第六話


 十月の終わり、同期達が就職活動に明け暮れる中、光留は卒論を書きながら昼食を摂っていた。

 食堂が混み始めると賑やかになって集中力が切れ、ふと顔を上げる。

「あ」

 視界の先には花南がいる。

 どうやら席を探しているようで、ランチの乗った盆を持ったままキョロキョロしていた。

「宮島さん!」

「え、あ。槻夜さん……」

 光留が手招きすればトコトコと近づいてくる。

「席探してるならここどうぞ」

 光留が空いている目の前の席を指差す。

「で、でも……」

「あ、俺が邪魔か」

 戸惑う花南。花南とは何度も顔を合わせていて、知り合い程度の仲だが、流石に彼氏でもない男と一緒は、女の子にとっては怖いかもしれないと、光留は席を譲ろうとする。

「い、いえ! そんなことありません!」

 花南は慌てて否定する。

「その、槻夜さんさえ良ければ、ご一緒しても、いいですか?」

「もちろん」

 頬を染めて、上目遣いで聞いてくる花南はとても可愛らしい。

 しかし……。

(また憑いてる)

 引き寄せ体質の彼女は、光留が見るたびに何かしら憑けている。弱いものとはいえ、あまり頻繁だと心配になる。

 光留は花南が怯えないようにこっそり祓う。

 花南が正面の席に座り、昼食を食べ始めると、光留もノートパソコンを仕舞った。

「卒論ですか?」

 珍しく花南から声をかけられ、光留はドキリとする。

「うん。俺はもう就職先決まってるし、早めにやっておこうと思って」

「そうなんですね……。わたしも早くテーマだけでも決めないと……」

「宮島さんは、幼児教育科だっけ?」

「はい。ちっちゃい子のお世話するのが好きで、そういったお仕事に就けたらいいなって」

「ああ、確かに宮島さんに合ってるかも。雰囲気とか、子どもに好かれそう」

「そう、でしょうか……」

 光留に褒められ、花南はもじもじする。

 そんな仕草も可愛らしくて、きっと男性にはモテるのだろうな、と光留は思う。

(あれ……?)

 花南が知らない男と一緒にいるのを想像して、何だかイラッとした。

「槻夜さん?」

 突然光留が黙り込むので、花南は不安そうに光留を見る。その表情も可愛いけれど、何故か笑った顔が見たいと思う。

「あ、いや、何でもない。ああ、そうだ。これ。古いのは奉納しておくけど」

「いつもありがとうございます」

 光留は新しいお守りを渡して、古くなったお守りを回収する。

 中の札を確認すれば、真っ黒に染まっている。

(まだ弱いのか? でも、これ以上強くすると守護霊も憑かなくなるし……)

 早く蝶子に視てもらった方がいいのだが、何故かタイミングが悪くなかなか捕まらない。

「最近はどう? 調子悪いとか、夢見が悪いとかない?」

「はい、大丈夫です。おかげで夜もゆっくり眠れてます」

「お守りが効果を発揮してるなら良かったよ」

 とはいえ、やはり心配だ。落神は霊力の高い者や若い女性を好むモノが多い。引き寄せ体質の花南なら、なおさら格好の餌食だろう。

「あ、来月から泊まり込みの実習なんです。なので近いうちにまた神社に行きますね」

「そっか、でもそうすると今忙しい時期じゃない? 神社まで行くの大変だろ。良かったら学内で渡すことも出来るけど」

「いいんですか?」

 花南が迷惑じゃないだろうか、と考えているのが手に取るようにわかった。

 光留としては直接手渡しできるほうが花南の状態も見れるし、こうして話せる時間があるのは都合がいい。

「うん。俺も必ず神社にいるわけじゃないし、そろそろ年末の準備とかもあるから」

 嘘ではない。守り人の修業を始めてから、毎年お札作りを手伝わされているのでこれから本当に忙しくなる。

 花南も年末年始という行事で、一番忙しいのは神社の神主さんだろうと納得する。

「そうですよね。初詣とかお客さんいっぱい来ますもんね」

 例年のこととはいえ、年末年始の時期が最も授与品の需要が高い。凰鳴神社のような小さな神社でも、ここ数年は売り上げが倍増しているくらいだから、そろそろお札の在庫も増やしておかないと霊力を使い果たす前に死にそうだ。

「そう。だから宮島さんさえよければ、だけど」

「いえ、よろしくお願いします」

「わかった。じゃあ、日にちとか決めるから連絡先教えてもらっていい?」

「は、はい! もちろんです!」

 互いに連絡先を交換すると、ちょうど昼休みが終わってしまった。

 花南は慌てて次の講義へと向かうが、その胸は嬉しさでいっぱいだった。

 光留は花南を見送り、交換したばかりの連絡先を見る。

 嬉しそうに笑う花南の表情が頭から離れない。

「槻夜ぁ~、何ニヤついてるんだぁ~」

「ニヤついてない」

 同期に絡まれ、光留はため息を吐く。

「さっきの、花南ちゃんだろ? 可愛いよなぁ」

「そうだな」

「お、槻夜が女の子に興味持つなんて珍し~」

「別に普通だろ」

 興味がないわけじゃない。ただ、合わないだけだ。

「そうか? 花南ちゃんも満更でもなさそうだし、いいんじゃねえの? 告白すれば」

 告白するほど好きかどうか、と聞かれると正直わからない。

 可愛いと思うし、守ってあげたいとも思う。

「そういうお前はこの間付き合ってた子とはどうなったんだよ」

 光留はわざと話題の矛先を変える。

「別れたけど」

「早いな」

 手も早いが別れるのも早い。

「別にいいだろ~。それこそ合わなかったってやつだよ」

「どうせお前が浮気したとかだろ」

「槻夜は真面目すぎなんだよ。まさか、お前、実は男が……」

「不能にするぞ」

 光留が冷ややかな視線を向けると、「美人は怖いなぁ」なんておどけて返される。

 本当に不能にしてやろうか、などと物騒なことを考える。

「でも、槻夜が告白しないなら俺が告ろうかな」

「お遊びならやめた方がいいぞ」

「なんだよ、やっぱり好きなんじゃないのか?」

「そうじゃない。お互いの為にならないだろうから言ってるんだよ」

 花南の引き寄せ体質は、場合によっては周囲を巻き込む。

 お守りの力で抑えているとはいえ、霊感も霊力もない他人が付き合うのは難しい。

 自分のせいで他人が傷つけば、きっと彼女は悲しむ。そんな彼女は見たくない。

「はっ、牽制ならもうちょっとマシなこと言えよな」

 つまんねえ奴、と男は光留を馬鹿にしたように吐き捨てる。

「忠告はしたからな」

 光留は持っていた真っ黒なお札の入ったお守りを手の中で燃やした。


 

 花南と連絡先を交換してから、時々学内で彼女を見かけるようになった。

「宮島さん」

「槻夜さん!」

 声をかければ花南ははにかむように微笑み、光留に応えてくれる。

 それが無性に嬉しい。

「実習お疲れ様、どうだった?」

「はい、とても楽しかったです!」

 本当に楽しかったのだろう。

 心の底から嬉しそうに笑う花南を見て、光留も胸が温かくなる。

 何も憑いていないのを見るとホッとするし、怯える彼女を見れば守ってやりたいと思う。

 触れて、抱きしめて、安心させてあげたい。

(好き、なんだろうな……)

 認めよう。花南が好きなんだと。

「そっか。はい、これ。新しいお守り」

「ありがとうございます」

 大切そうにお守りを握る花南がいじらしくて、可愛くて、愛おしい。

 こうして光留との会話を嫌がるそぶりもないことから、恐らく嫌われているわけではないのだろう。

 光留はドキドキする心臓と赤くなりそうな顔を必死に抑えながら、出来るだけいつも通りに見えるように口を開く。

「あのさ、その……」

「はい?」

「クリスマスの前後って、予定ある?」

「へ?」

 ぽかんとする花南。まさか光留からクリスマスの予定を聞かれるなんて思っていなかったから、ドキドキする。

「い、いえ……今のところ、何も……。なので、バイト入れようかな……と」

「っ、じゃあさ、二人で出かけない? 年末であんまり時間取れなくて悪いんだけど……」

 それは、いわゆるデートのお誘いというものだろうか。

 花南の顔は真っ赤に染まり、口をパクパクさせる。

「あ、嫌なら全然、断ってくれて構わないから」

 光留が自信なさそうに言うと、花南は首を思いっきり横に振った。

「いいいいい、いえっ! ぜ、ぜぜぜ、全然大丈夫です! 予定、何にもありませんっ!」

「そ、そう……?」

 花南の慌てぶりに光留は苦笑する。

「じゃあ、時間と場所はまた連絡するから」

「は、はいいっ!」

「……大丈夫?」

「大丈夫ですっ!」

 あまりの緊張ぶりにだんだん不安になってくるが、約束は取りつけた。

 別れるのが名残惜しくて、触れてみたい衝動をぐっと堪える。

「じゃあ、また連絡するから」

 代わりに花南だけに聞こえるように囁けば、顔から火が出そうなほど赤くなる。そんな彼女も可愛らしいと思う。


  

 それからあっという間に月が変わり、師走の名に相応しく忙しい日々が続いた。

 気付けばクリスマス当日で、花南は緊張でガクガク震えていた。

「こ、これでいいかな? 変なところないかな?」

 花南は姿見の前で何度も自分の格好を見返す。

 白いブラウスにチェック柄のロングスカート。寒さ対策のジャケットと、長い髪は毛先だけ巻いてみた。

 化粧品もいつもより奮発して、ブランドのコスメにした。

 気合をいれて準備したはいいものの、今見ると何だか似合わないような気がしてきて、やっぱり断ろうかなんて気弱なことを考える。

 だけど初めて光留から誘ってくれたのだ。

 光留の顔を見ればドキドキするし、甘い声で名前を呼ばれるのも嫌ではない。

 もっと知りたくて、触れたくなる。

(これが、好きってことなのかな……?)

 今まで男の人を見て、かっこいいな、とか素敵だな、と思うことはあっても、こんなに緊張することは無かった。初めてなのだ。こんなに甘くてふわふわした気持ちになるのは。

 早く光留に会いたい。

 時計を見ればそろそろ家を出ないといけない時間だ。

 花南はもう一度自分の格好を見て確認してから家を出た。

 待ち合わせ場所はショッピングモールの中で、この時期になるとシンボルとしてテレビでも紹介されるツリーの前だった。

(こ、混んでる……)

 当たり前だが、クリスマスの十八時にツリーの前なんて、人が大勢いて人酔いしそうだ。光留に会う為でなければ、はっきり言って来るもんじゃない。しかも家族連れやカップルばかりだ。

 帰りたい衝動に駆られるが、なんとか踏みとどまる。

「宮島さん!」

 光留を探してキョロキョロしていれば、後ろから手を取られた。

「え……」

 振り返ればホッとしたような光留がいて、ドクリと胸が高鳴る。

「良かった。人が多いから会えないんじゃないかって焦ったよ」

「え、あ……」

 わざわざ探してくれたのが嬉しくて、言葉にならない。

「宮島さん?」

「はいっ! あ、あの、見つけてくださって、あ、ありがとうございます」

 花南は緊張のあまり思い切り頭を下げる。

「気にしないで。俺が早く会いたかっただけだから」

 照れたような光留の表情が可愛くて、言葉も甘くて花南は溶けてしまいそうだ。

「じゃあ、行こうか」

 さり気なく手を握られる。花南よりも大きくて温かな手。ただ手を繋いでいるだけなのに、ドキドキしてどうしていいかもわからない。だけど、この温もりは手放し難くて、そっと握り返してみる。

 視線を感じて見上げれば、光留が優しく微笑んでいて、また顔が熱くなる。

「宮島さんは、どこか行きたいところってある?」

「い、いえ。特には……」

 何も考えていなかった。光留に会うということに頭がいっぱいで。

「じゃあ、少し早いけど夕飯にしよう。あんまり遅くても混むし……」

「そ、そうですね」

 この人だかりだ。今日は何処も混んでいてゆっくり出来るような場所は限られている。

 光留が連れてきてくれたのは、お洒落なカフェレストランだった。個室に通され、メニューを見ても値段もリーズナブルで、気後れしなくて済んだ。

「女の子が好きそうな場所がわからなくて、知り合いに聞いたら此処を勧められたんだ」

「とても素敵なお店ですね。わたしもこういうところ初めてですが、なんだか落ち着きます」

「そっか。それなら良かった」

 花南のはにかんだ笑みを見て、光留もほっとする。この日のために恥を忍んで蝶子に聞いた甲斐があったというものだ。

 他愛もない話をして食事して、お腹が満たされると街へ繰り出す。

「やっぱり、何処も混んでますね」

「まあ、覚悟はしてたけど。宮島さん、大丈夫? 疲れてない?」

「大丈夫です。 きゃっ!」

 慣れないブーツと人混みで花南が躓くと光留が支えてくれる。

「怪我はない?」

「は、はい。すみません……」

「気にしないで。人が多いし、もう少し落ち着ける場所があればいいんだけど……」

 例年、クリスマスは家にいるか、年末年始の準備で駆り出されていたのもあって、すぐに適当な場所が思い浮かばない。もっと下調べしておけばよかった、と後悔した。

「あの、行ってみたい場所があるんですけど……」

 花南からの提案に光留は頷く。

 花南が提案したのは海沿いに設置されたイルミネーションだった。

「大丈夫? 寒くない?」

「はい、平気です」

 近くには観覧車もある。待ち時間も三十分程度だというので、二人で乗ることにした。

「わぁ、キレイ……」

 観覧車から見る夜景は壮観で、夢中になっているとくすりと向かいから笑う声が聞こえた。

(あ、わたしだけはしゃいで、恥ずかしい……)

「良かった」

 ポツリと光留が呟く声が聞こえて、花南は首を傾げる。

「ずっと緊張してたみたいだったから、無理に誘ったかと思ったんだけど」

「そんなことありません! その、わたしひとりだとこういうところに来れませんし……。それに、とても嬉しかったです」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 光留の笑う顔にきゅんと胸が甘く締め付けられる。

(ずっと、こんなふうに過ごせたらいいのに……)

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。繋いだ手を離すのが怖い。

 だけど、気付けばもうアパートの前だった。

「今日は、ありがとうございました。とても、楽しかったです」

「うん、俺も楽しかった」

 別れるのが寂しいのは、きっと光留と一緒の時間が幸せすぎたせいだ。

 手を離さなければいけないのに、なかなか離せない。

「あのさ」

 名残惜しくて俯いていると、光留から緊張したような雰囲気が伝わってくる。

「はい」

 なかなか言葉の続かない光留を不思議に思って見上げれば、どこか迷っているような表情の光留がいて、だけど握った手はさっきよりも強くて、どうしたのだろうと思う。

 光留が何を言いたいのかわからなくて、でも繋いだ手を自分から話す勇気もなくて、されるがままにじっとしていると、やがて光留は小さく息を吐いて花南をじっと見つめる。

「……俺、宮島さんの事好き、みたいだ。だから、付き合ってほしい」

「え……」

 決して大きな声ではない。静かで落ち着いているようにも聞こえる。でも、確かにその言葉には熱を孕んでいて、その目を見れば光留が冗談を言っているわけではないとわかる。

 遅れて心臓がバクバクと疾走する。

「へ……え……ええっ!?」

 驚きのあまり頭が回らない。緊張なのか嬉しさなのか、様々な気持ちに溢れて、感情がぐちゃぐちゃだった。

「ぁ、ぅ……えと……」

 上手く言葉が出なくて、この気持ちをどう表現していいかわからなくて、花南はぽろぽろと涙を零す。

「……ごめん、迷惑だった?」

 光留の悲しそうな顔に、胸が張り裂けそうなくらい苦しくなる。

 そうじゃないのだと伝えたいのに、声が出ない。代わりに首を横に振る。

「ち、ちがっ……そうじゃ、なくてっ……」

 泣いたら余計に勘違いされる。わかっているのに涙が止まらない。

「あ、あの……」

「うん」

 光留は辛抱強く花南の言葉を待っててくれる。

「う、嬉しくて……、今日、誘ってもらえたのも、いつも、優しくしてくださるのも、全部、全部嬉しくて、幸せでっ……」

「…………」

「わたしも、槻夜さんの事、好きですっ!」

 言うと同時に光留に抱き締められた。

「っ、ありがとう」

 その言葉は涙声のような気がした。

(温かい……)

 ずっと、こうしていられたらいいのに――。

 こんなに幸せでいいのだろうか。

 顔を上げると、潤んだ瞳の光留と目が合った。

「君が好きだよ」

 指で涙を拭われて、目を閉じると額にキスされた。唇が触れた場所が熱を持ったように熱い。

(まるで夢みたい……)

 今まで、霊感体質のせいであまり人と馴染めず、誰かと付き合うなんて考えられなかった。

 きっと、もう二度とこんな軌跡は起きない。

 それくらい幸せな一日だった。

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