第6話 甘いようで甘くないあなた


「——あ、ゴリラン大司教」

 

 聖女が祀られている神殿にやってきた私——ケイラは、ゴリラン大司教を見つけるなり、その名を呼んだ。


 神殿の中は川で分断されていて——その奥では、白い装束を纏ったゴリラン大司教が聖女の像に向かって祈りを捧げていた。


 そして最初は真剣な顔をしていたゴリラン大司教も、そのうち私の声に気づくと、やわらかい笑みを浮かべて振り返る。


 まるで私が来ることを予想していたかのように、大司教は驚く様子もなく膝を折って挨拶を始めた。


「これこれは、大聖女ケイラ様」


「いや、聖女っていう意識はないんだけど」


「ですが、貴方様はまぎれもない聖女だということが、戦場で証明されたではありませんか」


「私は歌を歌っただけだから」


「なに、いまにあなたが聖女であることを自覚する日が来ますよ」


「聖女になって何かいいことがあるの?」


「そうですね。全ての大衆——とまではいかなくとも、少なくとも国の宝として大切に扱ってもらえるでしょう」


「私を大切にしてくれるのは、ジンテール殿下だけでいいわ」


「おお、惚気ですか?」


「残念ながら、そのジンテール殿下に、戦地に送り込まれるんだけどね」


「それはやはり聖女としての使命ですね。聖女ではないと言いつつも、聖女としての役割をこなしてくださるのですね」


「仕方ないじゃない。ジンテール殿下に行けって言われたら、行くしかないし。それに、行かなきゃいけないような気がするのよ」


「ほう。聖女としての本能でしょうか?」


「ゴォフには、物語の強制力だと言われたわ」


「物語の強制力?」


「あ、いや。こちらの話よ。それより、あなたにお願いがあって来たの」


「聖女様のお頼みとあらば、なんなりと」


「私がいない間、ジンテール殿下とグクイエ殿下をお願いします」


「お二人がどうかなさいましたか?」


「私が戦地に赴くことになって、ジンテール殿下とグクイエ殿下が衝突しちゃって……今は口も聞かない状態なのよ」


「それはそれは、聖女様はおモテになるのですね」


「そういう話じゃなくて……」


「でしたら、どういうお話なのですか?」


「グクイエ殿下は優しいから、私が戦地に行くことを反対してくれたのよ」


「グクイエ殿下も報われないお方ですね。昔と違って」


「え?」


「これは、もしものお話ですが……ケイラ様が戦地に連れていくとしたら、ジンテール殿下とグクイエ殿下、どちらをお選びになられますか?」


「戦地に連れていくなら? そんなの、決まってるわ。私は——」


「私は?」


「あれ、どっちだろう?」


「迷いますか?」


「そんなことはないわ。だって、私が好きなのはジンテール殿下だから。でも……戦争に巻き込みたくないと思うから、迷ってしまうのね」


「果たしてそうでしょうか。もしかしたら、過去の恋を覚えていらっしゃるのではありませんか?」


「過去の恋? どういう意味?」


「まあ、それも今に思い出すことでしょう」


 ゴリラン大司教の言葉はよくわからなかったけど、なんとなく引っかかる感じがして、私は考え込む。


 過去といえば、大聖女アコリーヌも王子様に恋をしていたのよね。ゴリラン大司教は知っているのかな?


 ていうか、大聖女が恋にうつつをぬかしていたとわかれば、ショックを受けるかもしれないわよね。でも、思い切って聞いてみよう。


「あの、ゴリラン大司教」


「はい、なんでしょう?」


「大聖女アコリーヌ様のことなんだけど——」


「ケイラ!」


 私が言いかけたその時、ふいに背中からよく通る声がした。


 その甘い声に、なぜか一瞬ビビビと来た私は、おそるおそる振り返る。


 そこにいたのは、グクイエ王子だった。


 なんだろう、さっきの感じ。呼ばれて不覚にもときめいてしまった。


 このことはジンテール王子には内緒にしなくては……なんて、私は何を考えているのだろう。


 それから慌てて駆け寄ってきたグクイエ王子を、私は咳払いをして迎えた。


「どうしたの? グクイエ殿下」


「明日発つと聞いたから、最後に話をしようと思って」


「話?」


「これこれは、私はお邪魔でしょうか。少し席を外させていただきますね」


「あ、ゴリラン大司教」


 本当はもっと話したいことがあったのだけど、ゴリラン大司教はそう言って、そそくさと移動してしまった。


 グクイエ王子と二人きりになって、なんとなく気まずい気持ちになった私は、その気持ちを誤魔化すように、笑顔で訊ねる。


「それで、最後の話ってなあに? グクイエ殿下」


「実は、僕もケイラについていきたい——そう思って、兄さんに話をつけてきたよ」


「はあ!? どういうこと?」


「気づいたんだ。僕にとって、ケイラがどれほど大事な存在かってこと」


 いつになく甘い雰囲気を放つグクイエ王子に、私は冷や汗が止まらなかった。


 いや、だって、私にはジンテール王子がいるわけだし。それに、話をつけてきたってどういうこと? 


 ジンテール王子はグクイエ王子が私について行くと言っても止めなかったってこと? 


 私が考えを巡らせる中、グクイエ王子は私の手をとってさらに告げる。


「ケイラのことは、ずっと昔から知っているような気がするんだ」


「そ、それは気のせいではなくて?」


「ううん。きっと、前世でも僕たちは会っている——そう思うんだ」


「その根拠は?」


「夢を見るんだ」


「夢?」


「君に似た雰囲気の人と森の中で会う夢を何度も見ているんだ」


「それはただの夢でしょう?」


「けど、君の顔がずっと僕の頭から離れないんだ」


 そう言って、グクイエ王子は私をそっと抱きしめる。


 ————え? どういうこと? 


 森の中で会う夢って……私も見たけど、でもそれは大聖女アコリーヌの夢だったし、確かに相手はグクイエ王子そっくりだったけど、時代も違うし……意味わかんないんだけど。


 ていうか、これってもしかして、告白なの!?


 私がとてつもなく動揺していると、グクイエ王子はそんな私から少しだけ離れて、私の頬にそっと手を置いた。


「そんな怯えた顔しないでよ」


「え、だって。私にはジンテール殿下がいるわけで」


「あんなやつのどこがいいの? 大切な人を戦地に送るなんて、僕には絶対できない」


「けど、ジンテール殿下はこの国のことを考えているわけで……」


「だからって、ケイラを犠牲にするなんてひどいよ。僕なら絶対そんなことしない。だから僕もついていく」


「ええ!? ついていくと言われても……」


「言ったでしょう? 兄さんには話を通してあるって。あいつは僕がケイラのそばにいることも躊躇わないようなやつなんだ。だからさ、ケイラ。僕のところにおいでよ」


「いや、そんなこと言われても。私が好きなのはジンテール殿下なのよ」


「まだそんなことを言ってるの? あんな人を人とも思わないやつのこと……」


 グクイエ王子は憎しみを込めてそう言うけど、私はどうしてもジンテール王子がそんな悪い人だとは思えなかった。


 だって、戦地に送り出すなら、私を言いくるめる方法なんていくらでもあったはずなのに、あの人は真っ正直に私に伝えてくれたんだから。


 だから、私も正直にならなくちゃいけない。


「ごめんね、グクイエ殿下。私はあなたを連れて行けないわ」


「どうして!」


「何度も言うけど、私はジンテール殿下のことが好きなの。それは揺るぎない事実だから」


「……」


「本当にごめんね」


 私はそれだけ言うと、呆然とするグクイエ王子に会釈してその場を立ち去った。


 本当は少しだけ揺れる気持ちがあった。大聖女アコリーヌの夢が重なって、グクイエ王子に身を委ねてしまいたい衝動にかられたけど、そこはぐっと堪えて私はジンテール王子のことだけを考えることにした。


 だって、変に気を持たせるのもかわいそうでしょう? 迷うそぶりを見せて、振り回したって、何もいいことなんてないだろうし。


 それが、二十八年間生きてきた私が出した結論だった。






 ***





 そしてその夜、私はジンテール王子の私室を訊ねた。


 本当は女性が男性の部屋を訪ねるなんて、はしたない! ってリビに怒られたんだけど、それでも私はジンテール王子の声が聞きたくて、行かずにはいられなかった。


 そして胸を弾ませながら回廊を渡って豪奢なドアの前にやってきた私は、小さくノックした。


「————はい」


 その声を聞くだけで、胸が高鳴った。


 いつからこんなにも、ジンテール王子のことが好きになってしまったのだろう。


 ずっと一緒にいても、何かあったわけじゃないのに。


 私は宝箱を開けるようなワクワクした気持ちで、ドアを開けると——そこには、少しだけシャツの襟を開けて椅子に座る、ジンテール王子の姿があった。


 その手にはお酒のグラスがあって、なんだかいつもと雰囲気が違っていた。


「あの、ジンテール殿下」


「ああ、ケイラか」


「ケイラか、じゃないわよ。最後の挨拶に来たのに、あまり歓迎されていないみたいね」


「そんなことはない。この国の偉大なる大聖女のおかげで、我が国は安泰なのだからな」


「酔ってるの?」


「少しな」


 私はジンテール王子のそばに立つと、少しだけ赤くなった彼の顔に右手を添えた。これが最後になるなんて思わないけど、しばらく会えないかと思うと寂しい気がした。

 

 でもそう思っているのはきっと、私だけじゃないはずだわ。


 だって、ここに来てから彼が酒に溺れている姿なんて見たことなかったもの。だからきっと、多少なりとも私のことを思ってくれているんだ。


 そんなことを思って椅子に座るジンテール王子を見つめていると、そのうちジンテール王子はグラスをテーブルに置いて、私の腕に顔を寄せた。


 まるで子猫が母猫にすがるようなその仕草に、私は思わずキュンとなった。


「じ、ジンテール殿下は私のことが好きですか?」


「今更なんだ?」


「だって、聞かないと言ってくれないでしょう?」


「言ったら止まらなくなりそうでな」


「止まらない? 何が」


 私が怪訝な顔をして訊ね返すと、ジンテール王子はくすりと笑って私の腕をひいた。そしてジンテール王子の膝になだれ込んだ私の耳に、彼はそっと息を吹き込むように囁いた。


「まさか俺がお前に心を奪われるとは思わなかったんだ」


「まあ、あんな恋文を書いておいて、今更なんなの?」


「違うんだ、あの時は——」


「何が違うの?」


「いや、いい。きっとあの時にはもう、落ちていたのかもしれない」


「何を言っているのかわからないけど、私のことが好きってことはわかったわ」


 私が満足げな笑顔を向けると、ジンテール王子は小さく息をのんだ。そしてゆっくりと私に唇を寄せてきたので、私も目を閉じる——けど。


 ふいに、おでこを弾かれるな痛みが走る。


「いった!」


 思わず目を開けると、ジンテール王子の苦笑する顔があった。


「あなた、デコピンしたでしょ!?」


「俺はお前の目を覚まさせただけだ」


「もう、なんでそう、素直じゃないのよ」


「俺にも使命があるんでな」


「はあ?」


「それより、グクイエとはどこまでいったんだ?」


「……何の話?」


「グクイエと恋仲になったんだろう?」


 突然の言葉に、私は瞠目する。まさかとは思っていたけど、グクイエ王子と私のことをそんな風に思っていたなんて——呆れて開いた口が塞がらなかった。


 仮にも恋人に向かって、そんなこと言うなんて。


 一瞬、ぶん殴ってやりたい気持ちにかられたけど、なんとか自分の感情を抑えることに成功した私は、立ち上がってジンテール王子を睨みつけるように見下ろした。


「あのねぇ、何を勘違いしているのか知らないけど、私とグクイエ殿下はそんな関係じゃないわよ。ていうか、自分の恋人に言うことじゃないでしょ!?」


「だが、奇跡の再会だろう?」


「……奇跡の再会? なんの話よ」


「グクイエを見て、何も思わないのか? グクイエはお前のことを——」


「知ってるわよ。グクイエ殿下が私を好きだってことくらいは。けど、それと私の気持ちは無関係よ。私が好きなのはジンテール殿下なんだから」


「……そうか」


 ほっとしたような、嬉しそうな顔をするジンテール王子の幼い笑顔に不意打ちを食らった私は、なんとなく胸をギュッと掴まれるような感覚に陥る。


 過去に大聖女アコリーヌが王子様と会った時も、こんな気持ちだったのかな?


 なんて思っていると、そのうちジンテール王子はまるで何もなかったように無表情で私の前に立った。


「な、何よ」


「抱きしめていいか?」


「い、いいわよ」


 ジンテールに言われて素直に頷くと、思ったよりも強く抱きしめられて私はびっくりした顔をする。


 今日はジンテール王子の意外な一面をたくさん見たような気がするけど、決して嫌な気持ちにはならなかった。


 きっと、彼はグクイエ王子の気持ちを知って、不安になっていたのね。


「大丈夫だよ、私はジンテール殿下の元にいるから」 


「本当か?」


「もちろんよ。私は好きなのはあなただと言っているでしょう?」


「俺みたいな人間のそばにいたいとは、お前は本当に変わった人間だ」


「あら、よくわかってるじゃない」


「だが——もしもお前が帰って来た時は、全てを話そうと思う」


「なんのこと?」


「それは帰ってからのお楽しみだ。全てを知った上で、俺を嫌いになるなり、見限るなりしてくれ」


「殿下がそんな弱気なことを言うなんて……本当に酔っているのね。わかったわ。なんのことかわからないけど、なんでも受け止めるから、言いたいことがあるなら全部言えばいいわ」


 その時の私は、ジンテール王子のことを軽く考えていた。まさか、のちにあんなことになるなんて、思いもよらなかった。





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