第11話 消えた男 1

ロンドン郊外にある小さな村、サフォーク村は、その日も静寂に包まれていた。寒さの厳しい冬が訪れ、夜通し降り続いた雪が一面を真っ白に染め上げていた。村の家々は雪の重みに耐えるように静かに佇み、木々の枝には厚く積もった雪がずっしりと垂れ下がっていた。遠くで聞こえる風の音だけが、この雪の世界でかすかな動きを示している。住民たちはまだ家の中で暖炉に身を寄せ、朝の寒さを避けていた。


しかし、村の製材工場を経営するトマス・ペンフィールドの家では、その静寂が突如として破られることとなる。トマスの妻、アリスが目を覚ましたとき、いつも隣にいるはずの夫がいないことに気づいた。家の中を探しても、彼の姿はどこにもなかった。彼が出かけるにしては、コートも帽子も、靴さえもそのままだった。それに何より、彼女が気づいた最も異様な点は、外に出たはずなのに、家の外に続く足跡がどこにも残されていなかったことだ。


アリスはまず、夫が寝室を抜け出し、他の部屋で何かをしているのかもしれないと考えた。しかし、家中を探してもトマスは見当たらない。彼は製材工場に早めに向かったのかもしれないと思い、アリスは外に出て雪の上に足跡があるか確認した。だが、家の周囲はどこも手つかずの雪で覆われており、足跡一つ見当たらなかった。まるでトマスが空気のように、この世界から消えてしまったかのように。


アリスは不安に駆られ、すぐに近所の住民や友人に知らせたが、誰も彼の行方を知らなかった。トマスが出かける予定について、前日に何も話していなかったことも、アリスの不安をさらに募らせた。家の中で争った形跡もなく、ドアや窓もすべて内側から施錠されていた。これほどの雪が降っていれば、たとえ短い距離を移動したとしても、足跡は残るはずなのに、それが全くないのは奇妙なことだった。


やがてアリスは警察に連絡し、村の小さな警察署から数人の警官がトマスの家にやってきた。警察はすぐに捜索を開始し、家の中やその周囲を徹底的に調べた。しかし、トマスが消えたという以外、何の異常も見つけることができなかった。家の外には足跡が全くないし、家の中にも争いの形跡や物が荒らされた様子もない。警察はさらに家の周りや製材工場の近くも捜索したが、雪に覆われた村にトマスの痕跡はどこにも残っていなかった。


「これだけの雪の中で、足跡一つ残さずに出て行くことは不可能だろう。もし誰かが彼を連れ去ったのなら、どうして足跡が消えているのか?」

警察官の一人が頭を抱えながら、家の中を再度調べ直した。彼らは不審者の痕跡を探したが、どこにも侵入の痕跡はない。トマス自身が家を出たのか、何者かに連れ去られたのか、そのどちらも確証を得ることができないままだった。


やがて、村中にこの話は広がっていった。トマスの突然の失踪は村の住民たちに大きな衝撃を与え、彼の安否を心配する声が多く上がった。トマスは村で尊敬される人物であり、特に問題を抱えているようには見えなかった。それゆえに、彼の行方不明という出来事はより不可解なものとして村全体を包み込んでいた。


「トマスがどこに行ったのか?誰かが彼をさらったのか?それとも…何か別の力が働いたのか?」

村人たちは憶測を飛び交わせた。雪に足跡が残っていないことから、自然現象では説明のつかない何かが起きたのではないかと考える者も現れ、村は次第に不安と緊張感で満たされていった。


数日が経過しても、トマスの行方は依然としてわからなかった。警察も手詰まりになり、もはや村だけではこの謎を解決することはできないと悟った。アリスは途方に暮れていたが、警察の助言に従い、最終的にはロンドンの名探偵シャーロック・ホームズに助けを求めることを決意した。


シャーロック・ホームズはその鋭い推理力で数々の難事件を解決してきた名探偵であり、彼に依頼することは、村にとって最後の頼みの綱だった。ホームズの名はこの村でも広く知られており、彼がこの不可解な事件の謎を解明してくれるだろうという期待が高まった。警察はすぐに彼に連絡を取り、ホームズは快諾して事件の調査に乗り出すことになった。


やがて、ロンドンからシャーロック・ホームズと彼の忠実な相棒ジョン・ワトソンが村へと到着する。冬の寒さと雪に閉ざされたこの小さな村で、何の痕跡も残さずに消えた男の謎を、彼らが解明しようとしていた。村の住民たちは、彼らが持ち込む推理の力に期待を寄せると同時に、その不可解さがどこまで明らかになるのか、不安と興奮が入り混じっていた。


そして、静かに降り続ける雪の中で、ホームズとワトソンがトマスの家に足を踏み入れる。そこから始まる調査が、この小さな村に潜む謎を暴く鍵となるのだが、誰もまだその全貌を知る者はいない。シャーロック・ホームズの目が、すでに新たな手掛かりを見つけ出す準備を整えているのを、村の静けさがじっと見守っているようだった。

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