第3話 後ろめたい
「——アコリーヌ様。あなた様にお会いできることが何よりの幸福です」
いつもの待ち合わせ場所。大きな森を分断する川にまでやってくると、幼い顔で笑う彼が、私の目に飛び込んでくる。
自らの手で花を積んだ童顔の青年は、私をみるなりその小さな花束を差し出した。
私はゆっくりと近づきながらその花束を受け取るけど——なぜだろう。彼のとびっきりの笑顔を見ても、なんとなく胸の奥がモヤモヤした。
理由はわかってる。わかってるけど——言えなかった。
「ありがとう、とても嬉しいわ。今日はどこに参りましょう」
「ここでお喋りするだけでは物足りませんか?」
「そ! そんなことはありません。ですが、いつも私が喋るばかりで、退屈ではありませんか?」
「そんなことはありません。僕はアコリーヌ様の声が大好きですから」
「だだだだ、大好きだなんて!」
私の頭が爆発するかと思った。
彼は思ったことをすぐに口にする性格らしい。とても素直で愛らしい性格だと思うけど、本当はなんとなく物足りなく思っていた。
だって彼は、私に一度も触れてはくれなかったから。
せめて接吻だけでも! と息巻いている私の心内を知れば、はしたない聖女だと思うかしら?
そんな風にヤキモキしていると、彼は私の顔をゆっくりと覗き込んでくる。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ、なんでもありません。ではそこの切り株に座りましょう」
それから私は、日が暮れるまでお喋りをした。時々相槌をうちながら、私の話に一生懸命耳を傾けてくれた彼は、そのうち暗くなり始めると少しだけ周囲を警戒し始める。
この森には魔物がいるから、夜になると危険であることは知っていた。けど、私はこれでも聖女だし、魔物なんて怖くはなかった。
なのに彼は不安そうな顔をしている。私が聖女だということを忘れているのかもしれない。私がその気になれば、この森の魔物なんて一掃できるし、人間を相手するよりずっと楽なんだけど——。
そして完全に日が落ちる直前の、朱と藍が混ざった空の下で、彼はとうとうそれを口にした。
「あの……そろそろ僕は……」
「……そうですね。本当はもっとお話ししたかったですが」
「僕もです」
「いつか、森の外でもお会いできると良いですね」
私がそんなことを言うと、彼はさっと瞳を伏せた。
外で会えない理由を、本当は知っていた。だって彼はこの国の第一王子だから。
指輪に五枚の花弁がついたアクアラという花の印が入っているのを、見逃すわけがなかった。
それに私は、何度か王城を訪ねたことがあって、そこで彼に会ったことがあるのだけど、きっと彼は覚えていないわよね。
本来聖女は、清浄な空気から出ると、あまり長くは生きられない。けど、私には周囲を浄化する力があるから、遠出しても平気だった。
そんなわけで、王城にもよく遊びに行っているのだけど、彼はその事実を知らないのかもしれない。
「ごめんなさい。あなたにも事情がありますものね」
「いえ、申し訳ありません。気を遣わせてしまって」
「いいえ。いつかあなたが見る景色も見てみたいです」
それは皮肉のつもりだった。ただ森の中でお喋りをするだけの関係。きっと王子様はいつか綺麗なお姫様を娶って、幸せな生活を送るのだろう。
けど、私にはそれが出来ない。だって、聖女だから。聖女は一生聖女なんだから。
法律でそう決められているから、王子様と一緒になれるはずがなかった。
なのに彼は驚いた顔をして、私をじっと見つめた。嫌な女だと思ったのかしら?
なんて思っていると、ふいに彼は私の体をぎゅうっと抱きしめた。
突然のことに驚いていると、さらに彼は私の耳元にそっと言葉を吹き込む。
「アコリーヌ様……お許しください。貴方様があまりに可愛いことをおっしゃるものだから——僕は」
「え、えっと、その」
あれだけ触れて欲しいと思っていた私だけど、いざ抱きしめられると、とんでもなく動揺していた。皮肉のつもりで言ったことが、可愛いだなんて……私のことをよほど素直な聖女だと思ったのだろうけど、なんだか申し訳なくなってしまう。
それに思ったよりも硬質な筋肉に拘束されて、私は赤くなることしかできなかった。
「ああ、可愛い聖女様、どうかお許しを——」
そして彼はゆっくりと私に唇を寄せてきて——。
「——起きてください! ケイラ様!」
「ふえ?」
幼い顔の彼が接近してきたところで、私——ケイラは夢から目を覚ました。
「なんという場所で寝ていらっしゃるのですか」
目を開けると、最初に飛び込んできたのはゴォフの顔だった。
いいところだったのに、なんてことをしてくれたのだろう。
——って、いいところって何よ。私にはジンテール王子がいるというのに、夢の中の彼にすっかり取り込まれていた。
「なんという場所って……あらヤダ。私、絨毯の上で寝てたの?」
どうやら私は、ルーの背中で日記を読んでいて、そのまま寝てしまったらしい。いつの間にかルーの背中から落ちて絨毯の上で寝ていた私は、日記を胸に抱きしめたまま起き上がる。
ちょうどアコリーヌ様が王子と接吻した日の話を読んでいたのよね。小説のようなドラマチックな話に、くぎづけになっていたのだけど、まさかあんないいところで眠ってしまうなんて……とか、思っていたら。
「——その日記はそれほど面白いものなのか?」
気づくとドアにもたれかかるようにしてジンテール王子が立っていた。
けど、他の殿方と
すると、ジンテール王子は息を吐くように苦笑して、そのまま去っていった。
「どうしたんだろう?」
いつもなら、この後どこかに行こうって言うのに、何も言わないのね。
まさか、私——変な寝言でも言った!?
結局、その後ジンテール王子が来ることはなく、私もなんとなくバツが悪いし、気分転換のために庭に出ることにした。
王城の長い長い廊下を抜けるだけで、けっこうな運動になるのよね——なんて思いながら回廊を出ると、迷路のような花壇を抜けて聖女の噴水がある庭の広い場所にやってきた。
噴水の聖女は、始祖アコリーヌ様を模していると聞いたけれど、なんとなく違和感があった。
「アコリーヌってこんな顔だっけ?」
「——それって、ケイラはアコリーヌ様に会ったことがあるってこと?」
後ろから声がして振り返ると、そこにはうさぎのような大きな瞳をした、グクイエ王子の姿があった。
「ちょ、ぐ、グクイエ殿下っ」
「なんなの? お化けでも見るような顔して」
「いや、今あんまり会っちゃいけない顔なのよ」
「どういう意味?」
「こっちの話よ」
「相変わらず、君は変な人だね」
夢の中そのままのグクイエ王子に、私は思わず赤くなる。だって、さっき接吻しそうになったわけだし。今会うのは気まずいというかなんというか……。
私が嘘くさい笑みを浮かべながら通りすぎようとすると、そんな私の顔を、グクイエ王子が覗き込んでくる。
「なに? なんなの? 何隠してるの?」
「え? なんの話?」
「挙動不審すぎない?」
「そんなことないわよ! 私はいつも通り……だし……」
グクイエ王子に顔を覗きこまれ、思わず後ずさった私はそのままジワジワと後ろに下がった。するとグクイエ王子はますます怪しそうな目をして確認してくる。
「そういう人に限って、何か隠してたりするんだよね」
「そんなことはないって言ってるでしょ! ——って、うわっ」
追い詰められた私は、そのうち噴水にぶちあたると、背中から水の中にダイブしてしまう。
————ボチャン! と小気味の良い音を立てて噴水の池に入った私だけど、なぜかグクイエ王子も水の中にいた。
どうやら、私は咄嗟にグクイエ王子の腕を掴んで、引きずりこんでしまったらしい。
グクイエ王子は噴水の池に座り込んだ状態で、目を丸くしていた——かと思えば……。
「あははははは!」
「グクイエ殿下?」
「やってくれるね、ケイラ。水遊びなんて久しぶりだよ」
「は? 水遊び?」
「ほら、これはお返しだ!」
グクイエ王子はそう言って私に水をかけてきた。
私は慌てて逃げようとするけど、噴水の中で重くなったドレスに足を縫い止められて、グクイエ王子の攻撃をもろにかぶってしまった。
頭からびしょびしょの私を見て、大笑いするグクイエ王子は……なんというか、天真爛漫なお子様のようだった。
最初は呆然としていた私も、グクイエ王子が笑っているせいか面白くなって、水浴びの仕返しをしてあげることに決めた。
私は立ち上がって噴水の出る場所を押さえる。すると、グクイエ王子だけでなく私まで水をかぶって、さらにびしょびしょになった。
「ふっ、勝った」
「ケイラもびしょびしょなのに、どこが勝ちだよ」
「いいのよ。攻撃は最大の防御って言うんだから」
「言葉の使い方、間違ってない? 防御できてないと思うんだけど」
「細かいことはいいの! これに懲りたら、女性を追い詰めるような真似はしないこと!」
「追い詰めた記憶はないけど。それにケイラは女性じゃなくて、面白い生き物なんだよね?」
「それはジンテール殿下が勝手に言ってることで、私は面白い生き物なんかじゃないわよ!」
「ケイラは面白いよ。こんな噴水に入っても、泣いたりしないどころか、仕返ししてくるし」
「ちょっと待って、もしかして今までにも女性を噴水に落としたことがあったの?」
「まあ、色々あって」
「色々あって、じゃないわよ! グクイエ殿下も、ジンテール殿下と同じくらい女性の扱いがなってないわ」
「なんだよ、女性の扱いって。じゃあ、どんな風に扱われたいの? お姫様抱っことか?」
「馬鹿にしてるわね! 確かにお姫様抱っこは女の子のロマンだとは思うけど……そんな貧弱な発想しかできないの!?」
「じゃあ、具体的に教えてよ。女の子の扱い方」
そう言って、グクイエ王子は水の中を這って私に接近してくる。あまりに近くに寄ってくるものだから、私は思わず膝立ちでのけぞった。すると、背中から水の中に落ちそうになって——グクイエ王子に腰を支えられた。
体が重くて動けない中、そんな重い私の腰をグクイエ王子は軽々と掴んだまま、見つめ合うこと数十秒。
逃げられなくて困惑していると、そのうちグクイエ王子が吹き出した。
「あはは! なんだ、キスでもすると思った?」
「思わないわよ! それより、離しなさいよっ」
「本当にいいの? 離しても?」
「あ、困るかも」
グクイエ王子が離したら、私は水の中に再びダイブすることになるのだから。けど、何を思ったのか、ニヤリと笑ったグクイエ王子はその手をさっと離して——私は背中から噴水の池に落ちたのだった。
「ちょっと! 本当に離す!?」
「だって、離してほしかったんでしょ?」
「いや、まあ、そう言ったのは私だけど」
「じゃあ、帰ろっか」
噴水の中にへたり込んだ私の前に、グクイエ王子が手を差し出した。けど私は警戒してその手は取らずに、自力で立ち上がる。
「そんな怖い顔しなくても、もう何もしないよ」
「信用できない」
「ははは」
「何がおかしいのよ」
「ケイラが可愛いなと思って」
「ちょっとイケメンだからって、誰でも甘い言葉で惑わせるとは思わないでよね」
「僕の言葉、そんなに甘かった?」
「そういう話じゃないのよ」
「やっぱりケイラは面白いな」
ジンテール王子はよくわからない人だけど、その弟というだけあって、グクイエ王子もよくわからない人だった。
それから私はなんだか疲れてしまって——グクイエ王子と一緒に何食わぬ顔で、それぞれ自分の部屋に帰ったのだった。
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