第13話 消えた男 3
シャーロック・ホームズは、トマス・ペンフィールドの家の扉を慎重に開け、ワトソンと共に中に足を踏み入れた。家の中は、外の冷たさとは対照的に暖かく、居心地の良い雰囲気が漂っていた。暖炉にはまだ火がくすぶっており、家族がここで生活していた痕跡がはっきりと感じられる。だが、それ以上に強く感じられるのは、不自然なほどに整然とした静けさだった。まるで家全体が凍りついたように、何か異質なものが存在しているような空気が漂っていた。
「この家の中には、争いの形跡はないと言ったが、それにしても妙に整っているな。」
ホームズは低くつぶやきながら、周囲をじっくりと見回した。
家具はきちんと配置されており、物が乱れた形跡は一切ない。食卓には二人分の朝食が残されていたが、それは少しだけ手がつけられているだけで、食べ終えた様子はなかった。アリス・ペンフィールドはこの朝のことを鮮明に覚えているだろう。夫がいつものように家を出たわけではなく、何の痕跡も残さず消え去ってしまった、その事実が彼女の頭を悩ませ続けていた。
ホームズは暖炉の前に立ち、火がまだくすぶっていることに気づいた。彼はその熱さを感じ取りながら、慎重に暖炉の周りを調べ始めた。灰の中には燃やされた紙切れや小さな木片が混ざっており、ホームズはそれを指先で拾い上げ、じっくりと観察する。
「この火がどれくらい前に焚かれたものか、暖炉の残り具合を見ればおおよその時間がわかるだろう。だが、それにしても、何かを燃やした痕跡があるのは興味深い。ここにある灰の中に、重要な手がかりが隠されているかもしれない。」
ホームズはそう言いながら、灰の中に潜む小さな紙片を拾い上げ、それをじっくりと見つめた。
ワトソンはその様子をじっと見守りながら、部屋の中をさらに調べていた。彼はトマスが出て行ったかもしれない窓やドアの施錠状況を確認し、外部からの侵入がなかったかを確かめようとしていた。すべての窓とドアは内側からしっかりと施錠されており、無理やり開けた形跡も見当たらない。
「ホームズ、すべての窓とドアは内側から施錠されている。誰かが侵入した形跡はなさそうだ。」
ワトソンはそう報告した。
「なるほど。では、トマスが自ら出て行った可能性も考えられるわけだが、外には足跡が一切残っていない。その点が一番の謎だ。」
ホームズはそう言いながら、さらに細かく暖炉周辺を調べ続けた。
次に、ホームズは壁にかけられている額縁や鏡、そして家具の配置に注意を向けた。彼は部屋の隅々まで歩き回り、何か異常がないかを探し出そうとした。視線が一度床に向かうと、彼の顔にかすかな興味の色が浮かんだ。床に敷かれたラグが、微妙にずれていることに気づいたのだ。
「これは興味深い。」
ホームズはつぶやき、ラグをそっと持ち上げた。その下には、隠されていたかのような床の板があり、特定の部分が他よりも少し磨り減っているように見えた。まるで、その場所だけ頻繁に使われていたような痕跡だった。
「ここに何かがあるかもしれない。頻繁に動かされた跡がある。」
ホームズは床板を指差し、ワトソンに知らせた。
ワトソンはホームズの指摘に従い、床板の異常な箇所を確認した。確かに、その部分だけが他の床板とは違って磨り減っており、何かがその上で何度も動かされたような跡があった。
「この家の中で、特定の場所だけがこうして使い込まれているのは不自然だ。何かを隠していたか、あるいは誰かがこの家の内部に秘密の仕掛けを作っていた可能性がある。」
ホームズは床板を軽く叩き、その音を確認しながら言った。
「隠し部屋か何かがあるのか?」
ワトソンが興味深げに尋ねた。
「それはまだわからない。しかし、この家には何か秘密が隠されていることは確かだ。トマス・ペンフィールドが突然姿を消した理由も、この家の中にあるかもしれない。」
ホームズはそう言うと、さらに細かく床や壁を調べ続けた。
そのとき、アリス・ペンフィールドがリビングに姿を現した。彼女はホームズとワトソンが家の中を調べている様子を見て、少し不安そうに声をかけた。
「ホームズさん、何か手がかりが見つかったのでしょうか?夫は、無事なのでしょうか…?」
アリスの声には緊張と不安がにじみ出ていた。彼女の瞳は泣き腫らしており、明らかに心身ともに疲れ果てている様子だった。
ホームズは彼女に向かって優しく微笑みかけながら、静かに答えた。
「奥様、ご安心ください。我々はすでにいくつかの手がかりを得ています。すべてが明らかになるまで、少しお時間をいただきますが、必ずや夫を見つけ出すことをお約束します。」
アリスはその言葉に少し安堵し、頷いた。彼女は椅子に座り、ホームズの次なる動きを見守ることにした。
ホームズはその後も部屋中をくまなく調査し、さらに家全体を細かく観察していった。彼の頭の中では、トマスが消えた夜の出来事が徐々に組み立てられていく。すべての手がかりはまだ断片的だったが、それでも確信に満ちた表情を浮かべ、彼は次なる一手を探っていた。
「ワトソン、我々はもう少し詳細にこの家を調べる必要がある。特に、ラグの下や暖炉周辺に隠された手がかりが、事件解決の鍵となるだろう。だが、その前に、外の雪の状況を確認しておく必要がある。」
ホームズはそう言い残し、家の外に出る準備を始めた。
家の中は静かで暖かいが、その背後には深い謎が隠されている。雪の中に足跡を残さず消えた男の謎が、いまだ霧の中に包まれていた。
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