第九話


 光留が禁域に来るのは、高校の時以来だ。

(あれから六年、か……)

 懐かしく思うと同時に、胸がちくりと痛む。

 けじめはつけているとはいえ、彼女を忘れたことはない。蝶子が自分の前世の母である彼女を殺した時の代償は、未だに光留の魂に刻まれている。長生きできないかも、とは言われたけれど、あの頃はそれで良かった。

 だけど今は……。

「来たわね」

「どうだ?」

「今、父様にもお願いして範囲を調べてもらってるけど、結構広いし、かなりの数が入り込んでる」

「不味いな。ゴールデンウィークが近いから観光客増えてるのに……」

 それに、花南の引き寄せ体質もある。お守りを渡しているとはいえ、完璧に守れるわけではない。

「ええ、だからヤバそうなのだけは先に片付けちゃいたいと思って」

「そうだな。禁域だけでも……十柱が落神で、あとは悪霊か」

 蝶子は頷く。

「わたしは結界を張り直すのに集中するから、父様と一緒に片付けだけお願いしていい?」

「わかった。なんかあればこっちに流してくれて構わない」

「そうさせてもらうわ。でも、あなたもあまり無理しちゃだめよ」

「あぁ」

 蝶子と別れ、落神の気配を辿る。途中悪霊を見つけては燃やし、落神を見つけて浄化する。

(今日のは結構重いな……)

 落神は、消滅する際に微量ながらも呪詛を巻き散らす。その呪詛が結界の外や、一般人に害が出ないように守り人が回収し、自身の中にため込み、巫女姫の力で浄化する。

 光留や蝶子が倒せばその分だけ、光留に負荷がかかる。それを承知で守り人になったとはいえ、あまり数が多かったりすると辟易する。

『コノ小童ガアアアア!』

 落神が光留を目掛けて黒い触手を振り上げる。

「うるせえよ」

 光留に触れる寸前で落神が燃え上がる。

『アガアアアアアアッ!』

 耳障りな断末魔が、林に木霊する。木には延焼せず、落神はあっという間に灰になり、空気に溶ける。

「ぐっ……」

 落神の呪詛が、身体に入り込んでくる。

 得体のしれない悪寒とゾワゾワとする不快さは何度体験しても慣れない。

「気持ち悪……」

 だけど、落神はあと一柱残っているはずだ。入り込んだ半分は蝶子が父と慕う落神の白狐びゃっこが滅している。

「あ、消えたな」

 一度蝶子と合流しようと思っていると、どうやら白狐が滅したらしく、落神の気配がなくなった。

「お帰りなさい」

 蝶子と合流すれば、既に白狐がそばに控えていた。

「ああ。白狐もお疲れ」

『我ハ蝶子ニ従ッタダケダ』

 白狐が光留にそっけないのはいつもの事なので、肩を竦めて蝶子の様子を伺う。

「急急如律令――」

 蝶子が最後の文言を唱えると、辺り一帯に清浄な空気が満ちる。

「ふぅ……。これでよし、と。ありがとう、助かったわ」

「いいよ。ここの結界が弱まると俺も困るし。お袋じゃもうここまでの結界は張れないだろうからな」

「そう。じゃあ、次はあなたの番ね」

 光留が片膝をつくと蝶子がその肩に触れる。暖かな霊力が光留の中に入ってくると、澱んだ体内の気が正常になり、身体が軽くなる。

 しかし、今夜はそこそこ多い落神の呪詛を受けることになったせいか、いつものような体調が戻らない。

「今は、こんなものかしら」

「あぁ、今日はまだなんか頭がぼんやりするな」

 気持ち悪さは相変わらずあって、身体は軽いものの、思考は少し鈍い。

「やっぱりこのやり方は効率が悪いのよ。いっそキスでもする?」

「遠慮する」

 確かに、口から直接癒しの力を流し込めば、回復は早い。しかし、それは蝶子にも呪詛を渡すことになる。

 それでは守り人の意味がない。

「あら、あなたとわたしの仲じゃない」

「昔のあれは事故みたいなもんだし」

 蝶子と守り人の仮契約した際に、一度だけキスしたことがある。あの時の光留は身体がボロボロで、生死の境をさ迷っていたから緊急の処置だった。

「連れないわね」

 蝶子は面白くない、という顔をする。

 治せないことが嫌なのだろう。

「むしろ好きでもない男とキスする方が嫌じゃないか?」

「それこそ今さらだし。犬にでもキスするのと一緒よ」

「父親よりもだいぶ格が下がったな」

 あまりの言い様に光留は怒るのを通り越して呆れる。

「だってわたし、あなたのことも月夜の事も父なんて思ったことないもの。わたしの父様は父様だけよ」

 蝶子は白狐に腕を絡ませ、ね、と白狐に向って微笑む。

「とにかく、口からは嫌だ。それなら時間かかっても今のやり方でいい」

「……あなた、変ったわね。昔ならさっさと治そうとするでしょうに」

「好きな子に誤解されたくない」

 光留の意外な発言に、蝶子はきょとりとする。

「あら、もしかして彼女でも出来たの?」

「そうだよ。言ってなかったか? あ、言ってなかった……」

 そうだ。ずっと蝶子に相談しようと思っていたのだが、タイミングが合わなかったのと、花南と両想いの上で付き合い始めて浮かれすぎていた。

 今さらながらに自分の不甲斐なさに頭を抱える。

「そう、ずっと蝶子に会わせないと、と思ってたんだ」

「え、なんで? わたしがあなたの巫女姫だから?」

「それもだけど、俺の彼女、霊感体質な上引き寄せ体質なんだよ」

「あ、そういうこと」

 光留の彼女に会って「わたしこの人の巫女姫です」なんて言えばその彼女と絶対喧嘩になる。たとえ蝶子に恋愛感情はなくとも相手はそうは思わない。男絡みの女の嫉妬ほど怖いものはないと、今までの人生で経験済みだ。

 紹介しなくていい、と蝶子はうんざりしそうになったが、そもそもの理由が違った。

 蝶子は光留から今までの経緯を簡単に聞く。

「なるほどね。まぁ、霊感体質かつ引き寄せ体質自体は珍しいものじゃないけど、強すぎるのは少し気になるわね。ていうか、むしろ今までよく生きてこれたわね」

「俺もそれが少し不思議だと思う。でも、彼女は霊力も殆どないし、魂も巫女ほど綺麗な形をしているわけじゃない」

「となると、前世の因縁もあるかもしれないけど、あとは、性格かしら。気の弱い子や純粋な子を好む神様は多いから」

「そういうもんか?」

「どうかしら。神様にもよるだろうけど、少なくとも一番身近ないい例がいるじゃない」

「月夜か」

「そう。あぁ、でもそう考えると、その子は雰囲気が母様に似てるのかもね。会ったことないから本当のところはわからないけど」

「鳳凰に……? 言われてみれば、雰囲気は似てる……かな」

「その子が似てるかはどうかはわたしは知らないけど、あなた月夜に似てきたわよね」

「顔が?」

 光留の顔と声は前世である月夜と瓜二つだと、彼の妹の証言もあるのでそうなのだろう。

 夢の世界で彼と数度顔をあわせたが、確かに似ていると思うが、本当のところはわからない。

 だが、そう言えば彼が死んだ年齢をもうすぐ超えたのだな、と思うとなんだか不思議な気持ちだ。

「顔は知らないけど、愛し方が」

「あぁ、そうかも。まぁ、俺は元々あいつだしな」

「……ねえ、今でも母様のこと好きなの?」

 蝶子がふと、心許なげに聞いてくる。

「好きだよ」

 叶わない恋だと初めから知っていた。それでも、彼女を好きになって後悔したことは一度もない。

 彼女への感情は思い出になりつつあるけれど、好きか嫌いかで聞かれれば、迷わず答えられる。

「でも、鳳凰の事はとっくに吹っ切ってるし、今の俺には花南が一番大事だから」

「思い込みじゃなくて?」

「違うと思う。花南を鳳凰に重ねたことは一度もないし、最近はむしろ鳳凰の事思い出すことも減ったよ」

 蝶子は花南という女性を知らない。だけど、いつも仏頂面で、蝶子にすら笑いかけることも殆どない光留が、あんなに甘い顔と優しい声でその女性を語る。正直気持ち悪いと思わないでもないが、それだけその女性を想っているというのは悪いことではないのだろう。

「そういうことなら、まぁいいでしょう。もし母様と重ねてるなんていったら殴ってやろうかと思ったけど」

 いつまでも死んだ人間を引き摺るよりはいいだろう。でなければ、彼女がかわいそうだ。

「わたしが言えるのは、その子と一度会って視てみないとわからない、ということね。根本的な解決にはならないかもしれないけど、せめて引き寄せ体質を封じるくらいはできるかもしれないわ」

「あぁ、また都合がいい時に連絡くれ。あ、でも六月から教育実習始まるって言ってたからその前の方がいいかもな」

「いいわ。わたしも忙しいのは変わらないけど、夏までなら休日は空けられると思う。ゴールデンウィーク明けくらいに一度連絡するわ」

「頼むよ、俺の巫女姫」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る