第7話 色んな意味で危険な男


 朝から小さな鳥がピーチク鳴く中、私は誰に起こされるでもなく目を覚ました。


 季節は本格的な冬。


 グレープ王国の冬はそれほど厳しくはないので、日本で言うところの秋服でじゅうぶんだけど、魔王のいるキウイ王国はどうやら冬が厳しいらしい。


 隣なのにこの違いよう、不思議である。


 私はリビが用意した冬服をトランクに詰め込むと、王城の前で迎えの馬車を待った。


 魔王は聖女の存在に敏感だから、普通に越境したら捕まってしまう可能性もあるので、旅商人のふりをしてキウイ王国に渡ることになった。


 ゴォフが商人で、私がその奥さんという設定だ。


 ゴォフと二人だと、また夜盗なんかに襲われるといけないので、ジンテール王子が護衛をつけてくれたけど——布をすっぽりとかぶったその人は、どういう風貌かもわからなかった。


 そして用意された馬車に護衛とゴォフ、私の三人で乗り込むと、見送りにきた国王陛下やジンテール王子に目配せをして挨拶をした。


 グクイエ王子の姿は見当たらなかったけど、きっとまだ不貞腐れてるんだと思う。


 今朝も顔を合わせるなり、何か言いたそうにしていたけど、私は無視したから。


 だって、ジンテール王子がいるのに、思わせぶりな態度をとるのも良くないじゃない? 本当はこんなことをするのは心苦しいけど、仕方ないわよね。


 私が窓の外に向かって静かに視線を送る中、馬車は動き始めた。


「やはり、物語の強制力でしょうか」


 するとふいに、向かいに座るゴォフが何かを考えながら呟いた。


 私はやれやれといった感じでため息を落とす。


 ゴォフといると、なんとなく感傷に浸ることもできないのね。


「何度も聞いたけど、その物語の強制力ってなんなの?」


「言いましたよね? この世界は『王子にざまぁしてラブメテオな悪役令嬢♡』という話の中だと。本当の物語では、聖女メラニンとともに魔王を討伐するはずだったんです。ですから、物語が正しい方向に進むよう、ケイラ様が本能的に動き出したのかもしれません」


「本能ねぇ。やっぱりよくわからないけど、この世界で私が思い通りに暮らすことはできないってこと?」


「そういう面もありますが、物語の外側でなら、好きに生きられるかと」


「物語の外側、ねぇ。やっぱりよくわからないわ」


 それから私たちは深い森に入ると、国境に向かう間、『王子にざまぁしてラブメテオな悪役令嬢♡』の話をゴォフから聞いた。


 聖女メラニンを王妃にすると言い張ったキウイ王国の王子は、ケイラの見事な大どんでん返しにより廃嫡となり、私は聖女メラニンとともに国を守るはずだった。


 けど、主人公の私がいなくなったせいか、本来の物語とはだいぶズレが生じているらしい。


 今では第一王女が次代の女王となるべく奔走しているとか。それで聖女メラニンも助力を尽くしているそうな。


 メラニンが簒奪さんだつを目論んでいたのは、物語の拮抗が崩れてしまった影響ではないかとゴォフは告げる。


 要するに、物語はどんどんおかしな方向に傾いてるから、元に戻そうとする力が働いているってことだよね。


 それで本来の話に戻そうと、物語の強制力が働いて私が召還されたのである。


 そこまで言って、ゴォフはため息を吐いた。


「他にも私には設定があるみたいですが……おかしなことばかりです」


「どういうこと?」


「ケイラ様が出会うはずだったのは……おそらくジンテール殿下ではないからですよ」


「じゃあ、私の相手は誰だったの?」


 私はゴォフに訊ねるけど、そこでと、馬車の隅から「ふふふ」と嫌な笑い声が聞こえてくる。


 思わずビクッとして馬車の隅に顔を向けると、そこには全身布で包まれた護衛の人がいて、一人で笑っていた。


「……あ、あの、どうかさないましたか?」


 訊ねると、護衛の人が布を自分で剥ぎ取った。そして中から現れたのは、私の部屋にいきなり押しかけてきたラビットソン・タナカという色男だった。


「あんた! なんでこんなところに!?」


 思わず指をさして告げると、兎村ラビットソンは長めの髪をかきあげて言った。


「全て聞かせていただきましたよ。ケイラ様には運命の相手がいるという話も」


「そんな話したっけ?」


 どうやらゴォフとの会話を聞いていたみたいだけど、何か勘違いしているようだった。ていうか、異世界転生の話を聞いても、こちらの人にはなんのことかわからないわよね。


 説明するのも面倒なので、話を合わせてあげることにした。


「そうみたいね。私には運命の相手がいるみたい」


「それが、ジンテール殿下ではないということは——おそらく」


「おそらく?」


「この私がケイラ様のお相手に違いありません」


「……は?」


「この私が護衛として遣わされるのも、おそらく運命……いや、必然といったところでしょうか」


「護衛として遣わされた? ていうか、あなたなんでここにいるの?」


「言ったでしょう。ケイラ様を襲った罰として、ケイラ様を守るよう言い遣わされたのです」


「あんたが? 誰に言われたの?」


「もちろん、ジンテール殿下ですよ」


「……は?」


 その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。


 いくらなんでも、私を襲った人を私の護衛にするなんて、おかしすぎる。本当なら、兎村が処罰されてもおかしくないはずなのに……。


「ですが、ジンテール殿下の寛大さが仇となりましたね」


 言って、兎村は腰の短剣をゆっくり抜いた。そしてその剣先を私に向けて、兎村はさらに言った。


「あなたにはここで死んでいただきます」


「……それも、ジンテール殿下の指示なの?」


「死地に向かう人間に、事情など必要ないでしょう」


 もしかして、ジンテール王子に裏切られた……? そう思って呆然とする私の肩を、ゴォフが揺らした。


「しっかりしてください! ケイラ様! ジンテール殿下の指示なわけないじゃないですか! きっとこれは何かの手違いで——」


「手違いで、こいつを私の元に送るの? 私を襲った人間を? 違うわ……きっとこうなることをわかっていて、私の元に送ったのよ。たとえ暗殺がジンテール殿下の指示じゃなかったとしても、私の元に送るということは、こうなる危険くらいわかっていたはずだもの」


「ケイラ様……」


「だからって、ここで殺されるのも癪よね。いいわ。ここで私がいっちょ——」


 その時だった。


 遠くから私を呼ぶ声が聞こえたかと思えば、馬車が突然動きを止めた。


 いきなり止まった衝撃で、体勢を崩した私は、同じく馬車の中で立っていた兎村の腹に頭突きして——兎村を馬車の外へと追い出したのだった。


 兎村が馬車から落ちて目を回す中、私も外に出る。


 すると、馬車の前には真っ白な馬に乗ったグクイエ王子がいた。


「ケイラ!」


 馬から降りたグクイエ王子は、一目散に私の元に駆けてくる。それを見て動揺した私は、とりあえずゴォフの後ろにさっと隠れた。


「ケイラ様、何をなさっているのですか」


「え? なんでだろ。隠れたくなったのよ」


「ケイラ、大丈夫?」


 私の元にやってきたグクイエ王子に、私は苦笑してみせる。


 そんな中、土の上に倒れていた兎村がふらふらと立ち上がる。兎村は、今度は短剣ではなく、腰にある大剣を抜いた。


 そして大きな掛け声とともに、兎村は私に向かって斬りかかってきた。


 ゴォフもろとも斬るつもりだろうか? 


 私はとっさにゴォフを突き飛ばして、逃げ出した。じゃないと、ゴォフまで巻き込まれてしまうし。


 けど、兎村は足が早くて、あっという間に私の前に回り込んでくる。


 頭上に落ちてくる大剣。


 もうおしまいだと思っていたその時、別の剣が兎村の大剣を弾き飛ばした。


 グクイエ王子だった。


「グクイエ殿下!」


「ケイラは下がっていて」


 それからグクイエ王子は軽やかなステップを踏むかのように兎村を追い詰めていった。


 そして兎村の手元を斬り付けたグクイエ王子は、兎村を大木に追い詰めると、剣先を向けて訊ねた。


「お前は、タナカの差し金だな?」


「……ジンテール殿下を翻弄するその女を、少々懲らしめろと言われただけで」


「殺すつもりはないと?」


「も、もちろんです! そんなつもりは微塵もありません」


「だが、ケイラは仮にも大聖女だぞ? もし仮にここで怪我でも負って魔王討伐に支障が出れば、国交の問題にもヒビが入る。そんなこともわからないのか?」


「私はただ、父の言う通りに……」


「どうして兄さんは、こんなやつをケイラの護衛につけたんだ?」


「ジンテール殿下は、今一度チャンスをくださるとおっしゃって——」


「そのチャンスをお前自身が踏みにじったということか?」


 グクイエ王子は言って、鋭い目で兎村を見下ろした。


 けどその時、へらへらしていた兎村の目が、鈍い光を帯びたかと思えば——その場の砂を掴んでグクイエ王子に投げつけた。


 砂で目を痛めたグクイエ王子が悶える中、兎村がグクイエ王子の剣をとって、私に襲いかかる。


 ————けど、兎村が私の頭上に剣を高く掲げた瞬間、どこからともなく呪文が聞こえて、兎村はその場にドサリと重い音を立てて倒れたのだった。


「え? 何? どういうこと?」


 突然倒れた兎村に近づくと、兎村の首には何かの呪文タトゥーのようなものが刻まれていた。


「これは兄さんの魔法?」

 

 兎村を見ながら呟くグクイエ王子。


 私はそんなグクエイ王子に声をかける。


「グクイエ殿下! もう目は大丈夫なんですか?」


「ああ、僕は大丈夫。それより、ラビットソンを仕留めたのは——」


 グクイエ王子はそう言って周囲を見回す。けど、周りに人の気配はなくて、そよそよと漂う風の音だけがやけに響いていた。




 その夜、近くの街で宿をとった私とゴォフは、グクイエ王子の部屋もとることにした。


 さすがに遅いし、このまま城に帰すわけにもいかなくて、とりあえず夜が明けるまでは一緒に行動することになったのだけど。


 表向きは商人夫婦の新婚旅行だから、ゴォフと同じ部屋に泊まる予定だったはずが——それを大反対したグクイエ王子のせいで、部屋を三つとることになったのだった。


 これじゃあ、設定台無しなんだけど……とは思っても、グクイエ王子がどうしても譲らなくて、結局、設定は変える方向になった。


 そしてようやく部屋分けも落ち着いて、私がベッドに座って髪を梳かしていると、そのうち私の部屋にノックの音が響いた。


「はい?」


「あの、僕だけど」

 

 グクイエ王子の声を聞いて、私は仕方なく部屋のドアを開けた。


 すると、グクイエ王子はぎょっとした様子で、私の胸元を凝視した。


「寝巻きで男を部屋に入れるなんて」


「ああ、ごめんなさい。つい癖で」


「癖って何? ケイラはいつもこんな格好で兄さんと会っているの? それで兄さんは何もしないの?」


「そうね。たまにリビに怒られるけど、ジンテール殿下は気にしないみたい」


「兄さんはどうかしてるよ」


「それで、なんの用なの?」


「あの、できれば着替えてもらいたいんだけど」


 私から目を逸らすグクイエ王子を見て、私は小さく笑うと、すぐに部屋のドアを閉めた。


 そして簡素な衣装に着替えて再びドアを開けると、グクイエ王子はほっとした顔をしていた。


「気にしなくてもいいのに」


「こっちは気にするよ」


「そう? それで、なんの用なの?」


 私は備え付けの椅子にグクイエ王子を座らせると、ベッドに座って挑むように腕を組んだのだった。




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