第2話 聖女の日記
「やばい、眠れない」
「どうかなさいましたか? ケイラ様」
就寝の時間になり、
いや、いくら
「あんた、なんでここにいるのよ」
「ケイラ様が呼んだのではありませんか」
「は? 私が?」
「そうです。あなた様が心の中で呼べば、私は飛んでくるしかありません」
「あー、はいはい。夢の中ではそういう設定なのね」
「ケイラ様はまだこの状況を夢だとお思いなのですか?」
「もうその言葉も聞き飽きた。それよりさ、お酒とかないの?」
「この世界では二十歳にならないとお出しできません」
「ええ!? そんなところは現実世界と同じなの? でも私、実際は二十八だし」
「ケイラ様の中身は二十八……でしたか」
「あれ? 言ってなかったけ? 事情通のゴォフが知らないことなんてあるのね」
「私はあなたが転生した悪役令嬢だという点についてはわかりますが、転生するまでの生活などは存じあげません」
「なんで?」
「なんでと言われましても。私にわかるのは、ここが小説の世界だということだけですから。現実のあなたについてまではわかりかねます」
「ふーん。まあ、いいや。じゃあ、特別に教えてあげる。私ってね——」
それから私は、二十八年間、執筆に命をかけてきたこと。コツコツ積み上げてきたランキングが、友人に一晩にして追い抜かれたことを語った。
「そうですか。意外と普通の人生を送られていたのですね」
「どこがよ! 車に
「まあ、最期が壮絶だったのは間違いないとして、聖女の力があれば、また変わっていたかもしれませんね」
「聖女の力? なんのこと?」
「さて、なんのことでしょう」
「そういえば、ゴォフ。あなた、戦場で聖女メラニンと対峙した時、私に『歌って』って言ったわよね?」
「……そんなことを言った覚えはありませんが? それに私は、戦場にはおりませんでした」
「そういえばそうよね。あの場にいないのに、どうして声が聞こえたんだろう」
「とにかく、早くお休みになってください。明日はジンテール殿下と馬車競争を見に出かけるのでしょう?」
「そうそう! この世界にも競馬があるのね。不思議だから、思い切って見に行くことにしたのよ。ギャンブルはあまり好きじゃないけど、馬は好きだし」
「では、早くお休みに——」
「でも眠れないから、明日のことをジンテール殿下に相談しようと思うわ。まだ起きているかしら?」
「いくら婚約者といえど、殿方の寝所にお入りになるのは、余計な風評を生みかねませんよ」
「別にいいわよ。だってこれは夢だし、私は夢の中くらい自由に動くんだから」
「あ、ちょっと! ケイラ様!」
それから私は、ゴォフの制止を振り切って私室を出ると——ジンテール王子の寝所に向かった。通りすがりの侍女に場所を聞いたところ、すんなり教えてくれたので、まっすぐ辿り着くことができた。
そしてひときわ大きくて豪奢なドアをノックするけど……。
「——ジンテール殿下、もう寝たの?」
何度ノックしても部屋の主が出てくる様子はなくて、私は仕方なく引き返そうとするけど——ふと触れたドアが、内側に開いた。
「あ、勝手に開けちゃった! って、ドアを開けっぱなしにするなんて不用心ね。それとも王子様ってこんなものなの?」
私はドアの隙間からおそるおそる中を覗いてみる。けど、ジンテール王子の姿は見当たらなかった。
「こんな時間に、なんでいないのかな? ——そうだ! いっそ驚かしてみよう」
よからぬことを考えた私は、不敵に笑いながらジンテール王子の私室に侵入する。
恋人で、しかも夢の中だし……勝手に入っても許してくれるわよね? なんて、またもや夢を免罪符にして強引に侵入してみる。
けど、いくら待ってもジンテール王子はなかなか現れなくて、仕方なく私はジンテール王子の私室ツアーをすることにした。
ジンテール王子の私室と言っても、そこは私の部屋より何倍も広い部屋で、手前には豪華な調度品と一緒に、執務机が据えられていた。
私室でも仕事をするのかと思うと、なんだか気の毒に思いながらも、私はさらに奥の部屋へと進んだ。
すると、四方を書棚で固めた部屋に遭遇する。その圧倒的な広さに、思わず天井を仰ぐけど、部屋を埋め尽くす書物の数もハンパなかった。
「あ、ようやく寝室」
図書室のような部屋の隣に、ようやく現れた寝室を見て私はホッとする。
実はジンテール王子には眠る習慣がないのかと思うくらい、リラックスできる空間がなくて、ちょっとだけ焦ってしまった。
けど、私の部屋と同じくらいのベッドルームを見て、なんとなく安心した私は、書庫のような部屋に戻った。
「そういえば、この世界のことをあまり知らないのよね。
書物の背表紙を見ながら部屋の中をぐるぐると歩いていた私だけど——そのうち青く輝く本を見つける。
「なんだろう? この本だけ色が違う?」
不思議に思った私は、書棚から青い本を引き抜く。
すると次の瞬間、書棚が動いて、地下に続く階段が出現した。
「なによ、このワクワクな展開はっ」
好奇心の塊である私が、
私は周りを
そしたら、ギギギ——という音とともに、入り口は閉じてしまった。一瞬、焦る私だけど、出入り口が封鎖されたと同時に、地下に点々と灯りが灯った。
ますます好奇心が刺激された私は、そのまま階下へと進んでいった。
その後たどり着いたのは、ジンテール王子の私室よりも広い書庫だった。
見渡す限り本で埋め尽くされたその部屋の中心にはやはり執務机があって——こんなところでも仕事するのかよ! と、思わず心の中でつっこんでしまった。
「どこもかしこも本ばっかりね。魔法の本でもあるのかしら?」
書棚の本を手に取ってみると予想は当たって、何やら呪文が書かれており、私には読めない本ばかりだった。
きっと魔法の本は普通の文字ではないに違いない。ケイラの知識では書庫の本を読むことができなかった。
————けど。
「これ……なんだろう。豪華な本よね……」
私は書棚で見つけた赤い装丁の本を手に取ると、そっと中を開いてみる。
すると、中は可愛らしい文字で綴られていた。どうやら、誰かの日記のようだった。
「やだ、なにこれ! もしかして恋バナ?」
私は偶然見つけた日記にざっと目を通す。
どうやらそれを書いたのは女性らしい。夢見がちな言葉で、とある青年との逢瀬を楽しむ様が記録されていた。
思わず私は、その日記を興奮気味に目で追っていた。
『……今日は彼に会うために綺麗な服を着たいところだけど、聖女の私は白い装束しか持ってないし……せめて髪を編んでみようかしら? あの人と会うのが待ち遠しいわ。世話係たちに見つからないようにそっと部屋を出て、夜まで——なんて! 聖女が良くないかしら? でもきっとこの気持ちも神様から授かったものだし、少しくらいいいわよね?』
そこまで読んで私は「なるほど」と呟く。
どうやらこの日記を書いた主は聖女らしい。
なんというか、メラニンと違って慎ましい聖女よね。
その後も、恋心に揺さぶられたりしていたみたいだけど、日記の聖女は逢瀬の相手とは手すら繋がなかったようだった。
本当はファーストキスに憧れていたらしいけど、聖女であることを恐れて、相手の男性も手が出せなかったとか。そんな話を読んでいると、なんだかもどかしい気持ちでいっぱいになった。
「聖女メラニンとは大違いね。あの人は簒奪だのなんだの言ってたけど、この聖女様の可愛らしいこと!」
私はすっかり日記の恋の行方が気になってしまい、その後もジンテール王子のことすら忘れて日記を読み耽っていた。
けど——。
「ふんふん、触れてくれないもどかしさね。わかるわぁ——わかんないけど」
「何がわからないんだ?」
「げ、ジンテール殿下っ」
気づくとすぐ傍に、ジンテール王子が腕を組んで立っていた。その顔は怒っているようには見えなかったけど、私は思わず息をのんだ。
「ご、ごめんなさいっ! 勝手に読むつもりはなかったの。ちょっとのはずが、二十ページくらい読んじゃったわ」
「お前にはその文字が読めるのか?」
「え? どういうこと? フツーに読めるけど?」
「その書物には
「そうなの? でもただの恋バナ日記だったわよ」
「……何年も研究していた書物が、恋バナ……?」
「これを何年も研究していたの? 中身、教えてあげようか?」
「もういい、その書物に価値がないことはわかった」
「じゃあさ、これ貰っていい? この日記の続きが気になるのよ」
「欲しければくれてやる。魔道に関係のない書物には興味がないからな」
「やった! ありがとう、ジンテール殿下」
私が嬉しさのあまり破顔すると、ジンテール王子は一瞬、呆けたような顔をする。恋バナを見て喜ぶなんて、呆れられたのだろうか?
それからジンテール王子は私の髪に触れながら、何かを考え込むそぶりを見せた。
行動と表情があってないんだけど!
ふつう、女性の髪を触るなら、もっと甘い雰囲気を出すものだと思うけど——彼の場合、なぜか眉間を寄せて厳しい顔をしていた。
「そういえば! 勝手にこの部屋に入ってごめんなさい」
「何がだ?」
「だって、隠し部屋なんでしょう?」
「本当に隠したい部屋なら、もっと厳重な結界を張る」
「そうなの? でも地下だし」
「この部屋は書物の保管に最適な温度を保っている。それだけの話だ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、もう眠いし、私は帰るわ」
「お前は、何しに来たんだ?」
————その日、私はまた夢を見た。
寝落ちするまで日記を読み込んでいたせいか、私は日記の持ち主である——聖女アコリーヌという人物になっていた。
そしてとある人に会うために神殿を抜けて森の中を駆けていた。待ち合わせ場所は森の奥深くの、川の手前。
幼さが残る笑顔は、夢のように輝いて見えて、会った瞬間に目を奪われた。
『アコリーヌ様』
誰よりも甘い声で囁いたその王子様のような風貌の彼は——。
どうみてもグクイエ王子だった。
***
「ちょっと! 早く走りなさいよ! 追い抜かれちゃうじゃない!」
「……」
翌日、予定通り競馬場に来た私は、紳士淑女でごった返す観客席から、馬車のレースを見守っていた。だけど、レースに熱くなる私と違って、ジンテール王子は静かなものだった。おそらくレースそのものに興味が持てないのだろう。
なら、どうして私を連れてきたりしたんだろう……なんて思いながら、ジンテール王子の横顔を見ていると、彼は私の視線に気づいて、口を開いた。
「どうした?」
「ちっとも楽しそうじゃないわね。せっかく変装までして来たのに」
「予想よりは興味深い。交配を重ねることで早い馬を生み出すのは神の意思に背いた荒技だがな」
「あなたが神様を出すなんて——」
私が言いかけた時、競走馬車たちの決着がついたと同時に、大きな歓声があがった。年齢制限で馬券は買ってないけど、なんとなく楽しさはわかったような気がした。賞金が欲しいというよりかは、純粋に競争を楽しんでいるのね。この世界の人たちは。
レースを純粋に楽しむ雰囲気はどちらかというと体育祭のようだった。
といっても、私は学生時代、陰キャだったから体育祭とかあまり好きじゃなかったんだけどね。
そんな感じで馬車競争を存分に楽しんだ私は、帰ろうと身を翻すけど——そこでふと、誰かに肩を叩かれた。
「あの」
声をかけてきたのは、金髪のとんでもない色男だった。ジンテール王子ほど筋肉質ではないにせよ、細身で筋肉質なその人は、私にハンカチを差し出した。
「落としましたよ?」
「へ? ——あ、ほんとだ。すみません」
私がハンカチを受け取ろうとした瞬間、それをジンテール王子が掠め取った。
いきなりなんなのよ。
「連れのハンカチをありがとうございます」
珍しく笑顔で対応するジンテール王子を見て、私は冷や汗をかいた。だって、普段はこんな風に笑う人じゃないし。
それに周囲の反応もおかしかった。
イケメンが私を取り合っているように見えるのか、少しだけ人だかりができていた。
そんな状況にもちょっと焦る中、色男さんは、笑顔を崩さずに私に向かって告げる。まるでジンテール王子なんて眼中にないように——。
「いえ、当然のことをしたまでです。またお会いしましょう、聖女のお姫様」
そう言って、去っていった背中は、兵士のようにキビキビとした動きをしていた。
色男の背中を見ながら、なんとなくポカンと口を開けていると——そんな私の耳を、ジンテール王子が引っ張る。
「おい」
「いたっ! なに!?」
「目が覚めたか?」
「へ?」
「浮気する気か?」
「まさか、妬いてくれるの?」
「どうだろうな」
ジンテール王子はそう言って、背中を向けて歩き始める。
私はそんなジンテール王子を慌てて追いかけると、少しだけ不貞腐れた彼の手を握った。
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