梟の導き
夜間燈
一話
青空の下で、砂色の髪をした女は倒れた男を担ぎ上げる。その男は既に息をしていなかった。目は大きく開けられたままで、体は紫と赤の血でぐっしょりと濡れていた。
「アンタ……こんな死に様で良かったのかよ」
女は死体に呟き、空を見る。
青空の下に地獄が広がることを、彼女は初めて知った。
それが女の初仕事だったが、それから五年経った今でも、地獄は少しも変わっていなかった。
自然が神を創ったと考えられる世界。木の上に家が建ち、国が狩猟採集を管理し、人以外の生き物が人よりも上とされる。そんな世界では、とある災いに悩まされていた。もちろん、そんな世界にある〈水獣の国〉も例外ではない。
「……くそ、物騒な色しやがって」
砂色の髪を持つ女は呟き、外を見た。
空は様々な色が渦巻いており、まるで渦潮だらけの海面のようになっている。昼であるにもかかわらず太陽は消えているが、その代わりに月が出ている。その月は普通の月ではなく、濃い紫色に染まっていた。
その月の下では、獣や人の声とも違う鳴き声が響いていた。まるで泣いているようなその声を聞き、女は思わず息を吐いた。
「……仕事、少なく済むといいですね」
女の横では
「済むわけねーだろ。玉砕前提で動いてるようなやり方で戦ってんだぞ」
女は呟き、息を吐いた。
泣いた声がしなくなり、女は空を見る。あの禍々しい景色が嘘のように、青空が広がっていた。月は消え、太陽が戻っている。
「終わったみてえだぞ」
女は言い、外へ出た。
五百年以上前、突如として月が紫色に染まった。そして空も様々な色が渦巻き始めた。何かの吉兆かと人々が恐れた直後、見たことのない化け物が現れた。
その化け物は紫色の血を持ち、常に飢えた獣の目をしていた。さらに傷を付けることのできない硬い皮膚に、たとえ燃やそうがどれだけ殴ろうが死なない、強靭な体を持っている。
その化け物は「
禍津物は二十年間、この世界の大地を我がものとした。
「……凄えよな。獣の兄弟ってやつは。禍津物殺せんだから」
女は呟いた。
事態が好転したのは、禍津物が侵略して二十年後だった。人は獣や鳥、竜などと「兄弟の契り」を結ぶことで、禍津物を殺す術を手に入れた。彼らは「獣の兄弟」と呼ばれるようになり、禍津物を殺していった。
その成果が実を結び、群れの首領を殺された禍津物は、この世界で生きることができずに一旦は全滅した。
それ以来、禍津物は不定期にこの世界に現れるようになり、人や獣たちが侵入した禍津物を殺した。
この災いは「
最初の闇月は世界人口の半滅させるほどの規模だったが、現在では死者は三桁代にまで減った。しかし、五百年経った今でも、死者が二桁代になったことはない。
「けどよ……なるべく死なねえようにしてくんねえかな」
女は呟き、荷車に馬を繋いだ。豹のような斑点を持つ馬である。馬は女を見ると瓦礫が散乱する木上を示した。
近くの階段から木の上に登り、女は馬を呼ぶ。馬は女を見ると、木の上に広がる道を見た。
女はこれから始まる仕事を考え、眉を顰めた。
女は瓦礫の散乱する道を歩く。そして紙を広げた。そこには「六十四」と書かれている。女は紙をしまい、辺りを見回した。
目に付いたのは、倒れた獣の死体だった。特に外傷は見当たらない。その獣の足には
互いに兄弟関係となった獣と人は一心同体の関係となる。その関係はあまりにも強く、兄弟のどちらかが死ねば残った方もすぐに死ぬほどだった。そのため禍津物に食われていなければ、兄弟の死体は互いに遠くない場所にある。
女は再度辺りを見回した。そして視界に倒れた男の体が目に入る。女は男の体を見て顔を顰めた。
体中が紫と赤色の地で染まっており、腹が大きくへこんでいる。当然息はなく、目は開けられたままだった。女は目を優しく閉じてやると、血を丁寧に拭き取り、着けている梟が描かれた腕輪を確認する。そこには、着用者の名前が裏に書かれていた。
その横には女と別の獣の死体があった。その女の死体に至っては右腕は無くなっており、喉笛が食いちぎられていた。獣もまた、腑が抜かれている。女は死体の傷跡を優しく拭うと、全員分の腕輪や足輪を確認し、荷車に乗せた。
女の仕事が終わったのは、既に早朝と呼ばれる時間になってからだった。
「五番区域、終わりました」
他の仲間たちは仕事をとっくのとうに終わらせたらしく、退屈そうに女を待っていた。
「三番区域、ただいま終わりました」
背後から淡々とした声が聞こえ、女は舌打ちするのを堪えた。視界に入ったのは、浅葱色の髪をした少年だった。
相変わらずいけ好かねえ顔しやがって。
女は乱暴に外套を脱いだ。すると、少年は女に話しかける。
「血、頬についてますよ」
女は血を拭うと、勢いよく水を飲んだ。
「よし、これから報告行ってくれ」
上司の言葉が聞こえ、女は体が重くなるのを感じた。
禍津物を殺す獣の兄弟は、〈
そんな禍物掃討隊の象徴は梟であり、腕章や獣用の足輪には、着用者の名前と共に、羽ばたく梟が描かれている。そのため、それらの腕章や足輪は「梟の導き」と呼ばれていた。
「……今回の死者は二百六十八名です。そのうち獣が十八名。遺体が見つからなかったのは、三十四名です」
禍物掃討隊本部で女は淡々と報告をした。それを聞いた隊長の男は、
「そうか」
とだけ呟いた。
その横では獣が何とも言えない顔で女たちを見ている。
気が沈んだまま、女は部屋の外へ出ようとした。その背を隊長が呼び止める。
「……あぁ、そうだ。そこにある箱を持っていってくれないか」
女は横に置いてある箱を見つめた。
「……何ですか、これ……」
「引き取り手がいない『梟の導き』だ」
女は箱を持つ。思いの外、その箱は重かった。
部屋から出ると、女は息を吐く。
女の仕事は闇月終了後の、死体や遺物の回収係だった。死体や遺物を回収し、遺族に届ける仕事である。
「あぁ! あの、息子は! 息子は! マヤとウカって名前なんです!」
部屋から出た女に、一人の老婆がしがみついた。女は老婆を見ると、紙を出す。獣であるウカの死体は見つかったが、その兄弟のマヤの死体は見つからず梟の導きだけ回収されたと、息子の名前の横に書かれていた。
「……ウカさんは見つかったのですが……マヤさんは……遺体は見つからず、梟の導きだけの回収に……」
女は老婆の目を見ると、はっきりとした、しかし悔しさの混じる声で言った。老婆は女を見ると、ふらつきながら女から離れた。ありがとうございます、と今にも消えそうな声が聞こえ、女は頭を下げる。
女は息を吐いた。
遺族と話す時が一番苦しい。彼らの苦しみは女の苦しみでもある。何もできないのに、助けられなくてすいません、といつも思ってしまう。そこには当然、仕事に対する誇りなんてものは無かった。
死んでもらうために自身の家族を送り出す者はいないのだと、女は死体を見る度に思う。
「私たちって何のためにいんだよ……」
女は呟き、箱を持ち直した。
外に出ると、同僚の少年がそこでぼんやりと立っていた。少年は女に気がつくと、駆け寄る。
「お疲れ様です。ところでその箱は?」
「梟の導き」
女はそれだけ言うと、歩き出した。わざと早歩きで歩いているつもりだったが、少年は何も言わずについてきていた。
「おい、あれ回収人じゃねえか?」
ふと声がし、少年は顔を上げる。
視界に入ったのは、数人の兵士だった。
「確か、戦場荒らしながら、死体回収すんだっけな。頭おかしい奴が多いって有名だぜ」
女は立ち止まると、箱を少年に持たせ、兵士たちの元へと駆け寄った。そして女は何も言わずに、兵士の頬に勢いよく拳をぶつける。倒れ込んだ兵士を一瞥し、女は兵士の胸ぐらを掴んだ。
「それ以上喋んな。ぶっ殺すぞ、テメエ」
女が低い声で言うと、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように駆け出した。
「国を守る立場のくせに、最低な奴らでしたね」
「話しかけんな」
女は素っ気ない声で言うと、足音を立てながら歩き始めた。
「あの、質問なんですけど。……どうして『梟』なんですかね」
声が聞こえなかったのか、と女は思わず言いそうになったが、それも急に面倒になった。少年はそんな女に向かってさらに言葉を続ける。
「だって……梟よりも強い動物はたくさんいます。鳥にこだわるなら、鷲とか鷹の方がいいと思いませんか? 梟よりも美しい鳥だってたくさんいますし……」
女は少年を見た。
確かに彼の言う通りではある。他国では禍物掃討の象徴は獅子や狼だ。その中で梟はかなり浮いている。
「それはですね。昔話が関係しているんですよ」
ふと鈴のような声が聞こえ、女は顔を上げた。
そこにいたのは、白銀の髪と透き通った青色の目を持つ女だった。
「申し遅れました。私、ハクマと申します。禍物掃討隊志望の訓練生です。以後、お見知りおきを」
ハクマという女は淡く微笑んだ。全く顔に興味がない女でも、ハクマは美女だと思った。ハクマは女を見ると、お疲れ様です、と言って一礼し、そのまま去っていった。
「……何だったんだ、あの女……」
女は呟き、箱を持ち直した。
重いなと女は思う。その重みは女が想像するより遥かに重かった。
上司に箱のことを報告してから数日後、梟の導きたちは獣兵団本部が回収するという話でまとまった。女は回収されていく梟の導きをぼんやりと見ていた。
「廃棄する予定らしいですよ」
少年の声がし、女は少年を見た。
「廃棄? 腐っても遺品だろうが」
「遺族の方が受け取りを拒否しているので、預かりきれなくなったそうです。それに名前が縫われているから再利用もできないですし」
女は黙った。少年は話し続けた。
「でも……捨てるのは違うと思うんです。あの人たちは、遺品の重さが本当に分かっているのかな……」
女は少年を見る。上司が少年を苦々しげに見た。
「知らねえだろうな。遺体回収も遺品回収も人任せにしてるからな」
女は息を吐くと、外套を着た。
「どこへ行く気だ?」
上司の言葉に、女は反射的に答えていた。
「取り返してくる」
少年は顔を上げると、僕もついていきますと元気よく言った。
女は回収を進める団員に話しかけた。
「やっぱり、その梟の導き、私が預かりたい」
すると団員は顔を歪めた。
「それはできません」
あ、と女は間の抜けた声を出す。少年も瞠目した。団員は口を開く。
「名前が書かれているからです。過去に、この腕章を悪用した詐欺がありまして」
「……そんなことしねえよ。つーか、ソイツ凄えクズだな」
女は不満そうに呟くが、状況が好転するとも思えなかった。すると少年が口を開く。
「だからといって、廃棄するのは違くないですか?」
団員は不満そうに少年を見た。
「それに……その腕章を悪用しているなら、貴方たちに渡したりしませんよ」
少年の言葉に団員は黙る。言い訳の言葉を探す団員に、少年は静かに苛ついたらしかった。少年は団員に詰め寄る。普段表情一つ変えないくせに、今回はやけに迫力があった。
「第一、僕らは廃棄するために遺品を探している訳じゃない! 必要としている人がいるから探すんです! 貴方たちが捨てようとしているそれだって、必要な人がいると思うから探したんだ!」
団員は黙った。少年は怒鳴りながら団員を睨みつける。
「……上からの命令なんです。分かってください」
絞り出したような声を聞き、女は少年を見た。
「じゃあ、上に言うわ。それまで捨てんなよ。一個でも捨てたら殺す。糞餓鬼、テメエはコイツらが捨てねえか
女は馬を呼び出すと、その背に乗った。
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