第9話 約束

「よかった……気が付いて。ここは保健室。クラスと名前は言える?」


「1年6組……瀬川満澄(みと)です……」


「よし。問題なし。病院に行って一度戻ってきたのよ。覚えてないかもしれないけれど」

「覚えてないです」

「出血はすぐ止まったみたい。クラスの子が頑張って押さえてくれたおかげね」


 先生が指さした先に桶があり、赤い泡まみれの体操服が浮かんでいる。切られたときに首に何かを当てられた感覚は、誰かの体操服だったのか。


「今平気なら送っていくけど、どうする」

「ああ、いえ、そんな。しかも今日は行かなくてはいけないところが」

「ええ? ダメよ。こんな体じゃ……」

「今日の約束なんです」

「こんな時に誰と……」

「葬儀屋さんです」


 僕がそう言うと、先生は少し悲しそうな顔をした。優紀のことを知っているのか、ただ、葬儀屋という言葉に反応したのかは分からない。


「……そう。仕方ないなぁ……」


 寄り道OKで、養護教諭の先生が今日の帰りは送ってくれるということで、甘えさせてもらうことになった。

 社内では先生にはあまりイメージのない、ロックの曲が流れている。シャウトする声に少し驚きながらも他愛無い話をした。

 あっという間に葬儀屋に着く。"神矢葬祭"と書かれた建物には車が数台だけ止まっていた。地下駐車場もガラガラのようで、今日、葬式の予定はないらしい。


「ここ、うちの三年生のご実家よね」

「そうなんですね」

「とても大きい会社だけど、生徒さんは結構問題児よねぇ……」


 神矢という名前に心当たりがないわけではなかった。松尾田凱と名乗った、青いスリッパの三年生から聞いた名前。おそらくその人物を指しているのだろう。建物に近くなるにつれて、先生は神矢という生徒の話をしなくなった。


「すみません、瀬川です。瀬川優紀のことで」


 エントランスに立っていたスーツの男性にそう言うと、その先にいた数人がこちらを振り返った。


「あ」

「あ……」


 ちょうどカウンターの手前に松尾田凱が立っている。僕と目が合った瞬間、少し驚いたような顔をしてから優しく笑った。


「ここで話しなよ。センセーはこっちでオレと話しましょう?」

「えっ!? ちょっと」


 凱は先生を連れていき、僕を残した。

 カウンターの向こうには少し強面の男性が立っている。名札には"神矢"と書かれていた。

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