第4話 不作法な来訪者



「——ケイラ様、なんですかその格好は!」


 グクイエ王子との水遊びから部屋に戻るなり、恰幅の良いエプロンドレスの女性が声を荒げた。


 侍女長のリビである。


 ジンテール王子の恋人(?)ということで、大切にされている私は——噴水に落ちた旨を話すと、こってりしぼられた後、湯浴みで全身綺麗にしてもらった。


 そしてむきたての茹で卵のように綺麗になった私は、ベッドの上に寝転がり、またもや聖女の日記を開く。


 元々小説を読むのが好きだった私は、アコリーヌの日記がすっかり好物と化していた。


「あーあ、あと少しで終わるのね。残念だわ。でもまいっか……また繰り返し読めばいいものね」


 そんな風にベッドの上でダラダラしていると、ふいにドアをノックする音が聞こえた。

 

 けど、私は今アコリーヌの日記に夢中だし、邪魔をされたくないわけで……。


「はーい! ケイラは今いませーん!」


 思わずそんなことを言えば、そのうちノックが激しくなって、何かの曲のようにリズミカルな音をとりはじめた。


「なんなのよ、もう。面白いわね」


 リズミカルな音に釣られてドアに向かった私は、相手が誰かも聞かずにドアを開いた。


「はい、なんですか!?」


 すると、ドアの向こうには、どこかで見たことのある男の人が立っていた。


 ていうか、この人誰よ……筋肉質で、金髪の色男だけど、ジンテール王子には負けるわよね。


 なんて思っていると、男の人は一輪の赤い花を私に差し出した。


「今日もなんとお美しい」


「あ?」


 会ってそうそう寒気のする言葉に、私がドン引きしていると、男の人は持っていた花を私の耳元に差しこんだ。


 ていうか、勝手に触らないでよ。


「あの、どこかでお会いしたでしょうか?」


「もうお忘れですか? 私はあなたと会ってから、片時も忘れられないというのに」


「……はあ。で、どこで会ったの?」


 焦れったいのが嫌いな私が単刀直入に訊ねると、男の人はどこかいやらしい笑みを浮かべながら言った。


「本当は覚えていらっしゃるのではないですか? 私のような美貌を忘れるわけがないでしょう」


「そういうのを自意識過剰って言うわね」


 許してもいないのに、グイグイ迫ってくる男の人に、私はこれでもかと眉間を寄せて睨みつけてやる。すると、男の人は心底おかしそうに笑い始めた。


「あはは! 愛人が百人いるケイラ様には美貌だけでは通用しないということですか」


「愛人が百人!? 友達が百人じゃなくて!?」


「表向きはジンテール殿下一筋と聞いておりますが、私の前でまでそのようなふりをしなくても良いのですよ。全てわかっておりますゆえ」


「は!? あんたがあたしの何をわかっているっていうのよ」


「ですから、これから親密な時間をもって、貴方様のことをじっくりわかりたいのです」


「さっきから会話になってない気がするけど、あなたって通訳必要なの?」


「面白い御令嬢だ。今までさまざまな貴婦人を相手にしてきた私ですが、これほど胸が高鳴ったことはないでしょう」


「で、結局あなたは、どこの誰で、ここに何しに来たの? ことと次第によっちゃあ、衛兵を呼びますけど?」


「私はラビットソン・タナカです。執務官であるタナカを父に持つ、騎士であり伯爵位です」


「ラビットソン・タナカ! すごい名前ね。ていうか、あのおっさんにちっとも似てないじゃない」


「おかげさまで私は母親似ですので。それよりも、私が何をしに来たのかまだわかりませんか?」


「わからないわね。あなたとは初めて会ったわけだし」


「まだそんなことをおっしゃいますか。つれない御方だ。そんなところもそそられますが」


「とにかく、知らない男の人を部屋に入れるつもりはないから、帰ってちょうだい」


「またまた、そんなことを」


「そんなことじゃないわよ! こんなところ、ジンテール殿下に見られたくないのよ。あの人、普通に勘違いして笑って去りそうだし」


「それは、ジンテール殿下とはやはり不仲ということですか?」


「そうじゃないのよ。あの人はなんていうか、変な人なの! 普通に妬くだけならいいけど、そうはいかないのがあの人なのよ」


「では、ケイラ様はジンテール殿下に妬いていただきたいのですね?」


「まあ、たまにはそうね」


「でしたら、ジンテール殿下が妬くようなことをすれば良いではないですか」


「なんでそういう話になるのよ。そもそも、タナカの息子が私になんの用なの!?」


「もちろん、ケイラ様にお会いするためにやってまいりました」


「なんで!?」


「一目で恋に落ちたからですよ」


「はああああ!?」


 そこまで会話して、ようやく兎村ラビットソンがヤバいやつだということがわかった私だけど、気づいた頃には遅かった。


「悪いけど、私にはジンテール殿下がいるから!」


 部屋の外へ押し出そうとしても、兎村はビクリともしなかった。なんて筋肉してるのよ。


 それから私は衛兵を呼ぼうとして大きく口を開けるけど——そこでいきなり兎村に手で口を塞がれて、部屋の奥へと押し込まれた。


 そしてベッドに押し倒された私は、モゴモゴ言いながらも抵抗できなくて。そのままマットレスに身を沈めた。


 そんな私をギラついた目で見下ろす兎村。


 自画自賛するだけあって、美しい容姿をしているのはわかるけど、だからってこの状況を受け入れられるはずもなくて。


 私は噛み付かんばかりに暴れるけれど、兎村はそんな私を軽々押さえつけて、襟元のボタンを外していった。 


 ————ヤバい。ていうか、なんでこんな時に限ってゴォフもリビもいないのよ!


 ああ、そうか。私が日記に没頭するために追い出したんだっけ。

 それより、この状況どうすればいいのよ!


 私の貞操が危うい中、兎村が邪悪な笑みを浮かべていると——。


「——おい、何をしている」


 まさかのジンテール王子の登場だった。


 開けっぱなしのドアから入ってきたジンテール王子は、無言で私と兎村を見比べていた。


 ————ああ、こんなとこ見られたくないのに。なんでこういう時に限って現れるのがジンテール王子なのかな。


 でもきっとジンテール王子のことだから、私が兎村と遊んでいると思ったりするんじゃなかろうか? なんて思っていると——意外にもジンテール王子は怒った顔をして近づいてくる。


 すると、私に覆いかぶさっていた兎村は、身なりを正してジンテール王子に挨拶を始めた。


「これはこれは、麗しき王太子殿下の——」


 兎村が言いかけた、その時だった。


 ジンテール王子の右拳が、兎村の左頬に食い込んだ。そして勢い余って吹っ飛ばされた兎村は部屋の壁に激突した。


 兎村が白目を剥いて泡を吹く中、ジンテール王子が私の元にやってくる。


「大丈夫か?」


「……はい」


 てっきり、私なんて面白い生き物としか思われていないと思っていたけど、ジンテール王子はちゃんと私のことを恋人だと思ってくれていたのだろうか?


 だって、私の顔を覗き込むジンテール王子の心配そうな目。こんな顔、今まで見たことないかも。


「何をされた?」


 その声は、どこか緊張を孕んでいたけれど、私は慌ててかぶりを振った。


「未遂です。大丈夫……私は何もされて……」


 今になって、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてくる。ああ、本当は怖かったんだ——なんて、自分の感情にすら気づいていなかった私は、涙を必死に拭うもの、いくら拭っても涙がこぼれ落ちてきて、ちっとも止まらなかった。


 けど、私がさらに顔を拭おうとすると、その手をジンテール王子が止めた。


「あまりこすると、赤くなるぞ。綺麗な顔が台無しだ」


「ええ!?」


「なんだ? 何かおかしなことを言ったか?」


「いいいいま、私のことを綺麗な顔って」


「ああ、人間の造形の中では美しい部類に入るだろう?」


「……そういう言い方をされると——逆に安心します」


「なんだ、何が言いたい」


「ジンテール殿下が人を褒めるような言葉を口にするのが珍しいから」


「そうか? お前は綺麗だ」


「はうあっ」


「どうした?」


「その笑顔も反則だわ」


「やっぱりお前は面白い生き物だな。赤くなったり青くなったり、忙しいやつだ。それよりもあいつのことだが」


 ジンテール王子が急に真面目な顔つきになるものだから、私は肩をびくりとさせる。ジンテール王子が親指で指し示す方には、いまだ動かない兎村の姿があった。


「あれはなんなんだ?」


「私にもわかりません。タナカの息子だと言ってたけど」


「タナカの息子? なるほど、競馬場にいたやつか」


「競馬場……あ! そういえば!」


 ジンテール王子の言葉でようやく思い出した。ハンカチを落とした時、拾ってくれたのが確か、こんな顔をした男の人だったこと。


 頭の隅で何かが引っかかっていたけど、そういうことだったのね。あの時から私は、目をつけられていたのだろうか?


「でも、どうしてタナカの息子が私を?」


「おそらく、私からお前を引き離したいんだろうな。タナカのやつ、相変わらずお前の悪口ばかり言っているからな」


「そんな理由で乙女の貞操を!?」


「他の男に汚されれば、妃候補から外れるとでも思ったのだろう」


「き、きさきこうほ!?」


「何を今更驚いているんだ」


「いや、だって、王太子妃っていったら、国にとっては大事な存在じゃない?」


「そうだ。お前が私の恋人になるということは、そういうことだ」


「……」


「お前、何も考えてなかったのか?」


「……うん。だって、王太子妃になるのって、どこかの国の姫君とかじゃないの? 私みたいなのが候補でいいのかな?」


「私と一緒にいるのは嫌か?」


「そういうわけじゃないけど」


「だが……そうだな。お前とは少し近づきすぎたかもしれない」


「……え?」


 ジンテール王子は、意味深な言葉をこぼすと兎村の足を引きずりながら部屋を出ていった。兎村はこのあとどうなるのだろう。どうでもいいけど。


 それよりも、私と近づきすぎたってどういうことだろう? 本当は一緒にいるつもりはなかったってこと? 


 でも、私に熱烈な恋文をくれたくらいだし、私のこと嫌いってわけじゃない——よね?


 そして私はその日、なんとなくジンテール王子の言葉で胸がモヤモヤして、明け方近くまで眠れなかった。


 しかもその翌日から、ジンテール王子は何かと理由をつけて会ってくれなくなったのだった。





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