第十二話
蝶子がその連絡に気付いたのは、舞台の通し稽古が終わった後だった。
「あら、光留からなんて珍しい」
筆不精の光留は用事がない限り蝶子に連絡をすることはない。せいぜい定期連絡程度の内容や学園祭の招待など、ノルマのための連絡が主だ。
別に嫌われているとは思っていないが、お互い気まずいというのはあるかもしれない。
蝶子にとって光留は前世の父親の生まれ変わりで、光留にとって初恋の人の娘。関係性が複雑すぎて、恋愛にならないというのは出会った頃からお互い同じ認識で、そう言う意味では気が合うのだろう。
その関係が悪くないと思うから、今でも巫女姫と守り人の関係を続けられるのだが。
「何? この着信の数。父様、何か知ってる?」
蝶子の横に控えていた白狐が首を横に振る。
それもそうだ。白狐は蝶子の庇護下にある落神で、白狐にとっては主人だ。主人の電話に勝手に出るということはしない。
既に着信履歴は二桁を超えている。さすがに何か異常があったのだろうと、蝶子も電話に出ることにした。
『頼む蝶子、花南を助けて!』
「はい?」
挨拶もなしにいきなり光留から悲鳴のような懇願に蝶子は首を傾げる。
しかし、すました顔が通常運転の光留がこんなに取り乱すことは珍しく、何かあったのだろうことは察せられた。
「助けてって、何があったの?」
『花南が落神達に食われそうになってて、欠けた所から落神と悪霊が入り込んでくるんだ。俺に移そうとしても数が多くて』
思ったよりも事態は深刻そうで、蝶子も気を引き締める。
「状況はなんとなくわかったわ。すぐに行くから、今どこ?」
『禁域。でもこのままだと花南が持たない。社殿に移動する』
「わかったわ。凰鳴神社で会いましょう」
それから蝶子は関係者に謝罪し稽古場を後にすると、白狐の転移で凰鳴神社まで行く。
社殿の中は異様な空気が漂っていた。
「結界の中とは言え、すごい瘴気ね」
特に祭壇のある部屋が酷い。
「蝶子ちゃん! 来てくれたのね!」
朱鷺子が蝶子を見つけて駆け寄る。
「おば様。一体何が……」
「詳しい話は光留から聞いてほしいんだけど、このままじゃ花南ちゃんはもちろん、光留も危ないわ。でもわたしの今の力じゃ……」
「大丈夫です。入らせてもらいますね」
「ええ、お願いね」
蝶子は祭壇のある部屋へと向かうと、部屋の中は瘴気で黒く濁っていた。
「何これ!?」
蝶子も初めて見る異様な空間に、吐きそうになる。しかし、ここで取り乱してはならない。ミイラ取りがミイラになっては困る。
祓詞を唱え、一時的に空気を浄化する。光留が張ったであろう結界を解き、新しい結界を張り直す。
「光留! あなた何やって、……っ!?」
祭壇の前には蝶子と同世代の女性が横たわっている。だけどその女性の魂は虫か何かに食われたかのように穴が開いていて、そこに落神や悪霊が取り憑いている。そこを中心として、さらに新たな落神や悪霊を引き寄せている。
光留が自分に移しても追いつかないというのは、こういうことかと蝶子は唇を噛み締める。
「げほっ、はぁ……蝶子……」
光留も限界だ。既に受け入れられる許容量を超えている。血を吐きながらそれでも正気を保っていられるのは、蝶子という巫女姫の存在があり、守り人であること、そして、魂の大元のルーツが神であったことが由来しているのだろう。
「光留、そこを退きなさい」
光留は力なく首を横に振る。
「だめだ。今繋がりを解いたら、また……」
「バカね。その為にわたしが来たのよ。いいから退きなさい」
蝶子は迷わず花南の側で膝をつくと、魂を覆うように結界を張る。
「光留、あなた清めの炎を……いえ、今のあなたじゃダメね」
「は?」
「おば様! ちょっとお願いがあるんだけど」
蝶子は朱鷺子に今いる凰鳴神社の巫女全員で神社周辺に清めの炎を焚くようにお願いすると、朱鷺子は快く引き受けてくれた。
「わたしは禊をしてくるから、あなたもしばらく休んでなさい」
「でも、花南はまだ……」
どうしても離れたくないのだろう。気持ちはわかるが、今光留に出来ることは、休むことだ。
でなければ、次の工程に移れない。
「はぁ。あなた今自分がどういう状況かわかってる? 今あなたがそばにいれば、あなたの中に取り込んだ落神や悪霊がまた彼女を襲うかもしれない。悪循環だし、はっきり言って迷惑なのよ!」
蝶子の言葉に光留は頭を殴られたような衝撃を受けた。
好きな人を助けたくて、守りたくて守り人になったのに、結局自分は何もできないのかと、絶望的な気持ちになる。
「そう、か……。俺、また何も……」
泣きそうな光留の顔を見ていると、イライラしてくる。
パンッ! と小気味良い音が部屋に響く。
「しっかりなさい! あなたはわたしの守り人でしょうが! それで、歴代でも最も強いと言われた月夜の生まれ変わりなのよ。何もできないわけないじゃない!」
蝶子も、瘴気にあてられているのかもしれない。なら、穢れが満ちる前に蝶子が出来ることをやるしかない。
「いい? わたしが戻ってきてそのしけた面のままだったら、もう一回叩くわよ。それでもだめならあなたクビよ。守り人失格だから」
俯く光留を置いて、蝶子は朱鷺子に水場を確認すると潔斎に入る。
残された光留は、途方にくれた表情で花南を見る。
花南の魂は、蝶子の張った結界のおかげで新たに入り込む落神や悪霊を防いでいる。これから中に入り込んだ奴らを祓い落とし、魂の修復を図る。完全に元に戻せるわけではないが、魂に直接触れる行為だ。神聖なものを扱うため、蝶子は禊をしてできるだけ巫女姫として神に近づく。可能であれば神に助力を請い、魂を守る為の守護を授けてもらうというのが、蝶子の考えていることだろう。
なら、光留が出来ることは花南を助けるために動いた蝶子を守ることだ。
今の光留は瘴気に冒されている。徒人よりは許容量が多いとはいえ、正直魂を喰われている悍ましい感触にどこまで正気が保てるかわからない。それでも、花南の為なら残った魂すら捧げても後悔はない。その為に今光留が出来ることは、可能な限り身の内に受け入れた落神や悪霊を祓い、身を清め花南に巣食う残りの瘴気を移す為の器となることだ。
光留は拳を握りしめると、花南に向かって小さく微笑む。
「花南、君だけは絶対守るから」
もう二度と、あんな選択をしなくていいように。好きな人が目の前で死ぬのはもう、嫌なのだ。
「じゃあ、始めます」
祭壇の前には花南と、蝶子、そして朱鷺子と勇希が控える。
光留がこの場にいないのは、彼が抱えている瘴気が多すぎて、せっかく清めた場が穢れてしまうからだ。
光留も自分の状態と役割を理解している。だから祭壇のある部屋から離れた場所で待機している。
時刻は深夜を回ろうとしている。
(こんなに本格的な儀式に臨むのは千年ぶりかしら……)
今回で七回目の転生となる蝶子だが、巫女姫として扱われたのは最初の生である揚羽の時以来だ。
今生もそれまでも、揚羽以外は両親がちゃんといて、人並みの幸せを感じながら凰花を殺すために生きてきた。
だから、こうして巫女姫として誰かを助けようとするなんて、本当に久しぶりだった。
蝶子は深呼吸すると、祝詞を唱える。
『始マッタナ』
「あぁ。そうだな」
光留の横には光留の見張り役として白狐がいた。いくら蝶子の庇護下にあると言っても白狐も落神だ。邪気に染まった身体はやはり花南にとって毒となるので、光留の見張り役にちょうど良かった。
『良カッタノカ? ソバニイナクテ』
「あんたもほんと意地が悪いよな。神様ってみんなそうなのか?」
『サアナ。マァ、取リ乱ス貴様ヲ見ルノハナカナカ滑稽デハアッタガ』
滑稽とまで言われたが、返す言葉もない。事実、光留も自分じゃなければそう思っただろう。
「花南の為なら、何でもできるさ。こうして落神と一緒にいることもな」
『ソンナニアノ娘ガ大切カ』
「大切だよ。じゃなきゃここまでしない。あんただって、蝶子が同じように危険になるんだったら、そばにいないだろ」
白狐は白面の下で自嘲する。
『確カニナ』
光留は手の中の札が真っ黒になっているのを確認すると、手の中で燃やし、新しい札を手に取り、邪気や瘴気を移しては燃やす……という作業を繰り返していた。
蝶子が花南を助けるのに集中するのであれば、光留にまで手が回らない。朱鷺子や他の巫女では光留よりも霊力が弱すぎて落神や悪霊を祓うことはできない。巫女姫が特別であるのは、規格外の霊力を持っていることであり、またその守り人も相応の力があるからだ。
誰も光留を救えない。それは別にいいのだが、何かあったときに対応できないのも困るので、こうして地味な作業をすることで備えるしかできない自分がもどかしい。
「いっそ月夜みたいに神の力を使ばよかったな……」
『ヤメテオケ。ソレ以上行使スレバ魂ヲ壊スゾ』
光留の魂は自覚できるほど今、ぼろぼろだ。過去の古傷はもちろん、数時間前に無理やり神の力を引き出して落神達を祓った時にもひびが出来た。そこに落神や悪霊をため込めむのは、傷口を広げ新たな毒を次々と体内に入れることになる。
油断すれば血を吐くくらいには弱っている。
それでも、花南を助けられるのなら、命など惜しくはない。
「まぁ、それは最後の手段ってところだな」
今はただ、蝶子を信じるしかない。彼女は今代でも稀な巫女姫なのだから。
用意していた数百枚のお札がそろそろ尽きる頃、蝶子は少し疲れた顔で光留達の元にやってきた。
「お待たせ。終わったわよ」
「っ、花南は!?」
光留は思わず蝶子に詰め寄る。
「おじ様にお願いして病院にこれから連れて行ってもらうところよ。目立った大きな怪我はなかったけれど、擦り傷もいっぱいあったし、何より魂に傷がついてるから、身体にどんな影響が出るかわからないもの。魂の方は、神様にお願いして守護をもらうことが出来たから引き寄せ体質も多少は改善されるはずよ」
それを聞いた光留はホッと胸を撫でおろす。
「そう、か……。蝶子もお疲れ。あと、花南を助けてくれて、ありがとう」
光留は深々と頭を下げる。
「ちょっとやめてよ。そういうの柄じゃないの。それより、今度はあなたの番ね」
もう明け方に近い時間だった。
蝶子も昼の舞台稽古からずっと動きっぱなしでろくに休んでいないせいか、心なし顔色も悪い。
「いや、俺はいいよ。蝶子は先に寝てろ」
「ダメよ。せっかく成功した儀式なのに、あなたのせいで台無しにされるのは嫌よ。確かにわたしも本調子じゃないから全部は無理かもだけど、せめてあなたの魂に侵食してるやつくらいは祓えるわ。ほら、しゃがみなさい!」
光留の珍しい殊勝な態度に、蝶子も調子を狂わされる。
だけど、光留の魂が持たないのは光留の巫女姫である蝶子にとっても都合が悪い。
光留は小さく「頼む」というと素直に片膝をつく。
蝶子が光留の肩に触れ、祝詞を唱える。
じくじくとズキズキとヒリヒリとするような痛みが和らぐ。
「起きたらまた祓ってあげるわ。それまであなたも休みなさい。あと、彼女が目を覚ましたらちゃんと説明してあげなさいよね。今回の原因は明らかにあなたにあるんだから」
「うん、ありがとう。花南にも、ちゃんと話すよ」
「ええ、そうして頂戴。男絡みで嫉妬を買うなんてもう絶対イヤ。行きましょう、父様」
『アァ』
蝶子を抱え、白狐は転移する。
残った光留も社殿へ戻ると、朱鷺子が用意してくれた部屋で泥のように眠った。
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