第10話 混乱
「瀬川優紀のことで、約束していて」
「瀬川様。お待ちしておりました」
綺麗な声で、男性はゆっくりとお辞儀をする。僕もつられてお辞儀をした。なんとなく張り詰めたような空気を感じながら、案内された先で書類を見せられる。
「最終的な費用は以前お伝えした分より少なく計算できております」
「……ありがとうございます」
「事情も分かっていますので返済は瀬川さんのペースで大丈夫ですから。追加の費用も取りません」
優しくそう言われて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。確かに、最初に病院で聞いた費用よりは高くなかった。でも甘えてはいけない。出来るだけ早く返済しようと紙を見つめた。
「わかりました。バイトして返済します」
「あまり無理されないでくださいね」
「大丈夫です。そんなに時間はかからないと思います」
紙を受け取ってエントランスに戻ると、先生が心配そうにこちらを見た。凱もまだそこにいる。
「もういいの?」
「はい」
「すみませんでした、お金を待っていただいて。本当にありがたいです」
「とんでもございません。精一杯、寄り添わせてください」
男性がお辞儀をする。そのさらに奥から、少し驚いたような目に見つめられた。
「お前……」
「あ、神矢くん」
僕と同じ制服を身にまとった学生が階段から降りてきた。厳つい目をしていて、いかにも不良って感じの悪い空気が漂っている。凱が呼んだ通り、この人物が噂の三年生、神矢さんなのだろう。見たことがあるような、ないような顔をしている。
「妹の件か」
「は、はい……」
近くで見るとものすごく大きい。数回言葉を交わしただけなのに威圧感があった。この葬儀屋の息子なのだから、僕の事情も把握されているのだろうか。知っているような口ぶりだった。
「瀬川。今すぐに払えって話じゃないが、あれほどバイトを詰め込んでいたのなら、いくらか蓄えはあるんじゃないのか?」
「成珠(せいじゅ)。お客様の前だ。口を慎みなさい」
「バイト……蓄え……」
言われた言葉を繰り返す。
蓄え。確かにある。大事に貯めている分がある。
「それはダメっ……!」
ダメだ、あのお金は……。優紀のために……優紀の進学のために貯めて……。
――あれ? ダメ、なんだっけ? そういえば、今なんで大金が必要なんだっけ?
でもこれは何があっても手出ししちゃいけないお金だ。使ったら、優紀の進学が……――。
優紀の……進学? 優紀は……死んだからもう、貯める必要はないはずだろう?
頭の中でいろいろな意見が交差する。優紀の進学ために貯めたお金は使えないという縛りだけが先行して、優紀がもういない事実を絡められてない。
「あ……」
そっか……これは、優紀の……葬儀に充てない……と。
優紀は、死んだんだった。もう、いないんだった。僕が、守れなかったんだ。僕の所為。
「瀬川さん?」
「あ、……すみません。やっぱりお金、あります。すぐに下ろしてから支払いに来ます」
「別にすぐじゃなくても……」
「いえ。ちゃんとあるので。すぐに」
「満澄!」
入口に顔を向けた瞬間、名前を呼ばれた。その声は聴きたくない掠れた声。
「おかあ……さん」
「えっ……どうしてここに」
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