第六話


 劇場の片隅に火柱が上がる。

『グオオオーーーーッ!』

 あっという間に燃えカスになったそれを見て、蝶子はホッと息を吐く。

「まさか劇場にまで落神がいるなんて……昼間誰も襲われなくて良かったわ」

 落神は神様のなれの果てだ。信仰を失い、人を憎んだり、邪心に染まった神が落ちた姿。

 八百万の神がいる日本では昔から落神がいるのが当たり前だったが、科学が発展した現代では数が減っている。

 とはいえ、巫女姫と呼ばれるほど霊力の高い蝶子は、落神達にとって格好の餌だ。それ故に引き寄せやすく、蝶子の出入りする劇場に出ることも不思議ではないのだが、時々ふと思う。


 ――わたしは、いつまでこんなこと続けるのかしら。


 巫女姫であることに誇りはある。

 だけど、蝶子が目標としていた母、凰花を救うことが出来た今、普通の家庭に生まれ育った蝶子には巫女姫としての義務はない。

 いつでも巫女姫を辞められる。だけど――。

『蝶子、表ノ方ノ落神ハ始末シタ』

「ありがとう、父様」

 銀色の髪、白面で隠した顔は綺麗に整い、月のような金色の瞳の青年姿の白狐を見て、胸が少しだけ痛んだ。

『ドウシタ?』

「……父様は、わたしが巫女姫辞めるって言ったらどうする? やっぱりわたしを食べたいと思ってくれる?」

『ナンダ急ニ』

「急じゃないわ。あなたが言ったのよ? わたしが使命を果たしたら、わたしの魂を食べるって」

 蝶子がまだ揚羽だった時の事だ。揚羽が死ぬ前にそう約束した。

 蝶子が目的を果たし、本来であればかつての約束通りもうとっくに蝶子は白狐の餌になっていたはずだ。

 だけどまだ、こうして生きている。それが不思議でならない。

 白狐はふっと思案するように視線を逸らし、また蝶子を見る。

『オ前ヲ食ウ気ハナイ』

「え……」

 それは、もう蝶子には食う価値もないということだろうか。

 心臓が嫌な音を立てる。

「ど、して、そんなこと……」

『ドウシテ、カ。ソウダナ、シイテ言エバ情ガ湧イタ』

「情……」

 白狐は元は格の高い神様だ。人に寄り添って生活していた。

 かつては人が好きだった、けれど裏切られたから憎んだ。

 愛憎は紙一重とはよく言うが、落神はまさにその通りなのだろう。

 神様の裏と表。だけど、いくら蝶子の庇護下にあっても、落神となってしまえば人を憎み、食らいたい衝動を完全に抑えられるわけではない。蝶子はそのことをちゃんと知っている。

 だから、役目を終えたら食べていいと言った。

 なのに、なぜ今になってそんなことを言うのだろう。

『蝶子ガ役目ヲ終エタノデアレバ、我モマタ役目ヲ終エタ。オ前ガ父ト慕ッテイル間ハソバニイヨウ。ダガ、オ前ノ生ガ終ワル時、我ハコノ醜イ姿デハイタクナイ』

「落神でいるのが辛いなら、神様に戻る気はないの?」

『我ハモウ忘レラレタ存在ダ。信仰モナイ今、生キ長ラエルノハ不可能ダ』

 白狐の言う通り、彼の祀られていた祠はもう、何百年も前に朽ちている。伝承すら残っているか怪しい神様が、長くこの世に留まり続けることは出来ない。だが、一度落神になってしまえば巫女の導きがなければ輪廻の輪に戻ることは出来ないが、まっとうな寿命を終えた神ならば、輪廻の輪に入ることが出来る。

「白狐は転生を望まないの?」

『アア。我ハ蝶子ト共ニ最期ヲ迎エル。ソノ為ナラ、オ前ニ忠誠ヲ誓オウ』

 そう言って白狐は膝をつき、蝶子の手を取ると、その手を額に押し付ける。

 それを見た蝶子は泣きそうな表情をする。

「わたしは、あなたをずっと縛り続けたのよ? もっと自由になってもいいのに……」

『我ガ望ンダコトダ。オ前トイル日々ガ、愛オシイト思ッテシマッタ時点デ、我ハ落神失格ダ』

「なに、それ……。わたしが勝手に父様って呼んでるだけなのに、最期まで父親する気?」

『ソウダ』

 白狐の頑なな態度に、蝶子もどうしていいかわからない。

 ただ、口では憎まれ口を叩いても、心の奥では嬉しいと思っている自分がいる。

(父様は、やっぱり優しい……。ずっとわたしを見守っててくれて、そばにいてくれて……)

 いつの頃からか、白狐がいいることが当たり前になっていた。

 転生するたびに、会えることが嬉しかった。

 罪人の子と蔑まれた自分を待っていてくれる存在に、どれだけ救われたか。

 だからこそ、白狐の望みは出来るだけ叶えてあげたい。

「……わかった。ごめんね、父様。ずっと一緒にいてね」

『アア』

 

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