二話
女たちはすぐに獣兵団本部に到着した。女は馬を適当な所に繋げると、本部に入る。回収人として顔を知られている女は、上に話があると適当な団員に話しかけた。団員は女を疑うことなく、団を率いる総司令の部屋へと案内した。女は息を吐くと、蹴破るような勢いで襖を開けた。
その中では司令と思しき男が書類を見つめていた。男は女に気がつく。
「……どうなさいましたか」
「どうしたも糞もあるか。……テメエ、梟の導き捨てるなんて、正気か?」
女は男に近づいた。男は眉を顰める。
「正気だが」
「ああそうかよ。……じゃあ、私らが代わりに預かってもいいか」
「ならん」
男は不機嫌そうに女を見た。女は目を吊り上げる。
「預かりきれなくなったとは言ったが、悪用される危険がある奴には渡せない。死体回収しかできない奴に、俺たちのことは分からんだろうしな」
顔が熱くなるのを女は感じた。体が震える。握りしめた拳からは少量の血が流れた。
「……命に関わる仕事をしている奴が、どの口で『死体』とかほざいてんだテメエ!」
女は勢いよく男の胸ぐらを掴んだ。男は目を見開く。やめろという声が聞こえ、帯刀しているのがちらりと見えたが、女はそんなことなどどうでもよかった。こちらだって命を賭けてここに来た。
「いいか! 遺体とか遺品ってのは重いもんなんだよ! 運んだ数だけ重くなる! その重さは一生消えねえ!」
中に入って来た団員たちが女を無理やり引き離す。彼らに引きずられながら女は叫んだ。
女の側には常に死がある。最初に死を実感したのは、父親が禍津物に襲われて死んだ時。それから食べていくために回収人になれば、死体は数え切れないほど見てきた。女は常人よりも死というものを知っていると思っている。
だからこそ彼女は断言する。遺体や遺品ほど重いものは無いと。
引きずっても荷車で運んでも楽にはならない。埋葬しても軽くはならない。運んだ数だけ重さは増えていき、さらに永遠に消えない。そんな重さはおそらく常人には理解できないだろう。
だから――死体呼びして死を軽く見ようとする人間が、どうしても許せないのだ。
「いいか! 遺体は色んな人の人生で永遠に重さを遺す。だから『遺体』なんだ。だから遺された体なんだ! 人も獣も絶対に死なねえ。重さという単位の中で、永遠に誰かの人生に居座り続けんだ。……それを知らねえ馬鹿共が軽々しく死体と呼びやがる!」
団員は思わず力を緩めた。その隙を狙い、女は何人かの団員を殴り飛ばす。
現に、女の中では今も遺体や遺品の重みが残っていた。
仕事を馬鹿にされるのはまだ良かった。死体運びという仕事に偏見がいくのは仕方のないことだからだ。それに、遺体を見つけられなければただの戦場荒らしと変わらない。遺族の叫びや悲しみが、回収人という仕事の意味を分からなくさせた。
それでも――人の死を馬鹿にすることが、軽視しようとすることが断じて許せなかった。
「……私はな。あんなに重い遺品は知らねえぞ」
女は呟き、男を見た。男は息を呑む。
少年は上司を見る。
「僕、彼女のことを尊敬しているんです」
上司は少年を見た。
「だって、あの人っていつも丁寧に遺体や遺品を運んでくれるから。どれだけ仕事が遅くなっても、血を拭き取って優しく荷車に積むんです。時々立ち止まって遺体や遺品の状態確認しているのを、僕は何度も見ました」
上司は頷いた。
女は粗暴な言動や短絡的な性格で誤解されやすい。だが、本当の彼女は優しく、常に死者への敬意を忘れない。そんな彼女の運んだ死体や遺品は他の者が運んだそれよりも、ずっと綺麗な状態に保たれていた。目玉一つであろうとも潰さずに、必ず遺族の元へと届けようとする。
「ああ。アイツが遺体や遺品を届けた遺族は、必ず後日お礼に来てくれる。俺はあんなに愛され、感謝される回収人を見れる日が来るなんて、思いもしなかった」
上司は目を細めた。
「俺はアイツに出会えたからこの仕事を続けられたんだ」
少年は頷いた。
男は女を注意深く見つめた。そして何かを言おうと口を開く。しかし、その言葉は出なかった。
「梟の導きを捨てると聞きました。それは本当ですか、司令!」
怒鳴り声と共に机を叩く音が響き、女は瞬く。そこにいたのはハクマだった。ハクマはこれ以上無いほどの鬼の形相で男を睨みつけていた。雰囲気は氷よりも冷たく、思わず女も身震いした。他の団員たちは逃げるように部屋の外に出ていった。
「……その顔を見るに本当なんですね。呆れた。貴方に総司令は向いていません。すぐに辞めてください」
ハクマは腕を組み、男を見た。彼女の青色の目から放たれる眼光は女のそれよりも鋭かった。有無を言わさぬ空気に、男はしどろもどろになる。そこでようやくハクマは、女に気がついた。
「みっともないところをお見せいたしました。何かされました? そうであれば、本当に申し訳ございません。……もしかして、回収人の方ですか?」
女は頷いた。ハクマは満足そうに微笑む。
「そうだ。折角ですし、昔話でもしましょうか? 梟の昔話なんです」
女は瞬いた。
昔々、とある梟の番が森の中に住んでいた。元気な雌梟とおっとりとした雄梟の番である。二人は仲睦まじく暮らし、その仲の良さは他の動物たちが羨むほどだった。
しかし、雄梟は病弱であり森から出ることはできなかった。そのため、仲の良い
「知っているかい? この森からずっと離れたところに海って場所があるんだ」
「湖ならこの森にもあるわよ?」
雌梟の言葉に長元坊は苦笑した。
「違う違う。確かに湖みたいだけど、湖よりずうっと広くて、しかも水は塩辛いんだ」
雄梟は不思議そうに首を回し、雌梟を見た。
「すっごい綺麗なんだ! きっと見たら感動すると思うぞ」
雄梟は雌梟に向かって目を細めた。
「……春になったら、僕が君を海に連れて行くよ」
雌梟はそれを聞き、嬉しさのあまり勢いよく翼を広げた。楽しみにしてるわ、と笑う彼女はこれ以上無いほど幸せそうだった。
しかし、その年の冬は病が流行り、雄梟もその病に倒れてしまう。雌梟は一生懸命に世話をしたが、彼の体調は日を追うごとに悪くなっていった。遂に食べ物も口を通らなくなった時、雄梟は弱々しい声を出した。
「……絶対に……海に、連れて……行く……か、ら。そんなに……泣かない、で。僕は……やく、そくは絶対に、ま、もるから」
しかし、春になる前に雄梟は死んでしまう。
雌梟は雄梟の死体を抱き、寝食すら忘れて何日も泣いた。涙も枯れた頃、雌梟は愛する夫の遺体を見る。
海に連れて行くと言っていた。しかし、死体を持って海までは飛べない。どうしようかと雌梟は冷たくなった体をつつく。すると一枚の風切り羽が取れた。雌梟はその羽根をそっと咥えあげると、自身の風切り羽の間に押し付ける。するとその羽根はまるで元から彼女のものだったかのように、彼女の体に馴染んだ。
雌梟は大きく羽ばたく。
彼女は全く疲れることなく、海へとたどり着いた。夕日に照らされた海は橙色に染まり、凪いでいた。水を舐めてみれば確かに塩辛い。
しばらく海に見とれていると、長元坊が飛んできた。
「……海、来たんだ。おいらの言った通りだろう。……アイツも見てるかなあ」
「ええ。当然でしょう。私を連れて行ってくれたんだもの。私、この羽があればどこへでも行けるわ」
雌梟は微笑み、翼を広げる。そこには、一枚だけ色の違う翼が付いていた。
物語を語り終わったハクマは女の手を優しく握った。
「……私たちは奥さん梟、亡くなってしまった仲間は旦那さん梟、海を見ることは禍津物の殲滅です。そして……旦那さん梟の羽は梟の導きなんです。私たちにとっては」
女はハクマを見る。
「奥さん梟は旦那さん梟の羽によって海に辿り着くことができました。……それと同じなんです。私たちが禍津物という、人が本来敵わない脅威に立ち向かえるのは、仲間たちの遺した梟の導きがあってこそのこと」
男は呆然とハクマを見た。
「確かに梟の導きは重いですよ。だって志や願いそのものだから。けれど……志や願いは希望へと繋がります。だから、梟の導きは絶対に捨ててはいけないんです。遺族の方はそれをよく理解されています。だから受け取らないのです」
ハクマは満面の笑顔を女に見せた。
「ありがとうございます。貴方たちが私たちに思いを届けてくれるから、わたしたちは戦える。……貴方たちは決して戦場荒らしなどではありません。むしろ、死んだ仲間の志を私たちに繋げる仲介人なんです。だから……本当に感謝してもしきれません」
女は思わずその場に座り込んだ。
ずっとこの仕事が嫌いだった。死体を前に無力感に襲われたことは数え切れない。一般人からは差別され、必死に回収した死体は目の前で死体呼びされる。何のための仕事だと思った。辞めてやろうと思ったことなど数え切れない。
けれど――ようやくこの仕事に誇りを持てた。
「……じゃあ、アンタにこれを託す」
襖が開き、上司が箱に詰められた梟の導きをハクマに渡した。ハクマは目を細め、ありがとうございます、と頭を下げた。少年が女を見る。女は上司と少年に話しかけた。
「仕事、もう辞められなくなっちまった。本当に必要なくなるその時まで、働いてやる」
照れくさそうに呟く女に、上司と少年は微笑んだ。
数年後、現場で待機する女たちの元に、ハクマがやって来た。
「禍物掃討隊隊長に就任されて、おめでとうございます」
上司のうやうやしい声が聞こえ、こいつも所詮男か、と女は顔を歪めた。
数年間で禍物掃討隊は大きな変化を迎えた。というのも、隊長にハクマが就任したからである。それと同時に獣兵団の総司令も変更され、獣兵団は改革が急速に進められていた。
そして今、ハクマが就任して初めての闇月が終わった。
悲惨な状況だったはずなのに、ハクマはやけに上機嫌である。女は注意深くハクマを見た。
「皆さん、今日の仕事はなくなりました」
女は思わずハクマを見た。他の仲間も一斉にハクマを見る。
「今回の闇月は死者が出ませんでしたから。これも部下の方々による迅速な避難対応、新しく開発された毒薬と陣形の使用に……」
「嘘だろ!」
上司の悲鳴が響く。女は瞠目したままハクマを見た。ハクマは自慢げに微笑んだ。
「それに、皆さんが私たちに思いを届けてくださいましたからね。未来の世代もちゃんと意味を理解していて、会ったことのない団員の梟の導きを大切にしてくれています」
ハクマは微笑み、近くにいた少年を呼ぶ。青い髪と炎のように赤い目を持つ少年だった。少年は女たちを見ると、腰につけていた巾着袋を開ける。
そこには梟の導きが十枚ほど入れられていた。綺麗に手入れされており、シワ一つも見当たらない。
少年は中の枚数を確認して巾着袋の口を縛ると、そっとその袋を抱きしめた。
梟の導き 夜間燈 @yasai-2023
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