第10話 解かれた記憶
「どうした、私を殺さないのか?」
魔王は勇者の剣を見ても、ちっとも怖がる様子はなくて、それどころか余裕さえ窺えた。
グクイエ王子はエキゾチックな衣装を脱ぎ捨てると、平民の軽装で魔王と向かい合う。
けど、魔王がジンテール王子に似ているせいか、グクイエ王子の
「グクイエ殿下! 早く魔王を!」
メラニンが叫ぶと、魔王は初めて驚きの表情を見せるけど——すぐにその顔は歪んで、まるで愉快なものでも見るような顔になる。
「ほほう、お前はグクイエと言うのか?」
「だからどうした?」
「その昔、私に封印の呪いをかけたのも、グクイエ王子だった」
そう言うと、魔王は魔法陣の中で雄叫びを上げた。
すると、床にあった魔法陣にヒビが入り、呪文を唱えていた聖女たちがいっせいに倒れた。
「まずいわ! これだけの聖力をもってしても止められないの!?」
メラニンが口惜しそうに叫ぶ中、魔王はグクイエ王子に向かって長い爪を振り下ろした。
けど、グクイエ王子はすんでのところで魔王の爪から逃れる。
それからグクイエ王子は少しだけ後退するもの、魔王はじりじりと距離を詰めていった。
魔王が近づくたび、後ろに下がるグクイエ王子。
いつしか壁際まで追い詰められたグクイエ王子は、もう逃げることができなくて。
もうあとが無いグクイエ王子は、大剣を振り下ろした。
すると魔王は剣を受け止めると、その爪でグクイエ王子の懐を切り裂いた。
胸を押さえて、あとずさりするグクイエ王子に、私は駆け寄ろうとするけど——メラニンに止められた。
「ダメですわ、ケイラ様。今近づけば魔王の思うツボでしてよ」
「でも、このままじゃグクイエ殿下が!」
「大丈夫ですわ。グクイエ殿下には、勇者の剣がありますもの」
そして私たちが静かに見守る中、グクイエ王子は再び立ち上がる。
周囲で身を伏していた聖女たちも呪文を唱え始める。
「今度は私も加勢しますわ」
メラニンも封印の呪文に加わると、今度は魔王の動きが悪くなった。
どうやら、メラニンが加わったことで、さらに強力な魔法陣が完成したらしい。
私も加わりたいところだけど、呪文とかよくわかんないし……ここは静かに見てるしかないわよね。
そんな風に私が落ち着かない気持ちで見守る中、グクイエ王子は再び魔王に斬りかかった。
けど、動きが悪くなっても、魔王はやすやすとグクイエ王子の剣を爪で受け止めた。
————魔王だかなんだか知らないけど、しぶといったらありゃしない。
「グクイエ殿下! 頑張って!」
思わず私が応援すると、ふいにグクイエ王子の視線がこちらを向いた。
しかも魔王はその隙を見逃さず、グクイエ王子の腕を切り裂いた。
「ああ、私のせいだ!」
私があたふたしていると、魔王がこちらを向いた。
「そうか。お前がグクイエ王子の想い人というやつか?」
「やめろ! 魔王」
何を思ったのか、魔王は私の方を見て不敵に笑うと、瞬く間に私との距離を縮めた。
「なに? なんなの?」
何がなんだかわからず、私が目を白黒させていると、魔王は私に向かって爪を振り下ろした。
すると、私の胸から血が吹き出して、私はその場に崩れてしまった。
「お前!」
遠くでグクイエ王子の声が聞こえた。かすみがちな目を懸命に開いて視線を向けると、グクイエ王子が魔王に斬りかかっていた。
しかもさっきよりも躊躇いのない剣。きっと私が斬られたことを怒っているのね。けど、魔王は強くて歯が立たないようだった。
「そうか。お前はあの女が好きか。だったら、今度は八つ裂きにしてやろう」
「そうはさせませんわ!」
「ふっ、こんな結界、痛くも痒くもないわ!」
そう言って魔王が爪を振り下ろすと、地面の魔法陣が裂けるようにして崩れた。
「きゃー!」
声をあげて次々に聖女たちが倒れる中、メラニンもその場で崩れる。
立っているのは、もうグクイエ王子だけだった。
「さあ、その女を血祭りにあげてやろう」
魔王が私の元にゆっくりと歩み寄る中、私をかばうようにしてグクイエ王子が剣を構えた。
けど、その手は震えていた。きっとグクイエ王子の出血がひどいからだろう。
見た感じ顔色も悪いし、本当は立っているのもやっとなんだと思う。
けど、魔王は無常にもグクイエ王子を殴り飛ばした——かと思えば、倒れている私の前で爪を持ち上げた。
その時だった。
私の前に大きな魔法陣が現れると——なぜか、中から巨大なカエルが飛び出した。
「なんだ、こいつは——」
花柄のバンタナをつけたカエルは、大きなお腹で魔王を弾き飛ばすと、私を悲しそうに見下ろした。
「ルー……どうしてここに?」
ゲコゲコと鳴くルーに捕まって立ち上がった私は、ルーがおろした頭を撫でてあげた。すると、ルーは嬉しそうにまたゲコゲコと鳴く。
そんな中、魔王が怒ったように血走らせた目をこちらに向けた。
「私の邪魔をするな」
魔王は再び爪を振り下ろす。けど、私はルーの前に立ちはだかって両手を広げた。
「ダメ、絶対。ルーもグクイエ殿下も殺させないわ」
強い意志で魔王を睨み据えた私は、大きく口を開いて歌声を響かせた。
けど、戦場の時みたいな声は出なくて、いつものダミ声だった。
それでも効果は抜群のようで、魔王は両手で耳を塞いでいた。
「なんだその歌は」
「やだ、効いちゃった。さらに歌ってやるわよ!」
「させるか!」
魔王は何か呪文のようなものを唱えると、私の首に黒い首輪がかかった。
まるで以前、ジンテール王子につけられた首輪のようだった。おかげで私は歌が歌えなくなって、呼吸音ばかりが響いた。
「嘘でしょ! また歌えなくなったの!?」
「残念だったな。これでおしまいだ」
そして魔王が私に爪を振り下ろしたその時——グクイエ王子が代わりにその爪を受けたのだった。
目の前で上がる血飛沫に、私の背筋が凍った。
————これじゃあまるで、あの日と同じじゃない!
私の目の前が真っ赤に染まると同時に、何かが弾けるような音がした。
と同時に、どこからともなくゴォフの声が響いた。
『ケイラ様』
「ゴォフ! お願い、私に力を!」
『……かしこまりました』
自分でも無意識の言葉だった。ゴォフに縋ると同時に、首の輪っかが割れて胸の奥が熱くなるのを感じた。
それから私は、魔王の爪に胸を抉られた王子をしっかりと抱きとめて歌った。
聞いてください、聞いてください、神様。
私はもう何も要らないから、どうかこの人を助けてください!
それは、大昔に大聖女アコリーヌ——だった私が捧げた言葉。
その時の力を、過去の記憶を思い出した私は、ありったけの力を込めて歌を放った。
すると、魔王の黒々とした髪は白くなり、姿はみるまに老いていった。
おそらく、それが本当の姿なのだろう。
年老いた魔王は、怯えたように身をかばいながら部屋の隅へと後退していった。
そんな中、私の腕の中でグクイエ王子が目を覚ます。
「……あ」
見れば、グクイエ王子の傷はすっかり治っていた。裂けた衣服から見える肌は白く、まるで何もなかったかのようだった。
「グクイエ殿下! 大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。僕はあなたの歌声で目を覚ました」
「殿下?」
「全部思い出したよ。きっと巡り合えると誓っていたでしょう? アコリーヌ」
私の顔にそっと手を伸ばすグクイエ王子。けど私はその手を避けるようにして、告げる。
「……とにかく、魔王を封印しましょう」
「ああ」
グクイエ王子は再び勇者の剣を手に取ると、すっかり姿を変えた魔王に向けて振り下ろした。
***
一時はどうなることかと思ったけど、私やグクイエ王子が魔王を倒したことでメラニンたちは歓喜乱舞し、地下にずっと幽閉されていた王族たちも解放することができた。
そして表面上ではわからなかったけど、国交が元に戻ったことで市場や商人たちも以前のように商売ができるようになったとか。
キウイ王国に入った時は、屋台とか普通に見えたけど、実は経営の危機に陥っているところがほとんどだったとか。
果物や野菜、肉類はほとんど輸入に頼っているから、国交ができないことで高騰し、パン以外売れるものがなかったという。
それが解消されてようやく元の生活が戻った市場は、活気に満ちているし、治安も数段良くなったらしい。
ほんとに、街って見ただけではわからないものである。不景気で人の心まで変わってしまうというけど、それを救うことができて良かったと思う。
ていうか、魔王ってもっと残忍で恐ろしい政治をしていたのかと思っていたけど、国交を遮断するくらいで済んでよかったと思うのは私だけだろうか?
まあ、それも良くないんだろうけど。
魔王は国を掌握して何がしたかったんだろう。
キウイ王城の庭で優雅にお茶を飲んでいた私は、そんなことを思いながらほっと息を吐く。
あれから色んな理由をつけて国に引き止められた私とグクイエ王子は、もう一ヶ月くらいグレープ王国に帰っていなかった。
私としては早く帰ってジンテール王子の顔が見たいんだけど、なぜかメラニンがそれを許してくれないのよね。
私の両親とやらも会いに来たけど、自分の親だという実感がないので、てきとうに挨拶をしてお帰りいただいたのだった。
なかなか帰れないのも問題だけど、それともう一つ問題があった。
それは————。
「アコリーヌ、式はいつ挙げようか」
「……だから、私はケイラであって、アコリーヌじゃないの」
「ほら、アコリーヌの好きなフランボワーズだよ。たくさん食べて、立派な子供を産んでね」
「いや、だから私は妊娠なんてしてないから」
どうやらグクイエ王子が前世の記憶を取り戻したらしくて、すっかりおかしくなってしまったのだった。
私も魔王を倒した拍子にアコリーヌの記憶を取り戻したからわかったのだけど、どうやらアコリーヌはその当時の王子——の子供を妊娠していたらしい。
日記では手すら繋がないとヤキモキしていたアコリーヌだったけど、魔王と戦った後は、距離がぐんと縮まったとか。
けど、それは大昔の話だし、私じゃないわけで。
たとえアコリーヌの生まれ変わりが私だったとしても、今の私はアコリーヌじゃないんだから……グクイエ王子の愛に応えることができなくて困っていた。
「あのね、グクイエ殿下。もうアコリーヌ様はいないんです」
「何を言ってるの? アコリーヌ?」
「目を覚ましてください! グクイエ殿下」
「ほら、このケーキをフルーツと一緒に食べたら、すごく美味しいよ」
「グクイエ殿下!」
私が大きく口を開けると、グクイエ王子がスプーンですくった生クリームやフルーツを私の口に放りこんだ。
その優しい甘さに思わず身悶えていると、グクイエ王子は微笑ましそうな顔をする。
どうせなら、アコリーヌがここにいれば良かったんだけど……本当に困ったな。
もうアコリーヌはどこにもいないんだよね。私の中にいるにはいるんだけど……。
「とにかく! グクイエ殿下、グレープ王国に帰りますよ」
「どうして?」
「どうしてって、ジンテール殿下が待っているからですよ」
「ジンテール? 誰それ」
「グクイエ殿下のお兄様のことですよ!」
「僕には兄なんていないよ」
「それは、大昔のグクイエ王子にはいなかったかもしれないけど、今のグクイエ王子にはいるんです!」
「アコリーヌは変なことを言うね」
「ああ! もう、どうすればいいのよ! いいわ、私だけでもグレープ王国に帰るんだから!」
「あら、もうお帰りになられますの? もう少しゆっくりしていけば良いのに」
グクイエ王子をどうすることもできなくて、私が喚いていると、そのうちケーキのトレーを持ったメラニンがやってくる。
小説の中では私とメラニンが大の親友だという話だから、きっと物語の強制力とやらがここでも効いているのだろう。
けど、本来のシナリオは消化したんだから、もう自由になってもいいはずよね?
という話をゴォフに話したいところだけど——なぜかゴォフは魔王を倒して以来、現れることはなかった。
いったいどこに行ってしまったのだろう。もしかして先にグレープ王国に帰ったとかじゃないわよね? 変なの。
けど、私もいつまでもここにいるわけにもいかないので、はっきりと自分の気持ちを告げることにした。
「私には会いたい人がいるから、もう帰らせてもらいたいのよ」
「そう……残念ですわ。でも、ケイラ様がそうおっしゃるのなら」
「本当にありがとう。また何かあれば呼んでくれていいから」
「そのお言葉、心強いですわ」
それから聖女や王族たちに惜しまれながらも、私とグクイエ王子はグレープ王国に帰ることになったのだった。
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