第二話


 白狐と揚羽が出会い、数年の月日が流れた。

「明日は御言ノ儀ね。今年も何事もないといいのだけれど……」

『不安ガアルノカ?』

 揚羽は狐姿の白狐を腕に抱え、ふわふわな背中に顔を埋める。

「そういうわけじゃないの。ただ、このまま平和が続けばいいって、ずっと、父様と一緒にいられたらいいのにって思って」

『……神トテ完璧デハナイ。先ノコトナド、アテズッポウガホトンドダ』

「そうなの? でも、鳳凰神はとても格の高い神様だもの。村の外からも人が来るし」

『ダカラコソ神モ手ヲ抜クコトガアル』

 なんだか実感の籠った白狐の言葉に、揚羽はくすくすと笑う。

『モウ寝ロ、明日ハ早イダロウ?』

「うん、そうするわ。ありがとう、父様」

 翌日、御言ノ儀が始まる。

 揚羽は祭壇の前に座り、祈りを捧げると肉体が魂から抜け、ふわりと浮くような感覚がした。

「え……?」

 初めての感覚、否、随分と久しぶりな感覚だった。

『久しいな、揚羽』

「鳳凰、神、様……」

 赤い髪をした長身の男神、揚羽の仕える神である鳳凰神がそこにいた。

『そなたに名を贈って以来か、こうして顔を合わせるのは』

「は、はい。お久しぶりです」

 鳳凰神の美しい容姿に揚羽はドキドキする。まるで、恋を錯覚するかのような。

『美しく育ったな。そなたの母とよく似ている』

 鳳凰神は揚羽の髪をひと房手に取り指に絡める。

 緊張で、目が合わせられない。

「あ、あの、今年の御言ノ儀は……」

『恥ずかしがっているのか。初心なことよ。まぁいい、今年の神託はひとつそなたに直接渡したくてな』

「え……?」

 一体何を言われるのか。こうして神が直々に巫女を呼び出すなど、あまりいい話ではないに違いない。

『そう警戒するな。揚羽、そなたは母に会いたいか?』

「か、あさま……?」

『そうだ。そなたの産みの母であり、我が番となる凰花だ』

 名前を知らぬわけではない。会いたいかと聞かれればどうしたいのだろう。

 揚羽は迷う。

「会いたい、と思ったことはあります。でも……」

『母が憎いか?』

 恨んでいないと言えば嘘になる。だけど、憎んでいるわけではない。

「そういうわけじゃない、ですけど、会って、何を話したらいいでしょう……」

 本当にわからなかった。

 親子というものに憧れなかったわけではない。だから、落神である白狐を父と慕った。

 だけど、白狐は本当の父親ではない。本当の意味での家族にはなれない。

『難しく考える必要はない。だが、確かに時間は必要だろうな』

 鳳凰は揚羽の手を引いて闇の中を歩いてい行くと、ぽちゃりと水の音が響いた。

『会うかどうかはこれを見てからの方がいいだろう』

 地面には水たまりがある。周りは暗いのに何故かその水は鏡面のように揚羽たちの姿をはっきり映した。

 それから鳳凰が手を翳すとどこかの薄暗い牢屋のような場所が映し出された。

「ここ、屋敷の奥の、入っちゃいけないって……」

『そなたの出入りを禁じたのは、お前の周囲の者たちだ。これを見せたくなかったのだろう』

 水面が揺れると一人の少女が映し出される。

 赤い髪に翡翠色の瞳、揚羽と同じくらいの年齢で、揚羽とよく似た顔の美しい少女だった。

 だが、その瞳は虚ろで、髪も傷んでいる。肌も荒れていて、まるで屍のように微動だにしない。その手には大切そうに頭部の骨が抱えられている。

「この人、は……」

 知っている気がした。その魂の色や形、雰囲気は揚羽が腹に居た頃に感じていたものと何となく似ている気がする。

『そなたの母、凰花だ』

「っ、そんな、母様は死んだって……!」

『それは村の者がついた嘘だろう。そなたは禁忌とされた兄妹の間に生まれた子だ。我にはわからぬ感覚だが、人の子はそれが悍ましく思うようだからな』

 揚羽はずっと罪人の子だと言われて、それでも母は過去の巫女たちの誰よりも美しく強い霊力を持った、神様に選ばれた巫女姫だと言われて育ってきた。罪を犯したのだとしても、どんな罪かもわからず憎むことは出来なくて、立派な巫女姫だったという母を尊敬すらしていた。

 まさかこんな姿になっているなんて思わなくて、揚羽の胸は締め付けられる。

 やがて牢には数人の男たちがやってくると、凰花は怯えた目をしながらも小さく口を開く。

『おね、がい……かえして……つくよ、さまを……わたしの、ややこを……』

『はっ、心配するな。お前の娘は立派な巫女姫になったよ。今日も御言ノ儀で今頃祭事場は賑わっているだろうさ』

『まぁ、お前はもう用済みなんだよ。だからここで一生俺たちの為に尽くすんだな』

『いや、いやっ! 返して、お願い、私のやや子を返してよぉっ!! いやあああああああ』

 自分の子供に一度もあわせてもらえず、愛する人を失い、惨めにも男たちの慰み者になる姿を、これ以上は見ていられなかった。

「そんな……お願いします! 母様を助けてっ……!」

『それは出来ぬ。これも凰花にとっては試練だ』

 こんな惨い試練があってなるものか。揚羽は鳳凰に訴える。

「でも、母様だってあなたの番でしょう! こんな、こんなのってあんまりです……っ、やめさせることは出来ないのですか!?」

『お前が割って入ることは出来るだろう。だが、そうすればお前も凰花のようになるぞ』

 秘密を知ればそうなる確率は高くなるだろう。

 それでも、母を、同じ女としてこれ以上は辛すぎる。

『それに、凰花には不老不死の祝福を授けている』

「え……」

『何年か前に一度自害しようとした。だから死ねぬようにした』

「そ、んな……」

 平然と当たり前のように祝福と言ったが、今の彼女にとっては呪いにも等しいだろう。

(わからない……、なんでそんな酷いこと……。怖い……怖い……)

 揚羽は初めて自身が仕える神に恐怖を覚え、一歩離れる。

『凰花の魂はあのような目に合ってもなお美しい。人を憎みながらも憎みきれず、愛した男と娘を取り戻そうと必死になる。いじらしくも愛らしい。我が番に相応しい娘だ。早くこの手に落ちてくるのを待ってはいるが、もう少し現世で足掻く姿を見てみたい』

 まるで子供が初めて手にした玩具のように語る鳳凰に、恐怖で身震いした。

 人間と神との感覚の違いと言われてしまえばそれまでだが、だからと言ってこんな母の姿を見るのは、揚羽にとって辛すぎる。

「っ、せめて、その不老不死を解くことは出来ないのですか? あの様子では母様は自分で解くことは出来ないのでしょう?」

 今この場で母を助けることが出来ないのであれば、せめて母を楽にしてやりたい。

 あんなにも愛する人と我が子を求めているのだ。母として、女として、必死にその心を守っている。

 だけど、ああまでされては生きていくことは辛いだろう。なら、せめて死という安寧を、母の事を何も知らずに育った自分にできる、唯一の親孝行を。

 揚羽たちが仕える神は鳳凰、死と再生を司る神だ。死んでも凰花は鳳凰の番として神の世で幸せに暮らせるだろうし、時が来れば輪廻の輪に入り転生することも出来る。

 今世に希望がないのであれば、死後と来世を希望にするしかない。

『お前ならそう言ってくれると思ったぞ、揚羽。我の可愛い番よ』

 鳳凰はフッと笑うと揚羽に口付ける。

『そなたに、凰花を不老不死から解放する術を授けよう』

 そう言って、揚羽に一振りの剣を渡す。

『これで凰花を斬れば、凰花は不老不死から解放され、我が元へ来ることが出来る。これが今年そなたに授ける神託だ』

 揚羽は剣を受け取ると、乳白色に輝くそれを不思議な心地で見る。

(なんだろう。温かくて、懐かしい感じがする。それに、わたしとの親和性も高い霊力を感じる……)

 それが揚羽の実父である月夜の前世の権能を切り取ったものであると知るのは、千年以上先の事になるのだが、この時の揚羽はこの剣の持つ本当の力を知る由もない。

「……これで、母様を救えるのですね」

『あぁ、どれほど時が経とうとも、そなたにしか出来ないことだ』

「わかりました。この命――いえ、この魂が続く限り、必ず母様を救って見せます」

 揚羽は鳳凰に誓うと、まだ顔も会わせたこともない母を思う。

『頼りにしているぞ、揚羽。我が番よ』



 

「母様が、村にいない?」

『アァ、探シテミタガ、ドウヤラ昨夜ノウチニ村ヲ追イ出サレタヨウダ』

 あの神託の日から一年、揚羽は母が自分を生んだ年齢と同じ十六になっていた。

 剣を授かった翌日から揚羽は凰花を殺すつもりで座敷牢へ向かったが、当然ながら止められた。

 守り人のいない巫女姫と罪人をあわせるわけにはいかない、という理由で。確かに凰花は罪人なのかもしれない。

 巫女姫という立場でありながら実の兄と契り子を成したのだから。

(それだったら、わたしだって罪人よ)

 だが、巫女姫という存在は貴重だ。高い霊力があり神に最も近い人間の娘。村の守りの要となる、都合のいい生贄。

 その生贄を守護する守り人は生贄のための生贄。

 揚羽は巫女と守り人の関係にもずっと疑問があった。

 巫女は、自分の穢れを自力で祓えない。だが、守り人の穢れなら祓える。

 互いに依存し執着するような、思考を狭める制度にいったい何の意味があるのだろう。

(わたしは、わたしの穢れを祓えない)

 罪人の子という烙印は、どこへ行っても付いて回る。なら、母に会って罪の一つや二つ増えたところで大差はない。

 だというのに、村の誰もが揚羽と凰花をあわせることを拒み、監視迄つける始末だ。

 会いに行く時期を見計らっていたらいつの間にか一年も時間が経っていて、今度は母を村から追いだしたという。

「あんなぼろぼろのお身体で、追い出したというの?」

『ダロウナ。ソコマデ気ノ利クモノガ村ニイルトハ思エナイ』

 白狐のいう通りだ。あれだけ凰花を虐待しておいて、罪人である彼女を身綺麗にして追い出すようなことをする人間はこの村にはいないだろう。

「わかった。わたし、この村を出るわ」

『イイノカ?』

「構わないわ。どうせこの村にわたしに釣り合うような霊力を持った守り人は現れない。わたしはそのうち呪詛や病魔で死ぬだけだもの」

 揚羽の言う通り、この村は今衰退の一途を辿っている。月夜と凰花の祖父母や同じ一族の親族も例外なく、御言ノ儀を執り行って神託を直接授けられるほどの霊力を持った娘はいない。

 この御言ノ儀が出来るからこの村は長く繫栄していたが、それが出来なくなればこの村はそのうち廃れる。

 そもそも月夜や凰花ほどの霊力の高い兄妹が産まれたのが異質だった。揚羽は二人に会ったことがないからどういう因果だったのか視ることは出来ないが、少なくともこの村はあの二人がいなければとっくに滅んでいただろう。

 そんなことにも気付かないほど愚かな村人の為に、揚羽は自分の力を使いたいとは思わない。

 むしろ巫女姫なんて立場を捨てられるのなら願ってもないことだ。

「わたしは母様を救いたい。一度でいいから、母様に会いたい」

 凰花は死んだわけでもは無ければ、揚羽に会えないのは彼女の意思でもなかった。

 ずっと自分の娘である揚羽を求めてくれた。だから、せめて最後に一度くらい母娘として話してみたい。

 そんな幼い少女の無垢な願い。

『ナラ、早イ方ガイイ。村人ニ見ツカレバ厄介ナコトニナルダロウ』

「そうね、今晩にでも出るわ。……白狐はどうする? もしあなたがわたしの眷属から離れたいというのなら解放してあげる」

 揚羽はにっこりと笑って言う。落神である白狐が揚羽の剣座奥でなくなるということは、揚羽は白狐に食われる可能性がある。もちろんわからない揚羽ではないし、揚羽が本気で白狐を祓おうと思えば返り討ちにだってできる。

 落神である白狐を父と慕う少女に、そんなことをさせたいわけではない。

 白狐は首を振った。

『我モ付イテイコウ。我ハオ前ノ眷属ダ。好キニ使エ』

「いいの? せっかくわたしから逃げるいい機会なのに」

『フン、貴様ノヨウナ小娘ヒトリ食ッタトテ多少ノ腹ノ足シニハナルガ一時的ナモノニスギヌ。ソレニ人間ノ時間ナド我ニハアットイウ間ダ。貴様ガ死ンダ後ニデモユックリ食ロウテヤル』

 素直に揚羽が心配だと言えないのは、きっと落神だからだ。

 揚羽は白狐の天邪鬼な答えにくすりと笑う。

「うふふっ、父様のそういうところとっても好きよ。じゃあ、今晩よろしくね」

『アア、時ガ満チタラ合図シヨウ』

 その晩、揚羽は誰にも言わず、落神の白狐を伴い村を出ることにした。

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