第4話 霧の中の声 4
ロンドンの霧はますます深まり、街はまるで薄暗い白いベールに包まれたかのようだった。時折、ガス灯の光がその霧をぼんやりと照らし出し、幻のような景色を作り出している。ホームズとワトソンは、すでにかなりの距離を歩いたが、足音は慎重で静かだった。追跡者を巻いた今、次の目的地に向かうべく気を引き締めていた。
「霧がすべてを隠してしまうが、その霧があるからこそ、我々はかえって見失わずに済んだのだろうな。」
ワトソンが何気なくつぶやく。
ホームズは振り返らずに答える。
「その通りだ、ワトソン。この霧が覆い隠すのは景色だけではない。人の心に巣食う陰謀も、この霧に紛れ込んでいる。我々は、その中から真実を引きずり出さねばならん。」
ふと、ホームズが立ち止まった。彼の目は、霧の中に隠れたぼんやりとした建物の一つに鋭く注がれていた。その建物は、トビアス・フランクリンの住まいだ。ロンドンの裏社会の事情通である彼は、多くの者に恐れられ、また一部の者には頼りにされている。フランクリンは、ホームズにとっても情報源として欠かせない存在だった。
「ここだ、ワトソン。フランクリンのアジトだ。」
ホームズは短く言うと、足音をさらに静かにして建物に近づいた。
ワトソンは周囲を見回しながら、少し不安げに尋ねた。
「我々を追っていた者たちは、本当に引き離せたのだろうか?」
ホームズは霧の中に目を細めて辺りを一瞥した。
「心配無用だ、ワトソン。彼らは我々を見失った。むしろ問題は、この家の中に待ち受けている情報がどれほど危険なものかということだ。」
ドアをノックすると、数秒の沈黙の後、かすかな足音が中から聞こえてきた。扉が少しだけ開き、薄暗い中から鋭い目が覗き込んできた。その目はホームズを確認すると、ドアを全開にした。
「おや、これは珍しい。シャーロック・ホームズ殿が私のささやかな住まいを訪ねてくださるとは。」
低く、かすれた声が霧を切るように響いた。トビアス・フランクリンだ。彼の姿は、まるでこの霧の中から作り出された幻影のようだった。痩せ細った体に深いシワの刻まれた顔、そして鋭く光る目が彼の不気味な雰囲気を際立たせている。
「トビアス、君の情報を求めている。手短に話したいことがある。」
ホームズは軽く頭を下げながら、冷静に言った。
「もちろん、もちろん。どうぞ、お入りください。」
フランクリンは不気味な微笑を浮かべながら、二人を迎え入れた。
中に入ると、部屋は薄暗く、古びた家具と書類の山が雑然と置かれていた。窓から入るわずかな光が、薄い煙のように立ちこめた室内をほのかに照らしていた。ホームズは無駄な時間を嫌い、すぐに核心に入った。
「このペンダントについて知りたい。」
ホームズはポケットから例のペンダントを取り出し、フランクリンに差し出した。彼は目を細め、それを手に取りながら、じっくりと眺めた。
「ほう、これはまた…興味深い品物だ。」
フランクリンはそのペンダントの紋様に目をやりながら、まるで何かに考えを巡らせているかのようだった。
「知っているな、トビアス。その顔が全てを物語っている。」
ホームズの声は低く、しかし鋭く突き刺さるようだった。
「確かに、この紋様には見覚えがある。これは、ある古い組織が使っていたものだ。だが、私が話せるのはそこまでだよ、ホームズ。これ以上話せば、私自身の命が危険にさらされるかもしれない。」
「君が恐れることはない。私は既に、彼らがこの事件にどれほど深く関与しているかを知っている。だが、我々が求めるのは、その組織が今どう動いているのかだ。」
ホームズは身を乗り出し、目を細めてフランクリンの顔を見据えた。
「そうだな…お前がここまで来た以上、もう後戻りはできんだろう。」
フランクリンは深い息をつき、ついに観念したかのように口を開いた。
「この紋様は、**バルドレッド家**に属するものだ。彼らはかつて、貴族社会の中で暗躍していた秘密結社を率いていた。表向きは消滅したと言われているが、まだその力は影の中で生きている。そして、このペンダントは…間違いなく、彼らが今も何らかの活動を続けている証だ。」
「バルドレッド家か…。」
ホームズは静かに呟いた。まるで、頭の中で一つ一つのパズルのピースがはまっていくかのようだった。
「ホームズ、その家について何か知っているのか?」
ワトソンが尋ねると、ホームズは頷いた。
「バルドレッド家は、一度歴史の表舞台から姿を消した。しかし、その痕跡は今でも時折見かける。かつて、彼らは貴族社会の腐敗に深く関与していた。だが、何かがきっかけでその一族は散り散りになったとされている。トビアス、彼らが何を狙っているのか、知っているか?」
フランクリンは目を伏せ、唇を引き締めた。
「おそらく、今も権力を取り戻そうとしている…この霧の中で、何か大きなことが動いているのかもしれん。」
「分かった、感謝するよ、トビアス。今夜の情報は貴重だった。」
ホームズは立ち上がり、静かにフランクリンに礼を言った。
部屋を出た二人が再び霧の中に戻ると、ホームズは短く呟いた。
「ワトソン、この事件は私たちが想像していたよりもはるかに複雑で危険だ。だが、それが面白いところだ。」
「バルドレッド家が背後にいるのか?」
ワトソンは驚きを隠せないまま尋ねた。
「そのようだな。これで方向性は見えた。さあ、次は彼らの動きを暴く番だ。」
ホームズは再び、霧の中に消え去るように歩き出した。その姿は、まるで霧と一体化するかのように、ロンドンの夜に溶け込んでいった。
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