第五話
『わたしはあなたを愛しているの! どうして、どうして伝わらないの!?』
膝から崩れ落ちる令嬢とは対称的に、舞台上手では仲睦まじげな男女にスポットライトが当てられ、令嬢に当たっていたスポットライトが落とされる。
場が終わり、演出家の批評が入る。
「鳥飼君、ちょっといいかい?」
「はい、なんでしょう、後藤さん」
今回の舞台の演出を務める後藤は、40代手前の男性で、最近頭角を現し始めた演出家だ。
後藤は蝶子を厳しい目で見据える。
「君、さっきの自分の演技をどう思う?」
「どう、とは……?」
「君の声や表情は確かに恋する令嬢だけど、熱量が足りない」
「熱量、ですか」
それは、本気になっていない、ということだろうか。
無論、蝶子は本気にならない舞台などない。だけど、後藤が言いたいことはそういうことではないのだろう。
「そう。恋愛、したことある?」
「……いえ。あまりそういう相手に恵まれなかったので」
後藤は「はぁ」とため息を吐く。
「山下さん、ちょっといい?」
「はい?」
演技指導の山下が呼ばれ、蝶子を囲む。
「君、さっきの鳥飼君の演技をどう思う?」
「そう、ですね。視線や声、仕草は令嬢らしくてとても良かったかと。ただ、恋する乙女としては弱い気がしますね」
「ほらね」
「は、ぁ……、えっと具体的にはどうすれば……?」
後藤と山下が顔を合わせる。
「うちはさ、役者はみんな女性なわけよ」
「そうですね」
「そんなところで本気の恋愛なんて出来る人は少ないわけ」
蝶子は中高と女子校で、高校卒業後は養成所に入り、そのまま養成所の運営元のこの歌劇団へ入団した。
だから女性ばかりの環境に慣れてはいるが、そんな場所で恋愛に発展するような関係になれる人間関係は少ない。
もちろん女性同士のカップルが全くいないわけではなく、噂程度は蝶子も何度か耳にしたことはある。
「だからこそ、本気の恋愛を求めるんだ。特に君の役は当て馬と軽視されがちだけれど、悪役が本気にならなければヒロインも本気にならない。わかる?」
「は、い。なんとなく、ですが……」
「君はわりと何でもそつなく演じるけれど、どこか熱量が足りない。人生捨ててるって言うのかな。もっと自分の感情に我が儘になってみるといいんじゃない?」
何もそこまで……と蝶子は思ったが、こと恋愛に関しては初心どころかド素人だ。
年配のアドバイスは素直に従っておくべきだろう。たとえ蝶子の人生が七回目で、彼らよりもよほど人生の先輩だとしても、今世ではまだぴよぴよのひよっこだ。
「ありがとうございます、少し考えてみます……」
「っていうのよあのクソ親父ぃーー!!」
「で、なんでうちに自棄酒しに来るんだよ……」
「こんなの付き合ってくれるのあなたしかいないし、あなたなら変に絡まれる心配ないからよ」
いや、後ろの他称父の落神が怖すぎるんだが? と光留は内心突っ込む。
「まぁまぁ、光留君。せっかくだし、わたしも蝶子ちゃんのお話もっと聞きたいです」
「まぁ、花南がいいならいいけど」
結婚を間近に控えたカップルの部屋に押しかけた蝶子は、日頃の鬱憤を晴らすべく持ち込んだ酒を一息に煽る。
「白狐、一応聞くけど蝶子明日休みだよな?」
『アア。案ズルナ、潰レタラ我ガ連レ帰ル』
それなら良かったと光留はホッとする。可愛い彼女とイチャイチャしていた時に押しかけられたのだから、光留としてはたまったものではない。
「でも、蝶子ちゃん、本当に恋をしたことないんですか?」
「ないわよ。わたしのこれまでの人生って大体二十代で死んでたし、一番早かった時なんて十三歳だったのよ? 恋なんてしてる暇なかったもの」
花南は光留からある程度蝶子の事情を聞いている。だから今回が七回目の転生だと聞いても「すごいですねー」という感想しか出ないのだが、どの人生でも早死にをしていると聞くと少しだけ切なく思う。
「それは、ちょっと切ないですね。わたしも光留君と出会うまで恋なんてしたことありませんので、あまり偉そうなこと言えないのですが……」
「え、花南の初恋って俺だったんだ」
「はい」
嬉しそうにデレデレする光留をしらっとした目で見る蝶子。
「花南、こんな顔だけの男に飽きたらわたしのところに来ない? わたしが花南を幸せにする!」
「は? 何言って……」
光留が慌てて花南を抱き寄せようとするが、それよりも早く花南が身を乗り出す。
「え、蝶子ちゃん男役も出来るんですか?」
「もちろん! 高3の時はばっちり決めたわよ。ほら、これ証拠の写真」
「わあっ、すごいカッコいい!! これ、男の人っていわれたら信じます!」
「うふふふ、でしょう? 母様譲りのこの顔だもの。男役も完璧にやるわ」
「あ、でも何となく光留君に似てますね。黒い髪にしたら、女装した時の光留君と姉弟に見えそうです」
光留と蝶子は飲んでいた酒を揃って吹き出した。
「げほっ、げほっ……花南、それは禁句よ」
「え?」
「まぁ、前世で親子だったし、俺は月夜の生まれ変わりで顔と声がそっくりって言われて、蝶子は鳳凰そっくりだし似るよな……」
光留はどこか遠い目をして花南に同意する。
「え、でも光留君の女装も素敵ですよ? わたしが男の子だったら絶対惚れます!」
「うん? うん、ありがとう……」
どこまでも花南に甘い光留に呆れながら、蝶子はため息を吐く。
「でもまぁ、熱量がないって言うのは本当かも」
「何か思い当たることでも?」
花南が首を傾げる。
「思い当たるっていうか、さっきも言った通り、人生だけなら経験豊富ではあるんだけど、ずっと母様を助けたいって思って生きてきて、今世でやっとその役目が終わって、じゃあこれから何しようって思ったら、なんていうか、何にも思い浮かばなかったのよね……」
「え、でも、女優になるのは夢でしたよね?」
「そうなんだけど、燃え尽き症候群っていうのかしら。気持ちが乗ってこないっていうか……」
「あぁ、それはちょっとわかるかも」
珍しく光留が蝶子に反応を示す。
「光留君も?」
「俺も鳳凰殺した後がそうだった。好きだった人が目の前で死んで、それで蝶子の罪を肩代わりしたことでやり切ったつもりだったんだけど、結局将来どうしたらいいのかっていうのは全然思い浮かばなかった。宮司になるって決めたのは、あくまでも鳳凰が帰ってくる場所を守りたかったって気持ちがあったからさ。本人がいないんじゃ意味ないんじゃないかって。で、そのままふわふわした気持ちで大学行って花南と出会って、結局蝶子にも迷惑かけたけどさ、俺がやりたいことっていうか守りたいものってこういうのだったんだって気付いて、やっと腹が決まった」
光留が花南の手を取って、甘く見つめる。
「光留君……」
きゅんとときめく花南と二人の空気が作り出されて、蝶子はイラっとする。
「ちょっと、誰に向って話してんのよそれ」
「蝶子よりも花南を見ていたい」
「えっ、あ……そんな……だめですよ……、ちゃんとお話し聞いてあげましょう?」
真っ赤な顔の花南に諭され、光留はくすりと笑う。
「後でいっぱい甘やかしてくれるならいいよ」
「あぅ……、ぜ、善処します……」
砂糖を通り越して砂を吐きそうな甘ったるい空間に蝶子はげんなりする。
「あーはいはい。ごちそうさま。なんでもいいけど、まぁ、結局はそういうことよね……。わたしの覚悟が足りないってことよね。でも人生捨ててるはいいすぎよっ! わたしはまだピッチピチの二十代よ!? これからなのよ!?」
「そう言ってる時点でいろいろ捨ててると思うぞ」
「光留君……」
花南に窘められ、光留は小さく息を吐く。
「蝶子に足りないのは覚悟じゃなくて経験だろ。俺も恋愛に関しては正直、この先ずっと花南以外は考えられないけど、全部が全部いいってもんでもないし」
「あなた、母様に振られているものね」
「うぐっ……。ま、ぁ、最初から叶わないってわかってたから鳳凰の事はいいんだよ。でも、花南に振られたら立ち直れなかっただろうな」
「今でもですか?」
「いや、今言われたら首吊ってそう……」
「え、と……」
光留は一途で思いやりがあって優しいけれど、愛が重い。
嫌ではないのだけれど、時々怖いと感じるのは気のせいだろうか。
「まぁ、それは冗談だけど。ていうか、蝶子が聞きたいのは俺っていうよりも花南だろ」
「わたし、ですか?」
蝶子は今度は素直に頷いた。
「ええそうよ。さすがわたしの守り人さんね。わたしも同級生の友人がいないわけじゃないけど、こういうのって繊細っていうか、わたし何故か嫉妬の対象にされやすくて、下手に話を振ると拗れるっていうか……。その点、花南ならもう相手が決まっているし、わたしへの誤解も解けているし、ちゃんと話が聞けるかもしれないって」
「なるほど。参考になるかわからないですけど、蝶子ちゃんにはお世話になってますし、わたしで答えられることなら」
「ありがとう、助かるわ。で、前からずっと思ってたんだけど、この顔だけの男のどこが良かったの?」
「顔だけってなんだよ」
「顔だけでしょ。あなた花南には優しいけれど口悪いし無愛想だし。長く付き合うほどこの男はちょっとって思われるタイプ」
「うっ……」
顔云々はともかく、性格については否定できない光留は黙りこむ。
花南は「あはは」と乾いた笑いを浮かべる。
「そう、ですね……。わたしも最初は光留君のこと、綺麗な人だなくらいにしか思っていませんでしたが、私を気にかけてくれたり、わたしが怖がらないようにこっそり悪霊を祓ってくれたり、そう言う優しいところでしょうか」
「気付いてたんだ」
「はい、プロポーズされた後でしたが」
「俺は花南のそういうところも好きだよ」
「光留はちょっと黙ってて、話し進まなくなるから」
蝶子に釘を刺され、光留は舌打ちする。
「この男の良いところはどうでもいいんだけど、恋をするってどういう感覚?」
「どういうと、言われるとちょっと困ってしまいますが、なんというか、気付いたら好きになっていた、という感じですね。こう、見ていて胸がきゅんとしたり、ドキドキしたり、あるいはもっとドロドロした感情がぐちゃぐちゃで、甘くて苦いけどとても幸せな感覚、でしょうか」
「甘くて苦くて幸せ、か……」
「わたしも、光留君を好きになるまでこんな気持ち知りませんでした。蝶子ちゃんも今は難しいかもしれないですが、きっと素敵な恋が出来ますよ。だって蝶子ちゃん、とっても可愛いですから」
「ありがと、花南」
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