第2話 霧の中の声 2
冷たい夜風が、ロンドンの霧の中でわずかに音を立てた。ワトソンは、地面に横たわる女性の遺体を見つめながら深い溜息をついた。彼女の顔は青白く、テムズ川の冷たい水によって凍りついたかのようだった。
「恐ろしい結末だな…まさか、この女性があの叫び声の主だったのか。」
ホームズは、彼女の手から取り出したペンダントを見つめていた。小さな金属の塊に、奇妙な紋様が刻まれている。ワトソンもそれに目をやり、何かの家紋かと思ったが、ホームズは少し眉をひそめているだけで、まだ口を開かなかった。
「これが単なる偶然の死ではないことは明白だ。彼女がなぜこんな時間に、そしてこんな場所で命を落としたのか…その理由が解けなければ、彼女の死因もわからない。」
ホームズは静かに言い、膝をついて遺体の周囲を調べ始めた。
ワトソンは少し後ろに下がり、ホームズが何を見つけるかをじっと見守っていた。ホームズの調査はいつも緻密で、見落としなどありえない。彼は女性の服装、髪の乱れ具合、さらには爪の形状まで注意深く観察している。
「ワトソン、川の向こうを見てみろ。何が見える?」
突然、ホームズは立ち上がり、テムズ川の対岸を指さした。
ワトソンは驚きながら霧の向こうを見つめたが、霧が濃すぎて対岸の様子は何も見えない。ただ、かすかに船の灯りが遠くに揺れているように見えるだけだった。
「ただ霧ばかりで、何も見えないが…ホームズ、君は何を考えている?」
ホームズは薄く微笑んだ。
「それでいい。見えないという事実こそ、この事件の核心だ。霧が全てを隠しているように、この事件にも巧妙に隠された真実がある。問題は、彼女がどうやってこの場所に来たのか、そしてなぜテムズ川に落ちたのかだ。」
「川に転落したのではなく、押されたのではないか?」
ワトソンは、被害者の遺体を見つめながら提案した。
ホームズはしばらく考え込むようにしていたが、やがて立ち上がり、川辺の方に歩き出した。
「その可能性は十分にある。だが、何かがまだ足りない…。」
ホームズは川の水面を見つめ、深く吸い込むようにしてから、地面を丁寧に調べ始めた。足跡、引きずられた痕跡、何らかの手掛かりを探しているようだった。
そして、突然、ホームズの動きが止まった。彼は小さな窪みに目を留め、慎重にそれを指でなぞった。
「ここだ、ワトソン。見てみろ。」
ワトソンが近づくと、ホームズが指さした地面には、わずかながら足跡が残っていた。それは川に続いていたが、足跡は途中で途切れ、何か重いものが引きずられたような痕跡が見える。
「足跡は、ここで急に方向を変えている。そして、ここで引きずられた痕跡がある。この女性は、おそらく誰かに追われていた。そして、この場所で押し倒され、川に落とされた可能性が高い。」
ホームズの声は、いつもの冷静さを保っていたが、その奥には鋭い洞察が潜んでいる。
「だが、犯人は一体誰だ?どうしてこんなところで彼女を襲ったんだ?」
ワトソンは疑問を抱きながら、事件の全容が見えないことに焦りを感じていた。
「それは、まだわからない。しかし、彼女が持っていたこのペンダントが、その謎を解く鍵だ。」
ホームズは、再びペンダントをじっくりと見つめた。
「紋様が…何かを示しているんだな?」
ワトソンは慎重に尋ねた。
ホームズは軽く頷いた。
「そうだ。これは単なる装飾品ではない。何らかの秘密組織や、古い家系の象徴だ。このペンダントが彼女を殺した動機の一端を明かしてくれるだろう。まずは、この紋様の出所を調べる必要がある。」
ホームズは立ち上がり、霧に包まれたロンドンの街をじっと見つめた。そして、いつものようにその瞳は、遠くの真実を見据えているかのようだった。
「行こう、ワトソン。この事件はまだ始まったばかりだ。」
ホームズはそう言い残し、再びロンドンの霧の中へと歩き出した。
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