第五話


 ――あの子が本気なのかどうか、ちゃんと見ていてあげなさい。


 朱鷺子にそう言われてみたものの、光留はあれ以来花南と顔をあわせないまま後期課程が始まってしまった。

(ねむ……)

 昨夜は蝶子と落神退治に出ていたため、睡眠時間は二時間程度。残暑も過ぎ去り、比較的過ごしやすい季節のおかげで、座学は眠くて仕方ない。

 昼休みに入り、学食でひとり昼食を摂っていると正面に同期の学生が座る。

「よう、槻夜。相変わらず独り身か?」

「うるせえよ。そういう佐藤も同じだろうが」

「まぁそうなんだけどよ」

 軽口を交わす程度には仲の良い友人だが、学部が違う為こうして話すのは久しぶりだ。

「で、なんか用?」

「そう邪険にしなすんなって。お互い独り身同士、たまには女子と仲良く飲みに行こうぜ」

「いいけど、いつ?」

「来週の金曜とかどうよ」

 今のところ予定もない。彼の言う通り彼女もいるわけではない。

「いいぜ。その日なら今んとこ予定ないし」

「よっしゃ! んじゃ、店決まったらまた連絡するわ」

「おお、任せる」

 そうして取り付けた約束の日、指定された店に行って光留は驚いた。

 花南がいたからだ。

 以前と同様に光留は花南の前に座る。

「久しぶり、宮島さん」

 花南は小さく会釈する。

「お久しぶりです」

 視れば今日は悪霊に憑かれている様子もなく、光留はホッとする。

「あれから見なかったけど、お守り効いているみたいだね」

「はい、おかげさまで」

 最後に会った日よりも顔色も悪くない。これなら大丈夫そうだと光留も安心するが、何となく寂しく思う。

「おいおい、槻夜は宮島さん狙いか?」

 隣に座る佐藤から探りを入れられ、光留は少し悩む。

「んー、気にはなる、かな」

 主に彼女の引き寄せ体質が。お守りが効いているとはいえそろそろ新しいものを用意したほうがいいだろう。

 蝶子にも視てもらって、可能であれば根本的な解決をしてやりたい。

「え……」

 しかし、受け手である花南はそんな光留の心配など知る由もなく、動揺する。

(え、え!? き、気になるって、どういう……)

 きっと光留に他意はない。凰鳴神社で会っていた時も優しくはあったが、そんな素振りはなかったし、一度否定もされている。

 あの日以来怖くて、悪霊や化け物に会う頻度も減っていたから行かなくなってしまったが、こうして顔をあわせると、花南の胸はトクトクと早鐘を打つ。

「なぁに、花南も満更じゃないって感じね?」

 隣に座る友人に頬を突かれ、花南はもじもじと俯く。

「あ、あの、そういう、わけじゃ……」

「まぁ、槻夜君みたいな美形に「気になる」なんて言われたら勘違いするわよねえ」

 左隣に座る女の先輩に、刺々しい言葉を投げられ、ちくりとした痛みを覚える。

 この合コンの半分くらいの女性は光留狙いなのだろう。

 女優やモデルのような華やかな美人でもなければ、美少女と呼べるほど可愛くない。どちらかというと童顔で、幼く見られがちな花南に、声をかけてくれる男性は少ない。

(わたしなんて、全然釣り合わない……)

 ちらりと光留を見ると、視線が合った。恥ずかしくなってまた俯く。

 結局、その後もろくに光留と会話することもなく、飲み会はお開きとなった。

「宮島さん、君、帰宅組だろ? 途中まで送るよ」

「え……」

 帰り際に光留の方から声をかけられ、花南はドキリとする。

「お、槻夜さっそくかよ!」

「送り狼になるんじゃねえぞ」

「うるせえよ! そんなことするわけないだろ。単に実家が近いだけだよ」

 友人たちの揶揄いに光留は呆れたように返す。

「あ、でも嫌なら……」

「い、いえ! 迷惑なんて……。その、ひとりだと迷子になりそうで……」

 今日の店は大学からは近いが、花南の住むアパートとは正反対だ。

 暗いし、慣れない道で迷子になりそうというのは本当だ。

「うん、じゃあ行こうか」

 光留は柔らかく微笑んでから花南を伴って帰路についた。

「まさか宮島さんが来てるなんて思わなかったよ」

「わたしは、ただの数合わせですから……」

「俺も似たようなもんだよ。来るってわかってたら新しいの持ってきてたんだけど、ごめん」

「い、いえ! 槻夜さんが謝ることじゃ……。それに、本当にあのお守り頂いてから、お化けとかにも全然遭わなくて、こんなに穏やかに過ごせたのは初めてで、本当に、ありがとうございます」

「それなら良かった。でも、そろそろ効力切れる頃だから、近いうちに取りに来てくれると助かる」

「いいんですか?」

「うん。まぁ、気になるんだったら俺の練習に付き合ってるって思えばいいよ」

「そんな、練習でこんな効果出せるものなんですか?」

「普通は無理だと思う。俺は、まぁ……そういう意味ではちょっと特殊というか、普通と違うっていうか」

 ふとした光留の物憂げな表情に、胸が苦しくなる。

(ある日突然視えるようになったって言ってたし、きっと大変な苦労をされているんだろうな……)

 光留の過去に何があったのか、花南は知る術がない。

 どうして、光留がこんなに優しくしてくれるのかも。

 光留の事が知りたいと思う。だけど、弱虫な自分は一歩が踏み出せない。それが余計に苦しくて、切なくて、泣きたくなる。

 花南の感情に呼応するように、周囲の陰の気が強くなる。

 ゾワリとした悪寒に光留はハッとする。

(っ、なんで急に?)

 寄ってくる。近くにいる。

 ぞろり、ぞろりと悍ましい気配が、忍び寄ってくる。

「……宮島さん、こっち」

「へ?」

 光留に腕を引かれ数歩下がる。

 すると、黒い靄が集まり、ぬるっとした軟体動物のような形を作る。

「ひっ……!」

「落神か。くそっ……!」

 倒せないことはない。軟体動物のような形の落神は神格の低い神だった証拠だ。名前すらないから形があやふやで、倒すことは造作もない。だけど――。

(宮島さんには刺激が強すぎる)

 何より、光留は普通の人間には持たない力を持っている。

 鳳凰神に仕える巫女は炎を操れる。そして、彼女達を守る守り人もまた、その恩恵で攻撃に特化した炎を操ることが出来る。

 それが普通の人間が見ればどう映るのか。

 異質なものだと理解している。だから光留も蝶子も、力を使う時は一般人には見られないよう注意を払う。

(この場で祓うことはできる。でも、普通の悪霊祓いとはわけが違う)

『ウマソウナ、人間……』

『ニク……ニクゥ……』

 迷っている間にも落神は増えていく。二体、三体、四体、五体……。

 増える理由もわからないが、集まってきているのは弱い落神ばかり。

「なんで……こんな急に……」

「わからない。でも、あまり強い奴じゃないな」

 幸い、今いる場所から花南のアパートは近い。やるなら彼女を家に帰してからだ。

「宮島さん、走るよ」

「え……?」

 怯える花南の手を引いて光留は走り出す。

『ウオオオオオーーッ!』

『ニクゥーーー!』

 落神達が二人を追ってくるが、動きは鈍い。

 数分も走らない間に花南のアパートの前に着く。

「家に入ったら鍵閉めて、カーテン閉めて目と耳を塞いでて。そうすれば、怖いことはないから」

「で、でも槻夜さんが……」

「俺のことは気にしなくていいから。ほら、早くっ」

 花南を家の中へと押し込んで、鍵の締まる音が聞こえると、光留は祝詞を唱える。

 結界を張っておけばしばらくは入られることはない。

(ここはこれでよし。あとはあいつらだな)

 光留は市道に戻ると、落神達と対峙する。

『貴様アァ、娘ヲ何処ヘヤッタ!』

『人間ノ肉ゥ……』

『我ガ糧ニ!』

「させるわけないだろ、馬鹿が」

 光留の周りに炎の玉がいくつも現れる。

『ソノ力、貴様守リ人カ!』

『強イ霊力……オ前食エバ神格戻ル!』

「食われてたまるかよ」

 複数の炎の矢が、落神達を襲う。

『ギャアアアアア!!』

『アアアアアァァァーーー!』



 アパートにたどり着いた花南は、光留に言われた通り家に入ると鍵を閉め、カーテンを閉めた。

 光留は大丈夫だと言っていたが、正直気にはなる。

 だが、あの醜い化け物を見る勇気はない。

 じっと息を潜めるようにベッドの中で蹲っていると、不意に明るくなった気がした。

 直後――。


 アアアアアァァァーーー!


 恐ろしい絶叫が聞こえた。


「っ……!」

 怖い。でも、外にいる光留は無事なのだろうか。

「まさか、食べられたりしてないよね……?」

 光留はあまり強くない奴らだと言っていたが、数が多い。

 不安になって、花南は恐怖を押し殺しながらそっと、カーテンを捲った。

 隙間からぼんやりと明るい光が見えた。

(あれは、炎……?)

 次々と現れる炎の玉。その中心には光留がいる。

(綺麗……)

 元の容姿も相俟ってか、炎に照らされる光留は何処か神々しくて、美しい。

 炎の玉は矢となり、化け物に突き刺さるとそこから燃え広がり、あっという間にいなくなってしまった。

 すべての化け物がいなくなると、辺りは再び暗くなり、光留の姿を見失ってしまった。

 もう大丈夫なのだろうか。今見たものは夢、だったのだろうか。

 気になることはたくさんあったが、何よりも。

(また、助けてもらった……)

 光留の優しい声と表情、さっき見た美しい横顔が、頭から離れない。

 胸がきゅうっと切なくなる。

 この気持ちは、なんなんだろうか。

(恋って、こんな感じなのかな?)

 よくわからない。だって、男の人を見てこんな気持ちになったのは初めてだから。

 花南は光留から貰ったお守りを握りしめ、誰もいない市道をしばらく眺めていた。

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