ニクレテヤルツモリハナイ』

 白狐の言葉に雲霞は嘲笑する。

『獲物? 嘘オッシャイ。貴方、ソノ女ニ落神トシテノ本能ヲ封印サレテイルジャナイ。シカモ従順ニ尻尾マデ振ッチャッテ。アー情ケナイ』

 煽る雲霞を無視して、白狐は蝶子を抱えて転移しようとするが、足元に狐火を投げ込まれる。

『チッ、何ヲスル』

『マダ終ワッテナイワヨ。ネエ、貴方ガ食ベナイナラ私ガ食ベチャイマショウカ。ソレトモ……』

 ちらりと蝶子を見てから白狐を見る。

「父様、光留がいないのは不安だけど、やっぱり祓いましょう。あまりよくない気がする」

 蝶子が白狐の服の裾を掴む。

『ヤメテオケ。アマリ心配セズトモ、雲霞ハソノウチ消エル』

「どういうこと?」

 白狐は顎で雲霞の尻尾を指し示す。よく見れば尻尾が揺れて気付きにくくなっているものの、尻尾の形が崩れているように見える。

『形ヲ保テナイ落神ハ、ソコラヘンニイルノト変ワラナイホド落チル。ソウナレバ理性ナド消エ、オ前ノ負担モ減ル。ソレマデ待テバイイ』

「そういうことね。さすが父様」

 揚羽が村を出て旅をしている間に白狐が教えてくれたことだ。

 ずいぶん昔の話だったから忘れていたが、あの頃が少し懐かしい。

 蝶子と白狐の会話が聞こえたのか、雲霞はニコリと笑う。

『ソンナコト、私ガ許スト思ッテ? イイワ、私ガソノ小娘ヲ食ッテ、元ノ力ヲ取リ戻スワ』

 雲霞が手のひらに狐火を灯すとふっと息を吹きかける。すると辺りから霧が立ち込める。

「幻術ね。父様、お願いしても……きゃっ!」

 白狐の姿が見えなくなる前に、白狐の幻術で相殺しようとしたが、その横から雲霞の爪が伸びてくる。

 間一髪で避けたが、雲霞の動きは思ったより早い。

 蝶子が霊力の刀を織り上げる前に次の一撃が来る。

「ちょ、すばしっこいわね!?」

『ウフフ、貴方巫女姫ナノニ刀ヲ使ウノネ』

「そうよ、悪い?」

『巫女姫ラシクナイッテ言ワレナイ?』

「ないわね。そもそも巫女姫らしいって何よ」

 何とか霊力の刀を織り上げ、雲霞の爪を受け止める。ガキンと金属のぶつかる音がして、耳が痛い。

『罪人ノ娘、イラナイ子。ウフフ、貴方随分ナ生イ立チノヨウネ。人間ガ憎クナイノ?』

「生憎と、今の”私”は関係ないわね。パパもママもちゃんといるし、月夜みたいな変態じゃないしっ!」

『本当ニソウ?』


 ――揚羽。


 蝶子はハッとする。

 振り返ると、巫女装束の凰花が立っていた。


「か、さま……」


 わかっている。彼女はもうこの世にはいない。

 大好きだったから、救いたくて、光留と一緒に彼女を殺した。

 あの重くて、鈍くて、手が痺れるような感触は今でも覚えている。


 ――揚羽、どうして私を殺したの?


「え……」


 凰花は冷ややかな目で蝶子を見ていた。

 それから温度のない声で呟く。


 ――あなたなんか、生まれなければ良かったのに。


 ピシりと、心が凍り付いたような気がした。


 ――あなたがいたから、月夜様は殺された。私は、不老不死になった。あなたさえなければ、私はずっと幸せだったのに……。


 頭ではわかっている。これは幻覚だ。

 凰花はそんなこと言わない。

 何度も転生して、追いかけてくる揚羽をいつも心配してくれた。

 蝶子として生まれ変わって、光留という守り人を得て安心していたのを知っている。

 それでも、心のどこかでは思っていたかもしれないという疑念があった。


「あ……、ちが、わたしは……」


 動揺する蝶子の耳元にふっと生暖かい息が吹きかけられる。

『憎イデショウ。自分ノ母親ガ』


 ――全く、罪人の子が巫女姫だなんて悍ましい。

 ――だが、あれでも神様のお気に入りだ、育てるしかないだろう。

 ――嫌よ、なんであたしがあんな不気味な子の世話しなきゃいけないのよ!


 凰花のそばに、かつて揚羽が住んでいた村の人たちが、口々に揚羽を貶める。


「わたしは、そんなつもりなくて……、だから、村のために一生懸命やって……」


 ――だけど結局我らを見捨てた。

 ――お前が見捨てたせいで俺たちは……。

 ――お前のせいで村が滅んだんだ!


 村人の顔がどろりと溶ける。

 村が滅ぶことはない。何故なら、月夜と凰花の兄妹が住んでいた屋敷跡には凰鳴神社が建っていて、彼らの血族の末裔が神社を守っている。

 そして、現在その筆頭となるのは月夜の生まれ変わりであり、蝶子の守り人である槻夜光留。だから、当時の村の名前が残っていなくとも、村そのものが滅んでいるわけではない。

 だから、これは幻覚だとわかっている。

 それでも雲霞がこれを見せてきたのは、揚羽の心のどこかにその思いがあったから、なのだろう。

『蝶子!』

 名前を呼ばれ、ハッとすると同時に横から腕を取られる。

 顔を上げれば白狐がそこにいた。

「っ、と、さま……」

 見慣れた白面に冷たいのにどこか温かな眼差し。

 揚羽の時から蝶子を支えてくれた白狐の顔を見てホッとする。

『ワカッテイルダロウガ、コレハ幻覚ダ。惑ワサレルナ』

「え、え……ごめんなさい。わたし……」

 そう、わかっている。優しい母、凰花は揚羽のせいだなんていわない。


 ――あなたが生きていてくれて、とっても嬉しいわ。もっとお話聞かせて?


 生まれ変わって、魂の形が変わっても、何度も揚羽を見ては無邪気に嬉しそうな顔をしてくれていた。

 最期まで、揚羽を娘として扱ってくれていた大好きな母の姿を、ちゃんと覚えている。

「村は、滅んだんじゃない。わたしから捨てたの。後悔なんて、していない」

 動揺していた蝶子も落ち着きを取り戻し、巫女姫として背筋を伸ばして、凛とした表情になる。

 白狐はその立ち居振る舞いが、女神のようにも見えて、少しだけ居心地が悪い。

 それでも、目を離すことはしない。彼女は大事な主人であり、愛おしい娘なのだから。

「ありがとう、父様。やっぱり、わたしには父様がいないとダメね。当分親離れは無理かも」

『ソレハ困ル。子ハイツカ親カラ離レルモノダ』

「あら、父様の意地悪」

 蝶子が笑う。その表情に、白狐も小さく口角を上げる。

『コノ、小娘ガァァッ!!』

 後ろから雲霞の爪が伸び、とっさに避けたが頬を掠める。

「っ、霧で気配が読めなかったわ……。父様、霧をどうにかできる?」

『アア』

 白狐が霧を晴らそうと空を見上げると、上から雲霞が蝶子を狙っていた。

『ッ、蝶子ッ』

「え?」

 白狐に抱き締められ、押し倒されるように尻餅をつく。

 白狐の背中から、黒い靄が吹き出る。

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