第5話 魔王がいるってか
タナカの息子を撃退して以来、ジンテール王子は私の部屋に全く近づかなくなった。
あの日はあんなに怒っていたし、私のことを想ってくれているとばかり思っていたけど——私の勘違いだったみたい。
ジンテール王子とは城の中で会うこともなくなって、不安ばかりが募る一方だった。
ていうか、私って恋人じゃなかったの? あんなに色んな場所へ連れていってくれたりしたのに、今では顔すらまともに見ないなんて。
それとも私は飽きられてしまったのだろうか?
あなたにとって私は面白い生き物じゃなくなったのね、きっと。
そんな風に悶々とする日々が続くもの、私は聖女アコリーヌの日記を読むことで、なんとか気を紛らわせていた。
けど、理由もなく顔を合わせないジンテール王子に痺れを切らした私は、とうとう自分から会いに行った。
————それなのに!
執務官のタナカが会わせてはくれなかった。
……ああ、やっぱり、ジンテール王子は私に対して興味を失ったんだ。
なんて思いながら自室の前でため息をついていると、グクイエ王子に遭遇する。
相変わらず童顔のグクイエ王子は、企むような笑みを浮かべて私に声をかけてきた。
「どうしたの? こんなところで。あ! もしかして、兄さんに振られたとか?」
「……はあ」
「え? 嘘? 本当に?」
私の反応が意外だったらしい。冗談のつもりで言ったようだけど、あながち嘘ではないかもしれないので、私はため息しか出なかった。
するとグクイエ王子は慌てて取り繕うように言った。
「に、兄さんはしつこい性格だから、ケイラから興味を失うなんてあり得ないと思うよ?」
「正確には、〝面白い生き物〟ですけどね。気を遣わなくていいわよ。こんな日が来るような気がしてたし」
「でも、恋文をもらって恋人になったんでしょ? 兄さんが恋文を渡すなんてこれまで一度もなかったし、ましてや他国の聖女に手紙を渡すなんて、簡単な覚悟じゃなかったと思うんだけど」
「ん? 他国の聖女? ——ちょっと待って、私聖女なの?」
「そうなんでしょ? キウイ王国の聖女がそう言ってたし」
「じゃあ、なんで私は聖女の棲む神殿には行かないの? 聖女って聖域でしか長生きできないんじゃないの?」
——って、アコリーヌの日記には書いていたけど、時代の流れで変わったとかじゃないわよね?
「そんなこと、よく知ってるね。そうだよ。だから兄さんはこの城に結界を張って、ケイラが過ごしやすいようにしてあるんだよ」
「え? そうなの?」
「だから言ったじゃん。聖女に恋文を渡すのは、覚悟がいるって。ずっと一緒にいるために、兄さんは魔力を消耗し続けているんだよ」
「そうなんだ……」
「ちょ、ちょっと! 泣かないでよ」
「え?」
気づくと私は、自分でも知らないうちに涙を落としていた。きっとジンテール王子のことが信じられなくなっていたんだと思う。
けど、グクイエ王子の話を聞いて、少しくらいは愛されていることがわかった。
でなければ、私みたいな面倒くさい女を城に置くはずがないものね。
だったら、どうして私のことを無視するんだろう。私が何かしたのだろうか?
それとも、やっぱりタナカの息子に触られたことが気になるとか? 意外と潔癖そうだしね。
私があれこれ考え込んでいると、グクイエ王子は咳払いをして告げる。
「……兄さんが何をしたのか知らないけど、あの人はマイペースだから、深く考えない方がいいよ」
「グクイエ殿下……慰めてくれるの?」
そう言ってグクエイ王子は私の目元をそっと拭うと、優しい笑みで見下ろした。
「ケイラはやっぱり、笑っている方が面白いよ」
「そこは可愛いでしょ」
「はは」
「——でもありがとう。おかげで安心したわ」
「それは良かった。でももし、兄さんに振られるようなことがあれば——」
「え?」
グクイエ王子は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。そして困ったような笑みを浮かべた。
「ううん。なんでもない。噂をすればほら——兄さんが来たよ」
言われて、私は振り返る。
すると、そこには確かにジンテール王子がいて、相変わらず不遜な態度で立っていた。
「——ケイラ」
こうやって会うのは半月ぶりだった。
なんの予告もなく私の部屋にやってきたジンテール王子を見て、私はまた泣きそうになる。
ジンテール王子に会えることがこんなに嬉しいなんて、自分でも思わなかった。
あまり多くは語らない人、だけど優しい人だということは知っている。
だって、いつも私が言った些細なことにも笑わずに答えてくれるんだから。そんな人が私を忘れたりするわけないし、きっと会えない事情があったんだ。
久しぶりの再会に胸を高鳴らせる中、ジンテール王子は淡々と告げた。
「ケイラ、執務室に来てほしい」
「え? どういうこと」
私が目を白黒させているのを見て、グクイエ王子が口を挟んだ。
「兄さん、恋人に対してそんな怖い顔しちゃダメだよ」
「グクイエ、お前も来るんだ」
「え? 何?」
「大切な話がある」
そのジンテール王子の真剣な顔つきに、私とグクイエ王子は顔を見合わせた。
それから私とグクイエ王子は、執務室に移動した。初めて入ったジンテール王子の仕事場は、私室と変わらない本ばかりの部屋で、窓際には大きな執務机が据えられていた。
そして執務机の前にある豪華な応接セットにグクイエ王子と私が座ると、ジンテール王子も執務机に腰を落ち着かせた。
なんだろう。この物々しい雰囲気は。
私が何かしたのだろうか? などと思っていると、ジンテール王子がため息混じりに告げる。
「実は、ケイラにお願いがあるんだ」
「私に?」
「キウイ王国が魔王に乗っ取られた。だから、聖女メラニンとともに魔王を倒してほしい」
「はあ!?」
私が心底驚いていると、向かいに座っていたグクイエ王子も声を上げた。
「ちょっと待ってよ! 魔王がいるなんて——そんな危険な場所に恋人を送り込むなんてどうかしてるよ」
「このまま放っておけば、こちらの国にキウイ王国が再び侵攻してくる可能性があるんだ」
「だからって——」
「何もケイラ一人を送るわけじゃない。魔王を倒せるのは聖女だけだ。各国の聖女が集まり、ともに戦ってもらう」
そのジンテール王子の抑揚のない声に違和感を覚えて、私は彼の目をじっと見据えた。するとまるで深い水底のような暗い何かをその目に見たような気がした。
なんて悲しい目。それは、私に行かないでほしいってこと? でも、そういうわけにはいかないのよね、きっと。
私と会わなかったのは、このことを言うのが怖かったから?
全ては想像でしかないけれど、きっとジンテール王子は私を戦地に送ることを良くは思ってないわよね。
私も行きたくはないけど、でも行かないといけないようなそんな気がするし……。
この場合、素直に従った方が国交のためにもなるのだろうか?
私は面倒なことになったと思いながらも、ジンテール王子の意思に従って手を上げようとする——けど、そこでグクイエ王子が立ち上がった。
「ケイラ、行かなくてもいいよ、そんなの。キウイ王国がどうなったっていいじゃないか。うちを襲った国をわざわざ助けに行く必要なんてないよ」
グクイエ王子はそう言うけど、なんとなくモヤモヤした私は静かに
「けど、放っておけばグレープ王国にだって何があるかわからないわけだし、見過ごすわけには行かないと思うよ? またこの国が侵攻されたらと思うと私も嫌だもの」
「それって、ケイラはもう行くことを決めてるってこと?」
「私にしかどうにかできないなら、どうにかするしかないじゃない」
「他の国の聖女だっているんだし、何もケイラが行かなくても——」
「グクイエ」
グクイエ王子の言葉を、ジンテール王子が遮った。その顔はとても怖い顔をしていて、いつものジンテール王子とは違っていた。
そしてグクイエ王子もそんなジンテール王子の形相に驚いた顔をしていて、困惑気味に目をうろうろさせていた。
けど、グクイエ王子は何かを覚悟したように告げる。
「ケイラが行くなら、僕も行く」
「何を言ってるんだ、お前は」
「だって、ケイラはこの国を救ってくれた恩人だよ? こんな時に助けなくて、誰が助けるんだよ」
「ダメだ。お前はこの国の大事な王子だろう」
「王子なら兄さんがいるじゃないか」
「だが、俺は——いや、俺よりもお前に何かあっては困るんだ」
「どうして? 俺は王位を継がないし、これまでも戦場に行くことだってあったよね?」
「だが、今回はお前が思っている以上に危険な状態なんだ。そんなところにお前をやるわけにはいかない」
「そんな危険なところに彼女を送りこむつもりなの? 兄さんは平気なの?」
私が思っていることを、いつの間にかグクイエ王子がジンテール王子に訊ねていた。
そこは私も聞きたいと思っていたところなのよね。ジンテール王子も私を行かせたくないと思ってくれていると思うけど……。
などと考えてモヤモヤしていると、ジンテール王子はいつになく冷酷な目で静かに答えた。
「ああ。この場合、ケイラを行かせるべきだと俺は思っている。運命に抗うことはできないからな」
「それってどういう意味? 兄さんが何を言っているのかわからないよ」
グクイエ王子の言葉に、ジンテール王子は目を閉じてため息を落とす。そして誰にも聞こえないような声で小さく落とした。
「たとえケイラが全てを知って俺から離れたとしても、それも運命だ——」
けど、私って地獄耳だから、その言葉を完全に拾っていた。
ジンテール王子が言う意味は私にもわからなかったけど——ジンテール王子が私から離れたがっていることはなんとなくわかった。
***
結局、キウイ王国の魔王の元に、刺客として送り込まれる私は、出発の日までなんとなくぼんやりとした日々を送っていた。
本当ならカエルのルーも連れて行きたいところだけど、存在感が大きすぎて連れていけないらしい。
予定としては、見つからないよう魔王の元に忍び寄らなくてはいけないのだとか。そんな暗殺者みたいなこと、本当にできるかわからないけど、行くしかないと思っていた。
ジンテール王子に言われたからじゃない。なんとなく行かなきゃいけないような気がしていたから。
自分でも不思議な感覚だけど、行きたくないのに、今すぐにでも行かなきゃいけないような気がしていた。
ゴォフにそのことを話したら、それは物語の強制力だと言われたけど——それってどういう意味なんだろう。
でもゴォフも世話役として一緒に行ってくれるし、きっと大丈夫よね?
ただ、私が素直に行くと言う中、グクイエ王子だけは今も反対していて。なぜかすごく怒っている彼は、ジンテール王子とは口も聞かないという。
こんなケンカは初めてだとリビが言っていたけど、このまま放っておくのも良くないわよね。
だから——キウイ王国に出発の前日、私は挨拶がてらゴリラン大司教の元を訪ねた。
大司教なら、魔王をどうやって倒せばいいか教えてくれるに違いないと思うし、ついでにジンテール王子やグクイエ王子のことも頼むつもりだった。
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