第十話


 花南は林の中へ入るとぶるりと身体を震わせた。

「光留君、どこまで行ったんだろう」

 光留と蝶子の関係が気になって、つい追いかけてきてしまったが、禁域がどのあたりかもわからず、無鉄砲だったと少し反省した。

 道が整備されていないと聞いていたが、人が通れるような道は確かにある。だが、街灯がないので足元が暗い。

 スマホのライトを頼りに進んでみるが、土地勘もないので、光留達を見つけられるか不安になってきた。

 道なりに奥へ奥へと進んでいく。だんだん木が多くなり足場も悪くなっている。

 本当にこんなところに光留がいるのだろうかと不安になる。

 虫の音も動物の鳴き声も聞こえなくなるほど奥へと行く。視界も悪いが、それとは別に異様な空気も感じる。

(怖い……)

 やっぱり戻ろうか、とようやく考え始めるころ、人の話し声が聞こえてきた。

「光留君……?」

 炎に照らされて、一組の男女の姿が浮き上がる。

 ぼそぼそと何かを話している。少し近づいてみると、男の方が光留で、もう一人は赤い髪に暗がりでもわかる翡翠の瞳を持つハッとするような美しい女性が、光留となにやら親し気に話している。

 気になってそっと様子を伺う。

「やっぱりこのやり方は効率が悪いのよ。いっそキスでもする?」

「遠慮する」

「あら、あなたとわたしの仲じゃない」

「昔のあれは事故みたいなもんだし」

「連れないわね」

 女性の残念そうな声に、花南はどくどくと心臓が嫌な音を立てる。

(ダメ、光留君はわたしの彼氏なのに……)

 光留が知らない誰かとキスするなんて、想像するだけで悲しくて苦しくて、嫉妬で頭がおかしくなりそうだ。

 話しの内容のほとんどは、花南には難しくよくわからない。ただ、はっきり聞こえたのは。

「……ねえ、今でも母様のこと好きなの?」

「好きだよ」

 光留が寂しげに答えた言葉。


 ――好きだよ、花南。


 いつも花南に向けてくれる甘さとは違う。

 胸がギュッと引き絞るような痛み。

 あとの内容なんて、全然頭に入ってこなくて、心臓が嫌な音を立てる。

(光留君に好きな人が、いる?)

 そんなのは初耳だ。朱鷺子だって、光留は花南を大事にしていると言ってくれていたし、高校の時に好きだった人には振られていると言っていた。

 光留だって、花南が不安にならないように、たくさん言葉をくれる、行動で示してくれる。

 でも……と思う。

 光留を信じたいのに、自分の弱さが否定する。

(いやだいやだいやだ! 光留君は、わたしのなのに!)

 誰かに取られるなんて。ましてや別に好きな人がいるなんて考えたくない。

 あの蝶子という女もわからない。光留とどういう関係なのか。花南とのデートよりも優先する女というだけで、ドロドロした感情が渦巻く。

 花南は来た道を戻ろうとがむしゃらに走る。

 あの二人を見ていたくなかった。

「ふっ、うっ……も、なんなのよ……」

 涙が止まらない。辛い、苦しい。誰を信じていいか、わからない。

『美味ソウナ娘……』

「え……」

 気がつけば来た道とは別の道に入り込んでいたのか、もともと土地勘は無かったが、さらに深い場所まで来ていたようだ。

『アノ二人ガ憎イノカ?』

 不気味な声がする。

「だ、誰……?」

 ゾワゾワと、背筋から寒気がする。

『あの男が欲しいのか?』

「なに……?」

『ソナタノ願イ、叶エテヤロウカ?』

 ひとつではない。複数の声。

 光留から貰ったお守りを握りしめ、後退る。

『アノ女ガ憎イ』

『男ガ誰カノモノニナルノガ不快』

『アノ男ノ周リヲウロツク女ドモガ煩ワシイ』

『イナクナレバイイ。消エレバイイ』

「ち、ちが……」

 花南が心の中でずっと思っていた小さな火種。

「ひっ!」

 暗闇で目を凝らせば、花南の周りを触手を持った化け物や、鬼の面をした巨大な何か。靄のような黒い影がいくつも囲んでいた。

「や……いや……こわい……」

 一歩下がれば、ドンと背中に何かが当たる。

 恐る恐る振り返れば、ぎょろりとした目玉の化け物がいた。

『ソノ願イ、我ラガ叶エテヤロウ』

『ソノ代ワリ、肉ヲクレ』

『ソナタノ目ヲ』

『暖カナ血ヲ』

『魂ヲ』

『喰ワセロオオオーーっ!』

「いやあああああああーーーっ!!」

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