第十一話


「出ない……」

 光留は既に半日以上スマホの画面と睨み合っていた。

「既読にもならないし……」

 昨日、花南とのデートを途中で切り上げてしまった埋め合わせを、今日すると言った。花南も別れ際に頷いてくれたから、光留から連絡が入るのはわかっていたはずだ。

(まさか、嫌われた……?)

 あり得るかも。デート中に別の女から電話がかかってきたら、そりゃあ快く思わない。光留だって逆の立場なら腹立たしく思う。

 蝶子のことはいずれ話さなければいけないとわかっていた。

 だけどタイミングが合わないと言い訳して、先延ばしにしすぎた自分に非がある。

 でも、だからと言って半日以上何も連絡がないというのもなんだか嫌な予感がする。

「でも家まで押し掛けるのもな……」

 さすがに女の子の家に勝手に入るわけにもいかない。たとえ合鍵を預かっていても、家に家族でもない、同居しているわけでもない男がいたら、怖いと思うだろう。花南のような繊細な女性ならなおさら。

 もう少し様子を見るべきか、それとも様子を見に行くべきか。

 うんうんと悩んでいれば、突然スマホの着信音が鳴り響く。

 画面には、花南の名前が。

「っ、もしもし花南!? 昨日はごめん! だから……」

「み、つる、く……」

 いつもより弱弱しい花南の声に、光留はハッとする。

「花南、何かあった?」

「たす……け……」

「花南? 今どこに?」

 突如、ゾワリと得体のしれない悪寒が、耳に入り込んできた気がした。

「っ!? 呪詛、だと?」

 思わず手を離した際に通話が切れた。

 光留はもう一度花南の番号をタップする。しかし、鳴るのは発信音だけで、出る気配はない。

「くそっ、花南に何が……」

 光留はひとまず財布とスマホを持って花南のアパートへ走った。

 しかし。

「花南! いるか!?」

 しんと静まり返る部屋の中。ワンルームの部屋だから大した広さはない。花南はすぐに見つかると思たが、クローゼットやベッドの下にも花南はいなかった。

「いったいどこに……」

 通話口から聞こえた花南の声から、呪詛が入り込もうとしていた。

「呪詛……花南がそんなこと知ってると思えないし……。誰かの入れ知恵か?」

 しかし、光留の周辺に呪詛に詳しい人間なんていなかった。

 神道学科の学生の中にも、通話口を介して呪詛を送り込むような知識や経験、霊力があるような生徒を見たことない。

「待てよ。あの呪詛、昨夜の気配に似てる……。まさか、花南、俺を尾けて来たのか……?」

 彼女がそんな大胆なことするとは思えず、信じがたかったが、蝶子は大量に入ってきたと言っていた。光留達が倒したのは危険度の高い落神だけだ。それ以外は放置、というわけではないが、結界が張り直されれば清浄な空気が満ちた結界内で活動できないような弱いもののはずだ。

 だけど、消える前にもし落神達が花南を見つけたとしたら?

 お守りの交換が定期的に必要なのは、お守りが花南の身代わりの役目を果たしているからで、お守りが引き受けられる呪いや呪詛には上限があるからだ。

 光留とて同じだ。蝶子が落神や悪霊を祓い続ければ、その分守り人である光留に呪いや呪詛の類が流れ込んでくる。しかし、光留は生きた人間だ。霊力が強く、ある程度対処できると言っても身の内にため込みすぎれば肉体や魂を食い荒らされる。それを防ぐのが巫女であることから、昔から巫女と守り人の力は同等になるように組まされていた。

 だが、花南は違う。花南は巫女でもなければ守り人でもない。ただのか弱い非力な女性で、霊感があって、引き寄せやすいというだけ。なんの対処も出来ない彼女がお守りだけで無事でいられる保証はない。

 光留は全身から血の気が引くような気がした。

「っ! 頼むから違っててくれ!」

 花南は神社のどこかにいるはずだ。ここから凰鳴神社まで走っても五分はかからない。

 その五分は永遠とも取れるくらい長い時間のようにも感じる。

 もしも花南に何かあれば、失うようなことがあれば、今の光留に耐えられる自信はない。

(月夜も、きっとこんな気持ちだったんだろうな……)

 自分が処刑されるとわかっていても、大切なものを守りたくて必死だった。あの頃は理解できてなかった感情が今理解できるようになったのは、やはり花南の存在が大きいからだ。

 神社に着けば、参拝客でごった返していたが、落神や悪霊の気配は少ない。もし人が倒れていれば騒ぎになっているだろう。

(ここじゃない。ってことは、やっぱり禁域の方か……)

 社務所に念のため顔を出してみると、朱鷺子がいた。

「あら、光留どうしたの?」

「お袋、花南来てない?」

「花南ちゃん? 今日は見てないけど」

 電話口の様子であれば、朱鷺子が見つけていれば光留にも連絡が来ているはずだ。

 当然と言えば当然だろうが、落胆は隠せない。

「いや、来てないならいい。奥の方見てくる」

「そう? そういえば、今朝から林の方で変な空気が流れてるのよねえ。もし行くならちょっと祓っといてくれる? お客さんが万が一迷い込んだら困るし」

「わかった」

 光留は急いで林の方へ行く。

「花南! いるか!?」

 返事はない。禁域の周辺は昨夜蝶子が張り直した結界のおかげで清浄に保たれている。

 だが、よくよく意識してみれば近くに陰気が濃い場所がある。

 ごく弱い落神の気配がいくつもあって、そこに悪霊も集まっている。

 嫌な予感がする。落神や悪霊が集まっているということは、彼らが好む何かがそこにあるということだ。

 例えば、人間の若い娘や、霊力が強いもの。あるいは花南のような引き寄せ体質のような人間。

「花南……?」

 光留は陰気が溜まっている場所へ向かうと、そこには黒い靄のような塊がいくつも集まって山にも似た繭のようなものを形成していた。

「これは、すごいな……」

 正直、初めて見る。邪気や陰気の段階を通り越した瘴気は何かを核として、もぞもぞと悍ましく蠢いている。

 一体一体は強くないが、塵も積もればなんとやら。まるで一つの生き物のようで、あまりにもな状態に吐き気すらしてくる。

 そして、今の光留は万全じゃない。昨日祓った落神や悪霊の呪詛が体内に残っている状態で、祓いきれる自信はない。

 しかし、迷っている暇はない。

『人間……』

『新シイ生贄』

『強イ霊力』

『呪ワレテイル』

 落神や悪霊が光留を見つける。

『コノ娘ガ欲シイノカ?』

 落神がにんまりと嗤った気配がした。そして、落神達が囲む中心に花南はいた。

「花南!」

 横たわって蒼白な顔面。生気はなく、今にも事切れそうなほど、呼吸は浅い。

 そして、食い荒らされている花南の魂。

 ――光留君。

 柔らかで暖かな色をした、花南の魂が、欠けている。

 光留の中で何かが弾けるような気がした。

「お前ら……花南を喰ったのか……」

 低く、冷ややかな声がポツリと零れる。

『嫉妬、憎悪、嫌悪、恨ミ……コノ娘ノ魂ハトテモ美味イ。ダカラ大事ニ食ワネバナァ』

『柔ラカナ肉、甘イ血、コレホド極上ナモノハ少ナイ』

『貴様モ食ロウテヤロウ。ソノ霊力ノ強サ、人間ニシテオクノハ惜シイ。我ラノ糧ニシテヤロウ』

 落神の黒い触手が、光留を取り込もうと伸ばされる。

 だが、次の瞬間、ドンッ! と爆発が起きた。

「低俗な貴様らごときが、俺とその娘に触れるな」

 光留の黒い瞳が、青く染まった。

「炎なんて生温い。その魂ごと滅してやる」

 光留の手の中に青白い靄のようなものが現れる。

『ナッ! 貴様、ソノ力!?』

『落チテモイナイ神ガ何故、ココニ!』

「やかましい。俺の前から消え失せろ」

 光留が手を振れば、花南を取り巻いていた落神や悪霊が一瞬で消えた。

 辺りには何もない。

「造作もない。だが……げほっ、ごほっ」

 光留の口から血が吐き出される。膝から力が抜けて、足が震える。

「っ、くそ。やっぱ慣れないことするもんじゃねえな……」

 だが、そのおかげで花南の周りにいた落神や悪霊は祓えた。

「かなん……」

 ぐったりとする花南を抱きかかえ、光留は凍り付く。

「まだ、終わってない……」

 花南の中には複数の落神と悪霊が入り込んでいた。

 魂を食い荒らす為ではなく、花南の負の感情を利用して新たな怪異の苗床とするために。

「うそ、だろ……。花南! 頼むから目を開けて!」

 祓詞でもここまで深く入り込んでいると祓いきれない。

 花南の手を握り、唇を塞いで、中の落神と悪霊を自分に移そうと試みるが、数が多すぎて追いつかない。

 それだけでなく、先ほど祓いきれなかったり、違う場所にいた悪霊たちも再び集まってきて、光留の中に入り込もうとする。

「くそっ、なんなんだよ。なんで……。お願いだから花南死なないで……。俺を、独りにしないで……」

 もう、あの時のように見ているだけで何もできない自分にはなりたくなかった。

 でも、自分にできる限界があることを、光留は知っている。

 だから、光留は唯一頼れる人へと電話をかけた。

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