第三話
「あーあ、わたしもこれまでかぁ」
揚羽は床に就いたままぽつりと呟いた。
白狐が濡れた手ぬぐいを揚羽の額に置くと、揚羽はその手を取り頬に押し付ける。
「父様の手、冷たくて気持ちいい……」
『ソレダケ喋ル元気ガアルナラ、マダ大丈夫ダ』
「嘘つき。父様はもう、わかってるでしょう?」
揚羽が生まれ故郷を出奔して九年。母を探して旅をしていた。合間に旅の巫女だと言って悪霊を祓ったり、落神を倒したりして僅かな食糧と引き換えにして生きてきたが、揚羽には致命的ともいえる、巫女の守護者である守り人がいない。
守り人がいない巫女は、落神を退治した際に溢れ出る呪詛をその身に受けるしかない。
巫女は、自分の穢れを祓えない。だからその身に穢れを溜め続けるしかなく、溜めた穢れは巫女の身体を蝕む。
積もり積もった穢れが、揚羽を苦しめていた。そして、もう自分の命が尽きようとしていることもわかっていた。
「ねえ、父様。わたしが死んだらどうする? また人間を食べて生きるの?」
揚羽は気怠い身体を起こして白狐に問う。
『ソノツモリダ。揚羽ガ案ジルコトハナイ』
「わたしのこと、食べてくれないの?」
『死ンダラ考エテヤル』
このやり取りも、もう何回目だろうか。
揚羽はそのたびに頬を膨らませる。
「わたしが死んだら魂は食べられないでしょ。それじゃ父様の力になれないわ」
『貴様ハ鳳凰ノ番ダロウ。我ニ早々ニ死ネトイウノカ』
他の神の巫女姫を奪うことは出来るが、必ず報復される。今さら死など恐れてはいないが、そう言えば揚羽が引き下がるのはわかっていた。
「……わたし、父様の巫女姫だったら良かったのに」
白狐と出会い十七年。巫女姫とその眷属という間柄でありながら、本当の父娘のように過ごしてきた。
だからこそ、揚羽はここまで一緒に着いてきてくれた白狐に報いたかった。
「母様にも結局会えなかったし、あなたが他の巫女や守り人に祓われるなんて嫌だし、もしあなたが望むならわたしが送ってあげる」
『今ノ貴様ガ霊力ヲ使エバ、アットイウ間ニ死ヌノダゾ』
「知ってる。でもね、使わなくてもわたしはあと持って数日よ。わたしだってそれくらいわかるわ。だからこそ、わたしはあなたにも幸せになって貰いたい。あなたがわたしを食べたいというのなら食べていいし、自由になりたいのならもう、解放してあげる。仲間のところに行きたいなら送ってあげる。わたしがあなたに出来ることはこれくらいだもの。最期に親孝行くらいさせてよ……」
二十五歳になった揚羽だが、白狐から見ればまだまだ幼い娘だった。
自分の死期を悟り、願いを口にする揚羽を抱き締めて、頭を撫でることくらいしか白狐にはこの涙を止めるすべが思いつかなかった。
この寂しい娘に救われていたのは、白狐の方だ。
『親孝行シタイト言ッタナ。ナラ、我ハ揚羽ガソノ目的ヲ果タスマデソバニイルト誓オウ』
「え……?」
『貴様ガ生マレ変ワッテモ、必ズ見ツケ出ソウ。ソシテ貴様ガ目的ヲ果タシタトキ、ソノ魂ヲモラウ』
揚羽の元々青白かった顔がさらに白くなる。
白狐を縛り付けたかったわけではない。生まれ変わるなんて一体どれだけ時間がかかるかわからない。
白狐は揚羽がいる間は、揚羽の霊力を養分として生きることが出来るが、揚羽と契約したまま揚羽が死ねば、空腹で発狂しより狂暴な落神となる可能性もある。自滅行為だ。
それすら耐えて、揚羽が目的を果たすまで尽くすという。そんなこと苦痛を味あわせたくて眷属にしたのではない。この優しい元神様にさせたいわけではない。
「ダメよ。そんなの、父様が苦しいだけで、わたし、わたしはっ……」
『気ニスルナ。貴様ニハソレダケノ価値ガアル。我ガ耐エテモイイト思エルホドノ価値ガ』
揚羽と過ごした時間は、白狐にとってもかけがえのない時間だった。
彼女だからこそ、この選択をするのだ。
白狐の意思が固いのは揚羽が一番よくわかっている。だから、揚羽も覚悟を決めた。
「っ、わかったわ。必ず私を探し出してね。わたしもあなたを探すから」
『アァ。我ヲ飢エサセルナヨ』
「ええ、ええ。必ず、あなたに会いに行くわ」
たとえ、百年、千年の時が過ぎようとも、必ず探し出して、この寂しい魂に寄り添おう。
いつか、この娘の魂が救われるように――。
数日後、揚羽は白狐に看取られながら息を引き取った。
白狐は約束通り揚羽の肉体を食らい、残った霊力で活動をする。
生まれ変わった揚羽を探す旅が、始まった。
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